この安室透という男性は小五郎の弟子らしい。到着が早かったのも、彼は事務所の下にある喫茶店でバイトをしていて、ちょうど仕事を終えたばかりだったからだそうだ。
 小五郎は椿のストーカー被害のことを安室に説明した。どうやら安室に依頼を引き継ぐつもりらしい。と、ここまで椿は置いてけぼりだったのだが、ようやく確認が入る。
「すみません。椿さんの意思も聞かないまま話を進めてしまって。安室君は私には及びませんが、優秀な弟子です。何かあってからでは遅いので、安室君に調査を頼むか、そうでなくても家まで送らせようかと思っておりますが」
「わ、私は……安室さんがご迷惑でないならお願いしたいです……」
「もちろん僕は構いません」
話は纏まった。小五郎だけでなくコナンや蘭も安室のことを信用しているようである。
「それでは毛利先生、失礼します」
「親切にして頂きありがとうございました」
 椿は安室に続き探偵事務所を出た。そのまま歩きで椿の自宅に行っても問題ない距離だったが、安室が車を停めているということなので、駐車場へ向かった。彼が鍵を開けたのは白いスポーツカー。汚れ一つ見つからないほど綺麗に磨かれている。車に詳しくない椿の感想として“高そうな車”以外のものはなかった。
 安室の車に乗り込み、シートベルトを着ける。そこまではよかったのだが、安室が運転席に座りドアを閉めると、妙な緊張が体中を走った。安室が安全な人間であることは理解しているし、ましてストーカーでもない。だが、握りしめた手にはじわりと汗が滲んでいる。――彼に伝えるべきか。しかし、気を悪くしてしまうかもしれない。椿の自宅までそう距離もないのだからと、彼女は黙っていることに決めた。
 拳を握りしめ、俯く椿の頬を冷たい風が撫でる。車の窓が開いたのだ。はっとして安室を見ると、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「すみません、配慮が足りませんでした。歩いて行きましょうか」
優しい声でそう言う彼は、すべてを察してくれたのだろうか。気を悪くした様子を全く見せない彼に椿は甘えることにした。
 自宅に向かう途中、椿は安室にストーカー被害についての質問をされた。警察へ届け出たのか、という問いに椿は頷く。その対応としてマンション周辺の見回りを強化するとのことだったが、迷惑電話は減らなかった。コナンの言う、追いかけてくるようなストーカーだったら効果はあったのかもしれないが、何も進展はないままだ。まだ実害を加えられていないため、警察は動きにくいのかもしれない。しかし行為がエスカレートする前に何とかしたかったため、椿は毛利探偵事務所を訪れたのだ。

「着きました。ここの三階です」
マンションの入り口で落ち葉を掃く管理人に椿は会釈をした。
「こんにちは、おつかれさまです」
「あ……おかえりなさい」
マンションの中に入ると、安室は階段へ続く扉を開けた。彼はそれについて何も言わなかったが、エレベーターという密室を避けてくれたのだろう。
「さっきの方は、ここの管理人ですか?」
「はい」
「そうですか」

 部屋の鍵を回し、中に入る。安室は真っ先に部屋のカーテンに着目した。
「このカーテンはいつも閉め切っているのでしょうか?」
「……はい。見られているような気がして、怖いので」
「開けてもいいですか?」
「……はい」
安室は窓の外を見て、ふむと頷く。そしてすぐにカーテンを元の状態に戻した。
 安室はそれから部屋の中を調べた。椿が飲み物でも準備しようかと冷蔵庫を開けたところで、がちゃんと音が響く。何事かと思えば、安室がテレビを置いている台に倒れ込んでいるのが見えた。椿が慌てて駆け寄る間に彼は起き上がり、神妙な顔をしてテレビのリモコンやボックスティッシュなどを元の位置に戻していた。――ただ一つ、置き時計を除いて。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ええ。それよりも椿さん、落ち着いて聞いてください」
椿がぱちりと瞬きをする。安室の言っていることを理解するのにしばらく時間が掛かった。
――この部屋は盗撮されていました。
とうさつ、と椿の唇がゆっくり動く。やがてその意味を理解して、目の前が真っ白になった。
「椿さん!」
気付けば床に座り込んでいた。それでも倒れ込みそうになる体を安室が支える。体の震えが止まらない。椿は家に居る大半をここで過ごしていたし、着替えもしていた。それもすべて見られていたということだ。カーテンを閉めたところで意味などなかった。恥ずかしさと、悔しさと、怒り。そのすべてが椿を襲う。震えを止めようと両手でそれぞれの腕を押さえてみたが、何も効果はなかった。

 しばらくして椿が顔を上げると、安室は遠慮がちに尋ねた。
「落ち着きましたか」
「……はい、すみません」
「いえ、無理もありません。……お辛いとは思いますが、話の続きをしても?」
椿は頷いた。これ以上、安室に迷惑を掛けるわけにはいかない。彼は椿の友人でも恋人でもない。仕事にここに来ているのだから、早く調査を進めないといけないのだ。
「まずカメラですが、先ほど僕が倒した時計に仕込まれていました。録音の機能はないようなので、とりあえずは大丈夫かと」
安室はそれから他の部屋にカメラが仕掛けられていないか調べた。結果、何も見つからなかったようで安心する。
「あの……警察に連絡したら、犯人は捕まるんでしょうか?」
難しいと安室は答える。犯人を逮捕するには証拠が必要で、それには盗撮のデータが最適らしい。しかし、このカメラの映像をどこに転送しているか調べている間に相手が勘付いて証拠を消す恐れがあるそうだ。
「それでも相手のパソコンなどを調査したら分かるのですが、証拠のない段階でそこまですることはできません」
「じゃあ、どうすれば……」
「簡単です。証拠を掴んでしまえばいいんですから」
安室の手のひらには黒くて小さな物体が。よくよく見るとそれにはレンズが付いている。もしかして、と言う椿に安室は頷いた。
「ええ。相手がカメラの位置を戻しに来るのを撮影してしまえばいいんです」
自信たっぷりにそう言う彼は頼もしい。だが、どこか恐ろしくも感じた。