02.翼を持つもの

「警察って暇なの?」
アルマは口を尖らせた。
 よくもまあ飽きないものだと思う。ダグが持っているトレーにはあんパンが三つと他がいくつか。このところ、彼の買うパンの数が増えたのが非常に気になる。自分で全部食べているのか、それとも他の誰かの分なのか。けれどそれを聞くのもなんだか癪で、アルマは黙ってお釣りを渡すしかなかった。
「そう言えば」
紙袋を受け取ったダグは、何か思い出したように顎を撫でる。
「この前のクリームのやつ、あれも美味かったよ」
「……あっそ」
ダグはいつもこうだ。アルマが新しいパンを作るたびに買っていき、その次の来店で感想を言う。ただ、いつも「美味かった」としか言わないので、味の違いが分かっているのか怪しいものだ。ちゃんと食べてくれているのか疑問ですらある。
 ダグが店を出て行き、奥の工房から店長が顔を出した。
「よかったね、美味しかったって。アルマもずいぶんウデを上げたねえ」
これもいつものやりとりだ。
「べつに、あんなやつに褒められたって嬉しくないし」
アルマはつんとそっぽを向いた。「あらあら」と店主は微笑む。
「それよりさあ、今度は甘くないやつも作ってみようと思うんだ~」
ポテトやベーコンを使った、惣菜風のもの。アルマの頭は新作パンを作ることでいっぱいだった。その中に少しだけ、ダグが美味しいと言ってくれる期待があったかもしれない。それなのに。
 いつも通りあんパンとその他を買いに来たダグ。ただ、これまでと違うことが一つ。彼がこの前買った、ポテトとベーコンのパン。それについての感想がなかったのだ。
 アルマの自信作だった一品。他の客からの評判もよく、当然ダグも気に入ってくれると思っていた。ただの偶然か、それとも彼の口に合わなかったのか。
「どうしたんだ?」
「え……どうしたって何が?」
「様子が変だけど」
そんなことないと言う前に、重ねて置いていたトレーをひっくり返してしまう。アルマが慌てて拾い集めていると、ダグもしゃがんで手伝い始めた。
「それで、どうしたんだ?」
「あー……」
「言いたくないなら無理にとは言わないけど」
重ね終わったトレーを元の位置に戻してため息をつく。
「……この前のパン、美味しくなかった?」
「ポテトとベーコンの?」
「……そう」
ダグは目を丸くした。
 やっぱり言わなければよかった。美味しくないって言われたらショックだし、そうじゃなかったとしても笑われる。ダグに褒められたって嬉しくないはずなのに、どうしてこんなに動揺しているのだろう。
「ああごめん。あれ食べてないんだ。だから今日も買おうと思ったんだけど」
ダグの視線の先にはカラになった籠が。アルマの新作はここ数日の売り上げトップ。今日はもう売り切れてしまっているのだ。
「え、食べてないの?」
「ああ。他のやつに食べられて……いや、俺が食べていいって言ったんだけど、まさかあれを選ぶとは思ってなくて」
なんともはっきりしない説明だが、分かったことが二つある。一つはあのパンが美味しくなかったわけではないこと。そしてもう一つは、ダグはちゃんとパンを食べて感想を言ってくれていたということだ。
「へー……なんだ、そっかー」
「ごめん。不安だったのか」
「べつに! あんたが気に入らなくたって、他の人は美味しいって言ってくれるし……人気商品だし!」
「ああ、そうみたいだな。もう立派なパン職人と言っても差し支えないよ。これで俺も安心だ」
ダグは目を細めて言った。背を向けて出口へ歩いて行く彼に妙な焦りを感じる。この言い方はまるで……
「な、なんでそんなこと言うの!」
引き留めるように叫んでしまった。ダグは振り返って、首を傾げる。
「ん? そう思ったから言ったんだけど」
「はあ?」
「心配しなくてもまた来るよ。人気商品、食べないといけないしな」
ダグはくつくつと笑った。彼はきっと、アルマが感じた焦りの正体に気付いているのだろう。本当に嫌な男だ。
 アルマは真っ赤な顔でダグを店から追い出した。何がそんなに面白いのか、ダグはまだ肩を震わせている。頭にきて勢いよく扉を閉めてしまい、店長に注意されてしまった。これも全部ダグのせいだ。

 その数日後、店の扉を開けたダグに紙袋を投げつけた。その中身は、今日も売り切れてしまった人気のパンである。
「この子ね、昨日も一昨日もダグのためにって一つとっておいたんだよ」
「ちょっと店長! 何言ってんの!」
「店が終わって寂しそうに食べてたじゃないか」
「それは自分で食べたかっただけ!」
これ以上何か言われてはたまらないと、アルマは店長を工房に押し込もうとした。しかしその前にダグが口を開く。
「……すみません、アルマにちょっと休憩もらってもいいですか?」
「ああもちろんだよ。二人でゆっくりしておいで」
「え……いや、私はべつに休憩なんていらないし……店長が行ってくればいいじゃん」
ダグと二人きりになるなんてごめんだ。それなら店長を……と考えたが、店から追い出されたのはアルマのほうだった。ダグと二人で外に出て、気まずい沈黙が流れる。
 ダグはというと、紙袋からパンを取り出してそのまま食べ始めてしまった。三口ぐらい食べたところで、彼は静かに頷く。
「うん。美味いよ」
まさかこれを言うためだけに? アルマは妙に恥ずかしくなってうつむいた。いつものように何か言おうとしても、言葉が詰まってしまう。
「べつに、ダグに褒められたって……」
嬉しくない。とは言えなかった。けれどダグはそれよりも他のところが気になったらしい。
「初めて名前呼ばれた気がする」
「は、はあ? 今までだってフツーに呼んでたでしょ?」
「あれ、そうだった? なら俺の勘違いか」
アルマとしては誤魔化せたつもりだった。しかしすぐにダグの肩の震えに気付いて、その肩を思い切り叩いた。