透明の壁を壊して01

 人類みな石化して、それから3700年経った。私の石化を解いたという獅子王司くんはそう言った。司くんといえば、霊長類最強の名を持つ高校生としてテレビにも出ている有名人だ。まずそんな人が目の前にいることにも驚いたし、そもそも私は自宅で勉強していたはずだった。けれど見渡す限りジャングルで、みんな原始人みたいな格好をしていて、夢かと思ったけれど、三日経っても夢は醒めなかった。私は仕方なくというか、ほぼ諦めに近い形で司くんに従うことにした。
 司くんは復活液というもので石化した人間を助けている。私が何番目だったかは聞いてないけれど、既に十人以上はいた。ここは一つの国のようだった。もちろん王様は司くんで、その周りには強そうな人たちが数人。他には記者だったり、手先が器用な人だったり、とにかく私とは住む世界が違う人たちが集まっている。いっぽう私といえば、運動できるわけでもなければ、器用なわけでもない。どうして私を助けてくれたのかと聞いたら、司くんはちょっと困ったような顔をした。「人違いだったってよ」司くんの後ろから聞こえてきた声を聞いて、ああなるほどと納得した。アーチェリーでオリンピックを目指すスーパー高校生。姓名は忘れてしまったが、とにかく私はその子と顔がそっくりなのだ。
 弓の腕があれば狩猟が楽になる。だから復活させたかった。私が人違いだと知ってがっかりしただろうに、司くんはそんな空気を微塵も感じさせなかった。私が聞かなければ一生知らずに済んだのかもしれない。私はうつむいたまま「ごめんね」としか言うことができず、気まずい空気を残して走り去った。
 それからの私はいっそう仕事に励んだ。何か役に立たなければという使命感……と言えば聞こえはいいが、どちらかと言うと逃げに近い感情だった。
 私にできるのは山菜取りぐらいで、主にキノコやゼンマイ、運が良ければ果物を持ち帰る日々が続いていた。しかし、私は見てしまったのだ。司くんが石像を壊しているところを。
 司くんが立ち去ったのを呆然としたまま見送った私は、壊れた石像に近づいた。三人分の顔があって、腕が六本あって、指は……と数えているうちに気分が悪くなった。
 それとなく他の人に探りを入れてみると、司くんが復活させる人間を選んでいるのだという話を聞いた。司くんは大人を復活させる気はないらしい。そしてこの話が周知の事実だと知って、私はいっそう気味が悪くなった。
 限られた食べ物で生きていくために、全員を助けられないというのは理解できる。だが、石像をわざわざ壊しているのだ。こんな現実ならば、何も知らない石のまま粉々になってしまいたかった。私は周囲が寝静まるのを待って、司くんの国から逃げ出した。

 ひとりになってずいぶん経ったような気がするけど、なぜか私はまだ生きている。火を起こせないから生のキノコを食べてみたりして、お腹が痛くなったり吐いたりした。川の水なんて昔なら絶対飲めなかったのに、今では何よりも美味しく感じる。思ったよりも人体というのは丈夫にできているのかもしれない。それか私の運がすこぶる悪いのだろう。
 自暴自棄で司くんの国を飛び出したようなものだったが、日が経つにつれ私の絶望みたいな感情は鈍っていった。せめて槍の一つでも持ち出しておけばよかったなあと、空を見上げながらぼんやり考える。日付を数えることもしなかったから、あれから何日経ったのかもわからない。秋はまだ先だろうか。冬までには屋根が欲しい。先のことを考えられるようになった私はきっと、人としての何かを失ってしまったのだろう。今では朽ちて割れた石像を見ても、気分が悪くなることはなくなった。

 ザッザッと草をかきわけるような音が近づいてくる。戦う術を持たない私は身を隠すことしかできない。木の陰に隠れて息を潜めて、何かが通り過ぎるのをじっと待つ。それで今まで生き延びてこられたのが不思議だった。いつかきっと見つかってしまう。すぐ後ろで音が止まって、それが今日だったのだと知った。
「えっ」
「……へ?」
 死を覚悟したつもりだった。しかし頭上から聞こえてきた声は明らかに人のもので、私は間抜けな声を上げてしまった。見上げて目が合ったのは、白と黒のジグザグ頭の男の人だった。
「もしかして名前ちゃん?」
「……っ、違います」
 名前というのは私の名で間違いない。しかし私はこの人と面識があるわけではない。きっとこの人は司くんの国から来たのだ。私を捜しているなんてことはないと思うが、万が一ということもある。ただ、明らかに上ずった声で言った嘘に騙されてくれる人はどれだけいるのだろう。追及される前に、話を逸らすことにした。
「あなたは、ひとり?」
「ん~見ての通り! こんなところで女の子に会うなんてジーマーでびっくりしちゃった!」
「そうですか。……では失礼します」
 彼について気になることはあるが、これ以上喋るとボロが出てしまいそうだ。それならさっさと別れてしまおうと思ったわけだが、私の腕は彼にしっかりと握られてしまっている。
「え、ちょ、待って待って! せっかく人と会えたってのに淡白すぎない?」
そうだ。この状況なのだ。普通ならお互い協力しましょうという話になるはずだ。不自然を重ねる私に、彼は明確な指摘をしない。
「何か要求があれば、」
「要求っていうか提案なんだけど……俺と一緒に来てくれない?」
「お断りします、すみません」
「うわ即答~。でもさ、女の子がこんなところでひとりで生きてくなんて無理ゲーすぎるでしょ。ぜーったい俺と一緒に来たほうがいいって」
彼は着物のような羽織りの袖をひらひらと揺らして言った。胡散臭さを隠そうともしない彼だが、一瞬だけ目元から笑みが消えた。石になったみたいに動けなくなった私を覗き込んだ彼は、既にへらりとした笑みを顔に貼り付けている。
「司ちゃんのとこ行くわけじゃないよ?」
「……じゃあ、どこへ?」
司くんのことをとぼける余裕もなかった。もし他に行くアテがあるというならという期待もあった。じっと答えを待っていると、目の前の彼はパッと両手を広げた。ひらひらと白っぽい花びらが降ってくる。この景色をどこかで見たことがあるような気がした。
「科学王国」「あさぎりゲン?」
彼と私が言ったのはほぼ同時だった。
「あ、俺のこと知っててくれてたんだ。ありがとね~」
どうやら本物らしい。あさぎりゲン――マジシャンでメンタリスト。よくバラエティ番組で見る顔なのに今まで気付かなかったのは、私にこれっぽっちも余裕がなかったからだろう。

 私はあさぎりゲンについて行くことにした。科学王国という単語が気になるからだ。原始的なこの世界に科学という単語は似合わない。だが、彼が言うには一から文明を取り戻そうとしている男がいるそうだ。石化から3700年という月日が流れたことも、その人が一秒一秒数えていたおかげでわかっているらしい。正直に言うと私はまだちょっと信じ切れていない。だがそれより重要なのが、科学王国と司くんの国は対立しているということだ。あさぎりゲンは科学王国につくことにしたのだという。
 科学王国の味方をするかどうか、私はすぐに決めきれなかった。考える時間が欲しかったが、急いでいるという彼にまくし立てられ私は茂みの中を歩いている。この人を本当に信用してもいいのだろうか。彼は心理学に精通しているのだ。私みたいな人間を騙すなんてワケもないだろう。思い出されるのは「メンバト」という彼の冠番組で、ゲストを打ち負かして悪代官みたいな笑みを浮かべる彼の姿だ。テレビ的な演出はあると思うけど、演技だけであの顔はできないと思うのだ。
「大丈夫? 疲れてない?」
「え……はい、大丈夫です」
振り返って私を気遣う言葉をかける彼をそのまま受け取めるなら、ただの好青年としか言いようがない。事実、私は疲れてきていた。私の歩くペースが遅れているのに気付いたのだろう。ひたすら歩いて日が落ちて、それでも人の住む気配など少しも感じられない。いつまで歩けばいいのかもわからない状況で、汗が流れようが水も飲めず、どれだけエネルギーを消費しようが満足に食べることもできないのだ。
「今日はこの辺にしておこっか。近くに川もあるし、あと食べ物も探さないと」
「急いでいるというのは?」
「このまま行ってもどうせ夜になるし、太陽が見えないと方角もわかんなくなっちゃうからね~」
「……ああ、」
「川はこっち」
ちょいちょい、と手招きをする彼について行くと、すぐに川にたどり着いた。両手で水をすくって口に運ぶ。正直もう喉はカラカラで顔から川に突っ込みたいぐらいの気持ちだったけど、もちろん人目があるのでそんなことはできない。
「今まで夜はどうしてたの?」
「え、特には……。木の幹とかで適当に」
「……ジーマーで? よく無事だったねえ」
「それは私も思います」
「食事は?」
あ、と思い出して私は腰に下げていた袋の紐をほどいた。中身を岩の上に並べて、そのうちの一つを彼に差し出す。
「干したキノコです。あまり量はないですが」
「……えっ」
彼は目を見開いた。なぜ驚いているのかはわからない。
「……もしかして毒キノコでしたか? 確かに生で食べるとすぐお腹が痛くなっちゃうし怪しいなとは思ってたんですけど」
「や、違う違う! そうじゃなくてさ……ウン、まあいいや。貰ってもいいの?」
彼は手を伸ばしたが、私はキノコをひっこめた。彼はポカンとしている。しかしすぐに「ドイヒ~」と芝居がかった声を上げた。
「いま言いかけたこと、教えてくれるなら」
「いやほんと、大したことじゃないのよ?」
「それでもいいです」
「……その袋、何が入ってるのか気にはなってたんだけどさ、聞くのもヤボだしな~と思ってたら、やけにあっさり手の内見せられちゃったなってとこ」
「はあ……」
手の内なんてそんな大げさなものではない。彼の言った意味がよくわからず、私は曖昧に頷いた。
「名前ちゃんはここで待っててよ。何か探してくるから」
そう言った彼の背中を見送って数秒後、ごく自然に名を呼ばれたことに気付いた。やっぱり嘘はバレていたのだ。
 私も食べ物を探すべきかと思ったが、待っていろと言われた手前、あまり遠くに行くこともできない。しかしただじっとしているというのも抵抗があり、私は川の付近で葉っぱの寝床を作ることにした。夏とはいえ、夜は冷える。足だけでも覆うことができれば、多少はマシになるのだ。

 戻ってきたあさぎりゲンは腕にブドウを抱えていた。この世界になって何度か食べたことはあるけど、あれは酸っぱい。だが、貴重な食料だ。
 彼は葉っぱの山を見ながら「すごいね」と首をかしげた。
「ひとりで集めたんだ」
「寒さも少しはマシになるかなと思って」
「身を隠すのにもいいんじゃない?」
「……でも、たぶん虫がいるので気を付けてください」
「名前ちゃんは平気な人……って聞くのもアレか~。こんな状況だしね」
「平気じゃないですよ。前に土を被って寝たことがあったんですけど……」
朝起きたら血を吸われていた。あのときは泣きながら川で体を洗ったものだ。
「うわ、想像しただけでバイヤー……」
彼はぎゅっと目を閉じてプルプルと身震いをした。

 乾燥キノコとブドウという比較的豪華な食事を終えた私は静かに横になった。目覚めてから満腹になったことなんて一度もない。空腹を誤魔化すように目を閉じるのはいつものことだ。しかし今日はそうもいかなかった。視線を感じて目を開くと、私を見下ろすあさぎりゲンと目が合った。
「寒くない? ここ入る?」
彼は片腕を上げて羽織りをひらひらと揺らした。本気なのか冗談なのかわからない。からかわれているなら腹立たしいけど、親切で言ってくれているならちょっと困る。こんな状況とは言え、男の人とぴったりくっつくなんて無理だ。どうしよう。両手を木の葉の山に突っ込んでぎゅうっと握りしめると、あさぎりゲンはアハハと笑った。
「本気にしちゃった? 冗談冗談」
「……」
むっとした私は握りしめていた葉っぱを彼に投げつけた。標的まで届くことなくひらりと落ちるそれを見た彼の笑い声はさらに酷くなる。オマケだと言わんばかりに上から白い花びらを降らせて終いには「メンゴ~」と来たものだ。これ以上相手しても疲れるだけ。無視して寝るのが一番得策。異性の近くで寝るという居心地の悪さを一時的に忘れた私は、結果的にすぐ寝付くことができた。