逆転へのコーナーキック
セックスの定義とは何なのだろう。どこまですればセックスを“した”とみなされるのだろうか。
セックスしないと出られない部屋。その指示を受け入れるまでに相当の時間を要した。二人で部屋中をくまなく調べて、他に何も手がかりを見つけられず、けれどダグは何も言おうとしない。探り合いのように互いの顔色を伺う。その雰囲気に耐えられず「してみる?」と聞いたのは私。ダグの答えは「サラがいいなら」という何とも言えないもの。是非したいとでも言ってくれれば、私は仕方なくこのふざけた命令に従うことができたのに。
二人で休日に出掛けるぐらいだから、嫌われてはいないだろうと思いたい。しかしこの男、わかりにくいのだ。ちょっといい雰囲気になったこともあったような気がするけれど、結局は何もないまま今に至る。進展するようなきっかけがあれば、と考えたこともある。だから少し、何かが起こることを期待していたのかもしれない。
それでダグに身を委ねて、さんざん優しくされて。いざ、と息を止めたところで遠くからカチャと音が聞こえた。数センチ入っていただろうか、というところ。ダグも、きっと私も戸惑いが顔に出ていた。
このまま続けたって構わないとさえ思った。けれど私たちの間に行為を続ける理由はもうない。気付いていない振りなんてできないぐらい、扉が大きく開いていたのだ。
ダグの体が離れていって、私も起き上がる。乱れた服を整えても、熱は引いてくれない。それはきっとダグも同じはずだ。固くなったものを困ったように見つめるダグを可愛いと思ってしまったのは内緒にしておこう。
「ごめん、ちょっと待ってて」
ダグはそう言って部屋の隅に歩いて行った。何をしているのかは想像がつく。男の人は出せばある程度マシになるんだろうから羨ましい。私はどうすればいいんだろう。ダグの息遣いが微かに聞こえてきて、私はいっそうもどかしくなる。
戻って来たダグは床に座り込んだままの私に手を差し伸べてくれた。私が手を取ろうとしないでいると、彼は「あー……」と頬を掻いた。
「こっちじゃないほうの手でやったから」
ダグは右手をひらひらと動かす。
「……そんなこと聞いてない」
「だよな。ごめん」
「立てない」
そう言ったとき、ダグがまた困ったような顔をしたから泣きたくなった。
それでダグはと言うと、私の肩に上着を引っ掛けて開いた扉を見に行ってしまった。寒いなんて言ってないし、むしろ暑いぐらいなのに。上着に残ったダグの熱が、彼に優しく抱きしめられたときのことを思い出させてよくない。部屋の外を確認するダグがいつも通りの調子に見えて、それがまた悔しかった。
「何かあった?」
「ん、出られそうだ」
「そう。よかった」
私のところまで戻って来たダグは、屈んで「ごめん」と言った。
「べつに私だけ被害者ヅラするつもりない。……しようって言ったの私だし」
「いや、でもな」
「もう少ししたら歩けると思うし、大丈夫。さっきのことは忘れてくれると嬉しい、かな」
何をどう言ってもダグを悪者にするような物言いになってしまうのが嫌だった。最後までしたかったと言えたらまだよかったかもしれない。好きだと言って、同じ返事を貰えたらと想像したこともあった。今まで大切にしてきたものをこんな形で壊してしまうなんて。ポロポロと零れてきた涙をダグが見てしまったらまた困らせてしまう。思い切り顔を膝に押し付けたてみたけど、これで泣いてないなんて無理な話だ。
先に行ってと言っても、ダグは危ないからと私を置いて行かなかった。ヤケになって床にゴロンと寝転がってみる。ひんやりとした床が火照った体を静めてくれればそれでいい。ダグのジャケットはもうぐしゃぐしゃになってしまっていた。
気持ちも体も落ち着いてきて、私は自力で立ち上がれることを確認した。同じく立ち上がろうとしたダグの顔にジャケットを投げつけて、私の顔が見えないようにする。
「……すき」
私は出口へ走った。我ながら卑怯だとは思う。逃げながらも、背後に迫る気配に胸がドキリと鳴る。
ちょうど外に一歩踏み出したところで、私の体は動かなくなってしまった。後ろからすっぽりと抱きしめられて、また涙が出てしまう。
「ずるいよダグ、こんな優しくして……」
体をくるりと回転させられる。ダグと目を合わせるのが恥ずかしくて、その胸に額を押し付けた。
「ばか! 一人だけ出して気持ちよくなって! スッキリして、私の気も知らないで!」
「……すごいこと言ってるけど大丈夫?」
ダグの手は優しく私の頭を撫でている。同情や優しさだけでここまでするとは思えない。けれど、いまいち彼の態度がはっきりしないから私は不安になってしまう。ぎゅうとダグに抱き着いて体重をすべて預けてみる。それでもダグはびくともしなかった。
「すきって言って」
ダグの手が頭から頬へ移動する。少し距離を取られて、それから近づいてくる彼の目をただ見ていることしかできなかった。互いの額が軽く触れたところでダグの口が開く。
「好きだよ」
ダグのキスは恐ろしいぐらい丁寧で優しかった。あの部屋でしてくれなかった行為は私の頭をクラクラと酔わせていく。必死にダグの首に手を回して応えようとしているのに、力が徐々に抜けていくのがわかった。
「……また立てなくなった」
とうとう膝をついてしまった私は、ダグを理不尽に睨む。
「いいよ。連れて行くから」
「え」
膝の裏に手を差し込まれて、文句を言う暇もなく体が宙に浮く。
「……さっきもこうすればよかったのに」
「いや、できないだろ。手も握ろうとしないし、触れられたくないのかと」
「さっきはその、限界で……触っちゃったら……」
我慢できなくなりそうだった。……結果的には今もほぼ同じような状態になっているが、一方通行じゃないとわかって心が軽い。
ダグの鎖骨に頭を押し付けて、それでもダグが進んで行くから車はもう目と鼻の先だった。ダグが器用に片手でドアを開けて、降ろされる、というときに私はもう一度腕に力を入れた。
「さっきの続き、したい」
ダグの腕からするりと抜け出して、助手席のシートに座る。本当ならドアも閉めてしまいたかったけど、ダグを挟んでしまいそうだったのでやめた。一方ダグはと言うと、固まっていた。ぽかんと私のことを見下ろして、やがて考えるときのいつもの仕草をする。すぐに指の動きは止まったから、彼の中で結論は出たのだろう。
「……今ここで?」
「ち、ちがう! ばか!」
私がドアに手を掛けたのを見て、ダグは体を引いた。逃げるようにドアを閉めたけれど、すぐに運転席のドアが開くからあまり意味はない。
キーを差し込む姿を横目で見ていると、ダグと目が合った。これでもかというぐらい窓際に身を寄せていたけど、ダグは難なく私の手を取る。指を絡められて、息が止まった。
「可愛いな。俺の恋人は」
「え……」
恋人って。そういう流れだったのかもしれないが、ダグからそんな言葉が出てくるのが意外で。反応の悪い私を見て、ダグはきょとんとしている。
「ん、ダメだった?」
「だめじゃない!」
「そう。よかった」
「ね、ねえ。もう一回すきって言って」
ダグは少し首をかしげて、困ったように笑う。恥ずかしいだろ、と。けど、ちゃんと言ってくれたから、私はダグの胸に勢いよく飛び込むのだ。