めざめのゆめ01

 なまえの両親は仲がいい。年に一度、八月の結婚記念日付近で必ず旅行に行くのだ。なまえが幼いころは一緒に旅行に連れて行ってもらっていた。時には親戚に預けられることもあった。しかし、なまえも今となっては高校生。私は大丈夫だから二人で行ってきていいよ、と言えるぐらいには成長したのである。
 家事が得意というわけではないが、一週間分の食費さえもらえれば後はなんとかなる。洗濯なら洗濯機があるし、掃除機なら普段から使っている。寂しいというよりむしろ、ひとりで気楽な夏休みを一週間過ごせるという楽しさを感じていた。
 とは言ったものの、やらなければならないことがある。学校の課題だ。特に数学の先生は、長期休暇の課題の量が馬鹿みたいに多いのだ。陰で鬼と呼ばれるほどである。
 冷房をガンガン効かせた部屋で、机にはお菓子と麦茶。万全の態勢でなまえは課題に挑んでいた。そのときである。誰もいないはずの部屋で、声を掛けられたのは。
「おい、ここはどこだ」
「……っうぇ!?」
なまえの後ろに立っていたのは、小学生ぐらいの少年。髪の毛は重力に逆らって立っているし、色も白と緑が混ざったみたいな色だった。瞳も赤い。日本人離れしているというより、人間離れしているように見えた。
「聞こえてんのか?」
少年は戸惑うなまえに追い打ちをかけるように言った。かろうじて頷いたところ、少年はなまえに近づいてきた。
「……ぼく、ひとの家に勝手に入ってきたらダメだよ」
「あ゛?」
「ひっ」
なんとか年上としての威厳を見せようとしたところのコレである。なまえは泣きたくなった。もしかしたら、この子供は親とグルで泥棒なのかもしれない。信じたくはないが、万引きを家族ぐるみでやっているなんて話は何度か聞いたことがある。今もリビングやキッチンを漁られているかもしれない。だが、幸いスマートフォンは手元にある。通報していいのだろうか。少年が本当に迷子だとしても、警察に任せたほうがいい案件だろう。下手に保護して誘拐を疑われるなんてごめんだ。
 なまえはスマホを手に取った。少年にじっと見られている。少年が泥棒なら通報を阻止しようとするはずだが、それはなかった。しかし代わりに、少年はスマホに興味を示した。
「それスマホか?」
「え……うん。迷子なら警察に連絡したほうがいいかなって」
「……百夜が持ってるのより薄いな」
「ご家族の名前?」
「百夜は親父だ。それよりスマホ、見せてくれ」
「でも、あっ……」
少年はいとも簡単になまえからスマホを奪った。しかしすぐに口をヘの字に曲げる。
「ロック掛かってるじゃねーか。っつーかコレ、日付がバグってる」
「ええ、そんなことないと思うけど……」
なまえは少年の持つスマホを覗き込んだ。日付の表示は八月二日。おかしなところなんてどこにもない。
「解除」
ずい、少年がスマホを差し出してくる。なまえは仕方なく親指をセンサーに当てた。
「……なんだ今の」
「いや、きみがロック解除しろって言うから」
「触るだけでいいのか? 暗証番号は?」
「指紋認証だよ。あ、難しいかな」
「いや、言葉自体は知ってる。知ってるが、スマホにそんな機能ついてたか?」
「うん。お父さんに後で聞いてみたら」
「……」
少年は無言でスマホをいじりだした。見られて困るような履歴とかアプリはないけど、見知らぬ子供にこんなことされてる状況ってなんだろう。もっと大人として粛々とした態度を持って接するべきだった。だがこの少年、妙に迫力があるのだ。結局なまえは、下からお願いするように言うことしかできなかった。
「そろそろ電話してもいいかなあ……」
「今日の日付」
「え?」
「今日は何月何日だ?」
「八月二日だよ。夏休みだし日付の感覚なくなっちゃうよね」
「……西暦は?」
「2020……違う、2021だっけ? カレンダーのアプリ押したら出てこないかな」
「……出てきた」
それから少年はしばらく黙っていた。小さな手からそっとスマホを抜き取ろうとしてみたが、ギロリと睨まれてしまう。これじゃどっちが不審者かわからない。
 少年が外に出たいと言った。自力で帰ってくれるならそれに越したことはない。玄関に向かう際、それとなくキッチンやリビングを確認してみたが、荒らされた形跡はなかった。
「……あれ?」
なまえは足を止めた。玄関のドアにチェーンロックが掛かっていたのだ。普通の鍵もしっかりと閉まっている。鍵はまだしも、チェーンはこの少年の背では届かない高さにある。てっきり開けっ放しのドアから勝手に入ってきたのだと思っていたが、これはどういうことなんだろう。
「ねえ、きみはどこから入ってきたの?」
「知らねえ。気付いたらテメーの部屋ん中だったんだよ」
「……そんなことあるわけ、」
ないとは言い切れなかった。実際にこの子は部屋に現れたのだ。玄関には鍵がかかっていて、しかもここはマンションの高層階。窓からの侵入は難しい。なまえは念のため、少年を連れてベランダを確認した。もちろん鍵はかかっていて、非常用の仕切りも破れていない。密室ってこういうのを言うのかな。なまえが現実逃避していると、少年にぐいと服を引っ張られた。
 なまえは少年とふたりでマンションを出た。少年はキョロキョロと辺りを見回している。
「家の場所わかる? 電話番号覚えてるならお父さんに連絡するよ」
「電話ならさっきかけた。けど繋がらねえ。番号自体が存在してなかった」
「いつの間に……。じゃあ交番に一緒に行こうか」
「たぶん無駄だ。っつーか行かねえほうがいいまである」
「なんでよ」
「いいかよく聞け。俺は過去から、十年前からここに来ちまったみてーだ」
少年はふんぞり返って言った。とんでもないことを言っているし、何なら楽しそうだった。だから嘘をついているんだと思った。もし本当だとするなら、こんな風にワクワクなんてしない。恐怖で泣いてしまうはずだ。なまえはこのとき、科学少年の好奇心を全く理解していなかったのである。
 なまえは嫌がる少年を引っ張って交番へ行った。少しかわいそうな気もしたけど、犯罪者にだけはなりたくなかったからだ。男児誘拐なんて、親にも友達にも合わせる顔がない。
 さあ交番まであと少しというところ、少年はなまえの腹に思い切り頭突きをした。
「いたっ! 何!」
「俺の話、信じてねえだろ」
「過去から来たっていうやつのことなら……うん」
ずきりと胸が痛む。嘘をついているのはこの子のはずなのに、子供相手に信じていないと面と向かって言うのは気が引けた。だからって、信じていると言うことにも抵抗がある。
 少年はなまえの腕を振り払った。その手でなまえに掴みかかって言う。子供ながらに必死な形相だった。
「ほんとなんだよ! なんでわかんねーんだ! 俺が突然部屋に現れたってどう説明する!?」
「いや、でも……」
「下手したらテメーが誘拐疑われるぞ! っつーか俺がそう言う。この女に連れまわされましたーってな」
「な、なんで……」
「俺が迷子ならテメーの行動は大正解、百億点だ。けど違えだろ。不可解な現象に目ぇ逸らしてんじゃねえ」
「でも、そんなこと言われたって……」
どうしたらいいかわからない。このまま交番に行けば、それこそ誘拐犯にされてしまう。けど、過去から来たなんて言われたって。
「……っうぅ」
「あーあー……大人のクセに泣いてんじゃねえよ」
「まだ、高校生だし……」
「俺から見たら大人なんだよ」
「知らないよ」
「とにかくだ。試してえことがある。テメーの家に戻っていいか」
「うん……」
今度はなまえの手を少年が引いている。少年は十五分ほどかかる道のりを迷うことなく進んだ。
 なまえの部屋に戻ると、少年はどかりとベッドの上に座った。その隣になまえを座らせて、これではどっちが部屋の主かわからない。

「ちーっとは落ち着いたか?」
「……まあ」
「じゃあ本題入るぞ」
「はい……」
なまえは半分諦めていた。夢なら早く覚めてほしいと思ったぐらいだ。しかし、つねっても叩いても目は覚めてくれない。
 少年によると河原で実験をしていたらしい。そして気付いたらこの部屋にいたと。だからその実験を再現すればもとの時代に戻れるんじゃないかという話だった。
「……再現したら、もっと未来に飛んじゃうんじゃないの?」
「クククそれもアリだな。逆向きに電流流してみっか? いや、それより未来へワープできるってんならその条件確定させてえ」
「よくわからないけど、もし君の言うことが本当だったとするよ。それなら大きくなった君に会いに行くのがいいんじゃないかな。どうやって帰ったか知ってるかもよ」
「……マジか、なんで気付かなかった?」
少年はブツブツと独り言を言い始めた。なまえは聞き耳を立てたが、言っていることがさっぱりわからない。
「……私にもわかるように言ってよ」
「テメーの言うことは一理ある。だが、それならおかしい。日付と場所が確定してんだ。俺なら小学生の俺が来るまでチンタラ待つなんてことはしねえ。未来の俺がここに来てねえっつーのが変だ」
「……なるほど?」
「つまりだ。並行世界の可能性が出てきた。それか俺が帰れなかった、もしくは十年以内にくたばったパターンだな」
「……」
 なまえは少年の手を握った。震えていたのだ。口では強がっているけど、本当は心細いに違いない。
 少年は不服そうな表情でなまえを睨みつけた。
「何だよ、この手」
「不安なんじゃないかな~と思って」
「そりゃテメーの話だろ」
「……さっきから思ってたけど、テメーはやめてよ。なまえさんかなまえちゃんって呼びなさい」
「なまえ」
 これ以上は譲る気がないようだ。なまえが観念して少年に名前を尋ねると、彼はぶっきらぼうに言った。
「千空」