めざめのゆめ08
「じゃ、デート楽しんできて」
このゲンの一言のおかげで、なまえの体温は一気に上昇した。
研究室のような場所に到着したときは、もっと取り囲まれて取材でもされるんじゃないかと身構えたものだが、あっけなく解放されてしまった。千空とふたりで外に出ると、現代と遜色ない建物が並んでいた。あのとき未開の地のようだったのが信じられないぐらい、文明が進んでいる。むしろ自分たちの世界よりも未来的であると感じたほどだ。
「なんかすごく綺麗になってない? 私の世界よりよっぽど進歩してるっていうか」
「まー古い建物全部なくなっちまったからな、歴史的なアレソレは全然だ」
「そっか……そういう問題もあるんだ」
なまえは千空の白衣のポケットを見た。正確にいうと、ポケットの中にある彼の手が目当てだ。……繋いでみたい。……いや、それより先に伝えるべきことがあるはずなのだが。
じりじりと差す日差しに、こちらも夏なのだろうというのがわかった。髪がまとわりつく感じがして、いちど首から引き剥がす。けれどすぐに汗でぺたりと張り付いた。
「……歩こうと思ってたんだが、暑いな」
「うん……でも、歩くのも嫌じゃないよ」
千空はなまえの言葉を受けて歩き始めた。なまえはすぐ後ろを歩いたが、少し悩んで隣に立った。時折り、服越しに腕が触れる。けれど肝心の手のひらは汗でベタベタで、これじゃあ手は繋げない。
意外なことに、少し歩くと人の気配はなくなった。建物もない。まだ誰のものにもなっていないような、自然の多い場所だった。
「まだ開発途中なんだ」
「石像埋まってるかもしんねーからな、あんま迂闊に建設するなっては言ってる」
「……千空くんに主導権あるの?」
「ねえけど、まあ意見はそこそこ通る」
千空は木陰に腰を下ろした。なまえもその隣に座る。
「そうなんだ。……あ! ツリーハウスは? まだ残ってる?」
「……ない」
「そっかあ……」
「テメーの掘ったカレンダーの部分ならあるぞ」
どこに、と聞けば平然とした顔で「俺の家」と言う。なまえの心臓は限界に近かった。
追い打ちでもかけるように、千空は指を絡ませてくる。驚いて息を吸い込みすぎてしまった。喉からは悲鳴にも似た音が出た。
「待って、汗が……」
千空はお構いなしだった。頭がぼうっとしてきて、つい流されそうになってしまう。なまえは最後の抵抗を示した。
「ふ、ふつう返事待ちなのにこんなことする!?」
我ながら子供っぽいとは思った。つまりは照れているのだ。
「手ぇ繋ぐのも抱きつくのも平気なんだろ、お姉サマは」
これはいつかの仕返しなのだろうか。だんだん深く絡み合う指は、やがて完全に恋人つなぎの形になる。なまえは手元に釘付けで、千空はどこか遠くを見ていた。
「……そんなこと、ない」
平気なわけがない。あんなことを言われた後で。見てわからないはずがないのに、千空はわざとそうしているのだ。
「千空くん、こっち向いて」
「なんだよ」
勘違いでなければ、千空の頬も赤くなっていた。このまま見つめて、目を閉じたら大人っぽいかもしれない。そう思ったけど、もったいないような気もした。今までずっと離れていて、できなかったこと。一つずつ手繰り寄せていくように、なまえは言葉を紡いだ。
「……すごく嬉しかったの、」
「それからずっとドキドキして……今もそう」
なまえは身を乗り出した。もう少しで体が触れてしまいそうだ。
「もう好きになっちゃった……」
「だって千空くん、すごくかっこよくなってるし……。でもね、」
「……成長してく千空くんをそばで見ていたかったよ」
頬をぴたりと千空の胸にくっつける。彼が息を呑んだのがわかった。このままずっとそうしていたかったのに、千空はなまえの肩を押し返した。
「殺す気か」
「……え?」
「馬鹿みてーにかわいいこと言ってんじゃねえ!」
「…………ええ?」
顔を真っ赤にして叫ぶ千空は、間違いなくあのときの面影しか残っていなかった。
片手で目元を覆ってうなだれる彼を見て、もしやとなまえは考えた。
「せ、千空くん……もしかして無理してた?」
「悪ぃかよ」
「いや、全然……。悪いとかじゃなくて」
「いっそ笑え」
「もう! なんでそうなるの!」
どうあっても目を合わせない。体をつんとつついても、抱きついてみたりしても。
「これも作戦?」
「あ゛?」
「ギャップで私を落とそうとしてる」
「だったら苦労しねえよ。っつーかもう落ちてんじゃねえのか」
「それは……うん」
なまえと千空はふたり、赤くなって下を向いた。つーっと汗が背中を流れていく。真夏の外でいい大人がこんなことして、まるで子供みたいだ。
背伸びをする必要がなかったのだとわかってほっとした。千空が一番大変なときに力になってあげられなかったのは悔しいけれど、こうしてまた会えた。自分に会うために研究をしてくれたのだとしたらすごく嬉しい。千空のことだから、科学的探究心がどうとか言いそうな気もするけれど。
「私だけ置いてかれたような気がしてたから、ちょっと安心しちゃった」
「こっちはガキのころから必死だったわ。どうあがいてもテメーにとっちゃただの子供だっただろうからな」
「……ガキってほどでもなくない?」
だってお互い高校生だったのだ。たしかに七歳の千空のイメージを引きずっていたことは認めるが、そこまで子ども扱いした記憶もない。
「ガキだろ。小学生だぞ」
「え……」
なまえは根本的に勘違いをしていたことに気付いた。初恋というのは十五歳の千空の話だと思っていたのだ。しかし今の話だと……。
「最初に会ったときからなの……?」
「わかってなかったのかよ。こじらせてるっつっただろ。3700年以上ずっとな」
「え……ぁ、うぅ」
「どういう感情だよ」
「う、嬉しいは嬉しいんだけど、さすがにちょっと申し訳ない……。私、けっこう無神経なことしてた?」
手をつなぐのはまだしも、一緒のベッドに入ったこともあった。石の世界で再開してからもいろいろやってしまったような気はしていたが、なまえが覚えている以上に千空は心当たりがあるんじゃないだろうか。
千空はにやりと笑った。
「おーおーやっと気付いたか」
「……ごめんなさい」
「べつに……。俺だってガキの特権利用して甘えてたわけだしな」
「でも、」
「いいって言ってるだろ。ストーンワールドで目覚めてからは、最終的にこうなりゃいいって腹くくってんだ。むしろテメーが気付いてたら面倒なことになってたわ」
「それはひどくない!?」
文句を言う口は、千空の唇に塞がれてしまった。両手を頬に添えられて、逃げ場がない。気持ちだけ体を後ろに反らしてみたりしたけど、逃げた分だけ追いかけられる。
千空はなかなか放してくれなかった。途中で息をしようとして、変な声が漏れてしまう。体の芯がじんじん熱くなっていくような感覚がした。
ようやくキスが終わっても、すぐに触れてしまいそうな距離で見つめられたまま。あ、と思ったときにはもう一度キスが始まっていた。
地面についていた手を千空の背に回す。まだ全然足りないなんて言ってしまったら引かれるだろうか。次に唇が離れたとき、なまえは自分からねだるように目を瞑った。
「好きだ」
息継ぎするように、千空が言う。
「結婚してくれ」
「へ……」
惚けた頭でも、できるのだろうかと考えてしまった。ここで素直に頷けないところがダメなのだろう。千空はあからさまに不機嫌を顔に出した。
「……間違えた」
「あ~待って待って! 違うの、嫌とかじゃなくて」
「どうせ異世界がとか籍がとかつまんねえこと考えてんだろ」
「つまんなくはなくない!?」
ああ、またやってしまった。嬉しいとかそういうことを言えばいいのに。「ごめん」なまえはうつむいた。
「んなの俺がどうにかする」
「……じゃあ、する。……結婚。してよ」
「おう。テメーはさっさと大学卒業しとけ」
「……まだ時間かかるよ」
「そりゃいきなりはしねえだろ」
「千空くんが言い出したんじゃん……」
なまえは千空に体重を預けた。心臓が大きな音を立てている。
「お願いがあります」
「あ゛? なんだよ突然」
「スマホ作って。あっちにいても千空くんと連絡できるやつ」
「テメー自分がどんだけ高度な要求してんのかわかってんのか」
「……なんとなくは」
ぐりぐりと額を千空の胸に押し付ける。帰ったらしばらく会えなくなって、連絡も取れないなんて耐えられそうにない。四年も会えなくて、千空からしてみればそんなの僅かな時間でしかないかもしれないけれど、これからはきっと毎日寂しくなってしまう。
「甘えんじゃねえ。なーにが作ってだ? 欲しけりゃテメーも働け」
千空はなまえを引っぺがして、改めて抱き寄せた。息がかかりそうなほどの至近距離で得意気に笑う彼に、胸がきゅうっと悲鳴を上げる。
「異世界繋ぐスマホだと? 唆るじゃねえか! テメーも夏休みの工作にちょうどいいだろ?」
ついでにあっちのデータベースもアクセスし放題だ。とかなんとか恐ろしいことを言い出す千空を前に、とんでもないお願いをしてしまったのだと気付く。
「……あの、犯罪になるようなことはしないでね」
「ほどほどにはしとく」
「ダメだからね?」
千空はガシガシと頭を掻いて「わかってる」と面倒くさそうに言った。
「……怪しい」
「だったらテメーが監視しとけ。どうせ大学生の夏休みなんざ暇しかねえだろ」
「そ、そんなこともないけど。まあ……そこまで千空くんが言うなら?」
なまえの言い分に、千空は得意気に笑った。しかしふと、疑問が浮かんでくる。
「……よくわかんないんだけど、そんな簡単に行き来できるものなの?」
「わりと簡単だっただろ。テストも兼ねてんだからむしろ回数は多い方がいい」
「よかった。じゃあたくさん会えるね」
「……おう」
なまえは千空とふたり、手を繋いで街に帰った。ちょっと不自然なぐらいに視線を感じる。思い切って聞いてみると、千空がこの世界ではけっこうな有名人であることを知った。石神博士と呼ばれているらしいのだ。今までこれっぽっちも恋愛ごとに興味を持たなかった博士が、白昼堂々と手を繋いで歩いているなんてビッグニュース。放っておかれるわけがない。
なまえは千空に連れられて、研究所の向かいにあるホテルの一室に入った。千空は家を別に持っているそうなのだが、職場に近いからとしょっちゅうここに泊まっているらしい。
ベッドで足を伸ばすと、千空が大きなため息をつく。
「ため息つきたいのはこっちなんだけど! なんか、すごく見られてるなあと思ったら」
「いいだろべつに、どうせ結婚すんだ。同じ部屋に入ったのもバレてんぞ」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「なまえ」
千空は白衣のポケットから赤い紐を取り出した。手櫛で髪を撫でつけられて、懐かしいのと嬉しいのが同時に襲ってくる。なまえは昔と同じように自分の髪の束を支えた。
「この紐どうしたの?」
「……昨日編んだ」
「千空くんが?」
「……ん」
「ありがとう。嬉しい」
石の世界から持ち帰った紐はしばらく腕につけていたけれど、とっくの昔に切れてしまっていた。まさか再び髪を結ってくれるなんて思わなかったし、わざわざ紐まで編んでくれているのだ。ゴムでいいのに、なんてもったいないことは言わない。
千空はベッドにスマホを投げてよこした。
「こっち用のスマホだ。何かあったら連絡しろ。俺の知り合いの番号も適当に入れてる」
連絡先を確認してみると、確かに知らない名前が登録してあった。しかし聞き覚えのある名前を見つけて、つい声を上げてしまう。
「あ、大樹くんがいる!」
「あ゛? ああ、石像運んだもんな」
「土砂降りだったよね~」
「あとで紹介するわ。大樹もテメーに会いたがってた。たぶん全力で謝られるぞ。すまん、重かっただろう~ってな」
「なんか楽しみ……」
なまえはトークアプリで千空にスタンプを送った。こうしていると同じ世界に住んでいるみたいだ。しかし当の千空は呆れたような顔をしている。
「目の前にいるっつーのに何やってんだよ」
「送信テストだし」
「そうかよ」
千空から返ってきたのは全然かわいくないスタンプだった。
「これから研究所戻ってテメーからの課題やろうと思ってんだが、どうする?」
「私も行っていいの?」
「そりゃ発案者サマだからなあ。研究チームが納得できるようなプレゼンしてもらわねーとだなあ?」
「……えっ」
「っつーのは冗談で、疲れてんなら今日はここで寝とけ。明日からは容赦なくコキ使うがな」
「今日から行く。早く完成させたいし」
「そりゃ頼もしいこった。ま、今日は質問攻めでそれどころじゃねえだろうけどな」
なまえには千空の言った意味がわからなかった。しかし、研究所に入った途端に理解することとなる。
研究室で待っていたのは、石化した世界で千空が特に世話になったという人たちだった。大樹とゲンもその中にいる。いつもはそれぞれ別の仕事をしているようだが、今日は異世界旅行成功の記念日としてみな集まっているらしい。到着したときにすんなり解放されたのは、気遣いの結果だったようだ。
「こいつと結婚するわ」
ただいま、ぐらいのノリだった。周囲のどよめきをものともせず、千空はデスクに座って作業を始める。誰が何を聞いても「ああ」とか「おう」とかしか答えない。そして質問の矛先がなまえへ向けられてしまったのだ。
もう逃げられないなと思った。もちろん最初から逃げるつもりなんてなかったけど。どんなに高い障害があっても千空は乗り越えてくるのだろう。今日からはふたりで力を合わせられるから、何にも怖いものはない。
なまえは囲まれつつも、キラキラした目でパソコンを操作する科学少年の横顔に釘付けだった。……愛おしい。心からそう思った。