大家代理01
「はあ!? 入院って……ババアどっか悪かったのか?」
「大げさだね、ただの検査だよ」
「んだよ。驚かせやがって」
というわけでキリルの住むアパートは一週間、大家不在となる。その代わり“大家の遠い親戚の子”というのがやってくるらしい。手を出さないようにと釘を刺されたが、キリルとしてはそんな気これっぽっちもなかった。手なんて出したら最後、キリルもその“遠い親戚”とやらの仲間入りではないか。考えただけで背中がムズ痒くなる。
そして入院当日の日。アパートに大きなトランクを引いた女性が現れた。彼女は嬉しそうな顔で大家に駆け寄った。
「おばあちゃん、久しぶり!」
「悪いねサラ、一週間よろしく頼むよ」
「うん。頑張るから心配しないでね」
「……ま、何かあったらこいつに言いな」
大家がキリルの背中をぐいと押す。
そうして簡単に自己紹介を済ませたところで、キリルは大家と大量の荷物を病院まで送り届けた。言うまでもなく、あの写真で脅されたのである。
大家が入院して初日、何の問題もなく一日が終わった。そしてその次の日も。出勤前に彼女と挨拶をして、帰ったらおかえりなさいと言われる。家賃の催促もなければ、些細なことで怒られもしない。大家不在の生活を十分にキリルは満喫していた。しかし問題は三日目。この日キリルは非番で、昼まで部屋でぐっすりだった。
コンコンと控えめなノックにドアを開けるとサラが顔を覗かせた。
「ごめんね休みの日に。寝てた?」
「……まあ。で、どうかしたのか?」
「どうしよう。ポチがいなくなっちゃった」
「ポチ? あー……」
キリルはガシガシと頭を掻いた。どうもあの猫、キリルの非番の日を狙っていなくなるらしい。大家に探してくれと頼まれたのもそんなに昔の話ではない。あの猫探しがきっかけで事件に巻き込まれて、けれどジェファソンを助けることができて、ダグと出会うことになった。……という思い出話はひとまず置いておこう。キリルはポチのいなくなった理由に心当たりがあるのだ。
「あいつ、ガキいんだよ。多分メシやったら帰って……いや待てよ」
あの廃工場。もともと立ち入り禁止ではあっただろうが、立てこもり事件の後だ。ポチはともかく、子猫の住み家は大丈夫なのだろうか。正直ちょっと面倒だが、気にはなる。それにサラがポチを預かった身として心配する気持ちもわかる。キリルは廃工場の様子を見に行くことに決めた。そしてここで誤算が一つ。
「あ、あの、私も行っていい?」
「え、お前も? まあ、いいけど」
何も犯罪者を捕まえに行くわけじゃないのだから、断る理由もない。ただ、てっきり一人で探すものだと思い込んでいたから驚いた。そんなに心配なのかと感心したが「子猫……」と彼女が呟いたのを聞いて、他の理由があることを察する。
「いい天気だね」
サラはそう言いながら辺りをキョロキョロと見渡している。
「お前、この辺はじめて?」
「うん。リスヴァレッタに来るの、もう何年ぶりかなー」
彼女は汽車でここまで来たそうだ。彼女が通っている学校がちょうど休みで大家代理を引き受けたらしい。
「キリルは警察なんでしょ?」
「ん、まあな」
「なんかカッコイイね」
「ま、まあな!」
まさかこいつ、わかるクチなのか。気分良くなったキリルは、刑事になってからの活躍をサラに話した。多少の脚色はあるが、それを指摘するものは誰もいない。ちょうど向かっている廃工場での話もした。もちろんそこで出会った相棒のこともだ。
「キリルはその人のこと、尊敬してるんだね」
「だなー。最初は何考えてるかわかんなかったけど、頼りになるし、仕事できるし……」
ふとサラを見ると、彼女が穏やかに微笑んでいることに気付く。少し胸がドキっとしたような気もするが、たぶん気のせいだ。気を取り直して、話の続きをする。
「それで、いつかヒーローになるのが夢なんだ」
「ヒーロー……。誰か守りたい人がいる、とか?」
「まあ、そんなとこ」
恋人? とサラは目を輝かせたが、キリルは首を振って否定した。キリルが守りたいのは家族と、仲間と、それからこの街に住む人だ。もちろん恋人がいたらカッコよく守ってやりたいところだが、今はそんなことを考える余裕もない。
「えーと、お前は? 学校とか」
「うん、楽しいよ。でも来年卒業。そろそろ仕事決めなきゃいけないんだけど、どうしよっかなーって」
「ふーん。いい仕事みつかるといいな」
「ありがと」
そんな話をしながら歩いていると、廃工場にはすぐ着いた。正面はやはり封鎖されていて入れそうにない。不安そうに瞳を揺らすサラの肩をぽんと叩く。
「大丈夫、ショートカットがあるんだ」
ぱちぱちと目をしばたたかせるサラを引っ張って脇道に入る。思った通り、通気口は何の手も加えられていない。このまま中に入れそうだ。
さあ、と通気口に手を掛けたところでキリルの動きは止まった。自分はともかく、サラにここを通らせていいものだろうか。ダグのように中で詰まることはないだろうが……。キリルの視線はサラの服へ。柔らかそうな素材でできたシャツは間違いなく汚れてしまうだろう。しかしここで一人待たせておくのも気が引ける。
「どうしたの? 早く行こう?」
キリルの心配をよそに彼女は言った。普通についてくる気らしい。
「ああ、うん。えーと、俺の上着、羽織っとく?」
「うん? 寒くないから大丈夫だよ」
「いや、そうじゃなくて。中、けっこう汚いと思うけど」
通気口の中で人差し指をつーっと滑らせて、サラに見せる。指はとうぜん黒っぽく汚れていた。
「あ……ありがとう。でも大丈夫、洗濯するし」
「そうか? じゃ、ちゃんとついてこいよ」
キリルは今度こそ通気口に頭から入った。ときおり横目で彼女のことを確認しながら進む。この前よりも道のりがずいぶん長く感じられた。
「大丈夫か?」
「うん。けっこう楽しいね」
「ならいいけど」
サラを通気口から引っ張り上げてパイプの上に立たせる。彼女にはそこで待つように言って、キリルはポチの子供がいるであろうフェンスへ飛び移った。
「おーいるいる」
ポチはキリルを睨みつけたが、子猫の世話に忙しいようでそれ以上はなにもない。サラのもとへキリルは戻った。
「たぶん終わったら勝手に戻ってくるだろ」
「うーん。ここから見えないかな……」
子猫がどうしても見たかったのか、サラは身を乗り出している。
「お、おい危ねーって!」
これもお約束というやつなのか、サラの足元が危うい。慌てて腕を掴んで引き戻してやったが、当の本人はニコニコ笑っている。
「見えた! ありがとう!」
「あーもう……よかったな」
サラの鼻に着いた汚れを拭ってやる。するとキリルも彼女に頬を指で擦られた。たぶん二人して、真っ黒になっていたのだろう。
一仕事終えて安心したのか、急に空腹感が襲ってきた。ぐうと鳴った腹の虫は甘いものを欲している。帰り道に安い菓子を一つ買って、二人で分けながらアパートへ向かった。