相容れない02

「やあ、おはよう。気分はどうかな?」
起き上がるとともに声をかけられたものだから、驚いて変な声を上げてしまった。そういえばゼノに眠りの実験に付き合ってもらっていたのだと思い出し、すぐに返事をする。
「あの、よく眠れたような気がします」
「なるほど仮説は間違っていなかったというわけか。他には五感を刺激して……いや、目と舌は難しいから……」
 ゼノはまたも一人の世界に入ってしまった。終わるのを待ったほうが早いような気がしてなまえはベッドの上で静かにしていた。
 ひとしきり話し終えたのか、ゼノと目が合う。
「すまないね、つい夢中になってしまった。それから一つ提案があるのだけれど」
 ゼノは立ち上がって部屋のドアを開けた。
 ゼノについていくと、別の個室に通された。ベッドと椅子がひとつずつあるくらいで、他には何もない。ごうんごうんと何かの音が聞こえている。
「ここは機械室に近くてね。うるさくて眠れないと苦情が出て今は空き部屋になっているわけだが……」
「……確かに普通ならちょっとうるさいかもしれないですけど、いいかもしれません」
「もちろんうるさすぎるというなら別の部屋を用意するよ」
「ありがとうございます。今日はここで寝てみます」
 まだ休んでおくかと聞かれ、なまえは首を振った。頭も体もだいぶ楽になっている。そもそも、あれからどれぐらいの時間が経っているのだろうか。
「もうみなさんは起きてらっしゃるんですよね?」
「ああ、そうだね。紹介ついでに仕事の説明もしておこうか」

 まず最初にゼノに案内されたのは、家畜小屋だった。牛が十頭ほどいて、想像よりもずっと本格的だ。
 ちょうど小屋の掃除をしているところだったようで、ブラシを持った三人と目が合った。
 ゼノが英語で三人と話している。なまえはどうしていいかわからず、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「紹介するよ。手前から順にルーナ、カルロス、マックスだ。ここでの仕事は飼料の管理と小屋の掃除、それからブラッシングや乳しぼりもあるね」
「……ハロー。あ、アイムなまえ。ないすとぅーみーちゅー」
 英語を話すのはすごく恥ずかしかった。そんなこと言ってる場合ではないとわかってはいるが、発音が下手とか文法がおかしいとか、実はほとんど使わない言い回しなんじゃないかとか、考え出したらキリがない。しかし、三人は笑顔で返事をしてくれた。
 これからはこの三人に仕事を習っていくことになるみたいだ。当然だがゼノにつきっきりというわけにもいかず、英語も覚えていかなければならない。

 さっそく仕事かと思いきや、先に設備の案内と顔合わせを済ませてしまうそうだ。確かにこればかりはゼノの手を借りないと厳しいものがあるから、よく考えてみたら当たり前だった。
 食堂、研究室、それからなぜか訓練所のようなところもあった。ここにいる人たちのほとんどが軍人で、みな同じようにスタンリーの指示を聞いて意識を保っていたそうだ。
「そういえば君は石化中、何を考えていたんだい?」
「えーと……職場も石になってるのかなあとか、動けるようになったらとか、あとは誰かが助けに来てくれないかなーとか……」
「僕も似たようなものかな。考える時間は十分すぎるほどあったからね、おかげでスムーズに行動に移すことができたよ」
 ゼノはさらりと言ったが、おそらく彼は誤解している。なまえは単に空想の世界に入っていただけで、具体的にどうすれば助かるかなど考えていなかった。誤解されたままだと妙にムズムズするので訂正しておく。目覚めるのがあと少し遅ければ諦めていたかもしれないというところまで言うと、ゼノは目を丸くした。
 ……しまった、つい余計なことまで言ってしまった。気まずい空気が流れ、頭が痛くなる。
「……すみません、ネガティブなこと言っちゃって」
「いや……僕は君に会えてよかったと思っているよ」
「ありがとうございます……。あの、そろそろ仕事しますね。ルーナさんたちのところに行ってきます」
 なまえは逃げるようにその場を後にした。

 仕事は見よう見まねで覚えるしかなかった。しかし案外それでも何とかなるものだ。ほとんど「オーケー」だけで会話しているようなものだったが、ある程度は伝わっている気がする。
 ブラッシングをしていたら、牛が気持ちよさそうに鳴き声を上げた。牛を触るのすら初めての体験だったが、なかなか可愛らしい。肉として食べるのではなく乳牛として育てているそうだから、愛着を持って育てられそうだ。
「ランチ」となまえでも知っている単語を口にしたのはルーナだった。オーケーばかり言いすぎて頷くことしかできなかった自分が情けない。
 ルーナたちと一緒に食堂まで行くと、すでに半分ぐらいの人がそろっていた。何となくゼノの姿を探してしまうが、彼は見当たらなかった。
 クラムチャウダー風のスープはあたたかく、思っていたよりも味がしっかりとついていた。おいしい……デリシャス、ヤミー……ベリーグッド? 思いつく限りの言葉で感想を伝えようとしていたら、後ろから「Thank you」と肩を軽く叩かれた。振り返るとブロディが親指をぐっと立てていた。今日は彼が食事当番だったみたいだ。
「仕えてほしい」というぐらいだからそれなりの仕事量を想像していたが、むしろ自由な時間のほうが多かった。石化前のほうが仕事に追われていたような気がする。
 なまえは布をもらって部屋の掃除をすることにした。しばらく人の出入りがなかったためか、ホコリがたまっているのだ。
 窓を磨き終え、それから床を拭いていたらドアが開いた。現れたのはゼノで、手には小さなビンが。中に入っているのは乾燥させた植物のようだった。
「やあ、精が出るね」
「おかげさまで……」
 ゼノはビンを差し出し、蓋を開けた。さわやかな香りがする。
「これは……?」
「ハーブを乾燥させたものだよ。まだ仮説だけど、君の場合は五感を刺激したらよく眠れるんじゃないかと思ってね」
「わ……ありがとうございます。いい香りですね」
「その辺りの知識はルーナが詳しくて助かったよ。礼なら彼女にも言っておくといい」
ゼノはにこりと笑って部屋から出ていった。なまえはベッドの上にビンを置いて掃除を再開させる。嬉しいな、と思っていたらいつの間にか鼻歌を歌ってしまっていた。

 結論から言うと、部屋の騒音はなまえにとって全く問題とならなかった。ハーブの効果も合わさってか、むしろよく眠れている。以前のようにぐっすりとはいかないが、日常生活を送るのには問題ない程度の睡眠はとれていた。

 ルーナたちとコミュニケーションを取りながら仕事をしているうちに、英語が聞き取れるようになってきた。ここに来てまだ二カ月程度しか経っていないが、学校で勉強していたころよりも確実に身についている。必要に迫られるとここまで違うものかとびっくりしたものだ。
 ゼノとは最初のころは日本語で話していたが、なまえからお願いしてなるべく英語で話すようにしてもらっていた。つい甘えてしまいそうになるからだ。しかし、そうは言っても日本語が恋しくなることもある。そこでなまえは一人、牛小屋で秘密の時間を過ごしていた。

「今日もつかれた~」「よしよし、いい子だね」「いつも牛乳、ありがとう」
 なまえが話し相手に選んだのは牛だ。夜にこっそり小屋を訪れて、一方的に話しかけて部屋に戻る。一度だけのつもりが、思ったよりもリラックスできて今では日課のようになってしまった。今日もいつものように牛を撫でながら一日の報告をしていると、後ろから笑い声が聞こえた。どきっと心臓が跳ねる。誰かいるのに全然気づいていなかった。
 声の主はスタンリーだった。見かけるたびに吸っているタバコがないのは、牛に配慮しているからなのだろうか。
「夜な夜な何してんのかと思ったら、こんなんやってたとはね」
 なまえは恥ずかしくなってうつむいた。こんな、ホームシックのようなところを見られてしまうなんて。
「いや、責めてねえって。そんな日本語恋しいならゼノと話せば?」
「……それはしないって決めました」
「ふーん……ま、根性あんのは嫌いじゃねえけど」
「寝ます。おやすみなさい」
 なまえはスタンリーの横をすり抜けて部屋へ戻った。勢いよくベッドに飛び込み目を閉じる。……眠れない。今になって態度が良くなかったんじゃないかと後悔が襲ってきた。スタンリーはただなまえが不審な行動をとっていないか確認しに来ただけだ。笑われこそしたが、否定するようなことは言われなかった。ただなまえが焦っただけだ。ゼノの名前を出されたのも図星だった。
 なまえはいつも、ゼノの姿が見えると目で追っていた。いないと探してしまう。いざとなったらゼノがいるからと心の支えにしていた。それをスタンリーに見透かされたような気がしてぶっきらぼうな物言いをしてしまったのだ。
 自己嫌悪に陥り、目が冴える。いつもは安心する機械の音も今日はうるさく感じる。ハーブの香りだけが頼りだ。
 ごろんと寝返りをうつ。これで何度目だろう。布団を頭まで被ってみても、音のうるささは変わらない。
 なまえはベッドから出て食堂に向かった。明かりが灯った部屋をこっそり覗くと、食卓にスタンリーが座っていたものだからびっくりする。すぐに引き返そうとしたが、彼が不審者に気づかないはずもなかった。
「よお、何してんの」
「……眠れなくて」
「なんか飲む?」
 まるでさっきのことなんて忘れました、という態度だった。なまえは自分で水を用意してスタンリーの横の席に座った。
「……さっきはごめんなさい」
「あー……笑って悪かったよ」
 スタンリーはぐぐっと背伸びをした。
「まだ起きてるんですか?」
「あんたが寝んの早すぎなんだって。っつーかゼノの人使いも荒いのなんの……あ、」
 スタンリーがぱっちりと目を見開いてなまえを凝視する。何か嫌な予感がしてなまえは席を立とうとした。
「あんた、眠れないなら俺の代わりにゼノの手伝いどう?」
「え……」
「俺は寝たって言っといて」
 なまえが「やる」と言っていないにもかかわらず、スタンリーは一人で話を終わらせて言ってしまった。このままではなまえは部屋に戻れない。スタンリーを追うかゼノのところに行って事情を伝えるか――。

 コンコン、と研究室のドアをノックすると中から返事が返ってくる。なまえが選んだのはゼノの手伝いだった。
 ゼノはなまえを見るなり、おや? という顔をする。
「……こんばんは。スタンリーは寝るそうなので、代わりに来ました」
「おお、それはすまないことをしたね。無理せず自分の部屋に戻ってくれて構わないよ」
「いえ……どうせ眠れなかったので、何かできることがあれば」
「ああ、それじゃあ……」
 ゼノは図面を机に広げた。金属でできた爪の先が図面を行き来する。ただ作業内容のことだけを言ってくれればいいのに、原理からすべて説明してくれている。だがなまえにはそのほとんどが理解できなかった。
「ゼノ……さっきから説明ばかりで作業が進んでいないけど」
 これでは手伝いどころか邪魔をしに来たも同然だ。なまえがやんわり説明を遮ると、ゼノが「すまない」と言ってくるから申し訳なくなる。
 なまえはさっそく手を動かした。何がどうなっているのかは半分くらいしかわからないが、言うとおりにするだけなら何とかなりそうだ。
「ゼノは科学者だったんですよね?」
「それがどうかしたかい?」
「科学者じゃなかったら先生とか……向いてそうだなって思いました」
「おお、それは初めて言われたよ。でもそうだな……教え子のように思っていた子なら一人いたね」
「石神千空」ゼノが呟いたのは日本人の名前だった。その千空という子供とやり取りするうちに日本語は覚えたそうだ。
「彼を見ていると子供のころを思い出してね……。次から次へと疑問をぶつけてくるから楽しかったよ」
 なまえは相づちを打ちながら、勝手にその千空という人に負けた気になっていた。千空ならさっきのゼノの話にもきっとついていけたのだろう。何か質問の一つでもすればよかったなと思ったが、そもそも質問ができるレベルまで頭がついていかないのだ。
「まあ僕は平等とは程遠いところにいるから、教師は向いていないだろうね」
「……そうですか?」
 なまえはいまいち納得できなかった。日本人であるなまえに手を差し伸べてくれたゼノが、自分は平等ではないと言うのがわからない。
「生徒にするなら、熱心で可愛げがあるほうがいい」
 ゼノは肘をついてなまえをじっと見た。胸が悲鳴を上げる。なまえは手元に視線を落としながらなんとか返事をした。
「それは……ほとんどの人間がそうだと思います」
「そうかもしれないね」
 なまえはそれ以上返事をせず、手元の金属に集中した。しかし手が滑って床に部品を落としてしまう。
「あっ」
 丸みのある部品はころころと転がって、ゼノの靴にぶつかった。屈んでそれを拾おうとすると、ゼノの長い付け爪に手が触れる。ゼノも部品を拾おうとしてくれていたようだ。
「……すみませんっ」
 触れた先はひやりとしていた。不自然なほど手を引いてしまってなんとなく気まずい。しかしゼノはそんなこと気にもしなかったようで、拾った部品をひょいと渡してくる。
「ありがとうございます」
「いや、怪我はしなかったかい? たまに紙なんか裂いてしまうんだ」
「大丈夫です……」
 なぜそんなものをつけているのかは聞けなかった。なまえは黙って作業に戻る。一つ、二つと部品を完成させていくにつれ、徐々に眠気を感じるようになった。
 ふあ、とあくびをかみ殺す。生理的な涙をぬぐって作業に戻ろうとすると、ゼノに声をかけられた。
「僕の授業は退屈だったかい?」
「いえ、そんな……」
「ふふ、冗談さ。眠くなったのなら寝ておいで」
「……すみません、あまり役に立てなくて」
「そんなことはないさ。眠れないときはいつでも歓迎するよ、なにせ人手不足だからね」
 なまえが「はい」と答えたとき、ゼノの目線はとっくに手元に移っていた。少し寂しさを覚えながらなまえは研究室を出る。
 部屋に戻ってベッドに入ると、不思議と機械の音は気にならなくなっていた。