透明の壁を壊して9

 千空くんへのサプライズは無事成功した。千空くんは司くんと戦うときのための物見やぐらにちょうどいいと言っていたけど、本当は感動してたんじゃないかと思う。こんな大がかりなプレゼント、私だったら嬉しくて泣いてしまいそうだ。
 みんなで一通り星を眺めたあとは、夜も更けてきたため解散となった。集めてきたタングステン確認のためには夜明け前に起きなければならない。ラボに戻って早めに寝なければ。
「おい」と千空くんが言う。まさか自分に向けられた言葉だとは思わなくて、私はハシゴに手をかけた。
「名前」
「え、あ、私?」
「せっかく二階部屋になったっつーわけだ。今日からはこっちで寝るか?」
「……私はラボでいいよ! だってここで寝てたら千空くんが星見れないし」
「毎日毎日星眺めるほどロマンチストじゃねーよ」
でも、なんだかなあと思う。せっかく千空くんのために作った天文台だ。使っていいと言ってくれるのは嬉しいけど、ここで寝泊りすることになったら実質私の部屋ということになってしまうような。
「ラボで寝るのも慣れちゃったし、すぐ下に人がいるってのも落ち着かないかな~」
嘘ではない。千空くんも「そんなもんか」と納得してくれたので、内心ほっとする。私は今度こそハシゴを下りた。下の倉庫ではあさぎりさんが寝床の準備をしていて、ひらひらと手を振られる。
「おやすみ~名前ちゃん」
「おやすみなさい。千空くん、喜んでくれてよかったですよね」
「や、あれはゴイスー合理的な観点だったけどね。まあ、望遠鏡がちゃんと機能してたのはよかったかな」
「はい。……じゃあ、また明日」
倉庫を出ると、外にはカゴいっぱいの鉱石が置かれていた。今はただの黒い石にしか見えない。明日、夜明けの光でこの石が蒼く光ればいいという話だ。きっと……絶対にタングステンだ。それで千空くんがちゃっちゃと携帯を作ってしまって、司くんたちとの戦いが終わってしまえばいい。司くんは今、どうしているのだろう。まだ石像を壊しているのだろうか。誰も反対していないのかな。やめてって言いもせずに逃げた私が考えていいことじゃないかもしれないけど、願ってしまう。誰かが司くんを止めてくれたらいいのにって。我ながら甘っちょろい考え方をしているとは思う。
 ぼんやり先のことを考えていたら、思いのほか時間が経っていたらしい。ハシゴの上から呼ばれて見上げると、あさぎりさんがひょっこり顔を覗かせていた。
「名前ちゃん、戻らないの? やっぱこっちで寝る?」
「あ……いえ、すみません。ぼーっとしてました。すぐ帰ります」
「も~、しょうがないな」
驚くことにあさぎりさんはハシゴを下りてきた。嬉しいという気持ちが全くないわけじゃなかったけど、どちらかと言えば申し訳ない。明日も早いのに、なんて無駄なことをさせてしまっているのだろう。
「ラボまで一緒行くよ~」
「あ、ああああ……待ってください」
断ろうと思ったのに、あさぎりさんはずんずんと先を歩いて行く。追いついた私にあさぎりさんは「で?」と言った。
「……えっと、すみませんでした」
「じゃなくて、何か考えごとでもしてた?」
何というお見通し。してたでしょ、というニュアンスがひしひしと伝わってくる。こういうことをあさぎりさん相手に誤魔化すのは無理だ。司くんのことだと正直に答えると、あさぎりさんの表情がかすかに険しくなる。
「司ちゃんのこと?」
「はい。ケータイができたらいよいよなのかなって。それで、えっと……司くんはどうしてるのかな~と」
「打倒千空ちゃんで強そうな人バンバン復活させてんじゃないかな~」
「そうですよね、戦うんですもんね」
あさぎりさんはラボの入口のカーテンを開けた。無言で見られて、私も無言でラボの中に入る。
「……ありがとうございました」
「不安?」
こんな直球で聞いてくるものかと少し驚いた。司くんのことを考えていたはずなのに、あさぎりさんがいつもみたいに笑っていないことが気になってしまう。
「……少し」
何が不安なのかと考える。負けること? 殺されるかもしれないこと? 間違ってはないと思うけど、そこじゃない気もする。
「でも、戦うのやめて逃げようとか、そういうことが言いたいわけじゃなくて……」
「うん」
あさぎりさんはラボの中に入ってきて腰を下ろした。丸めて壁に立てかけていた毛布を渡そうとしたが、彼は首を振る。
「上手く言えません。というか、自分でもよくわかっていないような感じで」
「そっか。眠れそう?」
「はい。それはもう……クタクタなので」
「あはは、だよね~。俺がドイヒー作業、追加しちゃったんだもん」
「……そういう意味で言ったんじゃないのに」
 パン、とあさぎりさんは手を叩く。毛布広げて、横になって、と急かされて、私は子供みたいに寝かしつけられた。
 あさぎりさんがラボから出て行くのを横になったまま見送り、そのまま目を閉じる。ごろんと寝返りを打ったら床が冷たくて、もとの位置に戻った。

 タングステンかもしれない黒い石は正真正銘タングステンだった。さっそく真空管づくりの続きに手をつけた千空くんに、珍しく私は指名された。正確に言うと、私とあさぎりさんだ。石神村の人たちより科学がわかるだろうという理由だったが、千空くんについていける自信は正直ない。千空くんが簡易的な説明をしてくれたのに、あさぎりさんが「焼いてハチミツ!」と言ったせいでそれ以外の部分が全部吹っ飛んでしまった。
 とにかく、この不純物だらけの石からタングステンを取り出し、ペースト状にする必要があるみたいだ。通称「タングステン歯磨き粉」づくり。マグマさんが粉々にしてくれた石をラボの机に広げて、作業開始だ。
「えーっと、最初は水酸化ナトリウムで煮る……だったよね?」
「おー、合ってるぞ」
「……塩酸と混ぜる以外の用途あるんだね~当たり前だけど」
「あ、俺もそれなら知ってる! 中和!」
中学生レベルの理科の感想を言う私にあさぎりさんが乗ってくる。千空くんは頭をガシガシ掻いて、呆れ顔をした。
「こりゃクロムのほうが百億倍マシか……」
「や~、誰が来てもリームーでしょ千空ちゃん以外。ねえ?」
「はい……」
千空くんはとうとうため息をついてしまった。しかし、作業から解放する気はないらしい。的確な指示をその都度くれるから、私もあさぎりさんもわからないなりに仕事をしている感じはあった。ただ本当にわからない。一日中続けても終わらない作業はついに徹夜コースになってしまって、たぶんとっくに日付は変わっている。
「ねえ、千空くん」
「何だ?」
千空くんの目はギラギラしている。科学的な作業をしているときは大抵いつもこの顔だ。楽しいのだろうというのはわかる。しかし、どこまでも突き進んでしまうような危うさもあった。
「寝ないと作業効率落ちて非、合理的って言ってたよね」
「あ゛? そんなん言ったか?」
そう言った千空くんは、とぼけているようにも寝ぼけているようにも見えなかった。私はあさぎりさんを見る。彼は目を泳がせた。眠気でぼやぼやしている頭でも瞬時に私は理解した。私が裁縫で徹夜したときに言ってくれたあれ、千空くんの意見という部分は嘘だったのだ。そこで嘘つく必要はないような気もするけど、あさぎりさんの焦った表情はなんだか面白い。もちろん私は騙されたなんて思ってないし、何ならちょっと嬉しかった。
 私たちの様子を見て千空くんは何か勘付いたらしい。じとりとした目であさぎりさんを見ている。
「テメーがまた何か言ってんのかメンタリスト」
「あ、いや~……俺個人の意見っていうより千空ちゃんが言ってたことにしたほうが説得力あるかな~的な?」
「……それは一理あるかも?」
「それはそれでドイヒー! 名前ちゃん、ちょっとは俺の言うことも信用してね?」
「だって素直に言わないから」
「ククク、言われてんぞ」
「あ~、もう! ってか俺たちちょっとハイになっちゃってない? 休憩、いったん休憩!」
パンパン、とあさぎりさんが手を叩いて強制的に作業を中断させられる。三人とも壁によりかかって座ったわけだが、気を抜くと寝てしまいそうだった。
「あの……何かしてないと眠ってしまいそうなので、休憩よりも作業続行のほうがありがたいかも」
「じゃあ仮眠とる? 二時間ぐらい寝たら再開って感じで……いや完全にフラグじゃんこれ」
「んなもん交代で寝りゃいいだろ。ひと工程終わったら起こす。っつーわけで名前」
ん、と千空くんが顎をしゃくる。
「え、私からでいいの?」
千空くんとあさぎりさんをそれぞれ見る。二人ともいいと言ってくれるけど……。いいのかな、という私の戸惑いをあさぎりさんは別の方向に受け取ったみたいだった。
「名前ちゃんここだと寝づらいんじゃない? 音うるさいかもだし、男二人いるし」
「音は大丈夫です。あと、三人いるから全然それも……」
「ってことだ。さっさと寝ろ~」
千空くんが立ち上がって作業を再開するから、いよいよ私は寝るしかなくなった。毛布にくるまって、顔が見られないように壁側を向いて寝転がる。
 私としてはちょっと瞬きするぐらいの感覚だったのに、気付けば私はあさぎりさんに覗き込まれていた。
「おはよ。起きれそう?」
「あ……はい」
早い。どのぐらい寝てたのかわからないけど、めちゃくちゃ早い。本当に寝たのか疑わしかったが、起きてみると頭が案外すっきりしている。私は毛布をあさぎりさんに渡して作業台の前に立った。
「眠れたか?」
「うん。もう全然記憶ないっていうか、一瞬だった。千空くんは大丈夫?」
「ああ。で、さっそくだが次はこれだ」
机の上に置かれたガラスケースには白い結晶のようなものが入っていた。私は千空くんに言われた道具を棚から出して、もとの位置に戻して、と助手のように動く。寝ているあさぎりさんをなるべく視界に入れないようにしつつ、けれどやっぱり少しは気になってしまう。
「そういやテメー、なんでゲンと一緒にいたんだ?」
千空くんは手を動かしながら小声で言った。当然、目線は手元に向けられたままである。
「……えーと偶然? 千空くんもそういう話するんだ」
「しちゃ悪ぃかよ」
「ううん。最初に会ったときも聞かれなかったから興味ないのかと思って」
「あー、そうだったな」
「……こんな喋ってて大丈夫かな」
私はあさぎりさんをチラリと見る。私と同じように壁に向かって丸くなっていて、動く気配はない。
「平気だろ。さっきもわりとくっちゃべってたぞ」
「そうだったんだ」
「他人と喋るっつーのは眠気覚ましにゃ効率いいんだよ」
「それはわかるー……」
もしひとりだったら寝落ちして危険な薬品を落としてしまいそうだ。千空くんもそういう意味でひとりで作業をしないのかなと思ったけど、千空くんに限ってそれはないかなと考え直す。だとしたら私たちに気を遣ってくれてるのかもしれない。……あ、話がズレたな。
「なんかね、人違いで起こされたっぽくて私。それで司くんとは思想の不一致みたいな感じで出て行ったんだよね~」
「なかなかの行動力じゃねえか」
「たぶんあのままだったら死んでたと思う。それであさぎりさんが見つけてくれて、一緒に行こうって言ってくれて」
「ほーん、お優しいこった」
「うん……。っていうかこの話やめない? 本人の前だとちょっと……」
私はさっきからあさぎりさんが起きていないかということばかりが気になっている。千空くんは相変わらず作業を続けているが、もはや私という助手の存在価値がわからない。
「さっきはテメーの話してたぞ」
「え!」
私は慌てて口を押さえた。……大丈夫、あさぎりさんの反応はない。千空くんはいつの間にかにやりと笑って私を見ていた。
「……どんな話? ……あ、悪口だったらいいです」
「んなわけねえだろ。あー何つってた? 俺にももうちょい砕けた話しかたしてくれていいのに……だったか?」
千空くんはあさぎりさんを見ながら言った。私は口元を押さえたまま心臓をバクバク鳴らしていた。
「マジで寝てるっぽいな」
「……あ、もしかして今のって冗談?」
「ククク、悪ぃな」
「なんだ~びっくりした」
と言いつつ、私は内心焦っていた。千空くんも人が悪い。こういう冗談を言うイメージじゃなかったけど、私が勝手に勘違いしていたのだろう。
 なんやかんや千空くん頼りでひと工程が終わった。千空くんは次の作業の準備までしてくれている。次が千空くん抜きになるので仕方ないのかもしれない。情けないことではあるが。
 千空くんが準備したのは理科の教科書で見たことのあるような装置だった。次は加熱らしい。試験管のような形のガラスが横向きに固定されていて、すごくそれっぽい。
 千空くんはあさぎりさんをやや乱暴に起こした。あさぎりさんは目をゴシゴシと擦りながらあくびをする。
「うわ……ジーマーで一瞬だった」
「嘘つけ」
「……」
千空くんとあさぎりさんの間には妙な沈黙があった。千空くんは毛布を受け取ると、私たちとは反対に壁に背を向けて横になった。
「電気通せばあとは勝手に分解される。ガラスのクチについた液体にはぜってー触んじゃねーぞ」
「どのくらいやればいいの?」
「液体が発生しなくなったら起こせ」
「了解~、おやすみ千空ちゃん」

 私たちは二人並んで静かに試験管の中を見つめた。加熱している部分から蒸気が発生し、ぽたぽたと水滴がガラスのクチに落ちてくる。溜まった水は別の容器に落ちるようになっていて、本当に見ているだけでいいみたいだ。
 ポキ、とあさぎりさんが首の骨を鳴らした。
「さっきまではさ~、ほんと何してるかわかんなかったけど、一気に理科の実験っぽい感じになったね。なんか中学生に戻ったみたい」
「あさぎりくんサボんないでちゃんとやって~」
「同級生っぽい感じバイヤー……」
ふふ、と笑い声が漏れた。たぶん私たち二人とも深夜のテンションだ。
「あさぎりくんって呼ばれてた?」
「ん~……幻くんとか呼び捨てのほうが多かったかも? あーでも女子は浅霧くんと半々」
「……今更だけど本名だったんだ」
「え~ネットで調べたらすぐ出てきたのにドイヒー」
「だって……」
べつにそのときは興味なかった。というのは本当だが、こう何度も本人の前で言ってしまうのも失礼な話だ。彼は特に気にもしてないみたいな顔で、何度目かのあくびを噛み殺している。
「げ……、ゲンくん、と同じクラスだったら楽しそう……」
言ったあと、私は彼の顔を見れなくなってしまった。かあっと熱が頬に集まってきて、ただ下の名を読んだだけなのに恥ずかしい。「だね~」と言った彼の声は、普段通りだ。
「……っていうかさー」
彼は千空くんのとなりまで行って、千空くんの体を揺すった。
「千空ちゃん、冗談下手すぎ。バレてるじゃん……」
「あ゛? テメーが狸寝入りしてっからだろ」
「あーもう、全部言わなくていいから」
「うるせーぞ。で、終わったのか?」
「終わったよ!」
ハッとして私は試験管の中を見る。蒸気はとっくに枯れていたみたいだ。
 最後の仕上げとして千空くんがハチミツを混ぜ、丸一日かけたタングステン歯磨き粉づくりは終わった。空はすでに少し明るくなっている。ちょうどクロムくんチームの加熱装置も出来上がっていたみたいで、タングステンフィラメントは無事完成。あとはガラスで真空管の本体を作り、プラスチックで携帯の本体部分、金の電線を作れば携帯電話が完成するそうだ。思っていたよりもまだ時間がかかりそうで、私は少し安心していた。携帯が出来上がるまでになんとか覚悟を決めなければならない。
 私たちは散らかったラボの片付けをして、いったん解散して寝ることにした。
「じゃ、また昼ごろ集合かな? ちゃんと休んでね、名前ちゃん」
「あさぎりさんこそさっき寝てなかったって……」
「え、そこ掘り返しちゃう?」
あさぎりさんはへらりとした顔で首をかしげた。けど、そのあとスッと目を細めて言うのだ。
「さっきみたいに呼んでよ」
「あ……、ゲンくん」
あさぎりさん……ゲンくんはにこりと笑ってラボを出て行った。
 ……なに今の。耳がぞくっとした。

***

 タングステン歯磨き粉の作成中、交代制で仮眠をとることになり、まずは名前が寝ることになった。
 初めは静かに作業をしていた千空とゲンだが、ふと千空が口を開く。
「テメーはなんで名前と一緒にいたんだ?」
「え~……成り行き? こっち来る途中で偶然会っただけだよ」
「妙に気にかけてるじゃねえか」
「……ちょ、起きちゃったらどうすんの?」
「ぐっすりじゃねえか。テメーもそんぐらいわかってるだろ」
「や、そうだけどさ~……」
「名前もテメーには特に心許してるっぽいじゃねーか」
「いや、俺としてはむしろ壁感じるけど?」
「あ゛? なんでだよ」
「俺はさ~、こう……みんなのお兄さん役的な自覚はあるんだけど」
「急になに言い出してやがる」
「名前ちゃんが俺のこと年上として敬ってくれてるのは嬉しいけど~みたいな」
「あーはいはい、敬ってなくて悪かったな」
「そういう意味じゃなくて~……」
「交代だ、名前起こせ」
「え、もう? 俺なにもしてなくない?」
「ほんとにな」