Lapis lazuli

「ねえお兄ちゃん、怪盗キッドって知ってる?」
「もちろん知ってるよ。急にどうしたんだい?」
「園子さんの伯父さんがね、キッドに挑戦状を出したんだって。それで、宝石を展示するベル・ツリーI世号に招待されたんだけど……」
行ってもいい? と聞く前に、安室はあっさり承諾した。何故かコナンも一緒に行くのかと聞かれ、雫は不思議に思いながらも頷いた。
「お兄ちゃんも、もし行けるならって園子さんは言ってたよ」
「へえ、そうか……。ちょっとスケジュールを調整してみるよ」

 早くも当日になり、兄も一緒に行けるということで雫は上機嫌だった。仕事で忙しい彼のことだから、行けないと言われるだろうと半ば諦めかけていたのである。
 園子の伯父である次郎吉が得意気な顔で宝石の前に立つ。
「これが彼奴をおびき寄せる、レディー・スカイじゃ!」
わあ、と雫は無意識のうちに声を出していた。指輪にあしらわれた青い大きな宝石。金色の粒がキラキラと青のなかで輝いている。この粒の中で一番大きなものが女性の姿に見えることから、レディー・スカイという名がつけられたそうだ。
 宝石を覆うのは透明のガラスケースだけで心許ないように見えるが、様々なキッド対策が施されているのだと次郎吉は言う。床が抜けるボタンや、センサーによって電流が流れる仕掛け。小五郎や中森警部が身をもって体験したようだ。

 ラウンジへ戻る途中、ルポライターの藤岡が小五郎をタバコに誘ったが、小五郎は休みたいからという理由で断っていた。
「そちらのお弟子さんはどうだい?」
「いえ……僕はタバコを吸いませんので」
彼は笑顔で藤岡に会釈をして、ラウンジへ向かった。

「雫は何か飲む?」
「うん。ジュースもらってくるね。お兄ちゃんは?」
「……僕は後で貰おうかな」
「そう?」
すみません、とウエイターに声を掛ける。優しそうな雰囲気の人だった。ウエイターは雫の目線に合わせるように少し屈んで「何にする?」と言った。
「えーと……オレンジジュース下さい」
「はい、どうぞ」
カランと氷の涼し気な音が鳴る。グラスを両手で受け取るとき、ウエイターの腕に貼られた絆創膏がふと目に入った。何か書いてあるようだが、小さすぎてよく見えない。雫があまりにじっと見つめていたためか、男性はきょとんとした顔をして、それからすぐに腕を指差して恥ずかしそうに笑った。
「これが気になる? ちょっと擦り剥いちゃって」
「何か文字みたいなのが見えたので……」
「あー……。これは彼女からの熱いメッセージだから、内緒」
ウエイターは笑顔だが、この話は終わりだという圧を感じる。雫はそこで追及するのをやめて、自分の席に戻った。

 怪盗キッドが現れるのは夕方。まだ時間はたっぷりある。それまではゆっくり飛行船から景色を楽しんだりするはずだった。それなのに――。
 腕はきつく縄で縛られていて、身動きが出来ない。飛行船がハイジャックされたのだ。それだけではなく、飛行船の喫煙室にばら撒かれたという殺人バクテリア騒ぎ。後にハイジャック犯たちの嘘だったと分かったのだが、一時は蘭まで感染した疑いで、園子を初めとする一同は騒然としていた。
 コナンは一度、ハイジャック犯たちが仕掛けた爆弾を解除したことから主犯格の怒りを買って、飛行船から投げ落とされてしまった。そこで窓から飛び降りてコナンを助けたのがキッドである。キッドはウエイターに姿を変えていたのだ。雫にジュースを渡した男が、正にそれである。
 その後、どうにかしてコナンは飛行船に戻って来たようで、彼の動きによってハイジャック犯たちを制することができたように思えたのだが、乗客の中にまだ犯人が紛れていたのだ。彼らはあっという間に乗客を縛り上げ、フェリーに脱出するという話をしている。
「雫、大丈夫だからね」
「うん……」
そのとき、機体が急に傾いた。飛行船に縛り付けられているおかげで乗客は無事だったのだが、ハイジャック犯の二人は壁に強く打ち付けられる。やがて機体は水平に戻るのだが、犯人は気絶してしまっていた。
 ワン! と次郎吉の愛犬、ルパンが吠える。入口に見える人影が、ゆっくりと近づいてきた。
「いやー、驚きました。ホールまで様子を見に来たら、いきなり床が傾くんですから」
「おのれキッド!」
中森警部がキッドに掴みかかろうとするが、縄がぎしりと虚しく揺れるだけだ。
 コナンを心配する蘭に、キッドが無事だと告げる。そして蘭の腕に巻かれた縄を解き、あっさりと目当ての宝石を手にしたキッドは悠々と姿を消した。

「なんか、大変な一日だったね」
「そうだね。乗客も、ほとんど僕たちだけになっちゃったし」
「あはは……。あれ、そういえばコナンくんはまたどこか行っちゃったのかな?」
コナンの他に蘭と園子もいない。だが、兄はさして気にも留めていないように笑った。
「さあ。……まあ、コナンくんにもいろいろあるんじゃないか?」
「……うん?」
しばらくして戻って来た蘭は顔が真っ赤だった。コナンはどこか気が散っているようで、話しかけてもうわの空だった。園子は相変わらずキッドに夢中、といったところで、何があったのかは分からずじまいである。

夜空に輝く星に紛れて