熱風注意

 酒場での出来事である。ホメロスは気乗りしなかったが、グレイグと共に酒を飲んでいた。疲れの溜まった体にアルコールがキンと沁みる。
 トレイを手に慌ただしく店内を動き回るバニーガール。ホメロスはそういったものに興味はないが、連れが妙に一人のバニーガールを気にしていることに気付く。その女はオドオドしていて、あろうことか床ばかりを見つめていた。果たしてグレイグはこんな女が好みだっただろうか。素面のホメロスであれば、やれやれと呆れていたに違いないが、彼は少しばかり酒に酔っていた。あくまで友への親切心で、そのバニーに声を掛ける。決して面白がっていたわけではない。
 ホメロスに声を掛けられた女は分かりやすく肩に力を入れた。ぎくり――そんな効果音が聞こえてくるほどに。
 女がしぶしぶと二人に近づく。顔はまだ伏せられたままではっきりとは見えない。こつ、こつ、と彼女のヒールの音が鳴るたび、なぜか隣の男の顔色が悪くなる。
「……ご注文は」
ずいぶん不愛想な対応だ。嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったホメロスだが、彼女の顔を確認してそれを飲み込んだ。
「……リシェ、なぜここに」
この不機嫌そうに見えて、実のところ顔を真っ赤に染め必死に顔を隠そうとする女、リシェ。彼女はホメロスたちの同僚である。恐らく、グレイグはいち早くそれに気づいていたのだろう。目線が迷子になっている。
「お、俺は何も見てないからな……」
グレイグは素早く勘定を済ませ店を出た。残されたホメロスは出遅れたとばかりに小さく舌打ちをする。しかし、このまま帰るのも勿体ないとどこかで感じていたのも事実だ。
 男を喜ばせるためであろう、強調された胸元。黒のタイツで艶めかしく演出される脚。お約束とばかりに主張するウサギの耳に見立てた飾り物。改めてリシェの姿をつま先から頭のてっぺんまで観察すると、彼女は持っていたトレイをホメロスに押し付けて抵抗の意を示した。
「だ、誰にも言わないで……」
いつも勇ましく武器を掲げる彼女からは想像できないその姿に、頭が付いていかない。
「だからなぜ、こんなことになっているんだ」
「ここ、知り合いがやってるお店で、どうしても人手が足りないからって……」
ぐすんと目を真っ赤にして今にも泣きそうなリシェを前に、ホメロスは急激に酔いが覚めるのを感じた。こんなところで泣かれては迷惑だ。ホメロスはリシェの知り合いであるという店主に文句をぶつけ、リシェを店から連れ出した。

「ま、待って……」
リシェの腕を掴み大股で歩いていたホメロスは、彼女の声で我に返る。リシェは明らかに薄着で、高いヒールは歩きづらそうだ。ホメロスは己の外套をリシェに引っ掛け、バツの悪さを隠すよう彼女から目を逸らした。
 ウサギの耳のヘアバンドを外したリシェは、足元以外デルカダールの兵士そのものである。城へ戻る二人の背中に冷たい風が吹いた。
「あんな格好で人前に立って、妙なやつに目を付けられたらどうするんだ」
「……そんなの、捻りつぶしてやるに決まってる」
「ほう?」
ホメロスはリシェの片腕を勢いよく引いた。リシェは体勢を崩さぬよう足に力を入れたが、踵の細いヒールでそれが叶うはずもない。あっさりとホメロスの腕に閉じ込められてしまう。
「な、なにするの」
「あまりにお前が能天気なことを抜かすのでな」
ぐ、とホメロスが顔を寄せる。リシェが抵抗するのもお構いなしに、けれど唇が触れるか触れないかのところで彼の動きはぴたりと止まった。ホメロスの目に、面白いほど固く瞼を閉じたリシェが映る。ふんと鼻で笑ってやると、彼女は目を見開き、それでも近い距離に顔を赤く染め上げる。
 暗闇の中でも分かる彼女の頬の熱がホメロスに移ったのかもしれない。リシェを女として意識したことがなかったホメロスが、彼女を仲間としか思っていなかったホメロスが、微かに心の隅を揺さぶられている。しかし、リシェにそれを気付かせるようなことはしない。リシェを拘束していた腕が、あっけなくほどかれる。
「馬鹿なことをしていないで帰るぞ」
「……ホメロスが始めたんじゃない」
文句を言うリシェを振り返ることなく、しかし歩幅は彼女に気を遣いホメロスは進む。ホメロスがリシェを城の部屋まで送ったのは、外套を返してもらいたかったというのが一番の理由である。だが、その下の無防備な格好を気に掛ける心も確かに存在していた。
 部屋のドアを跨ぎ、ホメロスは無言で手を差し出す。リシェはホメロスに背を向けつつ外套を脱ぎ、後ろ手でそれを渡した。
 ホメロスがリシェの部屋を去ろうとしたとき、ふいに彼は腕を引かれた。リシェのように倒れそうになることはなかったが、振り向いた頬を柔らかな感触がかすめる。それがリシェの唇とすぐに理解はしたが、状況が全く呑み込めない。
「ホメロスだって、隙だらけじゃない」
「……は」
まさか、それだけのためにキスをしたのか。頬に、というところが彼女らしいと言えばそうなのだが。呆れた目でリシェを見下すと、彼女はだんだん不安になってきたらしい。目があちらこちらに泳ぎ始める。
「も、もしかして……嫌だった? ごめん……」
また分かりやすく落ち込むリシェを、今度は本気で引き寄せる。バニーガールの衣装の下で寄せられた胸のふくらみは、ホメロスの胸元で簡単に形を変えた。
 外で抱き寄せたときよりも抵抗が薄いと感じるのは、ホメロスが熱に犯されていたからだろうか。それでも逃げられないようリシェの後頭部を押さえ、艶めく赤に塗られたリップを乱す。
「んっ」
ときおり漏れるリシェの声に、ホメロスは侵食される。ここまでするつもりはなかったと弁解する気もないが、明日からどんな顔で職務に励むべきか。そう考えることすら出来なくなるほど、ホメロスはあてられていた。舌で彼女の中を掻きまわすと、彼女の震えた足から完全に力が抜ける。
 ぺたりと床に座り込んだリシェがゆるゆると首を振る。さすがにこれ以上はホメロスも自制も利かなくなるのを感じた。離れた唇は空気に触れ、やがて冷静さを取り戻す。
「これで分かっただろう」
「……なにが」
ホメロスは何事もなかったかのように立ち上がる。リシェはまだ立つことも難しいようで、ホメロスを見上げる形だ。
「嫌ではなかった、ということだ」
背中越しに、はっと息を呑む音が聞こえた。しかしホメロスはそのまま部屋の境を越える。扉が閉まる寸前、「ずるい」と耳に入って来たことに、ホメロスは気分よく明日を迎えられそうだった。