めざめのゆめ02

 千空の実験の再現のために、なまえの一週間の食費はほぼなくなってしまった。しかし家には米もあるし、いざとなったら貯めていたお小遣いもある。ただ、千空のためにこれ以上の資金提供は難しいところだった。
 千空は部品がないながらも、あるものを使って着々と装置を組み立てていた。もともと何に使う装置なのかもわからない。千空に聞いてみたら長々と説明されたけど、全く理解が及ばなかった。
 なまえはリビングのソファに寝転がって千空の作業を見守っていた。妙なことをするようだったらすぐ止めるためだ。今のところ、不審な様子はない。ただ一つ挙げるとすれば、千空の工作が夏休みの自由研究のレベルをはるかに超えているところだろうか。
「なまえの親は一週間で帰ってくんのか?」
「よくわかったね」
「そこのカレンダーに書いてあった」
「ああ……うん」
「タイムリミットは一週間か。まあ作るだけならギリ行けるな」
「戻れなかったらどうするの?」
「……あ゛ー」
しまったなと思った。これは口にしてはいけないことだった。わざわざ不安を煽るようなことをして、得なことなんて一つもない。なまえは話題を変えることにした。
「……ねえ、千空くんの苗字はなんていうの?」
「石神。なんだよ急に」
「今ね、警察のホームページで行方不明者リスト見てるの。千空くんの名前はないから、きっと帰れるね」
励ますための言葉だったが、千空はなにやら考えこんでしまった。少し間を置いて、彼は口を開く。
「……石神百夜で検索してくれ。行方不明者リストじゃなくて、グーグル先生のほうな」
「なにも出てこないけど……有名人なの?」
「大学の講師だ。2021年なら宇宙飛行士になってるはずだが……そうじゃなくても大学の講師やってりゃ何かしらヒットするだろ」
「じゃあ千空くんが言ってた並行世界ってやつ?」
「かもしれねえ。だが、もう少し確証が欲しい……広末大学はどうだ? 地名や建造物は一致してんのか?」
「……出てこない」
「なんでテメーが落ち込んでんだ」
いつの間にか千空はなまえの近くまで来ていた。すっとスマホを奪われたかと思えば、ふてぶてしい顔で彼に見下ろされている。
「腹減った」
「はあ? ……あ」
大変なことを思い出してしまった。ご飯を炊いていない。お金があるならそれでもいいけど、今この状況だ。
 なまえは藁にも縋る思いで冷蔵庫を開けた。幸いなことに、冷食のドリアとパスタが入っている。二食分はなんとかなりそうだ。
「千空くん、ドリアとカルボナーラだったらどっちがいい?」
「どっちでもいい。どうせどっちも食うハメになんだろ」
「まあ、それはね~……。じゃあ私決めるよ、今日はドリアです!」
「おー」
美味しくなりました、と書いてあるビニールの包装を破って、レンジに入れて五分。ほかほかのエビドリアに千空は「味変わんねえな」とありがたみのない感想を言っていた。

 揉めるかと思っていたのは風呂だった。正確に言うと着替えである。男物の、それこそ小学生向けの服なんてないから自分の服を渡すしかなかった。もしかしたらどこかに残してあったのかもしれないけど、小学生のころの服は捨ててしまっている。洗濯バサミで首元が見えないように止めて、それでも無理がある。しかし千空は不満の一つも漏らさなかった。
「パンツは乾燥機が頑張ってるから……もうちょっと待っててね」
「わりーな」
「ううん。……全然、気にしなくていいからね」
「なんでまた泣きそうな顔してやがる」
「なんか感動しちゃって……。ごめん、お風呂入ってくる」
 なんてひたむきな少年なんだろうと思った。泣きもしないし、途方にくれたりもしない。なまえはこの時点で千空の言っていることを信じていた。並行世界だか異世界だか知らないけど、それならあの人間離れした容姿も納得できるからだ。

 風呂を上がると、千空は作業を再開していた。本当にすごい集中力だ。なまえがすぐ隣に来るまで、千空は気付いていないようだった。
 千空はびくりと肩を震わせた。驚いていたみたいだが、すぐに顔はしかめっ面に変わる。
「ごめん、びっくりさせちゃった」
「……なんだよ」
「何か手伝うことないかなと思って」
「……髪、乾かさねーのか」
「ああ、ほんとだ。すぐ乾かしてくる」
なまえは急いで部屋に戻った。化粧水を顔に塗って、ドライヤーを点ける。その時点であれ? と思った。
 なまえは一度ドライヤーを切り、リビングに戻った。
「千空くん」
「あ?」
「髪、乾かそう」
「俺はいい」
「だーめ」
それでも嫌だという千空に譲歩したのはなまえだ。なまえは自分の部屋からドライヤーを持ってきて、リビングのコンセントにつないだ。作業中の千空の後ろから勝手にドライヤーを当てることにしたのだ。
 千空の髪は柔らかくてふわふわしていた。しかし、いいなあと思ったのは最初だけ。次第に恐ろしくなってしまった。千空の髪は、半乾きくらいでワックスもつけてないのに逆立ってしまったのだ。
「この髪どうなってるの? 千空くんのところではこれが普通?」
「知らねえ生まれつきだ。たぶん普通でもねえ」
「千空くんの住んでる世界もちょっと興味あるなあ」
「行けるだろ。そうじゃねえと俺も困る」
「……だね~」
ある程度乾いたから、ドライヤーを冷風にする。千空はくすぐったそうに頭を振った。
 なまえは自分の髪も乾かしたあと、改めて手伝えることがないかを聞いた。
「あ゛ーパソコンあるなら貸してくれ。ないならスマホでもいい」
「パソコンあるよ! ノートだけど。持ってくるね」
 千空はしばらくパソコンを操作していた。ものすごいタイピングスピードだ。何か調べものをしているようで、なまえは後ろから画面をのぞき込む。
「やっぱ気が散る……」
「えっ、ごめん……」
「テメーのことじゃねえよ。十年後だぞ? どんだけ科学が進歩してんのか気になって仕方ねえ」
「そんな変わってるかな?」
「このパソコンだって相当だ。俺のなんてWindows7だからな。……ゲッ、もうサポート終了してんのか」
千空の好奇心をくすぐるものはたくさんあるみたいだが、なまえはいまいち共感できなかった。十年前、たしか小学校の授業でパソコンを触ったことはあったけど、どれほど進歩したのかなんてわからない。使うのはほとんどスマホで、それだってトークアプリで友達と連絡するぐらいの用途なのだ。
「で、なに調べてるの?」
「ここ十年でタイムマシンが発明されてねーかと思ったんだがな、無理だったか」
「いやそれは無理でしょ!」
「んなのわかんねーだろ。ちょっとしたことから科学は飛躍的に進んでんだよ」
「……でもタイムマシンがあるならさ~、未来人が実はその辺にうじゃうじゃいるかもってことでしょ?」
「その辺は法律で取り締まられてんのかもな。過去に干渉してはいけないとか、漫画とかでよく見るだろ」
千空は調べものをやめて、また部品をいじり始めた。結局、手伝えることはないようだ。しかし千空を放置するわけにもいかず、なまえは隣に座ってスマホで動画を見ることにした。
 千空はなまえが話しかけない限り、黙って作業をしていた。時刻は夜の九時を過ぎたところ。小学生のころって何時に寝てたっけ。なんでも検索すればいいと思っているところのあるなまえは、「小学生 寝る時間」とスマホに指を滑らせる。
「千空くんはいつも何時に寝てた?」
「百夜には十時までに寝ろって言われてる。まー実際それより遅いってことも……」
「じゃあ、今日も十時までね。あと五十分だよ」
千空はあからさまに「げ」という顔をした。
 なまえが十時までと言ったのは、千空の申告とスマホの検索結果がほぼ一致していたからである。成長過程の子供に夜更かしなんてさせられない。厳密に言うと、冷食オンパレードもマズイと思っていた。できる限りで健康的な生活をさせたいが、自分の能力では難しいところもある。だからせめて、睡眠だけはきっちりとってほしいのだ。
 五十分というのは千空にとってあっという間だったらしい。むっつりとした顔で未練がましくリビングのテーブルを見つめながら、今は歯を磨いている。新品の歯ブラシがあって助かった。
「で、どこで寝りゃいいんだよ」
「……考えてなかった」
「ここのソファでいい」
「……それはダメ」
今のはなまえにでもわかった。そんなことさせたら、なまえが寝たあとこっそり起きるに決まっている。
「千空くんは私の部屋。私がここ、いい?」
「なんでテメーがこっちなんだよ」
「だって千空くん、こっそり夜更かしするつもりでしょ」
「……」
図星か。たまに見え隠れする子供っぽいところはかわいいと思う。けど、絆されはしない。なまえは千空に口をゆすがせて、部屋まで引っ張った。ベッドに寝かせて、布団の上からぽんぽんと体を叩く。
「子ども扱いすんな」
「……眠れそう?」
「たぶんな」
「……怖くない? ひとりで大丈夫?」
「ん」
千空はなまえに背を向けて布団を頭までかぶった。明かりを消して部屋の外に出る。リビングには作りかけの装置がそのまま置いてあって、なまえはソファに座ってテレビを点けた。毎週楽しみにしていた番組なのに、ちっとも頭に入ってこない。
 一時間のテレビが終わり、気になったのは千空のことだ。ちゃんと眠れているだろうか。気になって、部屋の前まで来てしまった。眠っているかどうか確認したいけど、扉を開ける音で起こしてしまっては意味がない。どうしたものかと悩んでいたちょうどそのとき、ドアがむこうから開いた。
「千空くん、眠れなかった?」
「……水くれ」
「うん。冷たいのでいい?」
千空はこくりと頷いた。さっきよりもずいぶん弱々しい。
 氷を入れた水を渡すと、千空は一気に飲み干した。よく見たらシャツが汗でびちゃびちゃに濡れている。だが、部屋の中は涼しく冷房を止めた様子もない。
 なまえは千空の汗をタオルで拭いて、新しいシャツに着替えさせた。寝るときに邪魔だろうから洗濯バサミはナシだ。
「怖い夢見た?」
「……べつに」
「そうだ、一緒に寝よ」
「はあ?」
なまえは千空の手を引いてベッドまで連れて行った。本気で嫌そうだったらやめることも考えたけど、千空は案外おとなしくベッドの中に入った。
「手、繋ぐ?」
「繋がねえ」
「そっか~」
なまえは千空の頭を撫でた。千空がくすぐったそうに目を閉じる。
「大丈夫。ちゃんと帰れるよ」
「当たり前だろ」
「じゃあ、おやすみ」
「……オヤスミ」
なまえは目を閉じた。千空は眠れるだろうか。明日のご飯は何にしよう。そんなことを考えていたら、自分が先に寝てしまっていた。
 ――そして、朝。隣には誰もいなかった。なまえは慌てて家中を探したけれど、千空の姿は見当たらない。玄関にはちゃんとチェーンロックが掛かっている。そうでなくとも、千空が勝手に外に出るとは思えない。そのぐらいは信用していた。
 結局、なまえは千空を見つけることはできなかった。夢でも見ていたのならよかったけれど、リビングには作りかけのよくわからない装置が置いたままで、ドリア食べた容器もちゃんと二食分ゴミ箱に入っていた。乾燥機の中には千空の来ていた服が入ったままで、何もかも現実だったと突きつけられる。
 なまえは一日中ぼーっとしたまま過ごし、次の日、リビングを片付けた。作りかけの装置は部屋まで運び、千空の服は畳んでクローゼットの中に入れた。どうしたらいいのかわからない。ちゃんと帰れたのだろうか。確かめる術なんて思いつかなくて、スマホで彼の名前を検索してみる。けれどやっぱり何も出てこなくて、なまえは途方に暮れたままベッドに寝転がった。

 次に目が覚めたのは森のような場所だった。辺りには建物一つ見当たらない。そのかわりに、そこら中に人型の石像が転がっている。壊れているものや、体の一部が土に埋まっているものもあって不気味だった。自分のパジャマがひどく浮いている。今度こそ夢だと思った。というか、きっと重ねて夢を見ているのだ。本当に目が覚めたら八月二日の朝で、そもそも千空という少年と出会うこともない。寝てから起きたつもりだったけど、あれもきっと夢だ。
「人間か?」
背後から聞こえた声に振り向くと、裸の少年が立っていた。なまえは思わず目をそらした。だって本当に何も着ていないのだ。夢でもそんなものは見たくない。
 少年はなまえに近づいているようだった。なまえは何歩か後ずさりしたけれど、裸足の足が木の根に引っかかって尻もちをついてしまう。
 少年がすぐそこまで来ている。なまえは目をつぶった。
「……なまえか?」
「え?」
誰。なまえは目を開いて、なるべく下を見ないようにして少年の顔を見た。瞳が赤くて、髪は逆立っていて、けれどなまえの知っている彼の姿ではない。目の前の少年は、自分と同じぐらいの歳に見えた。
「ほんとにわかんねーのか、なまえ」
「……千空くん?」
あり得ないと思ったはずの名前を口にする。しかし、少年はにやりと笑った。
「大正解だ。百億万点やるよ」