猫とメイド服

 ホメロスがウルノーガに従うようになって、分かったことがある。ホメロスの他にもウルノーガの配下が城に紛れ込んでいるということだ。兵士や使用人に化けた魔物。じわじわと魔の手はデルカダールを蝕んでいたのだ。

 グレイグのようにデルカダール王に忠誠を誓った者。ホメロスのような魔王ウルノーガの手先。二つの勢力が存在する城内で、そのどちらにも属さないのがリシェである。
 リシェは城のメイドなのだが、その正体は魔物だった。ホメロスがそのことに気付いたのはウルノーガに力を与えられてからだ。しかし彼女はウルノーガと繋がりがない。リシェが城に潜り込んでいる理由は不明であり、ホメロスとしては不確定な要素は取り除いておきたいところだった。しかし、城に魔物が紛れ込んでいたとなれば、他の者にも疑いの目が掛けられる。だから迂闊に手が出せないでいた。

「お、おい……」
メイドキャップからはみ出た猫のような耳。ぴくぴくと動いているので本物だろう。鼻歌を歌いながら掃除をするリシェは自らの失態に、恐らく――いや、確実に気付いていない。
 幸か不幸か、この資料室にはホメロスとリシェの二人だけ。掃除中にどこかに引っ掛けて帽子がずれてしまったのだろう。つまり、ホメロスの他に誰もリシェの耳を目撃していないということだ。このまま放っておいたら大騒ぎに成りかねない。どうにかしてリシェに気付いてもらうか、いっそのこと問いただしてしまうか。
「ホメロス様……どうされました?」
リシェの耳がぴくりとまた動く。心なしか嬉しそうに見えなくもない。ホメロスの口元は無意識のうちに引きつる。
「……帽子がずれている」
悩んだ末に出した結論はシンプルなものだった。さりげなく気付かせるための方法を考えることすら馬鹿らしく感じたのだ。
 リシェはというと、サッと顔を青くして耳に手を当てていた。柔らかそうなそれは、くしゃりと折れ曲がり、リシェの心境を表しているかのようだ。
「あ、あ、あの……」
リシェが慌てた様子でドアノブに手をかける。肝心の耳は露出したままだ。
「お、おい、待て!」
扉が開かないようホメロスはリシェの腕を掴んだ。勢いのあまり、もう片方の手が壁を叩く。ホメロスがリシェを扉に押し付けているようにも見えるこの状態。誰かに見られれば誤解されることは間違いない。
 ホメロスはそっとリシェの腕を引き、扉から離れさせた。リシェは大人しくそれに従う。リシェの顔は俯いているが、耳がしゅんと垂れていて、どんな表情をしているかは容易に想像できた。ふわふわと柔らかそうな毛に包まれたその耳に、ホメロスの手が伸びる。が、寸前のところで止まった。触れてしまえば誤解で済む話ではなくなると、理性が働いたのだ。
「……早くそれをどうにかしろ」
「は、はいっ……すみません……」
 リシェが耳を隠したかと思えば、今度は泣き出した。さめざめと泣く姿は同情を誘う。ホメロスは何も自分に非がないことを理解しつつも、妙な罪悪感に襲われた。
「うぅ……ホメロス様、すみませんでした……」
「いちおう聞くが、お前は何に謝っているのだ?」
「私……どうしてもこの可愛いメイド服が着てみたくて、我慢できなくて、それで人間の振りをして……」
一つ、謎が解けた。リシェが城に潜り込んだ理由だ。あまりにくだらないその理由にホメロスは頭痛を感じる。
「なら、その服を持って今すぐ城を出ていけばいい」
リシェはようやく顔を上げた。涙はぴたりと止まり、目をまんまるにして真っ直ぐにホメロスを見つめている。
「……見逃してくださるのですか?」
「お前が何も悪さをしないうちはな」
瞬く間にリシェの表情が明るくなっていく。帽子の下で耳がぴんと立っていることだろう。それほど単純でわかりやすい彼女を前に、ホメロスは口元をほころばせていた。リシェがそれに気づいたらしく、小首をひねる。
「ホメロス様、どうしました?」
「いや、何でもない」
「……そうですか」

 リシェはデルカダール城を去った。表向きでは家族の看病のため実家に帰ったことになっている。本当の理由を知るのはホメロスとリシェだけだった。
 リシェがいなくなってちょうど一カ月が過ぎたころ、ホメロス宛てに差出人不明の果物が届く。得体の知れない贈り物ということで処分されてしまったが、中身はホメロスも確認していた。送り主にその気はなかったのだろうが、果物の産地はある程度の予想がついた。ホメロスが自らの意思でそこに赴くことはなかったが。
 ホメロスがその地に行ったのは、ウルノーガに命じられたからだ。急な気候変動が起き、恐らく魔物の仕業だろうということでホメロスは調査を任されたのだ。
 結論としては予想通りだった。魔物が大量の雨を降らせ、木々は倒れ、生態系にも被害は及んでいた。魔物自体は容易に倒すことが出来たが、その爪痕はどうすることも出来ない。
 夜が明けたら城に戻る。部下にそう伝え、ホメロスは休む準備をしていた。背後に何者かが近寄ってくる気配を感じる。
「誰だ」
ホメロスは腰の剣を素早く抜き、曲者に突き付ける。だが、その姿を確認したホメロスはすぐに剣を下ろした。
 ぴんと立った耳には見覚えがある。尻尾が生えていることは知らなかったが、まぎれもなくリシェだ。そういえば、あの果物が採れるのはこの地域だったと、ホメロスはぼんやり思い出す。
「ホメロス様、ありがとうございました」
聞けばリシェもあの魔物には迷惑していたらしい。雨ばかりが続いて植物が枯れ、食べるものに困っていたそうだ。
「私は任務を遂行しただけだ」
「でも、助かりました。本当にありがとうございます」
相変わらずリシェの耳はぴくぴくと動いている。
「一つ聞きたいのだが……その耳は嬉しいと動くのか?」
「えっ! 動いてますか?」
「……気付いていなかったのか」
「や、やだ……あまり見ないで下さい」
リシェは顔を真っ赤にして耳を押さえた。何が恥ずかしいのかホメロスには理解しかねる。だが、リシェのしぐさはホメロスを揺さぶった。無意識にまた、リシェの耳へと手が伸びる。
「ひゃっ!」
ホメロスの指が柔らかな感触をかすめ取った途端、リシェは身をぷるりと震わせしゃがみこんだ。
「だ、だめです! 耳はとっても敏感なんですよっ!」
リシェは誤解を招きそうな発言と共に、ホメロスを涙目でキッと睨みつける。
「……すまない」
「あっ……いえ、私のほうこそ……」
リシェは恐らく立ち上がろうとしたのだろうが、上手く足に力が入らないらしく、ぺたんと地べたに後戻りをした。――冗談だろうとホメロスは思いたかったが、リシェの様子からして本当のようだ。
「……悪かった、家まで送る」
「だ、大丈夫です。ここからすごく近いので。しばらくしたら歩けますから」
この近くにそのような場所などあっただろうか。辺りは水害の痕跡が酷く、リシェが住めるような場所などなかったように思われる。まさか、と嫌な予感がよぎる。
 ホメロスはリシェを抱き上げた。意外にも彼女は抵抗することなく、身体をホメロスに預けている。
「場所はどこだ」
「あの……あっちです」
リシェの指差す方向へホメロスは歩む。そうして間もなく「ここです」というリシェの弱々しい声に、ホメロスは目を疑った。
 雨風を避ける屋根も壁もない、ただ枝の折れた木が並ぶ空間。リシェはここで寝泊まりをしていると言う。よく見ると、見覚えのあるメイド服が泥水に浸ってボロボロになっていた。
「……私が城を出て行けと言ったからか」
「ち、違いますよ! ホメロス様は私のことを見逃してくださって、雨を降らせる魔物も退治してくれて……!」
リシェと視線がぶつかり、どちらからともなく目を逸らす。冷たいプレートアーマーからは、彼女の温度を感じ取ることはできない。
「……そう言えば、メイドが不足していたな」
「えっ!」
「ちょうど明日、デルカダールに戻ることになっている。お前さえいいなら、私から口添えもしてやろう」
「あ、あの……本当にいいんですか?」
「お前が何も悪さをしないならな」
ぴくりと動くものを見て笑いを堪えきれなかったホメロスの胸に、リシェは不満げな顔をして寄り添った。