ハリネズミ01

 スタンリー・スナイダーという名前を聞いて真っ先に思いつくのが学校一のモテ男だということだ。容姿よろしく成績優秀、スポーツ万能でまさに非の打ち所がない。女にモテるがつるんでいるのは男友達ばかり。フラれた女は数知れず。でもそういうところも素敵。女友達の間で何度スタンリーの話をしたかは覚えていない。そういう私もスタンリーのことはちょっと好きだった。
 私が日本からアメリカに引っ越したのは小学生のときだった。両親の仕事の都合だ。祖父母の家に住んで日本の学校に通い続けるという選択肢もあったが、幼かった私はお父さんとお母さんを選んだ。後悔はしていないけど、日本が恋しくなることは何度もあった。
 スタンリーを初めて見たのはアメリカの学校に転入して三年後。同じクラスだったゼノのところに遊びに来たのが彼だ。それからは幼馴染だという彼らが楽しそうに話しているのを見るのが私のひそかな楽しみとなった。

 コロコロと転がってきたペンがつま先にあたる。誰のだろうと思いながら拾うと、ペンを追ってスタンリーが歩いてきたのが見えた。
 ぱちりと目が合うだけで胸がときめいた。やっぱり間近で見るとかっこいい。話すきっかけにならないかと期待しながら拾ったペンを渡すと「ドーモ」という素っ気ないお礼が返ってきた。……うん、わかってた。だってそういうところが人気なんだもの。これだけであればスタンリーと話せたハッピーな一日として終わるはずだった。でも、そのときゼノが余計なことを言ったのだ。
「せっかく拾ってくれたというのに冷たいな、君は」
「あ?」
 悪態をついたのはゼノだというのに、スタンリーはなぜか私のことを睨みつけた。
「……あんた、俺のこと好きだろ」
 びっくりしすぎて否定の言葉も出てこなかった。呆然とする私にスタンリーはなおも冷たい目を向けている。
「いっつも不躾な視線送りやがって。あんたらいつもそうだ、俺のことアクセサリーか何かだとでも思ってんだろ」
 スタンリーの言っていることは半分わからなかった。けど、もう半分は心当たりがあった。だから否定できなくて、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。これじゃあ全部そうですと肯定したようなものだ。
「スタン、僕が悪かった。彼女はなにも悪いことをしていない」
「ゼノ、あんたも言ってたろ。実るはずもない恋に焦がれる時間ほど無駄なものはないってな」
「いや、それは彼女のことでは……」
「何が違ぇの」
 スタンリーは吐き捨てるように言って教室を出て行った。バタン、と勢いよくドアが閉まる。その瞬間、ざわざわと周りの声が聞こえてくるようになった。みんなが私の話をしてる。かわいそうとか、泣いてるとか、誰か声かけろ、とか。気持ち悪かった。スタンリーも同じだったのかもしれない。周りにキャーキャー言われるのにうんざりしていたのかもしれない。だけど彼のことを許して自分の行いを反省できるかというと、そこまで私は人間できていなかった。
 その日の放課後、帰り道にゼノをみつけた。目が合ったが、すぐに私は目を逸らした。うつむいたまま彼の横を通り過ぎようとすると「待ってくれ」と声を掛けられる。
 本当は無視して帰りたかった。だってさっきの今でまともに話せる気がしない。それでも無視できなかったのは、私に度胸がないからだ。
「すまない。スタンリーは機嫌が悪かったんだ」
 私はうなずくことしかできなかった。心の中では「ゼノが余計なことを言ったからあんなことになったんだ」と思っていたけど、わざわざ謝りに来てくれた彼にそれを言ってしまうのはいけない気がした。
「朝にね、ミドルスクールの生徒に待ち伏せされて告白されたんだ。それで断ったら、ひどい捨て台詞を吐かれてね」
 八つ当たりだったんだよ、とゼノは言う。スタンリーも反省しているということだが、これはゼノの嘘のような気がした。
 私は声を振り絞って「ありがとう」とだけ言った。歩き出せば、ゼノが追ってくる気配はない。
 家に帰って、お母さんに日本に帰りたいと泣きついた。そう簡単にできることじゃないとわかっていたのにお母さんを困らせた。わんわんと泣く私にお母さんはハンバーグを作ってくれて、お父さんは仕事帰りにケーキを買ってきてくれた。それでも明日、学校には行きたくない。でも、休んだらフラれたからだって噂される。告白したわけでもないのに!

 いつになく重い教室のドアを開くと、友達が私のところまで駆け寄ってきてくれた。「あんなクソヤローのことなんて忘れちまえ」って、昨日までかっこいいと言っていた相手なのに彼女らは容赦なかった。
 一番怖かったのは休み時間にスタンリーがゼノを訪ねてくることだ。もう次は睨まれただけで泣いてしまいそうだったから、私は教室を離れることにした。ところが、歩き回っていた矢先に彼の姿をみつける。
 かなり遠かったにもかかわらず、スタンリーは私に気付いた。ふいと顔を逸らされて、やっぱりゼノが嘘をついていたんだと確信する。すごく腹が立って私はそのまま教室に戻った。なんで私がスタンリーなんかのために教室から出ていかなきゃいけないんだ。
 それから数日、スタンリーと会うことはなかった。もう教室にも来ないんだと安心していたら、何事もなかったかのようにゼノを訪ねてきたから本当に信じられない。もちろん謝罪なんてものはなく、卒業まで目が合うことすらなかった。
 ミドルスクールからは授業が選択制になるから、彼と同じコマを選ばなければ会わずに済む。だけどスタンリーのために自分の受けたい授業を受けられないなんてと好きに受講登録をしたら、週に四日も彼と顔を合わせる日ができてしまった。まあ必修科目の関係もあるから多少は仕方がないのだけれど。
 彼がどう思っていたかは知らないが、私は彼のことを空気だと思うことにした。私は学びに来ているのであって、恋人探しに学校に来ているわけじゃない。そうして吹っ切れた私はというと、成績が見違えるほどよくなり、ついには研究職に就くことになったのだ。

 今となってはスタンリーに感謝している。デスクでコーヒーを啜りながら彼の幼馴染にそう言ってみれば、ゼノはさも愉快だと言わんばかりにイスの背もたれをギシッと鳴らした。
「おお、彼にもそう伝えておこうか?」
「それは遠慮しておく」
 世間は狭いという言葉の通り、就職して数年後、私はゼノと再会した。彼も私がこの道に進んでいたことは知っていたらしい。久しぶり、と大人になった私たちは握手を交わした。
 ゼノによるとスタンリーは軍人になったそうだ。この名前を聞いて怒りも沸かなくなった私はかなり大人になったと思う。だからって興味があるわけではないが、ゼノの交友関係が職場とスタンリーの二択らしく彼のことはよく話題になる。最初はゼノも私に気を使っていたと言うが、どこがどう気を使ったのかと聞きたいほどそれはわかりづらいものだった。今となっては私が平然としているからか、スタンリーの話題は尽きない。職場で彼の話が通じるのが私しかいないからつい話してしまうのだろう。もっとも、職務に悪影響が出るほどのお喋りではなかったけれど。
「そうだ、今度三人で食事でもどうだろう!」
「絶対に嫌」
「おお、どうしてだい?」
「むしろどうしてそういう発想に?」
「三日後の国立公園での技術の祭典」
「それがどうしたの?」
「来るのさ、スタンリーが……というか軍の特殊部隊がね」
「……そんな話聞いてないけど?」
「ついさっき決まったことだから知らなくて当然さ」
「いくらなんでも急すぎるでしょ」
「ああ、確かに急だ。だがそうも言っていられない状況だとは思わないか?」
ゼノはツバメの形をした石をつついた。というか「おそらくツバメだった石像」というのが我々の認識だ。石像の内部には骨や臓器まで作られていて、硝酸をかけると頭部付近に電磁波が発生する。つまりまだこのツバメは生きているのだ。
 未知の兵器によるテロ、他国の攻撃、考えられる線はいくつかあるがまだどれも推測の域だ。そしてこれはまだ極秘の情報。祭典で公表しようとでもいうのだろうか。しかしそれにしては話が逸れている気もする。今は三人で食事がどうかと話していたはずだ。
「で、それと食事に何の関係が?」
「いや、いきなり再会したら驚くかと思ってね。これでも僕なりに気を利かせたつもりだったんだが」
「余計なお世話。お互い仕事なんだから……。たぶん話すこともないだろうし」
「それなら安心したよ。三日後が楽しみだね」
「……楽しみではないけどね」

 そして祭典の日。……できれば会いたくなかった。だけどゼノの近くにいれば必然的にスタンリーは目に入ってくる。彼ら二人が話している様子はなんだか懐かしくもあったけれど、会話に入っていこうとは思わなかった。
 失敗したなと思ったのは、ゼノがスタンリーに私のことを話していないか確認していないことだ。もし話していないなら初対面の振りをしてしまえばいい。お喋りのゼノのことだからあまり期待はできないけれど、いちおう彼は私に気を使っているということだからあり得ない話ではないと思うのだ。……まあ話す機会さえなければそれでいい。事の真相はあとでゼノに聞いて、もしまだ話していないなら念のために口止めでもしておけばいいだろう。私は祭典が終わるのを静かに待った。しかし、答えを得ることなく私たちは滅びの光を浴びた。

 再び動けるようになったのは約3700年後だった。意識を保てというスタンリーの号令のおかげか、数名が同時に目を覚ましたのだ。
 これはもう全員が協力するしかないという状況だ。それなのに私は
「ごめんなさい、ぜんっぜん記憶になくて! ミスター、お名前を聞いていい?」
「あ?」
……つい彼にケンカを売ってしまったのだ。