ハリネズミ02
「君のことはもっと冷静な人間だと思っていたよ」
「本当にごめんなさい」
ゼノの言葉は全くもってその通りだった。過去のことなんて水に流して協力すべき。頭ではわかっていたのに、いざスタンリーを前にすると笑顔を作ることすらできなかった。大人になったつもりだったけれど、どうも私の勘違いだったみたいだ。私が落ち込んでいるのを察知したのかゼノは「まあ気持ちはわかるが」と嘘みたいなことを言う。絶対わかってないでしょ呆れてるでしょ。
軍人さんたちが周囲の探索をしているあいだ、私とゼノはヒモを作りながら今後について話し合っていた。目先の目標としてまずは衣食住の確保。ある程度生活が安定すればデントコーンの栽培に手を出したい。飼料にも燃料にもなるデントコーンさえ手に入れれば、できることは格段に増える。本来は食用として育てられたものではないが、この環境で食べない手はない。
しかし西海岸のコーンベルトまではある程度距離がある。地形の変化で迂回を余儀なくされた場合を考慮すると、すぐに出発というわけにはいかない。だけど最終的な拠点がコーン帯になるのだとしたら、ここで生活基盤を整えすぎても時間のロスになるのだ。
「我々のいたピナクルズ国立公園は硝石の洞窟だらけだからね、家を建てるより洞窟をそのまま利用するのがいいかもしれない」
「大きなテントを作って少しずつ移動するというのは?」
「テントの材料は動物の皮かい? 衣類もないままテントを作ろうというのはどうだろうね。時間短縮になるのなら僕は構わないが……羞恥心を持てば作業効率が落ちるだろうし、何より怪我のリスクも上がる」
「うん……テントはいらないね。私もまず服が欲しい」
今の格好はほぼ裸とも言える。その辺にあった植物をぐるぐると巻いているだけだ。べつに誰がどうとか何かを言われたわけではないけど、普通に恥ずかしいし目のやり場にも困る。今だって私はゼノと会話しているけど、作りかけのヒモしか見ていない。
ヒモは動物を捕まえる罠に使う。それから火起こし。ヒモの作成が終われば、次は石を削ってナイフのようなものを作ることが決まっている。いま探索に出てもらっている彼らは、食事や水の確保に加えて手ごろな大きさの石を持ち帰るよう指示されているのだ。そしてこの指示を目覚めてすぐ出したのがゼノだ。ずっと石になっている間も考えていたのだろう。私もある程度は考えていたつもりだったけど、ゼノに比べれば全然だった。
「もし私が一週間だけでも早く目覚めてたら死んでいたかも」
「肉食動物の危険性なら今もまだ排除できていないが」
「そういう意味じゃなくてね……」
言葉が途切れたのは誰かが近づいてきたからだ。すぐにゼノが「スタン」と呼ぶ。私は顔を上げなかった。これはスタンリーだからではなくて、見てはいけないものが目に入ったらいけないと思ってのことだった。
「川は近いぜ。そこに石もゴロゴロ転がってる」
「おお、エレガントだ!」
ゼノが何かに夢中になっている。そんなにすごい石でもあったのか。薄目で見てみると、もはやそれは石器だった。
「すごい」
言ってしまってからヤバイと口をふさぐ。ゼノは同調してくれて、スタンリーは何も言わなかった。
私があんなことさえ言わなければスタンリーとは普通に……とはいかなくても少しは話せていたかもしれない。もし話してくれなかったとして、それは彼の非だと私は胸を張れた。せっかくのチャンスを私は棒に振ったのだ。
それから一度全員が戻ってきたのを確認して、私たちは川辺に移動した。運のいいことに近くに洞穴もあったらしい。ただ、全員で眠るスペースはないようだ。
この世界で目覚めて初めての食事が魚だったというのは、かなり贅沢なほうではないだろうか。槍を作って魚を捕える彼らがすごく頼もしく見えた。
とても魚を捕まえられる気はしなかったから、私は作ったヒモで火を起こすことにした。木が湿っていないかだけが心配だったけど、触った感じは大丈夫そうだ。
着々と木のクズが溜まっていく。しかしもう少しだというところで――
「熱っ!」
飛び跳ねた火の粉が腕にあたった。だけど今やめたら最初からやり直しだ。もう少しの辛抱だと手を動かし続けていたら、ふいに腕を掴まれた。
腕を掴んだのがスタンリーだったということにまずびっくりして、彼が私の腕を川に浸したところで頭が追い付かなくなった。
「……ありがとう」
この一言にどれほど時間を掛けたかことか。今なら言える気がして謝罪の言葉を続けた。
「何が?」
人から返事が返ってきただけでこれほど感動したことは未だかつてない。私は川の中を眺めながら慎重に言葉を選んだ。まずはさっきのことだ。元をたどればエレメンタリースクールで、ただの同級生だった彼をアイドル扱いしたことまで遡るのかもしれない。だけど、それを口に出す勇気はなかった。私だってひどい目にあったんだからと思っているところもある。
「……覚えてないふりをしたこと」
「別にどうでも」
スタンリーは私の腕から手を離した。しかし川から手を出そうとすると「出すな」と目で圧をかけられる。
それからスタンリーは洞穴のほうへ歩いて行った。洞穴は今ゼノが調査をしているところだから、その経過を聞きに行ったのかもしれない。
いつまでこうしているべきだろう。何か片手でできる作業があればいいのだが、すぐには思いつかない。何より働いているみんなに申し訳ない。……嘘だ。いや、嘘というわけじゃないけど、本当は「あいつ役に立たねえな」と思われているんじゃないかと怖かった。
――あと十分したら戻ろう。じっと川の底を見つめながら頭の中で秒数をカウントする。もちろんゼノみたいに正確にはできないから大体だ。五分くらい数えたところで後ろがワッと盛り上がった。振り返ってみると、すでに火がついている。……名前はなんと言ったか、プラチナの指輪を口に入れていた彼がやってくれたらしい。
そろそろいいかと思っていたところに、マヤが近づいてくる。元格闘家全米チャンピョンの彼女のことは一方的に知っていたから、なんとなく安心する。戦っているときの迫力はすごいものだったが、インタビューを受けているときの彼女はどちらかというとふんわりした印象なのだ。
「大丈夫ぅ~?」
「ん、もうそろそろ作業に戻ろうかなって」
「でももうすぐ食事じゃないかしらぁ」
マヤが指した先を見ると、串刺しにした魚がこんがりいい色に焼けていた。すごくおいしそう。でも火の近くに刺してあるから油断したらまた火傷してしまいそうだ。
私の心配は杞憂で、軍人さんたちがパッと魚を焚き火のそばから回収して、一人一人に配ってくれた。すごい、ちゃんと人数分ある。串焼きの魚にかぶりつくなんて物語の中だけの話だと思っていたから、いざ目の当たりにするとワクワクした。
塩がないから微妙かなと思っていたら、思いのほかおいしい。ただ、小さいサイズの魚だからあまりお腹はふくれない。早々と食べ終わった私はゼノに次の指示を仰いだ。
「もう少し探索はすべきだと思う。食事が魚だけというのには限界があるからね。果物や山菜、それから草食動物が見つかればいいんだが……」
「とりあえず食べられそうなものを拾ってきたらいい?」
ここでゼノはなぜかスタンリーを呼んだ。「ん」と短く返事をした彼の声は穏やかだ。そういえばゼノに対してはいつもこんなだったなと昔のことを思い出す。
ゼノは確かめるような口調で言った。
「君たち軍人はサバイバルの経験もあるね?」
「まあ個人差はあるけど大体な」
「おお、すばらしい。では食べられる草というのもわかるものだろうか」
「毒なきゃ大抵食えっけどね」
「なるほど。それなら何組かペアを組んで探索に行ってもらおう。ただ半分程度の人数は道具作りを継続してほしい」
それなら私は引き続き道具作りだろうか。もうほとんどゼノとスタンリー二人の会話となっているしと遠ざかろうとしたら、ゼノに呼び止められる。少し嫌な予感がした。
「次は君にも歩いてもらいたい。研究者としての目も必要だからね」
「でも私、サバイバル知識とかは」
「そのためのペアじゃないか」
ゼノは得意げに言った。彼の目は私とスタンリーに向けられている。ほら、嫌な予感があたった。びっくりしたのはスタンリーが文句ひとつ言わないことだ。ゼノの言葉だからなのか、すべきことをならなんでもするというプロ意識なのか。どちらにせよ、これからのことを想像すると地獄だ。気のせいか胃が痛い。
「では頼んだよ、くれぐれも怪我には気を付けてくれ」
了解、とスタンリーは軽い返事をする。歩き出した彼の後ろを私はついていった。
研究者の目というぐらいだから、きっと食べ物をさがすだけではだめだ。動物の足跡でも見つけられればかなりの収穫にはなるだろうが、これはスタンリーたちにだってできるはずで、それなら何を期待されているのだろう。まさかとは思うが、これがゼノのお節介だったとすると一番厄介だ。気の使い方が180度ズレている。
それからもう一つ、私はスタンリーに話しかけるか迷っていた。おそらく探索に関することなら答えてくれる。でも雑談は微妙かもしれない。
「……誰か動物を見かけた人はいるの?」
普通に言えた……と思う。スタンリーは私に振り返ることなく「リス」とだけ言った。単語だ。べつにいいけど。
道中、食べられそうな実はいくつかあった。だからってすぐに味見はせず、持ち帰って確認する。ゼノに期待されたような成果は得られていないけれど、そろそろ引き返さなければならない。しかし来た道を戻ろうとしたとき、遠くに違和感をみつけた。
「……スタンリー、あっちの草、背が低い。たぶん食べられてる」
「ああ、マジだな」
「確認してもいい?」
「そりゃすんに決まってんだろ」
近づいて確認してみると、やはり草に食べられた形跡があった。それから木の表面が剥がれて腐っている。
「……シカ?」
「わかんの?」
「いえ……でもシカは木も食べるって聞いたことがあって。他の動物や虫もそうなのかもしれないし、実際にその画像を見たわけではないからわからないけど」
「ま、何かいんのは間違いねえな」
足元がぬかるんでいて足跡やフンの確認はできなかったのが残念だが、私たちは食べられていた草を持ち帰ることにした。
川辺に戻って情報を共有すると、他のペアも罠を仕掛けられそうな場所をいくつか発見したようだ。魚以外の食料の目途もついた。成果は十分だったと言えよう。ゼノはいつものように「エレガント」と高らかな声を上げた。けれど私としては、ゼノに期待されてたことが最後までわからずモヤモヤとした気持ちが残っている。
ゼノの周囲に人がいないタイミングを見計らって、私は彼に近づいた。
「……ゼノ、ごめんなさい」
「うん? 何がだい?」
「研究者としての目と言われたけど、特別なことは何も発見できなかったから」
「あまり自分を卑下しすぎるのはよくないね。動物の痕跡に気付いたのは君だとスタンが言っていたよ」
「え、あ……そうなんだ」
意外、と思っているとゼノが目を細めた。
「スタンとのペアはどうだった?」
「……思っていたより普通」
「おお、それはよかった。」
ゼノは満足したと言わんばかりの笑みで、次の仕事を振ってきた。いよいよ次は動物捕獲用の罠を仕掛ける。……それはそれとして、本当に違うと思いたいけど、ゼノがやっぱり私たちに変な気をまわしてるんじゃないかと気になって仕方がなかった。