日の暮れた住宅街にぽつりぽつりと人工の光が灯されるなか、椿はカーテンを閉め切った部屋の隅で膝を抱えていた。そうして間もなく、ここ数カ月で嫌と言うほど聞いた音が鳴り始める。電話の着信音だ。
音から逃れようと椿はクッションに顔を埋め、目を閉じた。しかし音は一向に止まず、次第に音量が大きくなっているような気さえした。お前が部屋に居るのは分かっていると、責められているかのようだ。
椿はのろのろと音の発信源に近づいた。ディスプレイには非通知の文字。嫌な汗が滲む。椿は震える手で受話器を耳に当てた。
「……は、い」
乾ききった口の中で舌が上手く動かない。もし電話の相手が椿の予想通りであるなら、それすらも楽しんでいることだろう。
「椿に水色は似合わないよ」
テレビでよくある加工された声だ。椿が俯くと、水色のひざ丈のスカートがふわりと広がっているのが目に入り、余計に気分が悪くなる。椿は耐えきれずその場に座り込んだ。無機質な声は更に言葉を続ける。
「愛してるよ。声を聞か――
咄嗟に電話線を引き抜き、ぶつりと通話は切れた。まだ、心臓がうるさい。
椿はおぼつかない足取りでベッドに向かい、そのまま倒れ込んだ。布団を頭まで被り目を瞑っても、寝付くことができない。頭の中で何度も繰り返されるあの声。考えないようにしても、頭を支配される。
「今日の髪飾り、可愛いね」
「いつも見てるよ」
椿は音を掻き消すように頭を振ったが、いっそう声が響く。まるで無駄だと言われているかのように、ずっと。
そのまま布団の中で丸くなっていても、時間だけが過ぎていくばかりだった。時計を確認しようと、布団から少しだけ頭を出す。寸足らずのカーテンから光が差し込んでいるのに気づき、泣きたくなった。今日もまた、眠れなかったと。
寝不足とその原因に頭が痛くなる。ストーカー被害。まさかそんな目に合うと、以前の椿には予想も出来なかったことだ。どうしてこんなことになってしまったのか、許されるのなら誰かに問い詰めたい。
時刻は朝の五時。椿はため息を付き、身支度を始めた。
「なるほど、ストーカーですか」
顎の下で手を組み、険しい表情でそう言ったのは、毛利小五郎という探偵。椿は毛利探偵事務所のソファに座り、自身のストーカー被害の相談をしていた。
幾度となく難事件を解決し、“眠りの小五郎”と言う名で世に知られる名探偵。そんな彼がストーカーなどという話を相手にしてくれるのかと不安だったが、椿の予想はいい意味で裏切られた。椿の話を聞く彼はとても紳士的で、疑ったことを申し訳なく思うほどだ。困っている女性を放っておけない、と言う小五郎は、テレビや新聞で見るより親しみやすい印象を受ける。
椿がある程度の事情を話し終えると、小五郎の娘である蘭がコーヒーをテーブルに並べた。彼女に礼を言って、カップに口を付ける。外が少し肌寒かったので有難い。
「……ねえ、後をつけられたりしたことはないの?」
小五郎と一緒になって話を聞いていた、眼鏡の少年が真剣な眼差しで尋ねた。その子供らしからぬ雰囲気に椿は驚いてしまい、返答に送れる。すると、すかさず小五郎が少年を注意した。コナンというその少年は、いつも探偵の真似事をして捜査の邪魔をするのだそうだ。
「後をつけられたり、追いかけられたりしたことはないよ。もしかしたら、私が気付いてないだけかもしれないけど」
小五郎はコナンのことを無視していいと言うが、それも可哀想だと思い椿はコナンの質問に答えた。ふむとコナンは顎に手を当てる。小五郎が苦言するのもお構いなしだ。
「相手に心当たりは?」
「いえ……。知り合いとの連絡はすべて携帯ですし、どうして家の電話番号を知られているのかも……」
小五郎は頭をひねり、うーんと唸った。
「椿さん、ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか? なにか手がかりが見つかるかもしれません」
「はい、それはもちろん。むしろこちらからお願いしたいぐらいです」
ではさっそく、と立ち上がる小五郎に蘭が眉を寄せる。どうやら小五郎はこれから約束があったようだ。彼はそのことを忘れてしまっていたらしい。
「あ、あの……すみません。予定があるのに話を聞いてもらって。調査はまた後日お願いしていいでしょうか?」
迷惑にならないようにと席を立つ椿をコナンが呼び止める。
「でも、今日も電話あるかもしれないんでしょ?」
「そうね。今まで大丈夫だっただけで、今日は椿さんが襲われることだってあるかもしれないし」
コナンに続けて蘭が頷いた。困ったな、頭を掻く小五郎を見て申し訳なくなる。
「家まではタクシーで帰ります。電話は……線を抜いてしまえば大丈夫なので」
「……それがいいでしょうな。タクシーは私が呼びますので」
小五郎がポケットからスマートフォンを取り出す。何度か人差し指で画面をタップし、小五郎は何か思い出したと言わんばかりに目を見開いた。
「そうだ、安室君に頼もう!」
小五郎が携帯を耳に当てて数秒後、すぐに安室という人は電話に出た。頼みたいことがあるから来てほしいと、詳しい話もしないまま小五郎は電話を終える。彼の反応からして断られたわけではないようだが、話から置いて行かれた椿は首を傾げるばかりだ。
安室という人はすぐに事務所に到着するらしい。とは聞いていたが、本当にすぐに来た。時間にして五分弱。そんなに近くに居たのだろうかと考える暇もないまま、彼は口を開く。
「初めまして、安室透です」