人魚姫になりたかった02
「それ、やめたんじゃなかったのかい?」
住居としている洞窟の中で、司はうんざりしたような声を上げた。隣にぴたりと陣取るなまえはにこりと笑う。
「やめたって?」
「君が俺をどう思っているかはだいたいわかっているつもりだけど」
「なんのことかわかんない」
なまえは悪びれることなく言ってのけた。
なまえの「媚び」は司と二人きりになってからは一切行われることはなかった。しかし復活液を作り仲間が増えてからというもの、なまえは特に人前で司にひっつくようになったのだ。
「獅子王司の女」と認識されれば楽だと判断してのことだった。なまえの狙い通り男性陣からは距離を置かれている。女性陣から反感の眼を向けられているのは少々痛いが、今のところ危害を加えられるようなことはない。司も無理に振りほどくようなことはしないから、なまえとしては平穏に過ごせているつもりだ。
「司くんもまんざらでもなかったりして」
「こういうのが好きな男は他にいると思うけど。それこそ君のために一生懸命働いてくれるんじゃないのかい?」
「ダメ! 簡単にヤれそうとか思われたら一貫の終わり!」
「……そういうことはあまり大声で言わないでくれ」
背けられた司の顔が赤く染まっている。なまえは面白いものでもみつけたかのように「わ」と声を上げた。
「司くんも照れたりするんだー」
「なまえ」
子供に言い聞かせるような口調だった。
司は面倒見がいい。あの日、手を洗ってくれたときもそうだった。なまえはどちらかというとだらしない性格で、朝昼と食事を忘れることもあった。たいていは寝ているのだけれど、司はそんななまえをいちいち起こしては食事を取らせようとする。そしてそのまま仕事に駆り出されるのだ。
もちろん人が増えてからは司がなまえにかかりきりというわけにはいかなかった。むしろ今となってはなまえから司にべっとりとくっついている。他人の目もあり必要最低限の仕事は言われなくてもこなすようになり、司からの小言は日々少なくなってきていた。
「司くん子供好きなの?」
「急にどうして?」
「すごい世話焼いてくるし」
「君はもう子供って言えるような年齢じゃないだろう」
「えー。まだ未成年だよー?」
はあ、と司がため息をつく。なまえはわりと好き勝手やっているが怒られたことは一度もない。
「……ほら、人が来るよ」
むしろ協力的とさえ言える。
はーい、と返事をして司に寄りかかる。しかし現れたのが羽京だとわかれば、なまえはすぐさま司から離れた。
「そこまで行くといっそ清々しいよね」
「だってもう羽京さんにはバレてるしさ~。演技したって意味ないもん」
ちなみに羽京のほうから「聞こえてるよ」と言われたわけではない。羽京に隠し事はできないという噂を耳にして、なまえが自ら聞いたのだ。そのとき羽京が苦笑いしていたのをよく覚えている。誰にも言わないから気にしなくていいとは言われたものの、バレているとわかってなお茶番を続ける気はなかった。
その他にも氷月、ゲンの二人にはなまえと司がそういう関係ではないことが知られている。ゲンには普通に演技だということを見抜かれた。そして氷月にいたっては槍を向けられて白状した。「司クンをたぶらかして何が目的です?」と、あれは本当に怖かった。司が止めてくれなかったらと思うと今でもゾッとする。
羽京の仕事は主に狩猟と監視であり、今日もその報告で司を訪ねて来たようだ。特にトラブルなく順調。なまえはそれを聞いて人知れずほっとしていた。千空のときのようにしょっちゅう殺すだの殺さないだの揉めていたら、いくら心臓が合っても足りない。千空のことを思い出すと今も胸が苦しくなるが、大樹や杠だって結局はこっちに戻ってきたのだ。あのときの選択は間違っていなかったんだと思いたい。
司は羽京とこれからの方針について話している。なまえはそういった会話にはあまり参加していない。すーっと司の横から抜け出したなまえは、その日の作業のため広場へ向かった。
ここでは旧世界のように一日のほとんどを労働や勉学に費やすということはない。働かないことは許されていないが、楽と言えば楽だ。その代わり、おそらく一生原始的な生活からは抜け出せないということが決まっている。
司が率先して起こしているのは肉体労働に長けた人間だ。そうでなくても、何らかの特技を持っている人しかいない。なまえは司に選ばれたわけではないから、できることが少なかった。今は主に食料の下ごしらえを担当している。たとえば山菜についたゴミや食べられない部分を取り除き、茹でるか暗所に保管するかといったところだ。
もくもくと山菜の根を洗っていたら、話し合いが済んだらしく羽京が近づいてきた。「終わったよ」とは言われたが、特にそれを待っていたわけでもないので生返事になる。
羽京はなまえの隣に座ってまだ泥のついている山菜を手に取った。
「なまえは司のこと好きってわけじゃないの?」
「えー、羽京さんがそれ聞くの?」
「うん……まあ演技でやってるってのはわかったけど、それでもなんか不思議な感じがするんだよね君たち二人って」
「んー……ああ、でも独占欲はあるかも」
「何それ俺も聞きたい」
「……うわ」
いつの間にかゲンが隣に座っていた。両隣を羽京とゲンに固められて、一種の尋問のようだ。
「ゲンくん仕事しなよ~」
「今日のノルマはもう終わっちゃったから後はフリーなの」
「むしろこれが仕事みたいなもんじゃん」
「確かになまえの言うことも一理あるね」
「えー、羽京ちゃんもなまえちゃんの味方? 俺、羽京ちゃんに加勢しようと思って来たんだけど」
で? とゲンがにこりと笑う。ゲンに何でも話すのは抵抗があったが、ここまで来て誤魔化すのも面倒だった。
「司くん世話焼きだから、ちょっと優越感~みたいな」
「あー、なるほど?」
「でもほんとそれだけ。司くん全然あたしに興味ない……ってか女の子に興味あるのかな。ゲンくんその辺知らない? テレビで共演してたよね?」
「いやジーマーで知らない。むしろ探るなら羽京ちゃんじゃない?」
「僕に振らないでよ」
「……まあ司くんに彼女できたらべたべたするのはやめようとは思ってる。めっちゃ惨めだけど!」
なまえは明るく言ったが、なんとも微妙な空気になってしまった。すっかり綺麗になった山菜の束を持って立ち上がる。一つ落ちてしまったゼンマイは羽京が拾って腕の中に収めてくれた。
「ありがと」
「どういたしまして」
「じゃあ二人ともまたね~」
なまえは調理場へむかった。山菜はだいたいスープにされる。運が良ければそこに肉も加わるが、肉は保存に回されることのほうが多い。冬のことを考えたらそれが一番なのは間違いないが、旧世界の人間がいつまでそれに耐えられるかは疑問だ。それでも今のところ目立った争いが起きないのは、司の圧倒的パワーとカリスマによるところが大きいのだろう。
スープに切った山菜を入れ、火の番を交代する。見ているだけなのは楽だが、暇で仕方がない。気分で土鍋のなかをかき混ぜたりしているが、ほとんど意味はないような気がする。味見をしたら本当に昨日食べたスープと何ら変わりない味がした。
「ただいまー」
「おかえり」
司のこの返事にも慣れたものだ。ただいまと言えばおかえり、おはようと言えばおはよう、おやすみと言えばおやすみが律儀に返ってくる。初めてそれを知ったときは胸がきゅんともしたが、三日もすればときめきもなくなる。図体に見合わずかわいいところもあるというのがなまえの司に対する評価だ。本人に言ったらきょとんとしていたから、そういうところだよと言いたくもなってしまう。
「司くんお昼たべた?」
「いいや、今日はまだ」
「あー……じゃあスープ持ってくればよかったね。さっき作ったから」
「ああ、あとで食べに行くよ」
「食べた後は予定あるの?」
「海岸のほうに行こうとは思っているけど」
ああ石像を壊しに行くのかな、と思った。司は定期的に一人で出かけ、おそらくそのたびに石像を壊してきている。今のところ誰かがお供したという話は聞いたことがない。
「思ったんだけどさあ」
「うん?」
「みんなで壊しに行ったほうが早くない?」
なまえは自らも石像を壊したいと思って言ったわけではない。司の良心を確認しかったのだ。そして思った通り、司はなまえの提案に首を振る。
「理想の世界を作るため、俺は確かに手を汚す覚悟をした。だけど全員にそうほしいと思っているわけじゃない」
「そっかー。なんか踏み絵? みたいな感じになると思ったんだけど」
「ああ、忠誠心を試すってことかい?」
「そうそれ!」
「……心から忠誠を誓ってくれなくたって構わないよ」
「……そうなの?」
「暴力で心までは支配できないからね」
なまえは返す言葉を迷った。司の口調は穏やかで、しかし言い方を変えると諦めているようにも聞こえる。覚悟を決めたというわりには、あまりにも弱々しかった。
「司くん力だけじゃなくてそうとこも見せたほうが人気でそう」
「君はそうなのかい?」
「……えっとータイプなのは優しい人?」
今日の司のため息はいっそう大きく聞こえた。もう食事に行くというからなまえも別の仕事を探しに行く。べつに今日はもう働く必要はなかったが、そうでもしないと司の苦しそうな表情が頭に浮かんできそうだった。