七海龍水という男05

 何であんなこと言っちゃったんだろう。あれを素直に龍水くんの厚意として受け止めて、私なら大丈夫だよと言えばそれで済んだのに。
 あの食事から三日、龍水くんとはまだ連絡をとっていない。握りしめたスマートフォンの画面は、あと一押しするだけで龍水くんに電話がつながるようになっている。なぜかはわからないけど、私が掛けなきゃと思った。
 ……押しちゃえ!
 呼び出しのコール音が鳴る。五回目ぐらいでもう切ってしまおうかと思っていたら、繋がってしまった。
「電話、大丈夫?」
「ああ、構わん。どうした?」
 龍水くんの声がわりといつも通りでほっとした。
「……この前、変なこと言っちゃったなと思って。ごめんね」
「いや、あの後ずっと俺も考えていた」
「うん……」
「貴様が好きだ」
「っうぇ?」
 びっくりしすぎてスマホを落としそうになってしまった。この前の車に乗るとき、ちょっといい雰囲気になった(それなのに私が水を差してしまった)ような気はしていたけど、いきなりそんなこと言われるなんて思ってなかったし……。
「惜しいな、電話では貴様の反応を見ることができん」
「や、なんでそんな急に……」
「急じゃない。貴様が言ったんだろう、諦めるのかと」
言った……けど、そんな言い方じゃなかった気がする。
 つまり、龍水くんはあれからずっと考えて、わ、私のこと……好きって。嬉しいけど、頭が追いつかない。
「そうだ、テレビ通話に切り替えられるか?」
「え……だめ! 絶対だめ!」
「……フ」
 堪えたような笑い声がしたかと思えば、龍水くんは大きな声で笑い出した。
「これが好きということなんだろうな」
「……なに?」
「いじめたくなる」
「な……⁉︎」
「だが泣かせたいわけじゃない。この前言ったのはそういうことだ」
そう、初めからそんな気はしていた。でも、あまりにもあっさりと言うものだから悔しくなって、話を拗れさせてしまったのだ。
「だからと言って簡単に手放すつもりはない。二ヶ月かけて全力で繋ぎ止める予定だった」
「……そんなことしなくたって、私のほうが先に好きになったんだよ?」
「そういうことにしておこう」
 そういえば、と龍水くんが言う。龍水くんもちょうど私に電話しようとしていたところだったそうだ。明後日、とびきりの菓子折りを持って家に行ってもいいかって……。
 つまりそれは……いや、いくらなんでも急すぎる。さすがの龍水くんでも……
「貴様の気持ちが変わらんと言うなら挨拶しておいてもいいだろう。それとも二ヶ月後にしておくか?」
「うそ」
「こんなことで冗談は言わん」
 気持ちは嬉しい。けど、親に挨拶なんてそれこそ取り返しがつかないし、お母さんはいい顔しないだろうし。私が悩んでいるのは龍水くんもお見通しだったみたいで、「言ってみろ」と背中を押される。でも、うちのお母さんに嫌われてますよなんて言えるわけない。
「うちのお母さん……社交会で私の結婚相手を見つけて、うちを七海財閥より大きくするってはりきってて……」
 なるべく言葉を選んだつもりだったけど、言った後で失敗だったなと思った。余計に火を付けてしまったのだ。なら早く挨拶しておかなければならんなって。龍水くんならそう言うってなんで気づかなかったんだろう。
「でも! 私は全然そんなつもりないからね? そんな急がなくても大丈夫だよ?」
「ああ、つまり俺、もしくは七海のことをあまり良く思われていないということか」
「あ、いや……」
「俺はその程度じゃ引かんぞ。両親には明後日の都合を聞いておけ」
楽しみにしている。そう言って龍水くんは通話を切ってしまった。
 都合を聞いておけって、なんて言えばいいんだ。彼氏を紹介したいです、とか? せっかく龍水くんが好きだと言ってくれて、その余韻に浸っていたいのに。休む間もなく次へ次へと進んでいくのは、龍水くんらしいと言えば龍水くんらしい。これからもずっとそうなのだろう。ついていける自信はまだないけど、嫌とは思わない。

 そもそもお父さんたちの都合がつかなければいいのでは、と思ったけどそうはいかなかった。彼氏、という単語を言ったときお父さんとお母さんは顔を見合わせていた。お父さんはなぜかくすりと笑っていて、お母さんは僅かに眉を寄せている。けれど返事は二人して「連れてきなさい」だった。
 そして二日後。龍水くんとは一旦外で待ち合わせをした。あの電話の後でいきなりというのは無理だと思ったからだ。主に心の準備的な意味で。
 待ち合わせをしたのは家から歩いて五分ぐらいのところにある公園だ。龍水くんにはそこで車を降りてもらって、後は話……というか打ち合わせをしながら家まで行く予定だ。
 龍水くんは片手に紙袋を持っていた。菓子折りとは聞いていたけど、実際にそれを持つ龍水くんの姿がなんだかおかしかった。
「……おい、電話をしたのは確か一昨日だったな?」
「うん? そうだけど……」
「二日経ってもその表情……当日はどんな顔をしていたんだ?」
「ええっ?」
 直接顔を合わせて恥ずかしいとは思ってるけど、言うほどだろうか。心臓もあのときほどは鳴ってないと思うし、顔もそんなに赤くは……
「やはり惜しいことをした」
龍水くんは突然、私の手を握った。
「俺は貴様のことが好きだ」
「なんっ……⁉︎」
「思った通り、いい反応をするな」
 龍水くんはフフンと得意気に笑う。これはあれだ、電話でも言っていた……
「……いじめ?」
「人聞きの悪い」
「……龍水くんが言ったんじゃん」
「それはそうだが、嫌だったのか?」
「嫌じゃないけど……ずるいよ……」
「はっはー! 貴様はかわいいな!」
龍水くんは大きな音を立てて指を鳴らした。もう何を言っても無駄、というか思わぬ反撃が来てしまいそうだったから黙っておいた。今から私の親に挨拶に行くというのに、私のほうが緊張してしまっている。

 龍水くんがどんな振る舞いをするか不安で仕方なかったが、終わってみれば案外普通だった。というより私の予想外だったのがお父さんたちの反応だ。私は彼氏を紹介するとしか言ってなかったけど、龍水くんが来るのをわかっていたみたいだった。お父さんは「やっぱりな」という感じで、お母さんは少し不服そう。「ビジネスで付き合っているわけじゃないんですね?」って言ってたけど、お母さんがそれを言っちゃうんだという感じ。お母さんとしても私が望まない婚姻を結ばせる気はなかったみたいだ。
 そして挨拶も無事終わり、なぜか龍水くんは私の部屋にいた。せっかくだからという話になって、龍水くんもわりと乗り気で、断る間もなく事が進んでしまったのだ。やましいことは何もないはずだけど、意識しているのは私だけなんだろうか。
 はっきりと確認したわけじゃないけど、私たちは正式に恋人という関係になったはず。それで部屋に二人きりなんて、何か期待してしまったとしてもバチはあたらないはずだ。
 決めた、キスしよう。
 いつも龍水くん主導というか、私が振り回されてばかりだから、今回は私から。できれば龍水くんが照れてくれると嬉しい。
 ……とは決めたものの、いきなりというのは無理だった。私はとりあえずお茶を持ってくるということで部屋を離れて一呼吸置くことにした。
 まずはイメトレ、と思ったけど何も思いつかない。こういうときはスマホだ。
 じっと見つめて目を瞑る。よさそうな気はするけど、これじゃ龍水くんからになってしまう。
 唇に触れてみる。……できるかな。めちゃくちゃハードル高いし、どうせなら勢いよく行っちゃいたいような。
 画面をスクロールさせる指がぴたりと止まった。画面には「同意」の文字。……そっか、勢いで行っちゃったらだめなんだ。龍水くんも同意なく女を襲わないとか言ってたし。っていうか早く戻らないとそろそろ怪しいかも。
「お待たせ〜……」
「ああ、悪いな」
 ローテーブルにお茶を置いて二人並んで座る。距離的には問題ないはずだ。ちらりと見た龍水くんの顔は涼しげだった。私はさっきから動悸がすごい。
「今度、映画とか行かない?」
「見たい映画があるのか?」
「えっとね……」
 私はスマホを龍水くんに見せながら、映画館のホームページにアクセスしようとした。……が、そのとき一瞬、さっきの煩悩まみれの検索結果が表示されてしまったのだ。
<キス 初めて 女から>
「ああああっ!」
 すぐに画面を消したけど、たぶんもう手遅れ。やるなら今しかないと思って龍水くんの肩に手をかけたけど、勢いがつきすぎたのか龍水くんを押し倒してしまった。
 龍水くんは両手を床に投げ出したまま静かに私を見上げていた。時間が止まったみたいだ。ゆっくり私は龍水くんとの距離を縮めているつもりだけど、いつまで経っても距離がゼロにならない。
 息を止めた。目を瞑って、最後はちょっと勢いに頼ってしまった。
 触れたと思った瞬間、身を引く。龍水くんは不敵な笑みを浮かべていた。
「で、この後はどうしてくれるんだ?」
「……今日はもうおしまいです」
フ、と笑って龍水くんは上体を起こした。私も龍水くんの上から退こうとしたけど、いつの間にか背中に腕を回されていて動けない。
「龍水くん、照れたりしないの?」
「入ったときから貴様の挙動がおかしかったからな。ある程度予想はついていた」
 心当たりがありすぎて何も言えない。そして、とにかく今は離れたい。
「……この腕は?」
「貴様は終わりだと言ったが、俺から何かする分は構わんだろう?」
 背中に回された腕にぐっと力が入る。もう片方の手が頬に触れた。もう目を瞑ることしかできない。
 私がしたのよりも長いキスだった。さっきは何だかよくわからなかったけど、今はしっかり龍水くんに触れているのがわかる。男の子の唇って柔らかいんだ。それ以上の記憶はない。
 気づいたらキスは終わっていたみたいで、おそるおそる目を開けると目の前にはやっぱり龍水くんがいた。顔を見るのが恥ずかしくてうつむくと、ちょうど龍水くんの太ももあたりに跨っているのが見えて、それはそれで恥ずかしくなってしまった。
「……一つ聞きたいことがあります」
「たまに敬語になるな」
「さっき倒されたの、わざとでしょ」
「なんだ、バレていたのか」
「やっぱり! だってそんな強く押さなかったし!」
 龍水くんはくつくつと笑った。
「貴様に欲しがられるのも悪くないと思った。理由はそれだけだ」
「え、ええ?」
 そんなこと言われたら、許すしかなくなるじゃないか。欲しがりの龍水くんが、私からも欲しがられたかったってことだ。そんな、私が特別だって言ってくれているみたいな……。
 私はぎゅうと龍水くんに抱きついた。たぶんこれから、龍水くんの欲しがりに嫉妬することは何度もあると思う。それでも龍水くんなりの好きを感じられるから、何とかやっていけそうだ。