Alone time with you has just started
真紀が成人するまであと一週間。そんなときに、赤井から連絡が来た。その内容は、真紀の誕生日に家に行ってもいいかという、簡潔なもの。メールを読んだ瞬間に、真紀は胸が締め付けられたかのような気持ちになった。彼が約束と誕生日を覚えていてくれたことは素直に嬉しい。しかし、いざそのときが来るとなると、どうしていいかわからないのだ。彼から見れば、真紀が二十歳になったからといって、大人ではないだろう。そもそも、赤井は真紀のことをどう思っているのか。好きだと言われたことなどもちろんない。もしも彼が、昔の約束を守ろうとしてくれているだけなのだとしたら。今まで考えないようにしてきたことが、一度に押し寄せてくる。
真紀も理解はしていた。幼いころの結婚の約束が有効ではないことぐらい。しかし、あのとき――真紀が十六のときだ。久しぶりに見る彼の姿はとても素敵で。冷たいように見せて本当は優しいところも変わっていなくて。真紀はもう一度、赤井のことを好きになった。だが、素直にそれを言うことができずに、昔の約束を持ち出したのだ。自分が傷つきたくないという身勝手な理由。ずるいことをしている自覚はあった。赤井が約束を覚えていないと言えば、それで終わり。それなのに、彼はちゃんと覚えていてくれたのだ。
とにかく、彼に呆れられるようなことだけは避けたい。真紀はまず、大学の友人に相談した。
「好かれてるかどうかは心配しなくてもいいんじゃない? それよりさ、ちゃんと準備しときなよ?」
「準備?」
「下着。可愛くて、新しいの」
「あ……やっぱり、するよね……」
「真紀は一人暮らしだしね……むこうも期待してるんじゃない? 真紀が嫌って言うならわからないけど、そうでもないんでしょ?」
「うん……」
彼が求めてくれたら嬉しい。そして、応えたい。上手くできないとか、恥ずかしいとか、そういった不安はあるが、するのが嫌なわけではない。怖いと言って、彼にうんざりされるのも嫌だった。
「それと、まあ……大丈夫だとは思うけど、一応ゴムも買っておいたほうがいいんじゃないかな」
「……えっ!」
「そのままされそうになったら、ちゃんと着けてって言うこと」
「う、うん……」
友人はそれだけ言って、席を立ちあがった。これからバイトがあるらしい。できることなら買い物にも付き合ってほしかったのだが、彼女は首を振った。
「そうやって悩むことができるのも今のうちだけだって。……ま、頑張ってね」
そして、当日。真紀は友人のアドバイスを忠実に守り、赤井のことを部屋で待っていた。テレビを見ても何も頭に入らないぐらい、緊張している。彼は今日も仕事らしく、ここに着くのは遅くなると言っていた。夕飯は先に済ませて、風呂にも入った。冷蔵庫には彼と食べる予定のショートケーキが二つ。しかしその先のことを想像すると、どうしようもなく恥ずかしくなる。せっかく風呂に入ったというのに、額から汗が流れ落ちた。
インターホンが鳴ると、真紀は急いで玄関の扉を開けた。赤井と目が合い、溜め息をつかれる。
「ちゃんと確認してから開けろ……」
「ごめんなさい」
心配してくれているのかと思うと、自然と頬が緩む。赤井は更に呆れたような顔をして、頭を掻いた。
「全く……」
赤井はそう言って、後ろ手で隠していた花束を真紀に渡した。真っ赤なバラがたくさん使われていて、綺麗だと思うと同時に、一体いくらするのだろうと余計なことまで考えてしまう。
両手で抱きしめるように花束を抱えると、いい香りに包まれた。しかし、これを彼が買う姿を想像すると、何だかおかしい。
「……なんだ?」
「い、いえ! ありがとうございます。……あっ、でもどうしよう」
せっかく花束をもらったというのに、この家には花瓶がない。真紀がそう言うと、赤井は笑った。
「そう慌てるな、バケツにでも入れておくといい。花瓶は明日買ってきてやる」
「わたしも! 一緒に、行きたいです……!」
赤井が頷くと、真紀は笑顔になった。バラの香りを堪能しながら、風呂場へ向かう。――しかし、すぐに真紀は足を止めた。彼が家の中に入ってこないのである。
「赤井さん……? 入らないんですか?」
「本当にいいのか? この家に俺が入るということは――」
「わ、わたし、赤井さんのこと好きです! だから……ずっと今日のことが楽しみで……」
ぎゅう、と花束を持つ手に力が入る。いつか確認しなければならなかったこと。今日を逃せば難しくなる。赤井の気持ちを聞くのは怖かった。真紀は目を瞑って、言葉を絞り出した。
「でも……赤井さんがわたしのこと好きじゃないなら、いいです。諦めます……」
目は開けられなかった。花で顔を隠すようにしていると、急に肩をつかまれた。
「きみは何を言っているんだ」
恐る恐る目を開く。至近距離にあるのは、彼の顔。驚いて足の力が抜けてしまったのだが、彼に支えられて何とか立っている。
「あ、赤井さん……花が……」
真紀と赤井の体の距離は、少しつぶれた花束の分だけ。それなりの量のバラがあるおかげで、花束は何とか形を保っている。
背中に回された彼の腕と、近くで見る強い瞳。きっと顔は真っ赤になっていることだろう。恥ずかしさのあまりに、花の心配をする振りをしてしまったのだ。
彼に支えられたまま、ゆっくりと床に腰を下ろす。赤井も真紀に腕を回したまま、合わせるように膝を折った。
「俺が何も感じていないとでも思ったか?」
「だ、だって……赤井さん、優しいから……。約束を破れないだけなのかなって……」
「俺はそんなに器用じゃない」
「でも、いっつも赤井さんは普通にしてて、わたしばっかり好きみたいで……」
「最初から、と言えば嘘になる。だが、少なくとも四年前……きみは立派な女性になっていた。あのときから、俺の中にはきみしか居ない」
涙が頬を伝うと、彼はそれをぎこちない手付きで拭った。嬉しくて、涙が止まらない。彼は何も言わず、優しく抱きしめてくれた。
それから二人でケーキを食べて、彼の持ってきたお酒を少しだけ飲んだ。赤井が用意したのは、甘くてアルコール度数の低いもの。まだ飲み慣れていない真紀に配慮してのものだった。赤井が飲んでいるのはそれとは別に彼が準備したもので、少し味見をしたいと言ったら止められた。
そして彼は今、シャワーを浴びている。壁越しに聞こえる音だけで、真紀はいろいろな想像が膨らませた。ベッドの上を転がり、ぎゅっと目を閉じる。彼が出てきたら、どうするのが正解なんだろうか。あまりガツガツしているとは思われたくないが、手を出しづらいと思われるのも嫌だ。そもそも、シャワーを終えたからといって、すぐに事が始まるものなのか。二人で会話をしているうちに、自然とそういう雰囲気になって……。そういうのも素敵だなと思う。どちらにせよ、こんな妄想をしているなんて彼に知られたら、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
ぺた、と足音がして、真紀は慌てて体を起こした。そして、彼の姿を見て息を呑む。彼は上半身裸で、まだ髪も濡れたままで。
「赤井さん……服……」
「ああ、着替えを持ってきていなくてな」
「あ……そ、そうですよね」
彼のことを直視できなくて、真紀は自身の膝を見つめた。そのままベッドの上で固まっているうちに、彼は髪を乾かし終えたらしい。こんなはずではなかったのにと、真紀の中に焦りが芽生える。
「布団は余計にあるか?」
「え……?」
「ないならタオルを貸してくれ。そのまま床に寝るのは流石に痛いからな」
「……しないんですか?」
言い終わってから、ハッとする。手を口元に持っていっても、もう遅い。はしたないと思われただろうか。泣きたい気持ちで真紀は体を丸めた。
膝に顔をうずめていると、そっと手を重ねられる。
「焦らなくていい」
ベッドのスプリングが音を立てる。すぐ隣に彼の体温を感じた。
「時間はたくさんあるんだ。もちろん気持ちは嬉しいが……そんなに怯えられていてはな」
「ごめんなさい……。でもわたし、したくないわけじゃなくて……」
「わかっている」
真紀がゆっくり顔を上げると、優しく笑みを浮かべる彼がいて、少しだけ安心した。遠慮がちに体を寄せると、頬を撫でられる。彼の手はそのまま真紀の輪郭をなぞり、最後に軽くキスをされた。
「まずはこれに慣れることだな」
意地悪く笑う彼も素敵だった。彼に唇を寄せられたところに手を当てて、ぼーっとしていると、彼はベッドから離れて行く。そう言えば、彼は床で寝ると言っていた。真紀は咄嗟に赤井の腕を掴んで言った。
「早く慣れたいから、一緒に寝てください!」
「……俺は試されているのか?」
「べつに、襲ってくれてもいいですけど……」
彼は大きな溜め息を付いて、ベッドに上がった。狭い中で、彼に力強く抱きしめられる。緊張していたはずなのに、その日は何故かぐっすりと眠ることができた。
しかし翌日。眠たそうにする彼を見て、真紀は申し訳ない気持ちになるのだった。
二人の時間は始まったばかりだ