※相容れないのifルートを書き下ろし、小説本にしたもののサンプルです。
連載では9話でスタンリーに撃たれて千空たちと別れるという内容でしたが「スタンリーに撃たれず、千空やゼノたちとアラシャまで行ったら」という話になります。(8話までは、ほぼ同じ内容です)
※人が銃で撃たれるシーンがあります。(細やかな描写は極力避けてますが、夢主は一度死にます)
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相容れないifルート サンプル

「ヘッドショットが来る! 全員頭を下げるんだ!」
 司の言葉にぞっとしながらもなまえは身体を伏せた。最後尾のゼノを盾にして切り抜ける作戦だ。背後から銃声が聞こえてくる。恐ろしくてなまえはただじっとしていることしかできなかった。
 後ろに座っていた司の手がなまえの肩を押さえる。その数秒後、銃声が聞こえた。肩に触れていた手がだらりと滑り落ちる。まさかと思って振り返ると、司が肩から血を流していた。
「司くん!」
「……っ、着込みがあるので問題ありませんよ、命には」
 同じく撃たれた氷月が言う。
「でも!」
しかしどうしてもバイクを止めることはできない。それどころかスタンリーたちは飛行機を飛ばそうとしている。
「こんなの絶対逃げられないんだよ……?」
「あ゛ぁ……飛ばれたら、だがな」
 千空が言った瞬間、飛行機は打ち上げられた。しかし妙な音を立てながら反転。そのまま吸い込まれるように地面へと落下していった。粉々になった機体の破片が飛び散ってくる。墜落した人はみな顔見知りだ。見たところ大事には至ってないようだが、平気だろうか。

 しばらくバイクで走っていると、スタンリーの通信が聞こえてきた。こちらには隠す気もないらしい。今は飛行機の修理をしているようだ。聞く限りで大怪我を負った人はいなさそうで、なまえは人知れずほっとしていた。
 千空もコーンシティに残った仲間に向けて通信を入れていた。石化装置メデューサのカラクリを解析してもらうことが目的らしい。スタンリーに対抗するためには石化装置が必要。理屈はわかる。だけどそんなことをして、ゼノの協力が得られるのか不安はあった。

 バイクを走らせること数日、辿り着いたのはアンデス山脈だった。今はまだなんとか走行できているが、バイクのみでここを越えるのは難しそうだ。
 しかしここを越えてしまえば、密林の天然バリアで銃弾をしのげるらしい。そこで効率よく山を走るため、バイクの割り振りを変更しようという話になったのだ。
「思っていたより軽いな」
「なっ!」
原始的な体重計から降りた途端にこれだ。ゼノは片側に乗せられた水の重りを一つ持ち上げた。
「おお、すまない。君はこういうことも気にする人間だったか」
「セクハラで訴えます」
「司法が復活したらぜひそうしてくれ」
 なまえはグ、と奥歯を噛みしめた。しかし酷い人だと思う一方、どの程度で見積もられていたのか興味はある。あの、と声を上げると、ゼノはうっすらと笑みを浮かべた。
「ちなみに……何キロくらいだと……」
「プラス一キロくらいさ」
 そんなのもはや誤差である。なぜ。まさか見ただけでわかるのだろうか。ぞっとしながらも腕やお腹周りの肉を撫でてみる。そうしているところさえもゼノが楽しそうに見下ろしてくるから、なんとも憎らしい。
 親バイクが少し重量多め。他は均等。千空やゼノの計算によって割り振りはすぐに終わった。
 山登りは順調に進んでいた。しかし、ある地点でバイクが足踏みするようになる。降りて下から押してみても、これ以上は進めそうにない。ぐずぐずしていたらスタンリーたちに追いつかれてしまいそうだ。
 千空は「全部運ぶ」と言った。ロープウェイを作るそうだ。そう言っている間に、コハクが山の向こうまでぴょんとジャンプして行ってしまう。続いて羽京がロープを結んだ矢を放ち、ワイヤーをたぐりよせるガイドが完成した。

 出来上がったロープウェイは「本当に座る場所しかない」というものだった。そして最大積載量はざっくり160キロ。道具や人を振り分けながらもあまりのんびりとはしていられない。さらには、氷月やゼノという要注意人物が二人もいるそうなのだ。
 なんとなくそんな気はしていたけど、氷月はもともと千空たちと対立していたそうだ。
 なまえとチェルシー向けにゲンがわかりやすく説明をする。しかし氷月だけならまだ納得できるが、司までそうだったというのは意外だ。それでも一つのチームとしてアメリカまでやってきたという事実は、なまえに微かな希望をもたらした。ゼノと千空たちもいつか、協力できるようにならないだろうか。だけどゼノはきっとそんなことは考えていない。ちらりと彼を見てみると、ちょうどのタイミングで目が合った。すべてお見通し。「無駄だよ」と言われているような気がして、なまえは唇を噛みしめた。
 ロープウェイ走行は、楽しんでいるタイプと怖がっているタイプの二種類にわけられた。なまえは後者だった。しかもちょうどスイカが落ちそうになったところを見たすぐあとだったのだ。スイカはコハクが助けてくれたけど……と、縁起でもないことを考えてしまう。
 なんとかロープを握り締めて辿り着いた対岸で、ゼノが手を差し出してくれている。なまえは迷わずその手をとった。ゼノは手袋のせいか力を全然入れてくれなくて、その代わりになまえがぎゅうと握る。背中のほうでロープウェイが下っていく音がした。それでもまだ、手が放せない。
 ゼノは何も言わなかった。だがその後ろからルーナの生暖かい視線を感じる。ゲンは目を細めて微笑んでいた。いたたまれなくなって手を放すと、ここでようやくゼノが口を開いた。
「君、高い場所は苦手なのかい?」
「……そういうわけではないですけど」
「危ないからもう少しこちらへ」
「……ありがとう」
てっきりからかわれるのかと身構えていた自分に、何だろうと思う。そうされたかったわけではない。決して。
 あとは特に問題が起こることもなく、全員が無事に渡り終えた。分解したバイクを組み立て、さらにその先へ進む。ジャングルはすぐそこに広がっていた。
 なまえたちは一度バイクを降りた。作らなければならないものがあるそうだ。
「人類の軟弱ボディで踏破できる場所じゃねえからな。このまま突っ込みゃ百億%死ぬ」
寄生スナノミ、吸血カメムシ、巨大ヒル。聞くだけでも恐ろしい名前を次々と千空は上げていった。
 そこで必要になるのがゴムブーツだという。太ももまで覆い隠すそれを千空はテキパキと作っていった。なまえたちはその間に食糧の調達を行う。まだジャングルの手前とはいえ、自然の恵みは大いにある。できるだけ時間の無駄にならないよう、全員がそれぞれできることをこなしていった。
 ゴムブーツが完成して、再び進んだところで日が落ちてきた。今日はここで野宿だ。司が調達してくれた肉を焼いていると、そのすぐ近くでゼノが何か別のものを燃やし始めた。
「なまえ、来てくれるかい」
言われるがままゼノに近づくと、何かを燃やした煙を全身に浴びせられる。煙たい。おそらく何らかの理由があって煙を浴びねばならないのだろうが、先に説明してほしい。おかげで咳き込むハメになってしまった。
「ゼノは何を燃やしてるんだよ?」
「セリ科やヨモギ属の植物を虫除けのミストにしている。アマゾンの蚊は獰猛だ。君らの巻き添えで刺されたくはないのでね」
スイカの問いにゼノが答える。なぜそれを先に言わないのか。
「それならこんな、一人……いや二人占めみたいなことしなくても」
「ゼノちゃんってばなまえちゃんには過保護~」
ゲンの揶揄うような口調にもゼノは動じない。その代わりになまえがダメージを負う。特別扱いしてくれるのは正直嬉しいけれど、みんなの手前、大手を振って喜ぶことはできないのだ。
「君のその、複雑な感情に悩んでいるところは見物だな」
「……ゼノのブーツに穴開けてもいい?」
「そんなことをして一番傷つくのは君じゃあないか」
さも当然のようにゼノは言ってのける。口で勝てるわけがなかった。
「ひぃぁあああ!」
 この世の終わり、とでもいうような悲鳴を上げたのはルーナだった。何かと思えば千空とチェルシーが軍隊アリを捕まえてエキスを抽出しているようだ。アルコールに漬けられたアリという絵はなかなか衝撃的だ。そしてそれを身体に塗りたくるというのだから、ルーナは泡を吹いて倒れてしまった。

 無事に夜明けを迎えられたのはミストやアリのエキスのおかげなのだろうか。周りが虫だらけだったにもかかわらず、皮膚に異常は見受けられない。軽く朝食をとってさらに先を目指す。そしてとうとうアマゾン川に到達した。
 勢いよく流れる川を下るのは爽快だった。時折りかかる水しぶきに浮き立ちながら進んでいると、乗っていたイカダが揺れてバランスを崩してしまう。まずい、と思ったけれど身体はその場にとどまっている。見覚えのありすぎる手がお腹に回されているのに気付いて、なまえは悲鳴を上げた。
「危なっかしいな、君は」
「あ……すみません」
「このまま支えておいたほうがいいか?」
「イエ、その、大丈夫です」
離れようとゼノの腕をやんわり押す。腕からは逃れられたが、すぐ後ろにまだゼノがいる。自分が今すごく場違いなことを考えているのがまた嫌だった。
 しばらく勢いが続いていたが、次第に流れがゆるやかになってくる。さすがにもう落ちる心配はないだろうと、なまえはゼノからやんわり距離をとった。
 隣のイカダではクロムがアリのエキスを時間差で吹き付ける装置を作ろうとしていた。そこで復活液も同じようにしたら石化光線から逃れられるのではないかという話になる。クロムの話を聞いたとき、なまえはすごくいいアイディアだと思った。しかし千空や司、それからゼノは驚いた様子をみせない。
「逆にテメーがホワイマンならどうする」
 千空の問いにクロムは目を見開いた。答え合わせをするかのように司が続ける。
「石化光線を何発か、多段攻撃だね」
 爆心地に石化装置が複数あるのか? というのがおそらく全員の頭に浮かんだはずだ。もしそうだとしたら、進み続けるのも危険じゃないかという不安が芽生える。だけどここで引き返しては何も始まらない。イカダは着実に進んでいった。

 結論から言えば石化装置はあった。しかも山のように。だがそのどれもが電池切れなのか、何の反応も示さない。
「ゼノちゃ~ん、はい右手♪」
ゲンが声を上げる。ゼノが石化装置をポケットに入れたのを見たらしい。油断も隙もない。だけど千空は構わないという。調べて何か気付いてくれたほうが得だなんて、本当にそうだとしてもなかなか言えないことだ。
 それからはたくさんある石化装置を砕くなど、中身を調べながらも並行して、新たな船を作ることになった。さすがにこの先を進むにはイカダでは厳しい。スタンリーたちは南アメリカを反対側からぐるりと一周してくるから多少の時間はあるようだ。しかし急がなければ簡単に追いつかれてしまう。 
 とりあえず言われた通りに木を切ることにした。ここに来るまで何度も木を切ることはあったから、だいぶ慣れたものだと思う。だがそれでも重労働には変わりないため、疲れてきたら別の作業と交代してもらいながらという感じだ。
 船づくりが始まって三日目。船はまだ土台すら、という進行具合だ。なまえは相変わらずノコギリをギコギコと動かしていた。そこにゼノが現れる。
「少し休憩しないか?」
「……それは、こう……完成を遅らせよう的な?」
「本気で言っているなら作業を続けるといい」
「……ごめんなさい」
 ゼノはなまえの手からノコギリを取り上げた。そっと地面に置いて手招きをしてくる。
 ゼノについて行って、少し離れた場所で腰を下ろすと、果物を渡された。そしてなぜか頬を指の関節でするりと撫でられる。
「な……に?」
「何だと思う?」
「……言えない」
「わからなくはないのか」
「わからないっ」
急激に触れられた部分が熱くなるのを感じながら、なまえは首を振った。
 ゼノからもらった果実は甘くてみずみずしかった。ゼノはあの手袋をしたまま器用に食べている。
「ゼノは甘いの好きなんですか?」
「石化前からわりと食べていたほうだと思うよ」
「へえ~。話してたらクリームとか食べたくなっちゃいますね」
「いつか作ってあげるよ」
 ゼノの嘘みたいな提案に、なまえの視界がにじむ。たぶん、そんなに深い意味で言ったわけじゃないのだ。けれど想像してしまった。この先、どういう未来が待ち構えているのかを。
「……そんな日、来るかな」
「ああ、『君が僕に従っていれば』という前提が抜けていたね」
「甘いもので釣るなんてずるい」
なまえはゼノに抱き着いた。は、とゼノが息を呑んだのがわかる。
「……まさか甘いものにそんなに食いつくとは思っていなかったよ」
「科学なら今も楽しそうにやってるじゃないですか」
「その先を言っているんだ。こう自由にいつまでもできるとは限らない。千空たちが目指す世界ではね」
「……今も、千空くんのこと……こ、殺せますか?」
「ああ、殺せる」
迷うことなくゼノは言った。「それなら私は?」聞きたいけど、聞いてしまったら後悔するのはわかっている。ゼノの手がなまえの背中をあやすように撫でた。なまえはただ必死で涙をこらえることしかできない。
「君が聞きたいこと、あててみせようか」
「いや、です。言わないで……」
「それなら言わないでおこう。代わりに僕が質問してもいいかな」
「……なんですか?」
「君は倫理や道徳が大事だと言っていたね」
「はい……」
「それらと僕を天秤にかけて、僕を選んでくれることはこの先ないのかい?」
「えっ」
 ゼノの問いは、なまえの悩みとほぼ同じ性質を持っていた。ゼノがそんなことを考えていたなんて、なまえは想像もしていなかった。
「ゼノが科学よりも私を優先してくれることはないだろう」
なまえの立場から見るとこうなる。だがゼノ視点だと、
「君が倫理や道徳を捨ててまで僕を選ぶことはないだろう」
なのかもしれない。
 意外という言葉の一つで形容してしまえばそれまでだ。しかしゼノの問いはなまえに大きな衝撃を与えた。なまえはどこか「自分ばかり」と思っていたところがあったのだ。だからゼノを選ぶということにはならないが、迷いは生じる。例えばスタンリーならゼノを選ぶ。それができない自分は、きっとゼノに相応しくない。
 なまえは質問に答えないままうつむいていた。答えは「できない」に決まっているのに口にしたくない。
「少し意地悪な質問だったかな」
なまえは首を振って答えた。何か言えばすぐにでも涙が出てきてしまいそうだったのだ。
「君の答えはわかっているよ。だが今はまだ、選ぶときじゃないというのも事実だ」
ゼノは優しくなまえの体を引きはがした。そうして頬に優しく片手を添える。なまえの気付かないうちに、ゼノは手袋を外していたようだ。
 ゼノの親指がくちびるに触れる。ただ何も考えたくなくて、目を閉じた。
 そういう空気だったのかさえ、もはやわからない。軽く触れたあと、至近距離で目が合ってもう一度目を閉じる。ねだるつもりはなかった。なのに二度目のキスが降ってきたとき、どうしようもなく嬉しかった。
 ゼノの体が離れていくのをぼうっと見つめる。とんでもないことをしたばかりだというのに、頭の中ではどこか他人事だ。
「……ゼノは問題を先送りにするタイプですか?」
とてもキスのあとにする質問ではない。「いいや」とゼノが言う。
「だが……したくもなるさ、こんなもの」
「……ゼノ」
 喜んでいいのかもわからなかった。頭ではそう思っているのに、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。悲しいのか嬉しいのか、自分でも判断がつかない。
 涙を見られてしまった。ごしごしと顔をこする手をゼノに捕まれる。「菌が入るとよくない」それはごもっともだ。
 好きだと言いたかった。キスまでして、もはや今さらな気もするけど、こんなことでゼノが絆されるとは思わないけど、それでも言いたかった。もしゼノが同じ言葉を返してくれたら、それでいいと思ったのだ。
 だけどなまえの口から出たのは違う言葉だった。
「ゼノは考えられないかもしれないですけど、もしもですよ」
「何かな」
「もし千空くんたちが勝ったら、そのあとは協力してくれますか?」
「……そうだな、そのときになってみないとわからないが……」
そういう未来もあるかもしれない。ゼノは確かにそう言った。
「だったら私、頑張ります。千空くんたちが勝てるように。……ゼノと、ずっと一緒にいたいから」
「そうか……。君はそういう子だね」
「はい……」
最後に一つ、ぽろりとこぼれた涙をゼノがすくってくれた。
 まだ吹っ切れたわけじゃない。きっとそのときまで悩み続けるのだと思う。だけどゼノに宣言できたのはよかった。ゼノに否定されなくてよかった。
 ゼノと別れて作業に戻る。置きっぱなしにしていたノコギリを拾うと、ちょうど龍水と鉢合わせになった。
 明らかに泣いたばかりの顔で、どうしたものかと迷う。下を向いてやり過ごす……というには少し遅い。龍水とはすでに、ばっちり目が合ってしまったのだ。
「泣いていたのか?」
「うん……。でも、もう解決? ……いや解決はしてないかも」
「そうか」
「うん……」
なまえはノコギリを引いた。もう少し何か言ったほうがよかったような気もするけど、どこからどう話したらいいのかわからなかった。
「龍水くんは、何か選ばないといけないとき……ちゃんと決められる?」
いきなり何だ、と言われても仕方ないような質問だったと自分でも思う。だけど龍水は気にした様子もみせず、答えてくれた。
「選ぶな。だがその前にもう一度考える。本当に選ばねばならないのか。選ばすとも、どちらも手にする方法が本当にないのか。大抵の場合は、何か言い訳をして逃げているか思い込みをしているだけのことが多い。……だがそれでも、選ばなければならないなら俺は選ぶ」
龍水は力強かった。迷いを感じさせない物言いだ。少し羨ましくもなる。
「貴様が俺と同じようにする必要はない。貴様が考えて出した結論なら、それが貴様の答えだ」
「……選べずにどっちも手に入らなかったら?」
「それも選択のうちの一つだと俺は思うがな」
「そっか……ありがとう」
「フゥン。まあ、貴様の悩みは大方ゼノのことだろうがな」
「イヤ……あの、はい。……見てた?」
「ああも堂々とされては見るなと言うほうが無理な話だ」
「あー……ごめんなさい、忘れて」
フッと龍水は笑った。これではどちらが年上なのかわからない。うう、と唸るなまえの声はノコギリの音にかき消された。
 それから二週間ほど経つと、船の形がうっすらとわかるようになった。なまえの知っている船の形とは少し違う。全体的にトゲトゲ……というかギザギザしているのだ。千空によると、レーダーからの追跡を逃れるための形をしているらしい。ステルス艦というそうだ。クロムはこのギザギザがお気に入りのようだった。
 羽京が言うには、電波から隠れる設計はいろいろ種類があるらしい。だがそれは軍事機密の一つであり、ソナーマンの羽京も詳しくは知ることができなかったという。
「クククそこのNASA先生ならお詳しそうだがな」
千空はニヤリとした笑みをゼノに向けた。ゼノは石化装置を爪の上で遊ばせながら、千空から目を逸らす。
「僕自身の安全に関わることなら科学協力は惜しまないがね。スタンリーの目を欺くことに手を貸すわけもないだろう?」
まあその通りなのかもしれない。やなやつぅ、とチェルシーが口を挟んだ。

 ギザギザの木に炭素粉末を混ぜたゴムを貼り付けて、ステルス艦は完成した。強そうだな、というのが見た目の印象だ。さっそくレーダーに引っかからないかのテストを行う。一同は羽京の言葉を静かに待った。
「……え~と、うん。お気持ちステルス?」
「お気持ちか~!」
 全員ががっくりとうなだれる。だがクロムだけは違った。
――なぜ石化装置が大量に降り注いだ日、誰も気づかなかったのか。考えてみれば当然なのかもしれない。そこにクロムはいち早く気付いたのだ。
 クロムの言葉に千空たちが目を見開く。そうしてすぐに石化装置にレーダーを当ててみることになった。
 映らない。というのが結論だ。なぜなのかは誰もわからない。
「んならよ、これヤベーほど船に貼っちまえばいいじゃねえか」
クロムの提案にまたも全員がハッとする。やるぞ、と誰かが声を上げて、大量の石化装置を全員で運ぶ。船の表面に接着剤を塗って、その上からぺたぺたと貼り付けていった。
 貼れるだけの石化装置を貼り付けて、それから乗せられる分だけ船に運び込む。これからは移動しながら石化装置の解析していくようだ。
 なまえは千空やゼノと別室で石化装置を壊して調べていた。素人目だからと戸惑いもあったが、気付いたことがあればなんでも言ってほしいという千空の言葉を信じて作業を進めている。しかし黒い破片のどこに注目すればいいのかさえわからない。
 とりあえず似たような部分ごとに仕分けをしていると、一つだけ綺麗な六角形の形のガラスのようなものをみつけた。一応報告しておいたほうがいいだろう。壊さないよう慎重に、布でガラスを包んで部屋を出る。千空たちが使う部屋に入ると、ちょうどこちらでも全く同じ形のガラスが発見されたところのようだった。
 千空はなまえの持ち込んだガラスを受け取った。
「そっちにもあったか、崩れてねえダイヤ」
「えっ、これダイヤなの?」
「ああ、これが電池だ。とりあえずそのダイヤは別に調べるとして、他に綺麗なダイヤが刺さりっぱのメデューサがねえか探すぞ。動くかもしんねえ」
「わかった、探してみる」
 こういうときに強いのが視力のいいコハクだ。彼女はすぐに条件に合う石化装置を見つけ出した。
 コハクは石化装置に言葉を吹き込み放り投げた。しかし装置は動かない。他にも同じようなものがないか、コハクを筆頭に探すことにした。その間に千空やゼノはダイヤの解析を進めている。
「ヒビがあるな、おそらくは壁開面――」
 気付いたのはゼノだった。綺麗なダイヤにはどれもヒビが入っているらしい。そして黒ずんだダイヤには傷がない。つまり綺麗なダイヤは何らかのエラーで不発弾となったもの。黒ずんだダイヤは使用済みの電池切れ。千空たちはそう仮説を立てた。
「形が百億%ピッタシで傷一つねえ新品ダイヤぶっ刺せばメデューサはお元気いっぱい……再起動できるかもしんねえ!」
おおお、と周りから歓声が上がる。千空は続けて
「ダイヤモンドを作る!」
と叫んだ。
 ダイヤモンド作りはコーンシティ組に託すそうだ。モールス信号でこっそり通信を行うと、悲鳴のような返事が返ってくる。もちろんモールス信号で、だが。
 千空はダイヤ作りチームにアドバイスをしている。なまえはゼノの背後に近づいた。
「何かな?」
「何ってわけじゃないですけど、まあ……」
「構ってほしいなら夜「ちょっと!」
なまえは慌ててゼノの口を塞いだ。それはそれでどうなの、と思わなくもないが、ゼノが続きを言ってしまえばここにいられなくなる。精神的に。だけど実際はみんな無反応で、いっそういたたまれなくなった。
 それでその日の夜、本当に二人で甲板で会話をしているのだからどうしようもない。潮風に吹かれながら真っ暗な海を見下ろす。前にもこんなことがあったな、と思い出しながら視界の隅に映るゼノの姿を見逃さないように目を凝らした。
「……構ってくれるんですか?」
「君が望むなら」
「……じゃあ、構ってください」
「おお、今日は素直だな」
 ゼノはそう言ってなまえの頭をさらりと撫でた。毛先を爪でくるくるといじられて、かあっと頬が熱くなる。構うってそういう意味なんだ。言ったらやめられてしまいそうだから、と考えている自分に気付いてなおさら恥ずかしくなった。
「その手袋、私もつけてみていいですか?」
「君の分も作ろうか?」
「……使いこなせる自信がないです」
だろうね、とゼノは笑った。
 渡された手袋に手を通してみる。指の部分が長くて肝心の爪の部分まで届かない。グー、パーと手を動かすと、爪の先が動いて手首に刺さりそうになる。なぜこれが必要なのか本当にわからない。
 ゼノの手袋を外した指が触れたのは、なまえの首筋だった。ぞくりと体が震える。
「な、なんですか……?」
「いや、手袋を外して触れてほしいという意味だったのかな、と思ったところさ」
「えっ、いや……そんな」
「ああ、違ったか。勘違いをして悪かったね」
「……違うということでもないですけど、首? みたいな」
「君の脈は心地いいよ」
なまえはサッとゼノから離れた。脈って何。……つまりゼノは速まる脈を測って? 自分でも首に手を当ててみたけれど、どこに脈があるのかよくわからなかった。
「君の場合、胸に手を当ててみるほうが早いかもしれないな」
「な、なにが」
「自分の脈を確認したかったんだろう?」
「……速かったですか?」
「そうだね、愛おしくなるよ」
「そんな……ゼノ、最近なんか」
「うん?」
「だ……大胆、じゃない?」
この前のキスといい、というのはさすがに言えなかった。むしろそれがあって変わったのかもしれない。しかしなまえとしては、ああいう空気が今後も続くと想像していなかったのだ。あの日だけ、なんてそんな都合のいいこと、と今さらながらに思う。
「君を掌握しようと思っている、と言ったら?」
「掌握は……されません」
「わかっているよ。ただ僕がそうしたいからしているだけさ」
「またそういうこと言う……」
「できることはしておきたいんだ」
「うん……」
「何を言っても君を悲しませてしまうね」
ゼノはなまえの手からするりと手袋を抜き取った。離れていくのが名残惜しくて、なまえは手をぎゅうっと握り締めた。
 コーンシティから人工ダイヤが完成したという報告が入った。だが電池にするには大きさが足りないらしい。どうやってここから大きくしていくのか、千空の答えは「できない」だった。
「人工ダイヤじゃデカいのは無理ゲーだ。だから天然ダイヤを掘りに行く」
今この瞬間、コーンシティでは悲鳴が上がったんじゃないだろうか。しばらく待っていたら「殺すぞ」というモールス信号が送られてきた。
「違うわバカ両方いんだよ」
千空によると、ダイヤを削るためのダイヤが必要だったらしい。人工ダイヤで天然ダイヤを削る。人工ダイヤのほうが、天然ダイヤよりもさらに硬いそうなのだ。
「で、だ。これが俺ら世界遠征組からの最後の通信になる」
「なんでだー!?」
千空の言葉に大樹が声を上げる。その理由については羽京と龍水が説明してくれた。スタンリーがそろそろ近づく頃合いであり、近くで電波を出せばすぐに位置が掴まれ、せっかくのステルス艦の意味がなくなってしまうそうなのだ。反対に、コーンシティからの電波は受け取ってもいいらしい。ダイヤ電池の作成が成功したら、報告があるようだ。

 船はブラジルに停まった。この先のアラシャという土地を目指し、次は陸路を進む。アラシャはロケットエンジンに必要なレアメタルや、石化装置の電池になるダイヤもざくざく掘れる石の聖地と呼ばれる場所らしい。
 まず以前使ったロープウェイを流用してエレベーターを作る。この崖さえ登ってしまえばあとはバイクを使ってすぐのようだ。しかしこのエレベーターが曲者だ。というか崖が高すぎる。下手したらロープウェイより怖いかもしれない。
 ロープウェイを怖がっていたことを覚えていたのか、ゼノに大丈夫かと確認される。大丈夫ではない。……が、大丈夫ではないと言える場面ではない。
「千空、可能であれば僕と彼女を一緒に乗せてほしい」
「えっ」となまえが口を挟んだにもかかわらず、千空は頷いた。
「あ゛ー……まあ、先にバトれるやつが行っときゃいいだろ」
「じゃあ行こうか、なまえ」
「エッ……あ、」
ゼノはなまえの腕を引いた。隣にぴたりと座って腕を組むよう言われる。
「わ、」
 ぐらりと身体が揺れた。いつの間にかエレベーターが昇り始めていたのだ。隣からは「早く」と急かされるしで、余計に焦ってしまう。
「……失礼します!」
ぎゅ、とゼノの腕にしがみつく。目を瞑ったほうがいいのか、開けておいたほうがいいのか。下を見ると千空たちがすでに小さくなっていて、後悔する。見なければよかった。
「どうして下を見るかな」
「……つい、好奇心で」
「こっちへおいで」
「うえっ」
ゼノの腕が肩にまわされる。ぐ、と引かれてなまえの顔はゼノの胸に埋められた。
「これ、みんなに見られませんか?」
「下には見えていないだろうが、上に到着したら……すでに昇ったのは四人か。まあ今さらだ」
「今さら……」
 自覚がないわけではない。もともとコーンシティにいたメンツは言わずもがな、チェルシーにも会って早々指摘された。龍水にはキスしているところを見られて、あとはゲンが気付いてないわけがない。そういえばゲンにはゼノにナイフを突きつけているところを見られたままだったような気がする。弁明することなど何もない気もするが、何か一言だけでも……それこそ今さらだ。
「諦めはついたかい?」
「……はい」
ガタガタと座席は揺れている。だけど他のことが気になりすぎるせいで、怖いとは思わない。ゼノに抱きしめられている。ゼノもドキドキしてくれていたら嬉しいけど、聞こえてくる音が自分のものかゼノのものなのか、何もわからなくなってしまった。
 それから何事もなくエレベーターは上まで行った。降りるときに少し恥ずかしかったけれど、ゼノがあまりに堂々としているからか誰も何も言ってこない。
 アラシャに着いてからは、石の採掘をしつつ拠点作りを行うことになった。千空の設計図によると、拠点は砦のような形になっている。もしかしたらここでスタンリーたちと……。なまえの予想は当たりだった。スタンリーが到着するまでに石化装置を動かせるようにして、彼らを石にしなければ勝ちはないようだ。
 あと何日猶予があるのだろう。このままここで、ロケットを作れたらいいのに。考えないようにしながらひたすら砦を作って、けれど時折りスタンリーのことを思い出す。もうあのときのようには話せないのだろうか。もう少しでゼノともそうなってしまうかもしれない。

 拠点にはいくつかの家ができた。なまえはルーナとチェルシーと同室だった。
「ねえねえ、なまえの恋バナ聞きたいんだけど!」
チェルシーの言葉にルーナも頷く。
「え……でも恋バナって言っても」
「だって前聞いたときはさ『ゼノが好きなのは科学』って言ってたじゃん? でもちょっと前ちゅーしてたの見たし!」
「……それは、すみません」
やっぱり他の人にも見られていたのだ。なまえは恥ずかしくなってうつむいた。
「何か進展があったの? いや、すごく気になるってわけじゃないけど? やっぱり前からずっと見てたわけだし? なまえが悩んでたのは知ってたし?」
「ふふ、ありがとう、ルーナ」
「べ、別にそんな……」
「進展っていうか……何だろう。私たち、わかりあえないなってことを再確認しちゃった」
なんで! と二人の声が重なる。無理もない。どうしてそこからキスに至るのか、なまえでもよくわかっていないのだ。
「でもね、そのときまでは一緒にいてもいいかなって。後で辛くなるだけかもしれないけど。それに千空くんたちが勝てば、ゼノとの協力関係は崩れないかなって。だから頑張ろうって」
「そんなの!」
ルーナは涙ぐんでいた。
「だってどう見ても! ゼノもなまえのことが好きなのに!」
「……うん、それがわかっただけでも嬉しかったから」
ルーナはなまえに抱き着いた。耳元で、ぐすんと鼻をすする音が聞こえる。
「ごめんね、泣かせちゃった」
「ばか! なまえのばかっ! もう二人してばか!」
「ごめん……。今日は二人とも手をつないで寝てくれる?」
「そんなの当たり前だしっ!」
チェルシーがぎゅっとなまえの手を握る。続いて反対側にルーナが来て、三人で並んで寝そべった。
 二人がぴたりと寄り添ってくれたから、その日はぐっすりと眠ることができた。

 ダイヤ電池はまだ完成しないが、完成するという前提で準備は進められた。スタンリーたちが攻めてきたら、敵味方もろとも全員石化。遠くに隠れていた仲間が味方の石化だけを解くという方向で話はまとまった。その復活役に選ばれたのがスイカとフランソワだ。
 二人が出発するのを見送って、残りは仕事に就く。さすがにスタンリーたちが近づいてきたため、ゼノは拘束された状態となった。
「君はここに残るのか」
ゼノは地べたに胡坐をかいている。見上げるような視線に慣れず、ゼノの隣に腰を下ろした。
「行ってほしかったですか?」
「そうだね。そのほうがまだ……」
「私たちが殺されると思ってる?」
「さっき千空にも話したばかりだが、その通りだ。スタンリーは僕の確実な救出のため、君たちを躊躇なく皆殺しにするだろう。君の好きな倫理の問題ではない。それが彼の仕事なんだ」
「……そう、ですか」
「今日は弱気だな」
「……みんなの前では言えないですけど、間に合わないんじゃないかって、思って」
 実は先ほど、スイカたちがスタンリーらと接触したという通信が入ったばかりだ。もう時間は残されていない。コハクはスイカたちを助けに、続いて司や氷月もスタンリーの足止めをすると出て行ってしまった。
「僕が見た限りでも、石化装置は間に合わない」
「……何か、何でもいいから、気付いたことがあれば教えてもらえませんか?」
「ない。あったとしても言うわけがない」
「ゼノ……」
「今からでも遅くない、逃げてくれ」
「そんなことできない!」
「それが君の言う倫理か!? 仲間に後ろめたくて逃げられないだけじゃないのか!?」
「それの何が悪いの!」
 なまえはすでに涙目だった。言っても仕方ないのに、言わずにはいられない。わかりあえないと知ったうえで選んだ道なのに、いざとなれば弱音を吐いてしまいそうになる。
「……おそらく今夜だ」
 ゼノは諦めたのか、それきりなまえを見なかった。

 日が沈んだころ、千空は第二の「復活させ役」としてルーナを指名した。案内役をチェルシーとして、二人は身を忍ばせながら出発する。なまえも同じく声を掛けられたが、断った。なまえの答えを聞いた千空たちが、それ以上何か言ってくることはなかった。
 ルーナたちが出発して数十分、砦の塀が爆撃された。手榴弾が投げ込まれているようだ。大樹が足止めをすると言って走っていく。その後ろをゲンが追った。
 ゼノには龍水となまえがついていた。
「千空を殺すか幽閉することに賛同してくれるならば、君たちのうち何人かは……」
 ゼノの情を感じられる瞬間だった。しかし裏を返せば勝ちを確信しているとも受け取れる。
「無粋だな、ゼノ貴様は。誰がもう終わりだと言った? 道半ばで誰かが倒れようと、全てを石にし全てを奪う。俺たちは科学の未来へ進んでいる。科学の神髄とは、未来へとただ地道に楔を打ち続けること。忘れたのか?」
龍水はゼノをまっすぐ見ながら呼びかけた。
「Dr.ゼノ!」
 銃弾が龍水を襲う。彼は仰向けに倒れていった。そして同時に、何かが近づいてくる。
 顔は防具で見えないけれど、スタンリーだった。彼の持つ銃はなまえに向けられている。……スタンリーでよかった。シャーロットやマヤだったら、きっと耐えられない。
 優しいスタンリーは、どうやら最後に一言聞いてくれるらしい。しかし祈りの時間が長ければ長いほど、恐怖は増してくるというものだ。
 なまえはスタンリーでなく、ゼノを見た。
「わたしを、選んで」
目を閉じる時間はあった。そうして数秒後、
「撃ってくれ、スタンリー・スナイダー」
最後に聞こえたのはゼノの声だった。