ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールドの初恋03
(ゼノ君ってこんなだったっけ)
なまえは困惑していた。久しぶりに会った友人……とも言えるかどうかわからないような関係の彼が、なまえの記憶とは大いに違っていたのだ。
小さいころのゼノは、もう少しわかりづらかった。ツンとしているように見えて、だけど話してみると優しさが伝わってくる。あのとき声を掛けてもらえなかったら、彼のことを誤解したままだっただろう。
数カ月前にテレビで見たゼノは、小さいときのゼノがそのまま大人になったような雰囲気だった。だけど実際に会ってみると違う。全体的にやわらかくなっていた。一般的に、人は大人になると丸くなるというから、彼もそうなのだと思った。しかしそれだけでは説明できないこともある。
「なまえ、おはよう」
「おはようゼノ君」
「その……」
「どうしたの?」
「いや、すまない。もう少し頭の中で整理がついてから話すよ」
「そう? わかった」
このようなやり取りが何度かあった。ゼノはいつも理論整然としていて、言葉を濁したりするようなことはあまりない。何かよほど言いづらいことでもあるのか。しかし彼が待ってほしいと言っているのだから、なまえは追及したりはしなかった。
そうして数週間も経てば、自分に向けられる表情が他とは違うことがわかってくる。チーム内の人から、ゼノと仲がいいのかと聞かれたこともあった。どう答えるのが正解かわからず「学生のときの知り合いで」と、確信に触れないような回答しかできない。
なまえは一人の研究室で、設計図に目を通しながらため息をついた。
日を跨ぐことにゼノの存在が大きくなっていくのを感じている。もうゼノと再会して二カ月は経っていた。しかしゼノは一向に頭の整理がつかないのか、あの話の続きはまだ聞けていない。
(なんでこんなに意識しちゃうんだろ)
明らかに特別な視線を向けられている。待てと言われたから待っている。だけど何もない。
(これで本当に何もなかったらショック)
そう考えたところでハッとする。両手を頬に当てるとずいぶん熱い。
(うそ、どうしよう)
子どもだと思っていた。でも今は大人で、というか年上だ。知り合いもほとんどいない中で彼の存在がどれほどありがたかったことか。覚えてくれていたことが嬉しかった。仕事のことにも気を使ってくれて、頼りになって……。それから、ゼノのあの態度が自分の勘違いじゃなければいいなと思っている。
「どうかしたのかい?」
「えっ、あ……ゼノ君。……なんでもないよ」
いつのまに入ってきていたのだろう。ドアが開いたことにも気づかないなんてよっぽどだ。
ゼノはなまえが設計のことで悩んでいると思ったのか、設計図を横から覗き込んできた。
(ち……近い!)
なまえは椅子をずらして少し距離を取った。別に不自然な行動ではないはずだ。しかしこれでは自分ばかりが意識しているようで、なんとなく面白くない。
「僕が見た限り、特に問題ないように思うが……」
設計図を見ていたゼノの視線がなまえのほうに向く。なまえはゼノのことばかりを見ていたから、目が合うのは必然だった。
ゼノの目が大きく見開かれて、勢いよく逸らされる。
「すまない」
最初は何に謝っているのかわからなかったが、ゼノが離れたのを見て、近すぎたことに対する謝罪なのだとわかった。
ゼノの顔が真っ赤になっている。だけどそれ以上に自分の顔のほうが赤いんじゃないかと思う。沈黙が流れるのが気まずくて、なまえは口を開いた。
「そういえば、何か用だった?」
「いや、その……」
ゼノの口ぶりから仕事の話でないことはすぐにわかった。仕事の話であればゼノは冷静に、そして端的に話す。なまえは期待した。じっとゼノを見つめて、それが彼の後押しになればいいと思った。
「……っ、このあと食事でもどうかな」
「行きたい!」
返事はやや食い気味であった。しかも案外大きな声を出してしまって、静かな室内にやたら響く。デスクの設計書を束ねて何とか誤魔化そうとした。
「ちょうど片づけようと思ってたところなの。ゼノ君はもう上がり?」
「ああ、ここで待たせてもらっていいかい?」
「もちろん」
ゼノを待たせるわけにはいかないと、急いで片づけをしてカバンを肩に引っ掛ける。ゼノはくすりと笑ってカバンを指差した。
「中身が落ちそうだ」
「……あ、ほんと!」
さっきから恥ずかしいことばかりだ。開きっぱなしだったカバンのファスナーを閉めるとゼノはドアを開けてくれた。
「あのときも慌てていたんだろうね」
「……うん?」
「いや、何でもないよ」
「えー、気になる」
「なに、初めて会ったときもカバンが開きっぱなしだったというだけさ」
「な!」
「いつもなのかと思ったけど、それから一度もなかったから指摘することもないと思ってね。あの日は何か慌てるようなことがあったのかな」
「……覚えてないよ。っていうかゼノ君も早く忘れて恥ずかしいじゃん」
「わかった、努力しよう」
ニヤニヤしながら言われても。しかしゼノはすぐにフッと真顔になって、しばらく沈黙した。
「ゼノ君、どうし「多分、君のことが好きなんだと思う」
「え」
まだ店にすら着いていないのにどうしたというのだろう。嬉しいのはあるが、どちらかと言えば困惑のほうが大きかった。
「ああ、すまない。多分と言ったのは今まで人を好きになった経験がないから断定するのを避けただけで、ほとんど確信に近いところまではいっているんだが」
いやそうじゃない。なまえはゼノに突っ込みを入れたかったがゼノの勢いが止まらない。
「実を言うと、君のことを食事に誘ったらどうかというのもスタンリーの助言なんだ。情けない話ではあるがね。だがその後どうすればいいかまでは聞いていなかった」
だからって店に着く前に本題に入ることがあるだろうか。何ならまだ職場を出てすらいない。ここまで二カ月もかかったかと思えば、その後がまるでジェットコースターのようだ。
「どうだろう。君にその気がなければ食事もやめておこうか」
「えっと、」
何はともあれ、なまえに断る理由は一つもない。ふと見上げれば、ゼノの真剣な眼差しに刺されたような心地になる。
「……行きます」
「そうか、よかった」
いろいろ言いたいことはあった気がするが、ゼノの笑顔を見たらどうでもよくなってしまった。
なまえは嬉しくなってゼノの手を取った。するとゼノが目に見えて慌て始めるから、もうおかしくて笑いを堪え切れなかった。