ちゃんとしてない君へ(上)


 その女を嫌いになるのに十秒もかからなかった。

「うわイケメン」

 出会って第一声がこれ。尾張貫流槍術、当主の一人娘でなければ今後一切かかわりたくない人物だった。
 道場にはそれなりの年数通っている。それでなまえに今まで会わなかったのは、単に彼女が道場に顔を出さなかったからに他ならない。それがどういうわけか今では三日に一度は顔を出すようになったのだ。次期当主として技を磨く覚悟ができたのかと思いきや、スマホをいじりながら稽古を見ているだけだから本当に意味がわからない。

「あ、ひょーが! おつかれ~」
「……どうも」
 鍛錬を終えてさあ帰ろうかというところ、嫌な顔を見てしまった。無視するわけにもいかず素っ気なく返事をする。いい加減、嫌われていると気付いてほしいものだ。
「ねー、アイス食べない?」
「結構です」
「え~数学でわかんないとこあるから食べながら教えてよ」
頭が痛くなる。勉強なんてロクにしていないくせに、よくそんなことが言えたものだ。槍の腕を磨かない分、せめて勉学に励んでいるならまだ好感が持てたのに。
「普段からきちんとしないからです。なぜ急に……ああ、テストですか」
「そう、それ! 赤点取ったらヤバいの!」
「自業自得じゃないですか」
 彼女の横を通り抜けて帰ろうとすると、後ろから腕を掴まれる。なぜこうもずうずうしくなれるのか不思議でならなかった。
「ね~お願い―……」
「高校数学なんてとっくに忘れました」
「嘘だ~」
「本当です。いずれわかりますよ」
「……それはそれでヤだな」
無視して進もうとすれば、ずりずりと彼女が引きずられながらついてくる。彼女が腕に下げたコンビニの袋からは結露が滴り落ちていた。
「……アイス、溶けてますよ」
「げっ! ほんとだ! ね、どっちがいい?」
「は?」
出来る限りの冷たい声で返事をしたにもかかわらず、彼女はバニラアイスとチョコアイスを差し出してきた。
「だからいらないと……
「なまえ」
「あ、お父さん」
 道場のほうを振り返ると、当主がタオルを片手に苦笑いを浮かべていた。
「あまりわがままを言うんじゃないよ。悪いね、氷月くん」
 気にせず帰っていいと言う当主に頭を下げる。これで相手をしてやってくれなんて言う親バカだったら道場なんてとっくに辞めていた。親はちゃんとしているのになぜ娘はこうなのか。それでもなお不満の声を上げるなまえを背に敷地を出た。
 蝉の声がうるさい。背中は汗でベタベタだ。こんな日はシャワーを浴びてクーラーの効いた部屋でアイスを食べるのがいいだろう。コンビニに入ってアイスのショーケースを眺めていると、さっき彼女が持っていたのと同じバニラアイスを見つけた。思わずそれを手に取って、あの間抜けな顔を思い浮かべる。つい笑ってしまいそうになるのをこらえてレジに向かった。

 なまえが補修を免れたらしいというのは、他の門下生が話しているのを聞いて知った。揃いも揃って脳が溶けている。噂話をする暇があったら槍の手入れでもしておけばいいものを。ぴしゃりと相手の槍を弾き飛ばし、あまりの容易さにため息が出てしまう。膝を折って槍を拾う彼は、噂話をしていたうちの一人だった。
 鍛錬が終わり、着替えて帰ろうとしていたら、テーピングテープがないことに気付いた。仕方なく道場に戻ると、床の上にお目当てを見つける。しかしそのすぐ近くになまえが座り込んでいるのが見えて、心の底から引き返したくなった。幸い彼女は後ろを向いていて、まだこちらに気付いていない。しかしテープを拾われてしまうのも癪だ。
 なまえは練習用の管槍をくるくると回していた。見よう見まねかと思いきや、手つきは完全に経験者のものだった。なまえが修行をしていたという話は聞いたことがないが、当主に習ったことがあったのだろうか。
 できるだけ音を立てないようにテープを拾ったが、無理があることはわかっていた。振り向いたなまえはパチパチと目を丸くして、それからへらりと笑う。
「それ、氷月のだったんだ」
「ええ、まあ……というかその槍」
「あ、バレちゃった? ごめ~ん、勝手に借りちゃった」
「全く悪いと思っていないのは伝わります」
 へへ、と笑った彼女は槍を回すのをやめた。
「なんか久しぶりにやりたくなっちゃって」
「君が練習しているのは初めて見ました」
「あ~、ちっちゃいころにちょとだけ? 楽しくないし手は痛いしですぐやめちゃった」
「後を継ぐようには言われなかったんですか?」
「言われたことないな~。まー女だしアレじゃない? いや女だからとか言われたことはないけど~」
「そうですか」
 彼女なりに何か思うことがあったのかもしれない、というのは好意的に見すぎだろうか。本当に幼いころに少しだけと言うわりには、彼女の手つきは手慣れている。もしかしたら一人でこっそり練習していたのかもしれない。……いや、これは過大評価しすぎだ。
「ねえ、この前の冬の大会」
「それが何か?」
「あのとき、初めて氷月を見たんだよね」
「来てたんですか」
冬の大会と言えば、彼女が道場に顔を出すようになる少し前だ。面識がなかったのだから、来ていたのにも気付かなかった。しかしそれもどうでもいいことだ。
「では帰ります」
「えっ! まだ話の途中じゃん!」
「帰りが遅くなるので」
「あー……うん、気を付けて」
 引き留められなかったのは意外だと思いつつ、テープをカバンの中にしまう。なまえが後ろからついてきたのが気になったが、どうやら彼女はもともと戸締りに来ていたようだ。道場の入口の鍵を閉めるのを見届けてやると、笑顔でブンブンと手を振られた。

「氷月ってずっーと槍術続けるの?」
 そう聞かれたのはいつも通り、稽古が終わってすぐのことだった。彼女は今日もコンビニに寄ったのか、片手に食べかけの肉まんを持っている。さすがに道場の中で食べるほど良識が欠けているわけではないのを知ってほっとする。第一印象がゼロどころかマイナスだとちょっとしたことで感心してしまうからいけない。
「君の言うずっと、とは」
「んー。体が動かなくなるまで?」
「なぜそんなことを?」
「いつか道場に来たら、もう氷月は辞めましたーなんてことあるのかなと思って」
「少なくとも今のところは考えていませんよ」
「へえ~」
 彼女はぱくりと肉まんをかじった。小さな口のわりには一口が大きい。
「中ってまだ誰かいた?」
「いいえ、もう誰もいないと思います」
「じゃ、閉めちゃお~」
 肉まんの残りを口に放り込んだ彼女は、入口の戸を雑に閉めた。がちゃがちゃと大きな音が響く。何やら今日は苦戦しているらしい。後ろから覗いてみると、扉がきちんと閉まりきっていなかった。
「……どいてください」
 ため息を我慢しながら一度扉を開いて、閉めなおした。どうぞ、と彼女に譲れば馬鹿みたいに嬉しそうな顔をされる。
「へへ、ありがと~」
「どういたしまして」
「ねえねえ、これから暇? 映画見たいんだけど一人でレイトショーはダメって言われてて」
「暇じゃありません。というか君、受験生でしょう」
彼女は誤魔化すように笑った。
「まあ、息抜きは大事だし?」
「真面目に勉強しているなんて聞いたことありませんよ。映画に行くなとは言いませんが、行くなら休日に友人と行ってはどうです」
「だよね~。あーあ、やだな~受験」
そう言った彼女からは、不安の色がにじみ出ていた。いつもの「勉強面倒くさい」とは違うような気がする。思えば最初に槍術を続けるのか聞かれたのも、将来に対する漠然とした不安からだったのかもしれない。
「……どこに進むか決めたんですか?」
 聞いたのは気まぐれにも近い感情だった。もしここから遠い大学を選ぶなら、あと半年もしないうちに会うことはなくなる。それを期待していたのかもしれない。
「んー……あるっちゃあるんだけど、迷ってる」
「……なぜです?」
「大した理由じゃないんだけどさ~、選んじゃったらもう他の道には行けないのかなって思って」
「なんだ、そんなこと」
 人生の重大な決断を迫られている少女に対していささか冷たかったかもしれない。彼女はポカンとしていた。
「無意識かもしれませんが、君はすでに槍の道を捨てているんですよ」
「え……あ、そっか~」
「行きたいところがあるなら目指せばいいでしょう。今から悩む程度の選択肢なら、勉強さえしていれば取り返しはつくでしょうしね」
「……なんか今日、優しくない?」
「つくづく失礼な人ですね」
 いつまでも道場の前に立っているなまえを置いて進めば、後ろからぱたぱたと足音がついてくる。どこまでも能天気な人だ。……が、行きたい大学とやらに受かれば少しは見直すことができるかもしれない。


*****


 氷月を初めて見たのは久しぶりに足を運んだ大会中だった。しなやかで、美しい動き。すらりとした長身から繰り出される技を見て、数年ぶりに道場に顔を出したくなってしまったのだ。
 知っているのは名前と背格好だけ。大会中は防具をしていたから顔はわからない。お父さんに氷月のことを聞くと、嬉しそうに教えてくれた。槍術をやる気になったと思われたら面倒だから、適当にそこは誤魔化しつつ道場へ向かう。
 ああ、この人だと思った。あまりに綺麗な顔をしていたからつい「イケメン」と口走ってしまった。その人はぴくりと眉を動かして、けれど丁寧な口調で私に接してくれた。
 氷月は基本的に冷たかった。最初はアイドルを推すような気持ちで、そこがいいと思ってすらいた。誰にでもクールなイケメンってかっこいいし。氷月は私がどれだけ頼んでも勉強を見てくれることはなかったし、一緒に出掛けてくれることもなかった。ただいつも話しかけたら答えてくれるから、それが嬉しかったのだ。私がお父さんの娘でなければ相手もしてくれなかっただろう。
 好きだと思ったのと同時に、失恋を自覚した。進路について悩んでいるときだった。何か選ぶのが怖くて、本当にそれでいいのか不安で、誰かに背中を押してもらいたかった。そんなときに氷月が教えてくれたのは、私にもう槍の道がないこと。突き放したようにも聞こえる言い方だが、私には励まされたように聞こえた。今までもたくさんの取捨選択をしていたのだと氷月のおかげで気付けたのだ。きっとこれから大学を選ぶのだってそのうちの一つにすぎない。適当にあしらわれても仕方ないと思っていたから、どうしようもなく嬉しかった。

 大学には無事に合格して、少し遠いけど実家から通うことに決めた。私はまだ、氷月への恋を捨てきれていなかった。
 大学に入ってすぐはサークルの勧誘の嵐だった。どこかしら入りたい気持ちはあったが、いまいちピンとこない。そうこうしているうちに周りはサークルを決めてしまって、私は取り残されたような気持ちになった。
 女子に挨拶のようにかわいいと言っている男を見た。飲み会に行くたびにそういう男はいる。誉め言葉のはずなのに、いつの間にか嫌悪感すら抱くようになっていた。あのときの氷月の気持ちが少しわかったような気がする。いや、私は本気でそう思ったから言っちゃっただけなんだけど……まあ本気かどうかなんて関係ない。今だったらもうちょっと上手くやれてたかなあと、意味のない後悔をしてみる。
 大学が遠いせいで、氷月とはあまり会えなくなってしまった。家に帰りつくころにはとっくに道場は閉まっていて、なんだかなあと思う。土曜なら道場に行けるけど、バイトもしたい。友達はもうサークル内で彼氏が出来たなんて言ってるし、はっきり言ってさみしい。でも氷月以外の人を好きになれる気がしなくて、本当にダメだ。
 唯一会える土曜日、でも恥ずかしくて毎週は行けなくなってしまった。こそこそ入口から中を覗くと、やはりそこには氷月がいて胸がきゅんとする。そういえば聞いたことなかったけど、氷月に恋人はいるのだろうか。
 あの性格ならいないんじゃないかな、と失礼すぎることを考えてしまった。半分は願望だ。でもたまに優しいところもあるし、もしかしたら恋人の前では豹変するかもしれないし。悩んでいたら、頭を軽く叩かれた。
「不審者かと思いました」
「え、あ……氷月じゃん」
「そんなところに立っていないで、中に入ってはどうです?」
「いや、でも……邪魔になるし?」
「今すでに邪魔になっているのですが」
「え~……それはごめん」
 なんだかんだ、本心では喜びながら道場の中に入る。氷月は練習用の管槍を持って行ってしまった。
 それから終わりの時間までひたすら氷月を眺めていた。もうとっくに気付かれてるんじゃないかなあと思うけど、あちらからは何も言ってこない。私はモップを手に取って門下生には着替えを促した。「お疲れ様でした」と次々に声を掛けられる。
「……雑ですね」
「えっ」
ひょいとモップが取られてしまう。氷月は不機嫌そうな顔で残り半分ほどのモップ掛けをした。てっきり私がやった雑な部分をやり直すのかと思いきや、案外そっちだって適当じゃないか。
「……私のとそんなに変わらなくない?」
「君にはわからないでしょうね」
「え~、モップなら結構自信あるのに」
「そんなことに自信があったって仕方ないでしょうに」
それもその通り。用具入れにモップを片付けた氷月は今から着替えるようだ。更衣室のドアが閉まったはいいものの、待っていてもいいか迷う。まあ鍵閉めという言い訳があるから大丈夫かなと、私は床に横になった。スマホをいじっていたら、氷月はすぐに出てきた。
「……お待たせしました」
「え……いや、全然」
何か意地悪を言われるのかと思っていたから拍子抜けだ。しかし思い返せば氷月は妙なところで礼儀正しい。もしかしたらモップ掛けも、私ひとりにやらせるわけにはいけないと思ったのかもしれない。わかりづらいんだよなあ。どうも私は笑ってしまっていたみたいで、氷月には眉を寄せられてしまった。
 間違いなく道場に鍵を掛けて、ちらりと氷月を見上げる。恋人とか好きな人がいるかって聞いてみたい。でもこれ、飲み会で男の人に聞かれたらちょっと嫌だ。やっぱり聞かないほうがいいのかな。でもそれならどうやってみんな付き合うの? 連絡先なら聞いてもいい? いや、むしろもっとダメじゃない? 何か言おうとしても全部が氷月の気分を害してしまいそうだ。
「……最近、妙におとなしいですね」
「へっ」
「単に落ち着きがでたのならいいですが」
「……どうかな? まあ私も大学生だし?」
「学校が遠いから、帰りも遅くなって疲れているんじゃないかとお父さんが心配していましたよ」
「へ~、そうだったんだ」
「土日ぐらいゆっくりしてはどうです?」
「うん……そうする~」
 それが氷月との最後の会話だった。いや、最後というのは語弊があるかもしれない。なぜなら――。

 目が覚めたら地球が終わっていた。というのはちょっと違うかもしれないが、説明してくれた人によると3700年後の世界らしい。まだ人類のほとんどが石で、道場どころか家も何もかもなくなってしまっている。それでどうして私が目覚めたのかと聞けば、見知った顔が現れた。
 南ちゃんという記者だ。確か道場に一度だけ取材に来たことがあった。氷月が槍の大会でいい成績を残したとかで、その特集があったのだ。
 南ちゃんは私を見てにこりと笑った。
「氷月のストッパーになってほしいの」
 聞いたときは耳を疑った。氷月はこの世界で人を殺してしまったらしい。そして今は牢に入れられていると。そんなワケあるかと叫びたかったけど、誰に聞いてもそうだと言う。恐ろしくて私はしばらく牢に近づけなかった。
 恐ろしかったのは氷月そのものでなく、事実を知ることだった。もし氷月がそうだと言えば、疑う余地はなくなってしまう。私は何かと理由をつけて氷月に会うことを避けた。言ってしまえばただの現実逃避だ。
 結果、牢に行くまでに十日もかかってしまった。私は氷月と、その腹心のような女の人の分の食事を持って洞窟の中に入った。
 牢の中にいたのは間違いなく氷月だった。それぞれの牢の前に食事を置いて、氷月をじっと見る。なんて言ったらいいのかわからなくて、彼のほうから気付いてくれるのを待った。しかし、氷月はいっこうに顔を上げてくれない。
「……氷月」
俯いていた彼が勢いよく顔を上げる。今までに見たことのない険しい目つきだった。
「どうして君がここに?」
「……氷月が手をつけられないからって」
「ああ、そういうことですか」
「ねえ、人を殺したってほんと?」
「本当ですよ」
「なんで?」
「生きる価値もない人間だったからです」
耳を疑った。みんなの言っていた通りじゃないか。それに殺した理由が極端すぎる。
 氷月は人間の選別をすべきだと言った。牢の中に入ってまでそんなことを言うなんてよっぽど本気なのだろう。私は急に今までのことを思い出してしまって、嫌な仮説を立ててしまった。氷月から見たら私って、家も継がない能無しだ。
「それ、前からずっとそう思ってたの?」
「ええ。法の下には実現できませんでしたけどね」
「……わ、私は、選ばれない側?」
「当たり前でしょう」
「……っ」
 私は牢の前から逃げ出した。どうか夢であってほしいと願いながら、夢じゃないんだろうなと思っていた。
 前も見ずに走っていたら、誰かにぶつかってしまった。勢いよく二人ともしりもちをついてしまって、慌てて謝罪する。確かこの髪が逆立った少年は、千空という名前だったはずだ。
「……泣いてんのか?」
「……ん、大丈夫」
「いや、大丈夫じゃねーだろ。あー……南でも呼んでくるか?」
「……いい」
立ち上がってお尻の砂を払う。そのまま涙を拭おうとしたら、腕を握られてしまった。
「目に砂入るぞ」
「……うん」
「氷月に会ったのか?」
「うん……私、みんなが期待してるような存在じゃないよ。氷月にとっては殺したいほうに仕分けされるんだって」
「……そりゃ悪かった」
「なんで生かしてるの?」
「氷月のことか?」
「うん……」
自分でも恐ろしいことを言っているのがわかった。危険だから殺した方がいいなんて、今の私は氷月と同じだ。
「俺は人を裁くことに興味なんざねえ。んなのは文明復興して裁判でもやりたいやつがやりゃあいい」
「……そう、だね」
ぽたりと涙が落ちる。続いてぽたぽたと、地面のシミは大きくなっていくばかりだ。私は今、裁判の行く末を心配していたわけじゃない。氷月に嫌われていたことがわかって泣いていた。こんなだから氷月は私のことが嫌いなのかもしれない。