透明の壁を壊して03
千空くんが指示を出し、それぞれが散っていく。二人になった小屋の中で千空くんは頭をガシガシと掻いた。
「あの、私は何をすればいい?」
「あ゛ー……何か得意なこととかあんのか?」
「……ううん、特に。ごめん」
「いや、確認しただけだ。それならそれで仕事は山ほどある」
千空くんは土でできた釜のようなものの前に私を連れてきた。
「この中に石炭の燃やしてできたコールタールっつー黒い油みてーなもんがこびりついてる。かき集めてビーカーん中に頼む」
「わかった」
私は千空くんから竹の棒を受け取って、釜によじ登った。竹で釜の中をこすると黒いドロっとしたものが取れる。作業的にはそう難しくない。
「……テメー、ゲンに何て言われてついてきた?」
「えっと、疑われてる?」
「そういうわけじゃねーがゲンのやつ、聞いても女の子が増えて嬉しいだのロクなこと言いやしねえ」
なるほど千空くんは直球勝負のようだ。だがはっきりしているのは嫌いじゃない。
「私もともと司くんのとこ脱走してたんだよね。で、サバイバル生活中にあさぎりさんに勧誘されたの」
「あ゛ぁ? そんなん初めて聞いたぞ」
「隠してたわけじゃないよ。そもそもあさぎりさん、私にあんまりそういうこと聞いてこないからなんで私が脱走したのかは知らないのかも」
「何でも知ってますっつー顔してるがな」
「そういう商売だもんね」
「で?」
で? とは。不思議に思いながらもビーカーに集めたコールなんとかを千空くんに見せる。量は十分だったようで次の作業に移るみたいだ。
「テメーが司んとこ脱走した理由だ」
「……司くんが、石像壊してたから」
言った瞬間、少しだけ思い出してしまった。石像を見ても今は何とも思わないが、石像がぼろぼろと崩れ落ちていくあの映像だけはダメだ。あのときのことを考えるたびに私の家族のことが脳裏にチラついてしまう。石は無事だろうか。司くんに見つけられたら砕かれてしまうのだろうか。想像しても無駄だとわかっているけど、考えるだけで怖くなってしまう。
「わかった。それだけ聞けりゃいい」
千空くんはビーカーを受け取ってクロムくんのところへ向かった。
「あとはこっちでやる。テメーにゃ別件で頼みたいことがあるんだが」
「うん。何すればいい?」
「パクチーを採ってきてほしい。量はいらねえ」
引き受けたいところだが、パクチーを見分けられる自信がない。ぼんやりとなら思い出せる。だがうろ覚えだ。
「心配しなくていい。川沿い下って、あとは目印があるからな」
川が大きくカーブしているところで左、ひたすら歩けば野生のパクチー畑。近くの木には×印が彫ってある。ここまで聞けば大丈夫そうだった。
「わかった。じゃあ行ってくる」
「ああ、足滑らせて川にドボンとか勘弁な」
ひらひらと手を振る千空くんに背を向けて、私は川へ向かった。下る途中で川辺の石に紺色のワンピースが置かれているのを見つけてぎょっとする。
「ああ、名前か」
「え……コハク、えっ!」
私が驚いたのはコハクの格好だ。下はふんどし一枚で、上は胸元にさらしのような布を巻いただけ。その状態で川の中にいるのだ。
「どうしたんだ?」
「だってその格好……」
「おかしなところがあるか?」
じゃぶじゃぶと水をかきわけてコハクが近づいてくる。片手に石器と、もう片方にはスポンジのようなものを持っていた。
「……私の時代だと、下着姿って人には見せなくて、でも今だと普通なの?」
「泳ぐときはみなこの格好だぞ。それに千空も気にしていなかったようだが」
「千空くんの前でも泳いだの?」
「泳いではないが、砂鉄とやらを集めるときに一緒に川に入った」
「……そうなんだ」
私があれこれ口を出すのも失礼な気がした。下着と水着が同じと考えれば受け入れやすいような気もする。
コハクは川から上がると髪を絞った。服を着る姿は見てはいけない気がして目を逸らす。
「名前も千空に何か頼まれているのか?」
「うん。パクチーっていう草を採ってきてほしいって。コハクはそれ?」
「ああ。海綿動物というらしい。何に使うかはさっぱりだがな。……それより、どうしたんだ?」
振り返ると、コハクは着替え終えていた。何と説明したらいいものか、結局わからず「何でもない」と答える。
私はコハクと別れてさらに下流を目指した。しかしどうしてパクチーなんだろう。エスニック料理とかに使うイメージしかない。そもそも野生に生えてるんだなあという感じだ。そんなことを考えながら歩いていたら、川が大きく曲がる。千空くんが言っていたのはおそらくここだろう。左に曲がって、あとは真っ直ぐ。パクチー畑はすぐに見つかった。実物を見たらわりと確信を持てたし、近くの木に印もついている。
パクチーは食べ物だ。香辛料の類なのかもしれないけど、この世界で食べ物が目の前にたくさんあるという状況だ。ぷち、と私は葉っぱ一つ摘んで、口の中に放り込んだ。
「……」
そのまま食べられそうならたくさん持って帰ろうと思ってのことだった。だが、現実はそう甘くなかった。千空くんが少しでいいと言っていたのだから、最初からそうすればよかった。ぷちぷちと10本ぐらいを摘んで、私は戻ることにした。口の中にまだパクチーの風味が残っている。川が近くて本当に助かった。
科学小屋での作業は順調のようだ。千空くんとクロムくんはものすごく楽しそうだし、それ以外のメンバーも興味津々という感じだ。
「千空くん、パクチーはどうしたらいい?」
「あー、日陰に置いといてくれるか」
「何に使うの?」
「メンタリストがどーしても作って欲しいモンがあんだとよ」
「そうなんだ……。他に作業は?」
「ない。休んでていいぞ」
意外だった。てっきりまた何か振り分けられるのかと思っていたのに。周りを見ればみんな何かしらの仕事をしている。私だけ休んでもいいのだろうか。千空くんはフラスコから目を離すことなく言った。
「テメーあのメンタリストと歩き詰めだろ。休めるときに休んどけ。こっちはこっちで明日までに終わらせる」
「ありがとう……倉庫の中、使わせてもらうね」
倉庫の中に入るなり、足の力ががくんと抜ける。思っていたよりも疲れていたらしく、千空くんがそれを見越して休むよう言ってくれたのだとしたら恐ろしいものだ。
倉庫の中にはクロムくんが集めたという鉱石や草がたくさんあった。ぼんやり眺めているうちに、こくこくと眠気が誘ってくる。ついに私は横になって目を閉じた。
「っ!」
首筋のひやりとした感触に目が覚める。私を覗き込むようにあさぎりゲンが座っていて、いまいち状況がわからない。とりあえず距離を取って、考えてみる。昨日、千空くんに休んでいいと言われてそのまま寝てしまったのだ。
「名前ちゃん、おは~」
「おはようございます……?」
「えーと説明するね、さっき抗生物質……サルファ剤だっけ、ができてルリちゃんに飲ませにいってるとこ。俺らは村に入れないからお留守番。で、これは千空ちゃんからのご褒美」
茶色の液体が入ったビンが差し出される。さっき首筋に当てられたのはこれだろう。ビンにはラベルがついていて「コーラ」と書いてあった。
「……えっと、あさぎりさんのは?」
「メンゴ~俺はもう先に飲んじゃった」
私はビンを受け取って、迷った末に返した。
「あれ、炭酸苦手?」
「いえ……千空くんが言ってたあさぎりさんにお願いされたものってこれなのかなと思って」
「えっ、千空ちゃんそんなこと言ってた?」
「昨日パクチーを摘みに行って、何に使うのか聞いたら」
「え~。まあそうなんだけど、これは名前ちゃんが飲んで。嫌いじゃなかったら」
私はもう一度ビンを受け取って、フタを外した。しゅわしゅわと空気がビンの底から上ってきている。どうやったのかわからないけど、ビンはよく冷えているし、香りもコーラそのままだ。久々に昔を思い出せるもの前にして、私はドキドキしていた。一口飲んだ感想は、本当にしょうもないものだった。
「……コーラだ」
「でしょ? 千空ちゃんってばいい仕事するよね」
「はい……」
なぜか急に泣きたくなった。私はまだ、3700年前の世界を夢見ているのかもしれない。けどさすがに泣くのはちょっと恥ずかしくて、ビンを両手で握りしめたままうつむく。
「俺もさ、懐かしくて泣いちゃった」
「……うそ?」
「ほんとほんと。もうコーラ見た瞬間じーんときちゃって、だから先にひとりで飲んだってわけ」
「見たかったなあ……」
ボロボロと涙がこぼれてくる。茶化すわけでもなくただじっと彼は私を見ていた。目を細めて、子供を見守るような顔をしていた。
優しい人だなとなんとなく思ってはいたけど、マジシャンでメンタリストという言葉のイメージで警戒していた。目の前に彼がいるのに、芸能人のあさぎりゲンというフィルターを通していたのだと思う。彼がそれを察していたかわからないけど、ひどいことをしてしまった。
コーラは残り半分。ちびちび飲むのももったいない気がして、私は一気にビンを傾けた。
「……げほっげほっ」
「大丈夫? 最後なんで一気に行っちゃったの?」
あさぎりさんは笑った。どうしてだか、私はそれが嬉しかったのだ。