猫被り02

 季節は巡り、夏が訪れた。今年は杠ちゃんの作った水着が大盛況で、私もドラゴを握りしめて買いに来ているところだ。ただ、問題は私のお腹にある。
 ビキニタイプを選べば、お腹のヒビは惜しげなくさらされてしまう。これさえなければ私はビキニタイプを選んでいた。
 お腹が隠れそうなものもいくつか商品として並んでいた。ワンピースタイプとか、本当に洋服っぽいのとか。水着のデザインに関係なく上着で隠すというのもアリかもしれない。そう思ってくると、決めきれなかった。
 次々とみんなが会計を済ませていく。一瞬、石神くんはどういうのがタイプだろうと考えてしまった。たぶんそんなものは存在しない。好きなものを買えばいいのだ。
 迷ったすえ、一番最初にかわいいなと思ったものにした。だってそっちのほうがテンション上がる。お腹は隠れないから上着を羽織る予定だ。さっそく明日、海へ行ってみよう。

 泳いでいる人、砂浜で遊んでいる人、それぞれみんな海を楽しんでいた。私は足元だけ海に入って、スイカちゃんと水の掛け合いっこをした。
 少し疲れて水を飲みに海から上がると、ちょうど石神くんがやってきたところだった。水着ではなかったから、作業の合間に様子を見に来たというところだろうか。
「海、入らないの?」
「あー後でな」
「気持ちよかったよ」
「……ああ、」
 生返事である。よく見ると石神くんの目の下には濃いクマができていて、寝不足だということがうかがえた。
「……寝たほうがいいんじゃない」
「そうするわ」
 なんとなくその背中が小さく見えた。心配になって後をついて行くと、今にもふらりと倒れそうになっているじゃないか。
「石神くん!」
 倒れないよう腕を支えると、これが熱い。熱中症という言葉が頭をよぎる。とりあえず私は石神くんを室内に連れ込んで寝かせた。私の家になってしまったのは単純にこっちのほうが近かったからだ。
 こんなにぼーっとした石神くんの表情を見るのは初めてで、不安になってくる。熱中症って確か、放っておいたら大変なことになるんじゃなかったっけ。私は海水で濡れた上着を脱いで石神くんの首元に当てた。これでいいのかわからない。スマホがないのが心細かった。
 さすがにこれだけじゃ足りないのは私でもわかる。大急ぎで水と布を準備したときには、石神くんの目はとろんと半分閉じかけていた。
 脇の下とおでこと太ももの下に水を絞った布を当てる。首の汗を拭ってあげていると、私の顎から水滴がぽたりと落ちて、石神くんの服に染み込んでしまった。
「ごめん、汗が……」
「謝んのは俺のほうだろ。マジやらかしたわ」
「冷房もないし仕方ないよ。寝不足が原因なら、石神くんのせいかもしれないけど」
 あ、今お腹を見られた。すっかり忘れてしまっていたけど、私は水着だ。しかも上着を脱いでしまっている。急に恥ずかしくなってお腹を腕で隠した。
「……水、飲んで」
「ああ、」
 頭を起こしてあげようとしたら、石神くんに手を払いのけられてしまった。さすがにそのくらいできるって、そりゃそうだ。私まで熱でおかしくなってしまったらしい。
 水を飲むだけ飲んだ石神くんは、また寝転がって目を閉じた。布がすぐぬるくなってしまうから私はせっせと取り替える。
 上着は返してもらってもいいだろうか。もう冷たくはないだろうし、でも返してもらったからといって今すぐここで着てもいいのだろうか。
 首元から上着を抜き取ると、石神くんはうっすら目を開いた。じっと見られると着づらい。結局私は上着を水に浸し、石神くんの首元に戻してしまった。
 ……またお腹を見られている。これが胸じゃないだけまだ石神くんらしい。ここまで大きなヒビを見たことないからと、好奇心がうずくのだろう。私はこれが嫌で隠していたわけだけど、石神くんの好奇心を咎めることはできない。だって私は、放課後の理科室で目を輝かせながら実験をするあなたを好きになったのだから。

 一度だけ一緒に実験をしたことがあった。私はいつも教室の窓からこっそり理科室を眺めていて、けれどその日は目が合ってしまった。手招きされて、ふらふらと私の足は理科室にむかう。たまたま石神くんの友達が参加できないとかで、私は助手に呼ばれたのだ。ロケット作りの手伝いをさせられて、ご褒美にお手製のぬるい炭酸を恵まれた。あんまりおいしくなかったものだから、途中で氷を入れて、たしか入れ物もビーカーとかだった。大切な思い出だ。

「……大丈夫そう?」
「ああ、おかげさまでな」
「それなら私、コハクちゃんのとこで着替えてくる」
「……その格好で行くのかよ」
「ええ、今さら……」
 石神くんはむすっとした顔で私の上着を差し出してきた。しかし、すぐにそれは引っ込められてしまう。
「どうしたの?」
「……汗が」
「水で流しちゃおう」
 私は石神くんから上着を奪って水に浸けた。それからぎゅっと絞れば気にならないだろう。どうかな、と首をかしげると石神くんは控えめに頷いた。
 ひやりとした上着は気持ちよかった。さあ今度こそと立ち上がろうとすると、急に目の前が暗くなる。ただそれも一瞬のことで、いわゆる立ち眩みというやつだった。
「……おい」
 石神くんはこれまたむすっとした顔をしていた。なに、と聞くとわずかに目を逸らされる。
「テメーも熱さにやられてんじゃねえか」
「立ち眩みだよ。体育の時間とか、しょっちゅうだし」
「脱水症状だ。水飲め」
「うん……」
 土器になみなみ注がれた水は、正直ちょっと苦しかった。けれど石神くんに見られているものだから、飲むしかなかったのだ。
 紙の束で石神くんをあおいでみた。ちょっとマシになるんじゃないかと思ってのことだ。目を閉じた石神くんに「寝ていいよ」と声を掛ける。しかし石神くんは寝るどころかむくりと起き上がってしまった。
「……あ、帰る? 歩けそうかな」
「戻って寝るわ。手間取らせた」
「それはいいけど、寝不足には気を付けてね」
 へいへい、と面倒くさそうに返事をされる。石神くんの背中を見送りながら私は上着を脱いだ。少し気が早かったかなと自分でも思う。なぜか急に振り向いた石神くんが引いているように見えて、やってしまったと後悔した。
「いくらなんでも気が早すぎるだろ」
「……水着だし、さっき見たでしょ」
 そしてこれだ。ついに言い返してしまった。これまでのいい子ちゃんがすべて水の泡だ。しかし石神くんは「そのヒビ」と全く違う話題を口にした。気にしているのか気にしていないのかよくわからない。
「風化が進みすぎると復活液でも修復できねえ。テメーが割れちまったのは結果的によかったのかもな」
「……ん?」
「そのまま割れずに何十年も放置してたら復活できなかったかもっつー話だ」
「……ずっとそれ考えてた?」
「あ? 悪いかよ」
「だってお腹ジロジロ見てるから」
「そこまでは……、見てねえだろ」
 石神くんはふいっと顔を逸らし、そのまま出て行ってしまった。私は今度こそ水着を脱いで服に着替えた。改めて見てみると、けっこう大胆なデザインだ。