人魚姫になりたかった01

「ぶっちゃけあたし、司くん派だなあ」
ピリリとした空気の中、のんきな声を上げたのはなまえだ。千空や大樹、杠が呆然としているにもかかわらず、なまえは司の腕にするりと絡みついた。
「テメー自分の言ってること、わかってんのか?」
「わかってないのは千空くんのほうだよー。本気で全人類救おうと思ってる?」
「ったりめーだ」
「ふうーん」
なまえは司の腕に胸を押し付けた。しかし司は微動だにしない。それどころかなまえを見ることもしなかった。
 考えすぎた結果か、司の蹴りのダメージが残っていたのか、大樹が気絶する。話はうやむやのまま終わった。「自分のすべきことをする」と言った司についていくと、司は躊躇なく大人たちの石像に拳を入れた。

 なまえは千空が復活液の試作をしているときに目覚めた人間だ。ちょうど千空が一羽のツバメを蘇らせたとき、その液体をたまたま近くにあったなまえの石像にもかけたというわけだ。だからなまえがずっと意識を保っていたというわけではない。
 なまえは最初、千空をおだて喜んで従っていた。しかし司が目覚め、人間を間引くと言ったとたんに意見を変えた。つまるところなまえ自身に大した思想はない。ただ千空よりも司のほうが怖かったというだけだ。

――失敗したな。 なまえはさっそく後悔していた。司を選んだことではない。すり寄りかたを間違えた。千空を「ヒーローだ」「頭が良くてかっこいい」と持ち上げていたときもそうだったが、全く色目が効かない。しかし、だからといってこれ以外の方法をなまえは知らなかった。いきなり態度を変えるわけにもいかず、なまえは石像を殴る司の隣で居心地の悪い思いをしていた。

 そうこうしているうちに、千空たち三人は逃げてしまった。司は千空を追って殺すらしい。何もそこまでしなくてもというのがなまえの本音だったが、当然それは口にしない。
「気を付けてね~」
「連れて行ってとは言わないのかい?」
「それだと追いつけなくない?」
「君が構わないなら抱えてでも連れていくこともできるけど」
「……どうして?」
「一人じゃ危険だからね」
――嘘だな。
 司の考えていることはなんとなくわかる。留守のうちになまえが勝手に奇跡の水を使わないかと心配しているのだろう。もしかしたら千空側のスパイと疑われているのかもしれない。
「詳しい復活液のレシピなんてわかんないし、心配しなくても大丈夫だよー」
「うん。そこまでわかっているなら構わないよ。奇跡の水を無駄にしないよう、定期的に器の交換をしておいてくれるかい?」
「おっけー任せて」
なまえはひらひらと手を振った。司が行ったのを確認して、千空たちが散らかしたままのツリーハウスにころんと寝転がる。もうこのまま司が帰ってこなければいいな、なんて思いながら昔好きだった歌を口ずさむ。

 司が出発してから数週間後、なまえは言いつけ通り洞穴に来ていた。奇跡の水がいっぱいになった土器を交換するだけ。なまえは簡単に考えていたが、実際に洞穴の中に入るのは初めてだった。
 水がなみなみと入った器を持ち上げ、カラの容器を同じ場所に置く。ここまではよかった。しかしなまえが洞穴を出ようとしたところを、コウモリが襲い掛かってきたのだ。
――ガシャン!
「あ、あ……」
奇跡の水はまたたく間に土に吸収されていった。土器の落ちた部分の土をすくい上げてみたが、これが使えるのかどうかもわからない。ついでに割れた土器の破片で指を切ってしまった。
 濡れた部分の土はできるだけ拾い上げて別の容器の中に入れておいた。しかし司が帰ってきたときのことを考えると泣きたくもなってしまう。司の帰りがずっと後で、奇跡の水がたくさん集まったあとなら一つくらいなくなっていても気付かれないかもしれないが、もし今の瞬間にでも帰ってきたら……。なまえは洞穴の入り口の近くで、体育座りの膝におでこを押し付けた。
「何をしているんだい?」
 なぜ、こういうときに限って嫌な予感は当たるのだろう。こんなことなら器の交換なんてしないほうがマシだった。これじゃあ殺されたっておかしくない。なまえがうつむいたまま涙を流していると、とつぜん手を握られた。……かと思えば、次の瞬間には横抱きにされていた。
「さ、触らないでよヘンタイ! 殺人鬼!」
「うん、それが君の本音だね」
 なまえは司に抱かれながらジタバタと暴れた。しかし司にとってはなんともないようで、なまえを抱えてスタスタと歩いている。なまえが解放されたのは、川辺についてからだった。
 司はなまえを座らせると、汚れた手を取って水の中に入れた。ある程度土が流れた後は石鹸を使って、指をひとつひとつ丁寧に洗っていく。
「……なに?」
「この世界に医者はいない。かすり傷ひとつだって致命傷になりかねないのに、傷口を泥で汚れたままにしておくなんて自殺行為に等しい」
「ふつう女の子が泣いてたらどうしたのって聞かない?」
「何をしているのかと聞いて、答えなかったのは君だ」
「……」
司の指は太くてゴツゴツしていた。石像だって壊せる手なのに、その手つきはひどく優しい。
「君の近くにあった割れた土器、集められた土、黄色く変色した君の手……おそらく君は硝酸のたまった器を落としてしまったんだろう」
「……硝酸?」
「奇跡の水の正体だよ。千空に復活液のレシピも聞いてきたから、次は誰かを起こすことができる」
「前から思ってたんだけどさあ……司くん肉体派の顔してめちゃ頭いいじゃん。千空くんと頭脳コンビ行けるよ」
「……千空はもういない」
 司は辛そうな顔をしていた。自分でやったくせに、と思わなくもない。
「ほんとに殺したの?」
「殺したよ。……うん、君の言った殺人鬼というのも間違いじゃない」
 司は泡だらけになったなまえの手をふたたび水に浸した。泡は綺麗に流れ、傷口だけが残る。
「薬草を探してくる」
「え……いいよ、」
 司は首を振った。「怪我をさせた原因は俺にもある」と、ずいぶん酷いことをしたかのような顔で言うのだ。
 残されたなまえはつま先で川の表面をちょんとつついた。驚いた小魚の群れが周囲に散る。両手ですくってみたが、一匹も捕まえられなかった。

「……どうしてそんなに濡れているんだい?」
水しぶきでびしょびしょになったなまえを見て、司は一瞬言葉を失った。だがすぐさま採ってきた薬草を石でつぶし、なまえの傷口に当てる。なまえからの返答はなかった。しかし「いたい」と文句だけは立派だ。司は無視して薬草の上からツルを巻いて固定した。
「これからのことだけど、復活させる人間の候補を集めておこうと思う」
「候補って?」
「まずは顔の広い人間がいい……。一応聞いておくけど、君の希望は?」
「……女の子」
「ああ、それなら心当たりがあるよ。というか最初からそのつもりだった。復活液を作る前に見つけられるかはわからないけど……」
「司くんの知り合い?」
「そんなものかな」
「彼女?」
「俺に大切な人はいないよ」
「ふーん……」
 司に手当された部分を動かす。ツルがぐるぐると巻かれていて動かしづらい。これでは何の作業もできなさそうだ。
 司が立ち上がると、なまえが座っていた部分はちょうど日陰になった。縦にも横にも大きい彼は、自分とは違う生き物のように思えた。
「俺にとって有害なのは既得権益を主張する心の汚れた大人たちだ。だけど君からしてみたら、力で他人を支配する……俺みたいな男がそうなんだろう」
「……かもね」
 遮られた太陽の光がふたたびなまえを照らす。そうしてずっと光を浴びていたらいいのに、なまえは司を追いかけた。