大きなもふもふの何か
気付いたら何だかよくわからない生き物になっていた。犬というには大きすぎる、だけど熊ほどじゃない。体中は毛むくじゃらで、喋れるだろうかと口を開けてみたら「ナー」と間抜けな音が鳴った。
私は人間だったと思う。……いや、人間だっただろうか。というのもここまでの記憶がないのだ。自分を人間だと思い込んでる獣? なんかそういうのをSNSで見たことあるような……あれ、これはいつの記憶だろう。
そもそもここはどこなんだ。見たところ森のようだけど、どうやってここまで来たのかがわからない。考えていたら、がさがさと後ろのほうで物音がした。
振り返ると男の人が立っていた。片目を真ん丸にしている。もう片方の目は包帯で隠れているけど、怪我でもしたのだろうか。男の人は背負っていた銃を構えて……やめてやめて! 危害を加えるつもりはありません!
「ナー!」
首を振ってみた。男の人は眉を寄せた。
私が逆の立場だったらどうしただろう。困るよなあ、こんなのと出くわして。男の人は引き金を引くのは待ってくれたけれど、まだ銃を構えたままだ。
近づいたらほぼ確実に撃たれてしまうだろう。だとしたら逃げるべきなのか。走って草むらに飛び込んだら行けるのでは? 短距離には自信あります! と、私は立ち上がった。
私が立った瞬間、男の人はあんぐりと大口を開けた。どうしたのだろう。私は逃げることも忘れて首を傾げた。そうしてふと、男の人の頭が自分よりも低い位置にあると気付く。
……二足歩行しちゃった! いや、まだ歩行はしてないけど! どうしよう、男の人が正気に戻ったらそれこそ撃たれてしまう気がする。私は大股で逃げようとして……べちゃっとその場に転んでしまった。立つのはいいけど走るのは無理らしい。もう無理、死んだかも。
「ナァン!」
私は仰向けでお腹を丸出しにして「害はありませんよ」のポーズを取った。背中をぐりぐりと地面に擦り付けていたら小石が刺さって痛い!
「何なんだ、お前」
男の人がやっと話しかけてくれた。と言っても彼は私の返事なんか期待しちゃいないだろう。チラッと男の人を見上げてみたら、銃が下ろされていた。やった!
私はできるだけかわいらしく鳴きながら男の人に近づいた。今度はちゃんと四足歩行だ。怖がらせないようにゆっくりと距離を詰めて、頭を擦り付ける。どうだ、かわいいだろう! もし私が犬や猫にこれをされたら一発で落ちる自信があった。ただここで問題になってくるのが、私が何の生き物かということだ。
「お前、人を見る目がねえんだなあ」
男の人はそう言って私の頭をぽんぽんと叩いた。何だか寂しそうな顔をしていたので指さきをペロッと舐めてみる。今この瞬間だけは人間じゃなくてよかったなあと思った。
男の人は私をひとしきり撫でたあと、背中を見せた。
「じゃあな」
「ナー!」
連れて行って! と心の中で叫んだけど彼は振り向いてくれなかった。こんなところに一人置いて行かれたらたまらない。彼みたいな銃を持ったハンターがこのあたりにいるのなら、命がいくつあっても足りないだろう。でもそれだけじゃなくて、彼のことが気になるのだ。さっきの寂しそうな顔、あんな顔されたら気になるじゃないか。
私は彼についていくことにした。しばらく彼は振り返らなかったけど、しばらくしたところで足を止めてため息をつく。今度は私じゃなくて自分の頭を撫でながら「何だよ」と呟くように言った。
何だよと言われましても。私は喋ることができませんので! と、頭をスリスリ押し付ける。男の人はまたため息をついた。すごーく深いため息だった。
彼はまた歩き出した。私もくじけずついていく。彼は何度か立ち止まっては、私に怪訝そうな目を向けてきた。
「シーッ」
彼の人差し指が口元に当てられる。静かにしろってことなのかな。この人、私に言葉が通じるってわかってるのかな。とりあえず言う通りにしていたら、彼が銃を撃った。その先で大きな鳥が横たわっていた。
「かしこいんだな、お前」
頭をナデナデされて私は満足だった。彼が大きな鳥を運ぶのを大変そうにしていたから、ポンとその手を叩く。運びますよ、と言ったつもりがお腹が空いていると誤解されてしまった。
「食いたいのか?」
私は首を振った。諦めず背中で鳥をつついたらようやく伝わった。
鳥を背中に乗せてさらに歩くと、お寺に到着した。彼は豪快にガラッと扉を開いた。中には男の人がたくさんいた。
「何だあ?」
すごく大きな男の人が言う。私が仁王立ちしてやっと同じくらいの高さだろうか。おでこには何かよくわからない、四角いものがついている。
「知らん。ついてきた」
「飼うつもりか?」
「そのうちどっか行くだろ」
「というかそれ、犬……ではないよな?」
「さあな、森の中にいた」
諦めたのか、話し相手は肩をすぼめて首を振った。どうせならみんなの名前が知りたいんだけどなあ、なかなか呼ばれないものだ。
仕留めた鳥を若い人に渡して彼は火鉢の前にあぐらを掻いた。私はその背中にぴたりと寄り添って丸くなる。目を閉じたら眠気が襲ってきた。
****
「お、女の子が!」
白鳥を捌いていたはずのキラウシが叫び声を上げた。幻覚でも見ているのかと無視していたら「尾形」と三人くらい声が重なった。何事かと思って振り返って、言葉を失いかける。さっきまでくっついていたはずのアイツが消え、そこには女が眠っていたのだ。しかも裸で。
尾形は素早く外套を脱いで女に被せた。咄嗟に見たのは牛山のほうだった。
「いや、いくらなんでも寝てる女に手は出さねえよ……。というか誰だ? さっきのでっかいのはどこ行った?」
「知らん。とりあえず起こすか」
尾形は女の頬をぺちっと叩いた。そして女がうっすら目を開けたかと思えば、そこには森で出会ったアイツが寝そべっていた。いきなり起こされて驚いたのか、キョロキョロと周囲を見渡している。
「信じられん……」
永倉のまっとうな言葉に次々と同意の言葉が飛ぶ。ただ全員その様を見ていたのだから、疑いようもない。確かに何度か言葉が通じているような場面はあった。しかしそれを知っているのは尾形だけである。
「お前、人間だったのか? 言葉はわかるか?」
傍から見たら狂人だ。しかしそれは目を真ん丸にして勢いよく首を縦に振った。
「はあ……どうかしてやがる」
尾形は考えるのをやめたくなった。おそらくこの場にいた全員がそうであろう。
とにかく、本人に情報の共有だけはしてやろうと思った。ところかまわず寝て女の姿になられちゃたまったもんじゃない。……まあ変な気を起こしたところでこれが目を覚ました瞬間、獣姦だ。というのはさすがに女の前では言わなかったが。
「お前、寝てたとき女の姿になってたぞ」
ぱちぱちとまばたきをする様は、知っていればなるほど人間だなと思わせられる。女……というべきなのか、それはひどく困惑しているようだった。
尾形は尾形で戸惑っていた。獣が女だったということはもちろんだが、森の中で変に話しかけてしまったことを悔いているのだ。
何か妙なことを口走らなかったか、尾形は気が気でなかった。しかしそんなことはつゆ知らず、それは尾形の膝に甘えるように乗りかかった。
「おい、離れろ」
女であるからこそ、尾形はそう言った。「ナァ」と寂しそうな鳴き声を出したって、さっきまでのようには行かない。しかし相手も引かなかった。
「懐かれているな、尾形」
他全員が困惑する中、どっしりとした笑みを浮かべているのが土方だ。早々と考えるのをやめたのか、土方はそれの背中を撫で始めた。気持ちよさそうに目を細めるそれを見て、尾形は無性に苛立った。
「おい」
「何だ? 嫉妬はみっともないぞ」
「嫉妬じゃねえ」
「全く、若いな」
尾形にはもう、舌打ちくらいしか抵抗の術が残っていなかった。
土方はなおもそれの相手をしている。
「お嬢さん、寝るときはせめて布を羽織っていてくれよ」
「ナ!」
会話する二人をよそに尾形は銃を手に立ち上がった。相手をするのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
ところがそれは後ろからついてきた。
「……何だよ」
「お嬢さんはお前さんのことが気になるようだ」
「はあ……そんなに荷物持ちがしてえかよ」
嬉しそうな鳴き声が室内に響く。にっこりと、満面の笑みを浮かべる女の姿が想像できた。
「ったく、面倒なモン拾っちまったなあ」