透明の壁を壊して10
なんと石神村に暖炉ができた。寒い冬しか経験したことのない村のみんなは大喜び。石炭の燃えカスが欲しいだけだと千空くんはどうでもよさそうに言っていたけど、この感じにもみんな慣れてしまっている。科学ってすごい、というのが村の大多数の意見になっていた。
私は千空くんに呼ばれて天文台のハシゴを上った。そしたら床にドン、と大きな白っぽい布みたいなものが置いてあった。
「これ何?」
「亜鉛をうっすく伸ばしたシートみたいなもんだ」
「あ、布じゃなくて金属なんだ」
「おー。で、こいつを手のひらサイズぐらいの正方形に切る」
千空くんはシートにナイフを入れた。つるっと切れてなんだか気持ちよさそう。
「これ見本な」
「……えっと」
渡された正方形のシートに対して、床に広げられているシートが大きすぎる。床に入りきっていなくて、反物みたいにくるくると巻かれているのだ。
「いくつ作ればいいのかな~……」
「察しがいいじゃねえか。とりま八百と予備がちょい」
「は!?」
「八百な」
千空くんがそれだけ言ってハシゴを下りようとするのでさすがに引き留めた。千空くんは面倒くさそうな顔で私を見上げたけど、ここで負けるわけにはいかない。
「なにかこう、効率的な方法はないでしょうか……」
「ああ、多少いびつでも構わねえから重ねて切っていいぞ」
「……それならなんとか」
静かになった部屋で私は鉄の定規っぽいものとナイフを手に作業に取り掛かった。とりあえず三枚重ねで切ってみたが、問題なさそうだ。しかし五枚で試したところ、一番下が綺麗に切れていない。微妙にくっついている。
三枚が最適というのがわかったところで私はまず、大きめの正方形をひたすら作った。それから三枚に重ねて切る作戦だ。
大きめの正方形を作る作業はすぐに終わった。しかし次に問題が。床の木目に対して垂直に切ろうとすると、ナイフが引っかかってしまうのだ。我慢して作業を続けるか、下敷き的な何かを探すか。いっそ外で……いやいや、雪が積もっている。
こっそり望遠鏡を使わせてもらって、みんなの様子をうかがう。よさそうな道具があれば借りてこようと思ったけど、床に敷けそうなほど大きなものは見当たらない。まあ時間の無駄かなと思って私は作業を再開させた。
三枚重ねを五セットほど切り終えたところで千空くんが顔を出した。すぐにでもシートが欲しいみたいで、出来上がったぶんを取りに来たらしい。
「千空くん、これって亜鉛の予備ある? 木目に引っかかって切りづらいから下に何枚か重ねたいな~って」
「あー……そうか。予備はアホほどあるから使っていい。次までには下敷き的なモン作っとく」
「……え、次って何?」
「……。そのペースじゃあと一時間もありゃ終わるだろ。終わったらこの箱に入れて下まで持ってこい」
「いや、だから次って……」
千空くんは逃げるようにハシゴを下りて行った。この地味作業、また近いうちに必要になるみたいだ。八百も作ってまだ足りないってどういうことだろう。そもそも何に使うのかも聞いてないし。
亜鉛の下敷きは思ったよりもよくて、作業ペースはかなり速まった。時計がないからわからないけど、たぶん一時間も経っていない。言われた通り亜鉛のシートを箱に詰め、ハシゴを下りる。ラボにいた千空くんに声を掛けると、村まで持っていくよう指示された。
橋を渡ってすぐ左の家。入口に近づくと変な歌が聞こえてきた。乾電マンガンさんざんマンガン? え、ここ入んなきゃいけないの? 足が完全に止まる。歌の声がゲンくんじゃなきゃ、亜鉛を外に置いて帰っていたかもしれない。
家の中ではゲンくんとルリさんが作業をしていた。謎の小さな塊がたくさん積んである。私がやっていた亜鉛シートづくりよりも何倍も辛そうだ。それであの歌なのだろう。
「おつかれさま~。千空くんに頼まれて来たんだけど……」
「え、助っ人!? ジーマーで助か……」
ゲンくんは私が持ってきた箱の中を見て固まった。ひと言「海苔」と言って、すーっと悟ったような顔をする。
「あの、ルリさん……これは?」
「ええと、おにぎりのマンガンを亜鉛の海苔で包んで、具に炭を入れたらマンガン電池の完成? みたいです。全部で八百個」
ああ、そういうことか。私が追加の亜鉛を持ってきたから終わりが遠く見えてしまったんだろう。
「追加持ってきちゃってすみません。たぶん私も合流していいってことだと思うので……」
私はルリさんの隣に座って電池の材料を分けてもらった。ひとりノルマ二百ほどで終わりそうだ。
ぴたりと動きを止めていたゲンくんだが、いつのまにか作業を再開させている。見た感じ、一つ一つの作業はそんなに難しくなさそうだ。ただ、数に問題があるだけで。
「もしかして名前ちゃん、これずっと切ってたの?」
ひらひらと亜鉛のシートを揺らすゲンくんは苦笑いを浮かべている。
「いやまあ、勝手にこのサイズになるとは思ってなかったけど……地味作業も地味作業に支えられてんのね」
「私のはそんなにだよ。千空くんがナイフと定規みたいなの貸してくれたし。あとたまに望遠鏡覗いて遊んでた」
「名前ちゃんが自主的に休憩とる子に育ってくれてよかった~」
「親?」
「せめてお兄ちゃんって言ってよ」
あはは、と笑っているうちに一つ完成。これを二百かあと思っていたところに、千空くんの発言が頭をよぎる。「次」確かに彼はそう言った。もしかしたらまたマンガン電池が必要になることがあるのかもしれない。というかほぼ確定でそうなんだろうけど、私は二人にそれを伝えることはできなかった。
「次」の回収は思ったよりも早かった。完成した携帯電話を前に、どうやって声の電波をキャッチするのかとコハクが聞いたのだ。うっかりしてました、みたいな顔で千空くんは言う。
「いっけね、もう一台必要だったわ」
「てか敢えて黙ってたでしょそれ。最初から二台って言うとみんな心折れるから……」
ゲンくんに全面的に同意。千空くんは確信犯だ。しかしそれが合理的だと言われればそう、その通り。今もがっくりとするみんなを鼓舞するためか、携帯一台のみでの使い道を示してくれる。コードを伸ばすことができる範囲でなら普通の固定電話として使えるというのだ。
さっそく千空くんは天文台と村の一番奥にあるルリさんの住まいを電話で繋いだ。声が届けば成功。自信を持って二台目の携帯づくりに取り掛かれるというわけだ。
ルリさんへ声を届ける役目はクロムくんに任された。二人の間に漂う両想いオーラは、村のほぼ全員が気付いている。しかし当のクロムくんだけが自覚していない。おせっかい心が働いたのか、銀狼くんが「本当の想い伝えちゃいなよ」と目をキラキラさせながら言う。
しかし、さすがクロムくん。クロムくんが説いたのは科学の素晴らしさだった。まあそうだよね、という雰囲気の中、今度はむこうから千空くんの声が聞こえてきた。
「今すぐ墓地に集合だ!」
千空くんのお父さんである石神百夜さん。その方の墓標である石をコハクが素早く砕く。なぜこんなことをしているかというと、石神村に伝わる百物語その十四の存在だ。スピーカーというおしゃべり大好きな蜂が、墓石に針を刺すと死者の声をしゃべることができるというもの。電話を見てルリさんはその話をみんなに聞かせたそうだ。それで百夜さんの墓標が怪しいとなったらしい。
千空くんの考え通り、墓標の中には分厚い円状のものが入っていた。
「アルミホイルのガードか……塩酸で洗えば……」
千空くんが銀色の物体を塩酸に浸す。すると煙を上げながら表面が溶けていった。現れたのは中心に穴の開いたガラスの円盤だった。
「円盤、スピーカー、針でおしゃべり。クククなんか思い出すもんねえか?」
千空くんは明らかに私とゲンくんを見ていた。ゲンくんは私よりも早くピンときたらしい。千空くんからガラスを受け取ったゲンくんは、まじまじとその表面を見つめて言った。
「レコード!」
「ああ、その円盤に俺の親父たちの声が入ってる。わざわざそんなことまでしてんだ、唆らねえ内容だったらブチ殺すぞあの親父!」
私たちは大急ぎで村まで戻ってレコードを骨の針で再生した。レコードには百夜さんの声と、アメリカの人気歌手のリリアンの歌声が記録されていた。村のみんなは聞いたことのない歌に感動して、私は懐かしさに思いを馳せていた。
リリアンの歌でみんなの士気が向上。結果的に二台目の携帯づくりは上手く行きそうだった。
あれ以来、村では歌を口ずさむ人が増えた。子供たちはべつの歌も聞きたいと言うし、私も覚えている限りで対応した。だが、あまりにもうろ覚え。教育番組で流れているような歌をさらっと歌えたらよかったんだけど、サビだけとかよくて一番だけとか、そんな感じなのだ。それでも子供たちが喜んでくれたからよかったけど。
私は恒例の亜鉛シートを切っていた。携帯の胴体部分はプラスチック製、それを利用して千空くんが下敷きを作ってくれたので今回はスイスイだ。
「それ聞いたことある~。誰の歌だっけ?」
「えっ……ゲンくん、びっくりした……。えーと、誰の歌かはわかんない。テレビで流れてた」
「わかんないんだ」
いつの間にかハシゴを上ってきていたらしい、ゲンくんは私のすぐ隣に座っていた。歌いながらなのに集中していてというのは妙な気もするが、とにかく全く気付かなかった。
「どうしたの? もしかしてもう足りなくなった?」
「そ、今回は科学技術チームがパパッと作業終わっちゃって人回してくれてるからさ」
「二台目、意外とすぐ完成しそうだね」
「そーなの。俺も地味にマンガン電池のプロだし……ってことでこれ持ってくね」
ゲンくんは亜鉛シートの入った箱を抱えて立ち上がった。私も負けないようにと亜鉛にナイフを入れる。
「名前ちゃん、大丈夫?」
「え……?」
ハシゴに手をかけたゲンくんが、私をじっと見下ろしている。
大丈夫って何が、と聞かなくても私はなんとなくわかってしまった。きっとあの夜のことだ。司くんのことを考えてボーッとしてたって言って、ゲンくんがラボまで送ってくれたあの夜。
正直なところ、あまり考えないようにしていた。だから大丈夫かどうかはわからない。覚悟を決めるはずが、考えないまま時間だけが過ぎていた。このまま戦いが始まって、気付いたら何もかも終わっているんじゃないかとさえ思えた。ゲンくんはあのときからずっと気にかけてくれていたのだろうか。
「……戦いがもうすぐだねって意味なら大丈夫。合ってる?」
「うん。合ってる……合ってるけど俺ダメダメじゃん」
ゲンくんは大きなため息をついた。
「大丈夫って聞いたら大丈夫って返ってくるって決まってるのにね~」
「でも、本当に大丈夫なのかもしれないよ?」
「それ大丈夫じゃないって受け取るけどいい?」
「うーん……。やっぱメンタリストには勝てないね」
「いや、今のは俺じゃなくてもわかるって」
ゲンくんはハシゴの近くまで行っていたのに、私の隣まで戻ってきた。「大丈夫」わざわざ腰を下ろして私と目線を合わせて、はっきりと言った。
「俺いい作戦思いついちゃったんだ~。千空ちゃんのお墨付き! だから安心しててよ。司ちゃん帝国、無血開城してみせるから」
「そうなの? すごいね、どんな作戦?」
「内緒」
てっきりどんな作戦か教えてくれるのかと思っていたからびっくりした。ゲンくんのこの感じ、なんだか久しぶりだ。
「私が知ってたら失敗しちゃうやつ?」
「ま~はっきりとは言えないけどそんなとこかな? ってことで、俺は戻るね~」
ゲンくんはこれ以上ないくらいの笑みを浮かべていた。今の、あさぎりゲンだったなあと思う。ゲンくんが言っていたことはたぶん何割かは本当で、いい作戦があるというのも嘘じゃないのだろう。嘘ならあの夜すぐにそう言えばよかったのだ。だからゲンくんの言うことは信じるけど、別の不安が生まれてしまった。嘘までついて隠さなきゃいけない作戦ってどんな内容なんだろう。しかもそれを千空くんは知っていて、私は教えてもらえない。頼りにされるほどの能力がないのは自覚しているけど、いざ実感するとけっこう来ちゃうな~と。
気付けば私はナイフをけっこうな力で握りしめていた。