She doesn't know who he is
赤井秀一の姿に扮した安室は、FBI捜査官であるジョディ・スターリングに探りを入れているところだった。彼女は米花酒店でウイスキーを選んでいるようだ。同僚のキャメルという男の誕生日を祝うためらしい。彼女らの上司、ジェイムズも一緒である。FBIが三人も揃って呑気なものだと、心の中で毒を吐いた。
「赤井秀一は死んだのよ! もう二度とその名を出さないで!」
ジョディはそう叫び、一人店を出た。安室はすかさずその後を追う。
やはりジョディも赤井が死んだと思っているのだろうか。それとも、生きていると知った上での演技なのか。赤井の上司であるジェイムズを差し置いてジョディに的を絞ったのには理由がある。男二人に勘付かれるリスクを考えて、というのもあるが、彼女は赤井の元恋人。何か事情を知っている可能性があるのだ。
彼女の前を横切ってみせると、やはり彼女は食いついてきた。必死な形相が癇に障る。
人通りの少ない路地に入り、彼女を誘い込む。しかし、他のFBIが彼女に声を掛け、彼女がそれ以上足を進めることはなかった。
仕方なく彼女らを観察していると、どうやら酒の支払いができなかったらしいということがわかる。なんとも間抜けな話だ。ジョディは支払金のため、ていと銀行に向かったようである。
そこで彼女を追うのをやめておけばよかったのかもしれない。いや、その後の出来事を考えるなら、追いかけて正解だったとも言える。安室の目の前に現れたのは、この姿の男を“おじさん”と呼び慕う少女だった。
嬉しそうな顔で話しかけてくる少女の唇に人差し指を当てる。静かにしろとは言えなかったが、彼女はこれだけで理解してくれたようだ。
この姿では目立ちたくない。雫の傍に居続けるのも多少リスクがある。どうにかしてこの場を離れようと安室は考えていた。しかし、それは叶わなかった。雫が安室に何か言いかけたところで、銃声が響いたのだ。
この騒ぎが強盗犯の仕業によるものだと安室は即座に理解した。そして同時に自身の不運を嘆いた。よりによって、この格好のときに。どうして雫の目の前で。
強盗犯の指示に従い、ロビーの客は動いている。安室もその波に乗るつもりだったが、ポツンとそこに一人、雫が取り残されているのに気付いてしまった。彼女は体を震わせ、今にも泣きそうな顔をして立ち尽くしている。そんなところに居たら、犯人に何をされるかわからない。安室は彼女の腕を無理やり引っ張って、隣に座らせた。彼女の小さな体がぴたりと寄り添ってくる。せめて安室透なら、彼女を抱き寄せることも、励ましの言葉を掛けることもできた。だが、そんなことを言ってもどうしようもないことは分かっている。安室は静かに強盗犯たちの動向を見守ることにした。
「シュウなんでしょ? シュウだと言って!」
ジョディの声が耳に響く。隣に座る彼女の反応を見る限り、彼女は赤井秀一が死んだと思っているようだ。安室が反応を返さないでいると、来葉峠の件で記憶と声を失ったと解釈された。そして、反対側に座っている少女も口こそ挟んでこないが、興味深くこの話を聞いているようである。
ジョディのおかげで目立ってしまった。携帯電話を回収するため、強盗犯が近寄ってくる。安室は携帯を所持していないわけではなかったが、持っているのは安室透名義のもの。強盗犯たちがそれに気付くことはないだろうが、迂闊に渡すわけにもいかない。一体どうやって切り抜けようか。安室は太った強盗犯に胸倉を掴まれながら考えていた。特に恐怖を感じていたわけではない。ただ、ぼんやりと考えていたのである。そしてその状況を救ったのは、皮肉にもFBIの彼女だった。
口が利けない人が電話を持っているはずがないという彼女の主張に、強盗犯は納得を見せる。安室が解放されると、隣の少女の肩の力が抜けたのが伝わった。そしてすぐに彼女もスマートフォンを渡し、犯人たちは遠ざかって行った。
ガムテープを手足に巻かれたが、所詮は素人のやったこと。犯人たちは自分たちの仕事に夢中なようで、幸いなことに客にあまり目が行っていない。安室は静かに手の拘束を解いた。
さすがに目に貼られたテープをとることができないため、詳しいことはわからない。だが、それでも強盗犯たちの様子はおかしかった。客を知り合いがいるかどうかで二つに分けたこともそうだが、やけに時間を気にしている。それなのに、支店長一人に金をトランクに詰めさせる。狙いは現物ではないのだろう。だとすると、データベース上の振り込みか。金を詰め終わった支店長に何らかの指示をしていたのは、端末を操作させていたのかもしれない。
支店長はスタンガンで気絶させられたようだ。周囲の空気が恐怖に淀むのが伝わる。そしてトイレに行きたいと言ったジョディも、何か作戦があったようだが、失敗に終わったらしい。彼女も気絶させられたと考えられる。そして何故か、少し離れた所から呻き声が複数。位置関係からして、連れや知り合いの居ない客が集められていた場所。次に聞こえたのは、何かを引きずるような音だ。
ここで、安室は犯人たちの狙いに気付いた。強盗犯は客を身代わりにするつもりなのだ。身代わりにされたものは、爆弾か何かで殺されるのだろう。そして本当の犯人は、巻き込まれた被害者として逃げ出すつもりなのだ。
この場所に座っている限り、命の危険はないだろう。犯人たちが殺すつもりなのは、身代わりの五人だけであるだろうからだ。逆に考えると運の悪い五人は命を落とすということになるが、本当に安室の考えている通りなら、勝機は必ず訪れる。もうすぐ犯人は、その合図をするはずだ。
「くそっ! こうなったら金庫ごと吹っ飛ばしてやる! 野郎ども、手伝え!」
安室の予想通りだった。もうすぐタイマー式の爆弾が爆発するのだろう。犯人たちは既に客に紛れているはず。つまり、動くなら今だ。
安室は目のテープを剥がし、周囲を窺った。予想通り、トランクの周りには強盗犯らしき恰好をさせられた客が五人。その近くに支店長、ジョディが倒れている。間抜けが、とジョディに言ってやりたいところだが、そんなことをしている場合でもない。おそらく小規模の爆弾であろうから、人の居ないところに遠ざけるだけで十分だろう。そう考え、立ち上がろうとした。しかし――。
子供が二人、ロビーに入って来た。一人は見覚えがある。ベルモットがやけに気に入っている少年だ。ベルモットは彼に手を出すなと念を押した。一度は理由を尋ねたが、彼女が答えるわけもない。あまりしつこく詮索されるのを彼女は嫌うので、そう何度も尋ねることはできなかった。だが、ただの子供というわけでもないということは明確である。
もう一人の別の子供が台車と共に姿を見せると、その上にトランクを乗せ、彼らは走り去った。あれはトランクの中に爆弾が入っていると知っての行動だろう。あの子供たちは只者ではない。そしておそらく、ベルモットお気に入りの眼鏡の少年が、彼らのリーダなのだ。
子供たちがロビーから去り一分ほど経過したところで、遠くで爆発音が聞こえた。子供たちは上手くやったのだろうか。それからすぐに、子供たちは姿を見せた。そして安室は目と耳さえも疑った。眼鏡の少年が発した声は、強盗犯の男のものだったのである。彼は蝶ネクタイのようなものに向かって叫んでいた。つまりあれは変声器なのか――。考えている時間はない。少年の指示によって、客は動き出したのだ。
戸惑いを見せる雫を誘導し、腕のガムテープだけを剥がしてやる。そしてカウンターに置いてあった銃を手に取った。確認できる強盗犯は三人だけ。まだ油断はできないのだ。
少年が三人の強盗犯に種明かしをする。そして他の子供たちに銀行員の拘束を解くように言った。だが、すんなり事は動いてくれなかった。やはりまだ居たのである。トイレで気絶させられていたらしい犯人が、眼鏡の少年を後ろから捕らえた。
犯人は少年の持っていた銃で、今にも少年を撃つ勢いだった。さすがに見過ごすこともできない。安室は犯人の左肩を狙った。
銃声に驚いたのだろう。客がざわめき、右往左往する。安室はそれに乗じて姿を隠した。
雫が自分のことを探していたのは分かっていたが、彼女のもとには戻らなかった。彼女は先ほどの子供たちとここに来ていたらしく、何か話している。そしてジョディがその会話に参加したのを見計らい、雫の携帯を鳴らした。早く帰るようにとそれだけを言って。
彼女は逆らうような子供ではない。安室の言い分に不満はあったようだが、きちんと言いつけは守っている。安室も彼女に先を越されないよう、急いで車を飛ばした。
家に戻った彼女は普通だった。もし、銀行強盗の話をしてくるようなら優しく慰めるつもりだった。しかし、彼女は笑っていたのだ。安室の妙な言い訳に呆れたように。それが彼女の強がりだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。安室の作った味噌汁を彼女が口にした瞬間、綺麗な涙がこぼれ落ちた。
「雫?」
「えっ」
どうしたのかと聞いても、彼女は首を振る。銀行強盗にあって怖かったと、それだけ言えばいいのに。まだ安室に心を開いていないのか、それとも開いているからこそ言えないのか。
「何でもないの……ただ、お味噌汁が美味しいなって……」
「そんなわけ――
「ほんとうに、それだけなの。お兄ちゃんの作ったご飯を食べられるのが、幸せだなって思っただけだから……」
安室は何も言うことができなかった。ごめんなさい、と彼女は言う。安室は彼女の隣に移動して、ゆっくりと背中を擦ってやった。
彼だけが知っていること