相容れない01

 軍服を着た男の人が叫ぶと、周囲の人が次々と物陰に身を隠し始めた。明らかにおかしい、異様な光景だった。
「何? お父さん! あの男の人はなんて言ってた?」
「意識を飛ばす、な……」

 最後に聞こえた父の声に従ってなんとか意識は保っていたが、いつまでこうしていればいいのだろう。ものすごく眠い。

 アメリカで働く父のもとへ旅行に行ったなまえはその日、国立公園のイベントに参加する予定だった。しかし突然、体が動かなくなってしまったのだ。直前に見た光景、あれは石だった。人が石像になるなんて信じられないが、この状況……おそらく自分も石になってしまったのだろう。

 もう諦めてしまおうか。目を閉じることはできないけど、気持ちとしては閉じたつもりだった。スーッと意識が遠くなっていく。あと少しで楽になれる――その瞬間、本当に瞼が閉じた。額の上を何かがぽろぽろと落ちていく。眩しい。なまえは反射的に目を開いた。そこには青空が広がっていた。
 体を起こすと石の破片のようなものが落ちていった。石の中に閉じ込められていたということだろうか。それにしては健康的に生きているような気がする。何百年も石の中にいたつもりだったけど、実際は数日しか経っていなかったのかもしれない。
 なまえは両手で胸を覆って周囲を見回した。石像がいくつかと、木、草、花。本当にそれだけしかない。国立公園の痕跡は一つもなかった。
 一緒にいたはずの父親も見当たらない。先に石の中から出ているならいいけど、それらしき破片は近くになかった。
 なまえは助けを期待して待つことにした。しかし、いくら待っても小動物だけしか見当たらない。日も暮れて、ぐうとお腹が鳴る。ああ、このままだと死んでしまう。水となにか食べるものを探さないと。

 なまえは爪先立ちしながら森のような場所を進んだ。歩くたびに小枝や小石が足の裏にあたって痛い。
 少し歩くと石像の数が多くなっていった。イベントの関係者だろうか。体格のいい人ばかりが並んでいる。そういえば叫び声を上げた人も軍服を着ていた。科学のお披露目パーティになぜ軍人がいたのか。極秘の化学兵器の暴発で人が石になってしまったのだとしたら。想像してしまって、背筋がぞっとした。
 多くの石像が並ぶ近くに立て看板のようなものをみつけた。英語で文字が書いてある。人がいるんだ。なまえはさっきまでの不安を一度忘れて立て札に駆け寄った。
「ゴー……ノース……」
「north」は確か北。でも北がどっちなのかわからない。看板に書かれた矢印を信じるならこのまま真っすぐ。なまえは進むことに決めた。
 もし人がいるのだとしたら、とても心強い。しかし心に余裕ができたためか、次は自分の格好のことが気になってしまう。
 なまえは裸のままだった。このまま他人に会うのは抵抗がある。おそらくこれは愚かしい感情の一つだ。本来なら一刻も早く誰かと合流しなければならない。だが、まだどこか楽観的に考えているところがあったのだろう。なまえは大きな葉を集めて胸元と腰を隠した。
 本格的にまずいと思ったのは、いよいよ周囲が見えなくなってからだった。外灯やコンビニの明かりがあるのに慣れてしまっていて、夜がこんなにも暗いのだと理解していなかった。これ以上進むのは危ない。なまえは木に寄りかかるようにして身を縮めた。
 目をつぶると虫の鳴き声がよく聞こえる。うるさいわけじゃないけど眠れない。なぜか今さら寂しくなってきた。夜は寒い。

 結局ほとんど眠れないまま朝日が昇ってしまった。このまま横になっていても疲れるだけだ。なまえは先を目指した。
「あ……」
 森を抜けて、目に入ってきたのは畑だった。その先には建物もある。間違いなく人が住んでいる。なまえは建物に向かって駆け出した。そのとき、どこからか声が聞こえた。
「Freeze!」
 意味を理解する前になまえは反射で立ち止まった。辺りを見渡しても人は見当たらない。フリーズ……凍る……違う、動くな。あ、顔を動かすのもダメかもしれない。
 なまえが直立不動で相手の出方を待っていると、ふいに後ろに気配を感じた。何か話しかけられているのはわかるが、聞き取れない。そういえばここはアメリカだった。当然、日本語など通じないだろう。なんで旅行中に限ってこんなこと。考えていたら、後ろの声はいつの間にか止んでいた。
 ぽん、と肩の上に手らしきものが置かれる。振り向いてもいいのだろうか。「フリーズ」がいつまで有効なのかわからない。こういうときは英語でなんて言えばいいのだろう。英語の成績が特に悪かったわけではないが、実践は全くだ。
「きゃ……きゃないしーゆあふぇいす?」
 通じなかったらどうしよう。「Can I see your face?」と言ったつもりで、「そちらを向いていいですか」の意だったのだが、何か間違っているかもしれない。他の言い方を考えたほうがいいかと迷っていると、後ろから「オーケー」と聞こえた。勢いよく振り向くと、そこには真っ黒のぴったりとした服を着た男の人が立っていた。どこかで見たことあるような気がするけど、思い出せない。
 男の人はまたも英語で何か言ってきた。聞き取れなくて首をかしげていると、彼がため息をつく。
「……ソーリー、アイムジャパニーズ」
「Japanese?」
「いえす……?」
 男の人は何か言い残して走り去ってしまった。……どうしよう。最後の言葉は「ついてこい」かもしれないし「待っていろ」かもしれない。なまえは悩んだ末、待つことにした。間違えていた場合、ついていったほうが彼の反感を買うと思ったからだ。

 しばらく待っていると、さっきの彼が別の男の人を連れて戻ってきた。もう一人の男の人も全体的に黒っぽい格好をしている。こちらの彼はコートっぽい。だがそれより、額に大きな黒のバツ印があることのほうが気になってしまった。最初に会った彼も目の下に似たような黒い線が入っているが、これは化粧なのだろうか。
「おお、朝早くから何かと思えば」
「え……?」
……日本語だ。日本人には見えないけど、とても流暢な日本語だった。
「やあ、初めまして。僕はドクター・ゼノ。さっき君を見つけたこの男はスタンリー・スナイダー。元軍人だ、いや今も軍人だな我々の」
「なまえ……です」
「つたない日本語ですまないが、君はどこから来たのかな?」
「……国立公園のイベントに参加する予定で、でも気づいたらずっと石の中みたいなのにいて、昨日なぜか急に動けるようになったんです。それで歩いていたら北へ向かえというメッセージを見つけました」
「なるほど君もずっと意識を保っていたというわけか。おお、実にエレガントだ」
 ゼノは今度は英語でスタンリーと会話している。そして意見がまとまったのか、二人同時になまえのほうを向いた。
「さあ、中へ案内しよう。まずは服だね」
 ゼノは上着を脱いでなまえの肩にかけた。裾が長くて地面についてしまいそうだ。汚れないように抱えると、ゼノはにこりと笑って「気にしなくていいよ」と言ってくれた。優しい人みたいでよかった。なまえはすっかり安心して二人の後を追った。

 外から見ただけでもすごかったが、実際に建物の中に入ると感動してしまう。天井と壁があるだけでこんなにも安心できるなんて知らなかった。
「この施設、残っていたものではないんですよね?」
「ああ、僕たちで建てたものだよ」
「すごい……!」
「大したことではないよ。でもそういう反応は新鮮で嬉しいね」
「そうなんですか? ……あの、もしかしてお二人で?」
 中に入れば誰かいるものかと思っていたが、ゼノとスタンリー以外の人は見当たらない。失礼だとわかりながらもなまえは少し心細くなった。
 ゼノが周囲の部屋を見渡す。「まだ早朝だからね」という言葉に、なまえは自身が日の出とともに行動を始めたことを思い出した。
「あと数人いるんだが、まだ寝ているようだ。すまないね」
「あ、いえ……私もこんな朝早くからお邪魔しちゃって……うるさくしてすみません」
「このぐらいなら平気さ」
そう言ってゼノは奥のほうにあるドアを開けた。中にはベッドと机、それから何かの装置らしきものがたくさんある。
「散らかっていてすまないが、座ってくれ」
といっても椅子らしきものの上にはどっさりと物が置いてある。ゼノを見上げると、彼はベッドを指した。やっぱりここか。なまえはベッドに浅く腰掛けた。
「まずは話をしておきたい。ここは君の知る世界から約3700年が経過している。文明はすべて滅んだ。今のところ海外からの救援や通信もない。人類全体が石化したというのが僕の考えだ」
「3700年……?」
ゼノは頷いた。彼は石化してからずっと数えていたと言う。信じられないが、年数を疑ったところであまり意味はない。あれから2000年経っていようが5000年経っていようがなまえにとっては大差のないことだった。
「君には僕に仕えてほしいと思っている。ここでの仕事を手伝ってくれれば衣食住は保障しよう。どうだい? 悪い話ではないと思うけど」
返事は「イエス」以外になかった。こんな場所に一人放り出されたところで死ぬしかない。
 ただ一つ、「仕える」という単語は気になった。協力しようと言われれば喜んで頷けたのだが。……ただゼノが日本語を正確に理解していないだけなのかもしれない。どちらにせよ、あまり考えている時間はなさそうだ。
「私は何をすればいいんですか?」
「話が早くて助かるよ。主な仕事は家畜と畑の世話かな。農業はいずれ機械化しようとは思っているけど、まだそこまでは整っていなくてね」
「わかりました。これからよろしくお願いします」
「……」
 何かまずいことを言ってしまっただろうか。もしくは言葉が通じていないのか。よろしくと言ったはずなのに、ゼノは無言だ。ずっと隣で静かにしているスタンリーに目で訴えても、彼は「さあ?」と言わんばかりに首をかしげる。
「あの「寝不足なのかい?」
「え……?」
「さっきから瞼が痙攣をおこしているね。僕は普段の君を知らないから半分は想像でしかないけれど、外では満足に眠れなかっただろう?」
「あ……えっと、そうです。昨日は眠れていなくて」
「ならまずは休むといい。いや、それとも食べ物が必要かな?」
 ゼノが顔を覗き込んできて、思わず身を引いた。失礼だったかもしれないが、そうしなければ何も考えられなくなってしまいそうなほど近かったのだ。
「……どちらかと言えば、寝たいです」
「ならこのベッドを使うといい。君が目を覚ますまでには服の準備をしておこう」
「ありがとう、ございます……」
「日本ではこういうとき、おやすみと言うのかな」
 ゼノはなぜか楽しそうに言った。ほどなくしてゼノとスタンリーは部屋を出ていき、なまえはベッドに体を横たえる。その瞬間、ずしりと体の上から重しを乗せられたような感覚になった。実際には何もない。だが、まるでまた石になってしまったかのように動けなくなってしまった。瞼を開けているのもつらくて目を閉じる。すると次は目を開ける気力すらもなくなった。今、自分が生きているのか石なのかもわからない。目の前が真っ暗で、体も動かなくて、けれど考えることだけはできる。「意識を飛ばすな」最後に聞いた父の声がおぼろげに頭の中に響き渡っていた。

 がさっ、がりがりがり……。何の音だろう。わからないけど、心地いい。長い間ずっと静寂の中で眠っていたから、音を聞くと生きていることを実感できるのかもしれない。体中にのしかかっていた重りが消え、なまえはうっすら目を開く。散らかっていたはずの椅子に座っていたのはゼノだった。彼は机に向かって書き物をしているようだ。
 ここはゼノの部屋だったのだろうか。考えていたら、ゼノが勢いよく振り向いた。反射的になまえは体を起こした。
「すまない、起こしてしまったね。本当は書類を取りに来たはずだったんだが、瞬間的にいいアイディアが思い浮かんでしまって書き留めていたところだよ」
すぐに出ていくといったゼノをなまえは呼び止めた。とは言っても、ここにいてほしいなんて願い、恥ずかしくて言えるはずもなく。
「あ……、ごめんなさい。なんでもないです」
「ずいぶん眠りが浅かったようだけど、何か関係あるのかい?」
「……金縛りってわかります?」
「いや、聞いたことのない単語だね」
「ええと……、すみません英語でなんて言うかはわからないんですけど、意識はあるのに体が動かないみたいな……また石になっちゃったのかなって感覚があって……」
「なるほど。もしかしたら長い間、意識を保ち続けていたせいで眠り方を忘れてしまったのかもしれないね」
「そんな……」
 あれだけ起きているのがつらくて仕方なかったのに、いざ眠ろうとしてもうまくいかないなんて。なまえの中に絶望に似た感情がうまれる。3700年も起きていたのは間違いだったのかもしれない。
「……ほかのみなさんはそういうこと、ないんですか?」
「少なくとも今いる人間はね。しかし君の症状は非常に興味深い……。疲れているところをすまないが、少し話をしても?」
なまえが頷くと、ゼノは椅子に座りなおした。「ああ、そういえば」ゼノがベッドの端に目を向ける。そこには簡素なワンピースが置かれていた。
「先に着替えるかい?」
「あ……そうですね」
いつまでもゼノのコートを借りたままというわけにはいかない。ゼノには申し訳ないが、一度部屋を出てもらって着替えることにした。
 肌を隠すための草やツルの上からコートを着ていたため、内側に汚れがついてしまっている。なまえは一度コートをベッドの上に寝かせた。
 ぐるぐる巻きにしていたツルがなかなかとれない。力任せにぐいっと引っ張ると、トゲでもあったのか胸の上部がチクリと痛む。
「いっ!」
 見てみると、わずかだが血が出ていた。もう最悪だ。部屋の外のゼノに助けを求めるわけにもいかず、なまえはひとりツルと格闘した。

「すみません、お待たせしました……」
「サイズはどうかな?」
「ちょうどいいです」
 ゼノは部屋に入り、ドアを閉めた。
「ところでさっき、悲鳴のような声が聞こえたんだが……」
「あ……、いえ、ちょっと脱ぐのに手間取ったというか」
部屋の隅に置いたツル草になまえの目線が行く。ゼノはふむと頷いてツルの一つを持ち上げた。
「えっ……」
 今まで素肌に身に着けていたものだ。触られるのには抵抗がある。ゼノはそんなこと気にもしていないのか、まじまじとツルを観察していた。
「毒性のある植物ではないから問題ないとは思うけど、清潔にはしておいたほうがいいだろうね」
「……はい」
今のやり取りで何があったかわかってしまうのがすごい。ゼノは無造作にツルを置いて椅子に座った。立ったままでいるのも気まずいため、なまえはベッドに腰を下ろす。
「さっそくだけど、君はなぜ3700年もの間、意識を保てていたんだい? そうしなければならないという知識はあったのかな?」
「軍人さんが叫んでいたので、それでなんとなく……」
「だが君は英語が得意ではないだろう?」
「父が一緒にいたんです。それで教えてくれました。言ってる途中で石になっちゃったんですけど」
「その言葉がまだ無意識の部分にも残っているのかもしれないね。あと、その叫んでいた軍人というのはスタンだよ」
「そうだったんですね」
 それで聞き覚えのある声だったというわけだ。3700年も前のことを覚えているというのも不思議な話だが、石になっている間は新しい情報も入ってこなかったからあり得るのかもしれない。
 ゼノはもう少し眠るかと尋ねてきた。寝たい気持ちはあるのだが、さっきのような金縛りにあっては余計に疲れてしまう気もする。
「いえ、仕事を……。それと洗濯もさせてもらえませんか。借りていたコートに土がついてしまったので」
「コートのことは気にしなくて……いや、君が気にするならそうしてもらおうかな。僕はどうにもその辺りの機敏に疎くてね」

 なまえはベッドから立ち上がろうとした。しかしその瞬間、目の前が真っ暗になって倒れそうになってしまう。
 床に激突せずに済んだのはゼノのおかげだった。なまえの体はゼノの腕の中にすっぽりと収まっていた。
 触れた体温がとても心地いい。思わず目を閉じてしまうような……いけない、寝そうになっていた。
「っすみません!」
 なまえは飛びのくようにゼノから離れた。ゼノは少し笑っているように見える。
「仕事は明日からでも遅くはないよ。今日はゆっくり休んだらどうだい?」
「でも……」
「にしても興味深い……人肌に安眠効果があるのかな? それとも包み込まれるような感触に安心した?」
「あの……」
 ゼノはなまえの存在を忘れたかのようにぺらぺらと一人で話している。最初はなんとなく理解できていたが、途中からは難解に、さらにそのあとは英語になってしまったから何もわからない。「そういえば!」なまえは久しぶりに大きな声を出した。
「さっき寝ていて音が聞こえたとき、それまで動かなかった体が急に軽くなったというか……」
「おお、君の言葉で言うなら金縛りが解けた、ということだろうか?」
「そんな感じです」
「さっそく検証してみようじゃあないか!」
「え……」
 ゼノは机に向き直って書類らしきものを広げた。
「僕はここで作業をしているから眠ってみてくれ。もしうるさければすぐに退出しよう」
 なまえはゼノの気迫に押されてベッドに横になった。普通ならありえない状況だ。しかしゼノの言うことも一理あるかもしれないと、目を閉じてみる。