浅霧くん

 あ、死んだ。
 石油探しのため歩き回っていたところ、うっかり足を踏み外して、たぶん崖から落ちてしまったんだと思う。途中まで痛かったけど、いきなり感覚がなくなって、ああこれが死なのかと思った。文明復興させる前に、しかもこんなしょうもない理由で終わりって、なんてバカなんだろう。
 ……いや、どうして私は考え続けられているんだ? そう思った瞬間、光が射した。

『その声は、我が友、李徴子ではないか?』
あ、山月記だ。懐かしい。……じゃなくて、どうして私は制服を着て学校で授業を受けているのだろう。

 書きかけのノートは確かに私の字だった。もしかして授業中に居眠りして長い夢でも見ていたのだろうか。本当は人類石化なんてしてないんじゃないか。
 ただ、恐ろしいことに勉強に関する知識はほとんど残っていない。山月記の内容なんて「片方が虎になった」くらいのレベルだ。これが数学や理科になれば目も当てられないだろう。
 どうにかこうにかやり過ごしているうちに、私はあることに気付いた。この先生、知らない人だ。さすがにそこまで記憶が飛ぶなんて考えられないし、よくよく見ると私が来ている制服も見覚えのないものだった。……だからつまり、どういうことだ。
 授業終わりのチャイムが鳴ってほっとしたのも束の間、名前も知らない友達に話しかけられてしまった。まあそんなに中身のある話をするわけじゃないから、特に問題はなかったけれど。怪しまれてしまうんじゃないかと怯えながら会話するのはけっこう苦痛だ。ここはある種の地獄なのかもしれない。

「……ゲン?」
 教室の一番後ろ、窓側の憧れの席に見知った顔をみつける。頭が白黒でない彼は、芸能人時代のあさぎりゲン彷彿とさせた。
 彼は言葉にこそ出さなかったが、明らかに戸惑っていた。私はとっさに「あさぎりくん」と言い直した。どうやら名前は合っているようだ。しかし、「ん?」首を傾げた彼は、私の中のゲンのイメージとは少しずれていた。
「あ……ごめん、頭に何かついてたような気がしたんだけど、見間違いだった~……」
 ああ、周囲の視線が痛い。今の私も普段から男子と話すタイプじゃなかったんだろうな~と思うし、しかもこんなワケのわからない感じでもう最悪だ。席に座ってうつむいていると、前の席の子に「どうしたの」と聞かれてさらに恥ずかしくなった。

 ようやく放課後になったときにはもうクタクタだった。早く家に帰りたい……いや、家ってどこ。私はカバンの中をひっくり返す勢いで持ち物をチェックした。幸いなことに学生証の裏に住所の記載があったので何とかなりそうだ。スマホもあるからたぶん帰ることはできる。
 もし家族まで知らない顔をしていたらと思うとぞっとしたが、家には誰もいなかった。スマホでトーク履歴を確認すると、両親ともに海外出張しているらしい。なんというか出来すぎているような気がする……が、ほっとした。もし私の知っている親なら3700年ぶりに会いたかったけれど、家の中でくらい気楽に過ごしたいという気持ちのほうが強かった。
 両親は長い間あけているようだが、私は自炊していなかったらしい。とにかくいま食べるものが必要で、私は財布を持って家を出た。
 ストーンワールドでの食事は良く言えば健康的、悪く言えば味気ないものだった。だけど今なら何だって食べられる。コンビニに入ってフラフラしていたら、しばらく米を食べていなかったことを思い出した。
 ツナマヨ、鶏そぼろ……シンプルな塩だけというのもいいかもしれない。それからお菓子も食べたい。気付けば片手で持ちきれない量がカゴの中に入っていた。そして財布の中を見て冷静になり、いくつか棚に戻す。どうしても食べたかったポテトチップスは買ってしまった。

「……あ」
外に出ようとしたら、ちょうどすれ違いでゲンが入ってきた。特に仲良しじゃないことはわかっているので軽く会釈する。するとむこうにも頭を下げられた。ちょっと寂しい。私の知っているゲンだったら絶対お喋りが始まる。ストーンワールドのことを知らなくてもいいから、いつもみたいに話したかった。
 家に帰ってさっそくおにぎりの包みを開く。久しぶりのコンビニ食はおいしくて、けれど周りにいないみんなのことを思い出すと胸が苦しくなった。

 次の日、一瞬行かなくてもいいんじゃないかと思ったけど、私は普通に登校した。これが死ぬ前の夢なら勉強なんて意味ない気もするが、ゲンのことが気になったのだ。
 ゲンは驚くほど普通だった。みんなのことをちゃん付けで呼ぶわけでもなく、教室でマジックを披露するわけでもなく、クラスのムードメーカ的存在でもなく、むしろおとなしいという言葉のほうが似合っていた。話すのも男子ばかりで、女子とはほとんど話していない。本当にゲンなのか疑いたくなってしまう。出会ったばかりのころはハーレムだなんだと言っていたし、何なら私も初対面で「前に好きだった子にそっくり」とか言われたし、チャラチャラした学生時代を想像していたものを。まあ今となっては子供たちに人気の、女性陣からも「無害」という評価をもらっている彼だが。あれは芸能界での一種のキャラ付けだったのかもしれない。学生時代はおとなしかったんだねって、もしもストーンワールドに戻れるならゲンに言ってみたい気もする。

 今日はマックが食べたい。とにかく味が濃くて、体に悪そうなやつ。学校帰りに制服のまま直行する。ゴミが出るのが面倒だから「店内で」とは言ったものの席が空いていない。トレーを持ったままウロウロしていたら、後ろから名前を呼ばれた。苗字に、さん付け。声の主がゲンだったから違和感しかなかった。
「あ、浅霧くん……」
「座る?」
「あ~……うん、ありがとう」
 座ってトレーを置くと、ゲンのと合わせてテーブルがギチギチになってしまった。そして明らかに私のほうが注文した量が多くて恥ずかしくなる。ハンバーガー二つにポテト、しかもコーラはLサイズ。どんだけ食い意地張ってんだと思われたって仕方ない。
 ……そして気まずい。周りがうるさいからか、今の私たちはすごく浮いているような気がした。何か喋らなきゃ。必死に考えた結果、
「家近いの?」
という普通すぎる質問になった。
「うん。昨日コンビニでも会ったよね」
「だねー……」
 ダメだ、会話が続かない。これならちゃっちゃと食べ終わってさよならしたほうがいいかも。だが、意外とポテトが重い。コーラもLにする必要は全くなかった。
 ハンバーガー一個、持って帰ってもいいかな。明日の朝あたためて食べればいいし。氷のたくさん入ったコーラをちびちび飲んでいたら、ゲンと目が合った。
「なんでそんな頼んじゃったの?」
「……いけると思って」
「いけなかったね~」
「……ポテト食べる?」
「ありがと」
 なぜかわからないが「やっぱりゲンだ」と思った。にこっと笑った顔は彼そのもので、どうして私だけがこんな気持ちにならなきゃいけないのかともどかしくなる。……いや、もどかしいって何。自分のためにも念を押しておくが、ストーンワールドでゲンに恋していたとかそういうことは一切ない。本当に。
 ゲンと二人がかりでポテトを食べ切り、あとは薄まったコーラだけになった。ストローで吸うたびに氷の音がするのが嫌だった。ゲンは私に気を使っているのか、食べ終わっているというのに席を立とうとしない。
 ゲンが店を出たのは私と同時だった。「このまま帰る?」という問いの真意もよくわからないまま私は頷く。同じ方向に歩き出してようやく家近いんだという実感がわいてきた。
「じゃ、俺こっちだから。気を付けてね」
まるで私の家の場所を知ってるような言い方だ。ぽかんする私に気付いたのか、ゲンは「今日の朝すれ違ったよ」と言う。
「そうだっけ……。眠すぎて全然気づいてなかった」
「あ~……確かに目、半分閉じてた」
「え、そんなことない」
「じゃ、今度俺みかけたら声かけてね」
「ゲ……浅霧くんもね」
「げって酷くない?」
「あはは……」
そっちの「げ」じゃないんだけどな、と思ったけど訂正するとややこしい。っていうか「ドイヒー」じゃないんだ。
 それにしても、すぐゲンって呼びそうになるから困ったものだ。今度からは心の中でも浅霧くんと呼んでおこう。

 次の日になっても無事に目が覚める。どういうことなのか本気でわからないが、とりあえず一日を終える他ない。もしずっとこのままだったらと思うと怖いけど、だからといってどうすることもできないのだ。
 きのう浅霧くんと別れた場所まで来た。彼の姿は見当たらない。まあそんなものかと歩いていると、後ろから「おはよう」と彼の声がする。
「…あ、おはよう」
 浅霧くんは私を抜かしていくわけでもなく、隣に並んで歩いた。
「リーディング予習した?」
「ちょっとだけ」
と言いながらも実はけっこう予習していた。ただ私が一生懸命予習したところで、他の人に比べたらなんてことはない。だって何もかもわからなくなってしまったのだ。英語はけっこう当てられるからそのままで挑んでしまうと非常にまずい。せめて単語だけでもと思って電子辞書で片っ端から調べていたのだが……
「あ、」
「どうかした?」
「電子辞書、家に忘れてきた」
「あ~……ま、何とかなるんじゃない?」
「うわー今日、当たりそうなのに」
「……あ、今日の日付?」
「そう、私の出席番号」
「絶対当てられるやつじゃん」
「も~やだ……」
「そんなかわいそうななまえちゃんに、はいコレ」
「えっ」
浅霧くんの手のひらにはチョコレートが一粒乗っていた。今、よく見ていなかったけどマジックを使っていた気がする。それになまえちゃんって。でも聞けなくて、彼の手から小粒のチョコを受け取った。
 英語は開始一番に当てられたのでなんとかやり過ごすことができた。今日は「私の日」なので数学も古典もすべて当てられて、午前中だけでもかなり気が滅入る。しかも午後からは浅霧くんが早退するらしい。具合でも悪いのかと思ったら、テレビの収録があると。本当に芸能人なんだと思って休み時間に彼の名前をスマホで調べてみたら、子供向けの番組のホームページに行きついた。まだメンバトとかやってないころだ。……あれ、アメリカ留学っていつの話なんだろう。もう終わってたらいいなと思っている自分に気付き、胸のあたりがぞわぞわした。

 ちょっとお金使いすぎたかなという自覚があったので今日はスーパーに行くことにした。安い冷食を買い込んで袋がパンパンに重たくなる。今日はさすがに浅霧くんと鉢合わせることはなくて、そのまま家に帰った。
 冷食のパスタをレンジであたためながら、私は浅霧くんの出ているという番組の配信を探した。どうも番組の中に浅霧くんのマジック枠が三分くらいあるみたいだ。テレビの中の浅霧くんは吸血鬼のコスプレみたいな格好をしていてなんだか新鮮だった。吸血鬼といっても悪役っぽい感じはなくて、子供たちからの人気もあるらしい。これを見ると彼が石神村の子供たちに人気だったというのもわかる。ただ、世間的な知名度はまだそれほどでもなさそうだった。

 電柱の先に丸い頭をみつける。駆け寄って「浅霧くん」と声を掛けたのは、一応そういう約束をしていたからだ。
 振り向いた彼は私のことを苗字で呼んだ。やっぱりチョコレートのときは演技というか、ふざけていたのかもしれない。しっくりくるから名前で呼んでって、言えるわけもなかった。
「おはよう。昨日はおつかれ」
「あ~……うん。そんな大した感じでもないけど」
「そんなことないよ。実は昨日、なんとなく気になって番組の配信見ちゃった」
「そうなの? ありがと。でも俺ちょっとしか出てないけど」
「じゅうぶんすごいよ。……あ、ごめん。この話いやだったらやめるね」
「いやじゃないけど……急にどうしたのかなって思っただけ」
「……そうだよね、急だよね」
「うん?」
「ごめん、なんでもない。それより昨日、世界史のときにさ……」
 話していて自分でも焦っているのがわかった。何に焦っているのかと聞かれると困るが、とにかく変なことを言ってしまわないように、普通の高校生っぽい話題で誤魔化す。浅霧くんはうんうんと頷きながら私の話を聞いてくれた。相変わらず聞き上手だな、と思ってしまった。私は彼に何を求めているのだろう。
「……あのさ、違ってたらごめんだけど」
 浅霧くんは、ゲンらしくない言葉づかいでゲンっぽいことを言う。
「なんか無理してない?」
「え……、あ」
「あ、えーと、言いたくないなら全然?」
「無理……してる、かも」
浅霧くんは何も言わなかった。話したいなら話せということなのかもしれない。でもなんて言ったら。ここで黙っていたら浅霧くんと気まずい感じになるのは明白だ。
「……ちょっと、実は、いま元気なくて……学校休もうかなって思ったんだけど、まあ明日休みだしいっかって」
「今から引き返してもいいと思うけど?」
「休んだら、来週も休んじゃうかも」
「……んー。それは寂しいけど、アリなんじゃない? どうせもうすぐ夏休みだし」
「え」
「っていうかさ、ちゃんと食べてる? 一昨日はマックでその前はコンビニだったよね。昨日は?」
「ペペロンチーノ」
「冷食の?」
「うん」
「……まあダメとは言わないけどさ」
「浅霧くんだって似たようなものじゃん」
「俺のことはいーの」
 浅霧くんは学校と反対方向に交差点を曲がった。あれ、と思っていると「サボっちゃう?」と天使みたいな顔でとんでもないことを言い出した。
「おいしいものでも食べに行かない?」
「え、だめだよ」
「俺、お金なら持ってるよ?」
「それでもだめ」
「真面目じゃん」
「……そうだよ」
「まあ、乗ってくるとは思わなかったけどさ」
「え、びっくりして損した。てかお金なら持ってるよって響きがだいぶ……」
「俺も自分で言っててどうかと思った」
 浅霧くんは笑いながら通学路に戻ってきた。彼はああ言っているけど、私が頷いていたら本気でサボっていたんじゃないかと思う。
 それから私たちは無言だった。隣で歩いている浅霧くんの髪が揺れるのがちらちらと視界の隅に入ってくる。
 もう高校の敷地が見えるというところまで来て、彼は立ち止まった。
「あのさ、風邪とか引いてるわけじゃないよね?」
「うん」
「……気分が落ち込んでる感じ?」
「……そんな感じ」
「じゃあ明日は?」
「明日?」
「明日なら、サボりじゃない、し?」
「え……うん、お金で豪遊、とかじゃないなら」
「しないしない。じゃ明日、駅に二時ね。無理そうだったら連絡して」
 そう言って浅霧くんはスマホを差し出してきた。トークアプリのQRコードが表示されている。いいのかな、と思いつつそれを読み取るとシンプルなアイコンの友だちが一人追加された。
 無理そうだったら、と連絡先まで教えて私に逃げ道を用意してくれるのは高二の気遣いじゃないよなあと思う。自信があるのかないのかもよくわからない。
 浅霧くんとは教室まで一緒に行ったけど、中に入ってからは自然と離れた。席についてぼんやり黒板を眺めながらも私の頭は明日のことでいっぱいだった。楽しみだけど、いいのかなという葛藤もある。じゃあ何がダメなんだって聞かれたら、それはそれでわからないけれど。

 あくる日、私は待ち合わせの場所に五分前に着いた。先に来ていた浅霧くんがひらひらと手を振っている。人ごみの中、なぜか彼だけが色づいているように見えた。
「正直、来ないんじゃないかって思ってた」
「……そうだとしてもさすがに連絡はするよ」
「否定しないってことは迷った?」
「迷ったっていうか、体調次第」
「じゃあ今日は体調悪くはないんだ。よかった」
「うん……。えっと、どこ行く?」
「そこ」
浅霧くんは駅に隣接しているショッピングモールを指さした。確かにこれならお金もそんなにかからない。想像していたのよりずっと普通の提案だったから、肩の力も抜ける。浅霧くんは私を見てくすりと笑った。
「なに想像してたの?」
「ディズニーとか言われたら全力で断ってた」
「あ~、期待に応えられなくてごめんね~」
「全然。ショッピングモール最高」
「じゃとりあえずブラブラしよっか」
 私たちは一階から順にお店を見て回った。特に何か買うわけでもなく、店側からしたら迷惑な客だったかもしれない。でも、楽しかった。雑貨屋には何に使うのかわからないものがたくさんあって、二人で触ってみたりした。マネキンが来ている服を「なんかすごいね」とか「あれはかわいい」とか好き放題言った。そして一通り回った後はおしゃれな飲み物を買ってフードコートに座る。もしかしたらここは地獄じゃなくて天国なのかもしれない。
「……体調はどう?」
「すごくいい」
「そっか。俺もだよ」
「体調の話?」
「楽しいってこと」
「……私も」
 この空気に耐えきれなくなって飲み物に手を伸ばす。しかし、勢いよく吸ったせいでむせてしまった。
「大丈夫?」
「うん……ごめん」
「全然。でさ、今日は野菜食べてもらおうと思って」
「……うん?」
「俺的におすすめなのはお好み焼きかちゃんぽんかな。それかあっちの定食屋もいいかも」
「……え?」
 浅霧くんはどうも私の不摂生な食生活を心配してくれていたようだ。だからってここまでする? とは思うけど。
「外食なのはいいんだ」
「さすがに自炊を強制はできないって」
「……親が海外出張してるって言ったっけ」
「俺は直接聞いてないけど、誰かが話してるの聞いた」
「ああ、それで……それでここまでしてくれたの?」
「まあ俺も今ひとりで暮らしてるし、なんか親近感わいちゃった」
 浅霧くんは照れくさそうに笑った。というか彼も一人暮らしだったんだ。コンビニとかマックで連日会うくらいだから、そうなのかもとは思っていたけど。
「地元からじゃテレビ局通えなくて」
「えー……じゃあずっとなんだ」
「うん。それに再来週から夏休みでしょ。俺アメリカ行ってマジックの修行しようと思ってて」
「え、急だね」
「前々から決めてたんだけど、騒がれるの嫌だし先生に内緒にしてもらってただけ。っていうかあんまり驚いてないね。噂とか回ってた?」
「……あ、ううん。そうじゃないけど、」
 アメリカ行きはもとから知ってました、とは言えない。このタイミングなんだ、という驚きはあったけど浅霧くんの想像していた反応とはほど遠かったようだ。
 いちおう高校卒業の意思はあるみたいで、夏休みいっぱいで日本に帰ってくるらしい。ただ、アメリカの環境がよければ出席日数ギリギリまで粘ることも考えているそうだ。
「……しっかりしてるね。なんかそういう話聞いたら焦っちゃう」
「焦る必要なんてないって」
「うーん……。でも、私もちゃんとしなきゃな~って」
ちゃんとするって氷月の専売特許じゃん、と思ったけど、ここに通じる人はいない。焦るのは一人取り残されたような気持ちになるからだ。
「なんでアメリカ行きの話、教えてくれたの?」
「話したらあと一回くらいは付き合ってくれるかなって」
「え……」
ここでまた「なんで」と聞くのは無粋だろうか。でも、勘違いだったら恥ずかしいどころの話じゃない。だってまだ会って数日……というわけでもないのが難しいところだ。私たちの間に今まで何があったかなんて知らないし。でも最初の反応を見るに、特に仲が良かったというわけでもなさそうだけれど。
「いいよ……一日じゃなくても」
「やった」
 浅霧くんはにこりと笑った。今の、何かのテクニックだったのかなとぼんやり思う。まんまと乗せられた私は、浅霧くんの出発の日までにあと二回も会うことになってしまった。
 夕食はお好み焼きを食べることにした。ちゃんぽんも食べたかったけど、汁を飛ばしてしまいそうという理由で却下されたのだ。
 浅霧くんは長いほうの髪を耳にかけた。その様子をじっと見ていたら、ぱちりと目が合う。とっさにお好み焼きに視線を落としたけど、かえってそれが意識しているみたいで、失敗したなと思った。
 お好み焼きで野菜の摂取ができたかどうかはさておき、お腹のふくれた私たちは高校生らしく帰宅することになった。外はまだ明るくて、石神村だったらまだ働いてる時間帯だ。
「アメリカ行きの準備ってもう終わってるの?」
「ん~明日で大体終わる予定」
「そっか」
「家引き払うわけでもないしね」
「え、そうなの?」
「いや俺ちゃんと戻ってくるよ!?」
「そうだけど……家賃もったいないなって」
「まあ、それはね……」
「お金持ってるからいいのか」
「ちょっと~?」
あはは、と二人して笑う。いつも別れている道までもうすぐだ。寂しいような気がして、気付かれない程度に歩幅を狭める。夕焼けの色が濃くなってきた。
 浅霧くんは分かれ道なんてなかったかのように私の家の方角に進んでいる。間違ってそうしているわけじゃないとわかっていても、声を上げずにはいられなかった。
「浅霧くん、道……」
「送るよ」
こんなのただの答え合わせでしかなかった。それなのに、言われた瞬間ぶわっと熱が頬に集まる。
「ありがとう……。めっちゃ近いけど」
「えー残念」
「……」
全部、浅霧くんの手のひらの上なのかなと思う。何それめちゃくちゃチャラいじゃん。脈アリ判定でもされたのかな。そして否定できないところがつらい。でも……石神村での彼を知っていると、遊ばれてるわけじゃないって信じたくもなるものだ。もしこれが私に対してだけだったとすると。
「……着いた」
「え、近!」
「さっきそう言ったじゃん」
「いやこんな近いとは思わなくてさ~。じゃあまた来週ね」
「うん。またね」
「ちゃんとカギ閉めてね」
「親?」
「心配してんの!」
バイバイ、と手を振って浅霧くんは来た道を戻っていった。
 部屋に戻った私はベッドに座って親から生活費として渡されている通帳を開いた。服や化粧品を買いすぎなければ、週に何度か外食したって十分すぎる額が入っている。それでも夏休みにバイトしようかなと思ったのは、自立している浅霧くんに感化されたからなのかもしれない。
 徐々にここで生きていくことを受け入れている自分がいた。一番気になるのは、あと数年したら石になってしまうのかということだ。もしそれが決まっていることなら、勉強して備えておくことができる。千空みたいな知識があれば役に立てるだろうし。何なら石化回避の手立てを考えて……いや、でもそしたら未来ちゃんは寝たきりのままなんだ。同じように病気が治った人もたくさんいるのかもしれない。でも、石像が割れてもとに戻れなくなった人だっている。だめだ、考えても考えてもキリがない。

「……なんか先週より落ち込んでない?」
浅霧くんがそう言ったのは、月曜日の定食屋でのこと。食生活を正そうという目的が定着して、今日はサバの味噌煮を食べることになったのだ。
「そんなことないよ。夏休みのバイトどうしよーってスマホで求人見てたら寝不足で」
「寝不足になるほど? それで決まった?」
「ううん。でもそんな大したことはしないっていうか、たぶん近場で済ませる」
「通勤時間は手当でないしね」
「そうそう。でも知合いに会いたくないならやっぱ遠くがいいかな、みたいな」
「あ~、永久に悩んじゃうやつね」
「気付いたら夏休み終わっちゃいそう」
「帰ってきてほんとにそれだったら笑ってあげるよ」
やわらかく煮込まれたサバの身を口に運ぶ。そういえば石の世界には味噌もなかった。しかし数日ここで過ごし、恐ろしいことに現代の食事のありがたみも徐々に薄れてきていた。あれだけ食べたいと願っていたものも、いつでも食べられるという気持ちになればどうでもよくなってしまうのだ。
「次さ、木曜の放課後でもいい?」
「うん。飛行機いつ?」
「金曜の夕方」
「終業式は?」
「出るよ~。で、一回帰って家族で食事行ってバタバタ出発」
「超ハードスケジュールだ。みんなには言わないの?」
「言うタイミング逃がしちゃったなって」
「え、私ひとりで抱えとかなきゃいけない感じ?」
「ん、抱えといて」
浅霧くんはこちらも見ずにそう言った。サバを箸で切って、食べて、水を飲んでようやく目が合う。このままじゃやられっぱなしだと思って「わかった」と言えば、浅霧くんの目がわずかに見開かれた。でも本当は「どういう意味」と聞きたかった。
 食事を終えた私たちはやっぱり帰ることになった。浅霧くんが上手い感じで質問してくるから、ほとんど私が自分のことを話すばかりだった。今日も浅霧くんは私を家の前まで送ってくれて、手を振って別れた。

 木曜日はファミレスだった。びっくりするくらい普通だった。つまらなかったわけじゃなくて、むしろ楽しかったわけだけど、何もなかったのだ。別れ際にそう思った私は、つまるところ何かを期待していた。次に会えるのは夏休み明けで、もしかしたらもっと後になるかもしれない。今まで言われた意味深なことも、全部勘違いだったんじゃないかと思えるくらいあっさりお別れして、いま私はベッドに寝転がっている。そんなもんか、と思った。私だって何も言わなかったくせに、ずいぶん身勝手な話だ。それなのに早く夏休みが終わらないかな、と考えてしまうのだからどうしようもない。

 その日、夢を見た。夢の中の浅霧くんは白黒頭で、ひらひらとした紫色の羽織を着ている。遠くにいるから顔がぼんやりとしか見えない。「なまえちゃん」声だけが妙にはっきりと聞こえた。
「なまえちゃん!」
「浅霧くん……?」
 目を開いた瞬間、浅霧くんの顔が視界いっぱいに入ってくる。浅霧くんは口をぽかんと開いたまま固まっていた。よく見ると、浅霧くんの後ろには木々が生い茂っている。起き上がって周りを見渡すと、たくさんの石像が目に入った。
 やっぱり夢だった。さっきまで高校生だった私はもうどこにもいない。すごく長くて変な夢だった。というか死んでないことにまずは喜ぶべきなのかもしれない。
「……ごめん、どういう状況?」
「なまえちゃん崖から落ちたの! 偶然俺が見かけてさ、さすがに飛び降りるわけにもいかないし回り道してやっと見つけたと思ったら気絶してて……」
「あー……ごめん。ありがとう」
「もうジーマーで心臓に悪い。スイカちゃんがみんなに知らせに行ってくれてるからさ、早く戻ろ」
「うん」
「おんぶする?」
「大丈夫」
 立ち上がって歩いてみたら、案外普通に歩けた。背中や腕は痛むけど、気絶してたのが不思議なくらい外傷はない。
 ゲンはびっくりするくらい静かだった。普段なら私から何も言わなくても会話が途切れることはないのに、歩き出してから私たちは一言も喋っていない。
 怒らせてしまったのだろうか。隣を歩くゲンをちらりと見ると、目が合った。いつもみたいにニコニコしていないから少し怖かった。
「あのさ、さっき浅霧くんって言ったよね」
「あ……ごめん、なんか変な夢見てて」
「夢?」
「うん。高校生のゲンとマック食べたりお好み焼き食べたりする夢」
「……あってる」
ゲンはぴたりと立ち止まった。私もそうするしかなくて、うつむくゲンの言葉をそのまま繰り返した。
「……あってる?」
「なまえちゃんさ、記憶障害とかあったりする?」
「え……、いや、ないと思うけど」
「頭を強く打ったりした?」
「しいて言うならさっき……?」
「……定食屋で魚食べて、その次はファミレス行った?」
「……行った」
なんで、と口をついて出た。ゲンもわからないと言う。ゲンによると、二人でファミレスに行った次の日、つまり終業式の日に私は学校を休んだらしい。そしてゲンがアメリカから戻ってきたとき、私はすでに転校していたそうだ。
「千空ちゃんが言ってたんだけどさ、タイムトラベルって理論上は可能らしいよ」
「え、そうなの?」
「うん。俺にはさっぱりだけどね」
「……でもさ、」
そんなことってあるだろうか。いろんな辻褄もあわない気がするし。いやでも全人類石化したぐらいだからあり得ないとは言い切れない。何よりゲンの記憶がそう言っている。
「高校生のなまえちゃんにゲンって呼ばれたときさ、なんか妙にしっくりきたんだよね」
「こっちで呼び慣れてたからかな」
「それ以前のなまえちゃんの印象って全然なくて。でもゲンって呼ばれたのが引っかかって、そしたらコンビニで会うでしょ。次の日はマック」
「うん」
「なんか一人でさみしそうにしてるしさ~、安っぽいけど運命かと思ったんだよね~。なのに終業式の日、会えなくて……帰ってきたらもういないし、なーんだ勘違いかって。連絡先はずっと消せなかったんだけどね」
「そうだったんだ……」
「で、ここで再会するでしょ。なのに俺のこと覚えてないっていうか、別人かな? みたいな。だってゲンって呼ばれたのに何も感じなくてさ。そりゃ初めて呼んだんだからそうだよね」
「……うん」
ゲンは私にわかるように言ってくれていたんだ。前に好きだった子にそっくりって、そこまで言って何の反応も示さなかった私にゲンはどんな気持ちだったんだろう。反対の立場だったら、きっと立ち直れなかった。
「でもなまえちゃんにゲンって呼ばれるたびにね、ちょっとずつしっくりくるようになるの。……そしたら次は浅霧くんって呼んでくれないかなって思うようになって」
ゲンは私の手を取って悪だくみのような顔でニーッと笑った。
「やっと呼んでくれたね」
「……ごめんなさい、お待たせしました」
「いいよ、なまえちゃんのせいじゃないしね~。帰ろ帰ろ」
「あ、うん……」
 ゲンは何事もなかったかのような顔で歩き出した。……いや嘘でしょ。
「それだけ!?」
 ゲンの背中に向けて思い切り叫んでやった。
「私はついさっき、ゲンのこと好きになってきたばっかりなんだけど! そりゃゲンから見たら何年も経ってるからもう過去のことかもしれないけど!」

*****

――いや嘘でしょ。理解するのに数秒、なんて返すか考えるのに数十秒。俺としてはみんなに無事を知らせて、怪我の手当てをして、それからじっくり……というつもりだったのに。
 そもそもあれだけ言ったのに、過去のことにされそうになっているのがわからない。さっき手だって握ったじゃん。確かに俺もちょっとかっこつけて何でもない感じ、装ったけどさ!
 あーあ、なんで上手くいかないかな。俺これでもメンタリスト名乗ってるんだけど。ちょっとした恋愛テクニックとかテレビで披露しちゃってたんだけど。っていうか俺、今めちゃくちゃニヤけてる自覚あるけどわかってんのかな。
「なまえちゃん、みんな心配してるからとりあえず戻ろ……あと俺も普通に好きだから」
もうムードも何もなかった。だってあんな直球で来られたら避けようがない。真っ赤になった顔を見ていったん満足した俺は、彼女の手を引いてラボへ戻った。
 千空やコハクからの雷を覚悟していたが、彼らからのお叱りはなかった。ただなまえは絶対安静ということで出歩くのを禁止され、手当てや看病は女性陣で行われることになった。本人はピンピンしていたが、服の下の見えないところに打ち身や傷が山ほどあったらしい。会おうと思えば会えるが、彼女はなかなか一人にはならない。そもそも怪我人に手を出すってどうなんだ。見舞いに行くたびに何か言いたげな目で見つめられること数回、じゃあどうすればよかったのかと自問するが、どうしようもなかったという答えに毎回たどり着く。

 あれから一週間経った。いつものようにタネの仕込みをしていると、ひょっこりなまえが現れる。びっくりしすぎて彼女が俺のすぐ隣に座るまで何も言うことができなかった。
「もう外出していいの?」
「うん、今日から」
「よかったね~、退屈だったでしょ?」
「……ずっとゲンのこと考えてたよ」
「え、かわい……」
手に持っていた花を落としてしまった。なまえがそれを拾って差し出してくる。いやちょっと待って。俺としたことが……いや、もうこの際そんなのどうだっていい。
「……俺もだよ」
「そっかあ」
「あのさ、これからデート行かない? もうお金はないけど……」
「ドラゴは?」
「や……ドラゴはジーマーで勘弁して」
ふふ、と笑ったなまえを抱き寄せる。高二の俺が、やっと報われたような気がした。