Ray of hope

 苦しい。得体の知れない闇が体を覆いつくすようだった。逃げようとしても体が上手く動かせない。
「……!」
がばっと起き上がり、周囲を見渡す。薄暗い部屋の中、べたつく汗。先ほどの嫌な光景は夢だったのだと自覚する。
 夢の内容は詳しく覚えていない。ただ、なんとなく怖くて、嫌な夢だったということだけが頭に残っている。布団に潜って目を閉じても、ぐるぐると恐怖が頭の中を占有する。どうしても寝付くことができなかった。
 雫は部屋を出て、リビングに入った。兄の部屋へ行こうかと迷ったのだが、できなかった。彼はもう寝ているかもしれない。そう考えると、ノックをする手が動かなかったのだ。
 コップに水を注いで、一気に飲み干す。冷たい感触が気持ちよかった。空になったコップにもう一度水を入れようとしたところで、彼の部屋の扉が開いた。
「雫?」
「あ……お兄ちゃん」
静かに彼が近づいてくる。雫はコップを流し台に置き、彼に身を寄せた。体中をうごめいていたものが、すっと軽くなったような気がする。
「どうしたんだい? ……もしかして、眠れない?」
「……いやな夢、みた」
顔を彼に押し付けたまま口を開いたため、くぐもった声が出た。けれど彼はそれをきちんと聞き取ったらしく、両腕で雫を包み、しばらくそのまま動かなかった。
 心臓の音が伝わる。大きくてゆっくりしていて、優しい音だ。目を瞑ってその音に耳を傾けていると、自然と心が安らかになる。ずっと彼の音を聞いていたかった。しかしそういうわけにもいかず、やがて体は離れてしまった。
「もう終わり?」
多分、いつもより甘えていた。きっと怖い夢を見たからだ。懇願するように兄の服を掴むと、彼は少しだけ笑った。
「今日は一緒に寝ようか」
「いいの?」
「雫が離してくれないだろ?」
「……だって」
「冗談だよ。ごめんね」
気恥ずかしくて顔をそらした。いっそのこと完全に甘えられたならよかったのにと思う。彼は冗談を言ったりすることもあるが、本気でそれを邪険にしない人だとわかっている。
 観念して彼の手を取ろうとしたときだった。
「……っ」
ぶるりと身が震える。決して気温が低いわけではないが、汗で濡れた寝間着が気持ち悪い。彼はそれに気づいたらしく、タオルで雫の額をぬぐった。
「汗を掻いたみたいだね。僕はここで待っているから、部屋で着替えておいで」
「……うん」
「心配しなくても、ちゃんとここにいるから大丈夫だよ」
「わ、わかってる……!」
こんなときまで意地悪を言わなくてもいいのにと、雫は頬をふくらませて自身の部屋に入った。新しいパジャマをクローゼットから取り出す。慌ただしく着替えて部屋を出ると、彼は「速いね」と笑った。待たせているから急いだだけだと言い張っても、いっそう笑われるだけだった。
 ぎゅっと手を握って、彼の部屋に入る。見慣れない景色に興味を持つこともなく、ただ真っ直ぐに目的地へ進んで行く。そして、いつも寝ているよりも少しだけ大きいベッドに二人で寝転んだ。温かさに包まれながら、彼の胸に耳を押し当てて目を閉じる。先ほどまでの恐怖が嘘のようだった。少女はすぐに寝息を立て、それを見届けた男もすぐに意識を手放した。

闇を照らす光