透明の壁を壊して07
「最近寒くなってきたと思わない?」
ただの雑談とも思える会話だが、私には心当たりがありすぎた。あさぎりさんに渡す予定のコートが完成したのが二週間前。他の人の分のコートも何着か縫い終え、完成品を渡したばかりだった。しかし、肝心のあさぎりさんにはまだ渡していないのだ。
皮にも限りがあるから、ずっと裁縫ばかりしているというわけにもいかない。皮の調達は狩猟チームの仕事で、私には他の仕事が割り振られた。「名前ちゃんと一緒に作業って珍しいね~」千空くんの指示であさぎりさんと一緒にガラスづくりの材料を集めにいくことになったのが数十分前。そして今、私たちはツルハシを使ってひたすら透明な砂を削り取っている。
「……そうですね。そろそろコート、着ますか?」
「さっすが名前ちゃん、話が早い」
「帰ったら渡しますね」
「ありがと~」
にっこりと笑うあさぎりさんを見て、胸がチクリと痛む。私はまた、彼に甘えて背中を押されるのを待っていたのだ。
ごりごり、がりがり。原料の珪砂は軽い力で簡単に剥がれ落ちる。神経質にならなくていいから楽だ。来てそれほど経っていないのに、気付けばカゴの七分目ぐらいまで砂が集まっていた。
「名前ちゃん、あんま入れすぎると持てなくなるよ~」
「ですね。一度コハクたちのところに行きましょうか」
集めた砂はさらに細かくすり潰して、他の材料と混ぜて熱する。すり潰すのはコハクで、他の材料と混ぜてくれるのは千空くんだ。そして出来上がったガラスは、カセキさんによって形作られる。
「千空くんたちは今、電球を作ろうとしてるんですよね」
「うん。ケータイとか発電所とか聞いた後だと簡単そう、って思っちゃうけど案外難しいみたいね」
電球づくりに取り掛かってから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。けれどまだ、完成のメドは立っていない。そこで大量のガラスが必要となっているのだ。
ラボに戻って再びカラになったカゴを背負う。あと一往復分。千空くんが言った。あさぎりさんは「ドイヒー」と根を上げていたけど、私はわりと楽しんでいた。
芸能界って楽しいですか。マジックはいつから始めたんですか。どうして科学王国につくって決めたんですか。聞いてみたいけど、これじゃただの詮索だ。あさぎりさんとはけっこう話しているほうだと思うけど、あさぎりさん自身の話はあまり聞かない。それにあさぎりさんも、私が司くんのところを出た理由とか、探るようなことは聞いてこないのだ。最初はそれが楽だと思っていたけど、今はちょっと物足りないと思ってしまう。
過去のことを根掘り葉掘り聞き出すのは詮索。では、未来のことなら許されるだろうか。
地面にツルハシを打ち付けながら、全人類が石化から復活したときのことを想像する。以前は絶対に不可能だと思っていた未来が、私の中で少しだけ現実味を帯びていた。
「文明が回復したら、またテレビに出たりするんですか?」
「え……うーん、どうだろ。俺より千空ちゃんが有名になってそうだよね」
「確かに」
石化中もずっと意識を保っていて、自力で石化を解いて、人類を助けた救世主。千空くんは興味ないかもしれないけど、彼を持ち上げる人は多いだろう。……それはそうなんだけど、話を逸らされたような気がするのは気のせいだろうか。
ある一定の距離までは近づくことができる。けれどそこから先に進むことができない。見えない壁みたいなものが彼の周りを囲んでいるのだ。それに触れるたびに、私は寂しくなる。
「名前ちゃんは? 何かしたいこととかあるの?」
「私は……うーん、どうでしょう」
「あはは、さっきの俺と同じこと言ってる」
「あ……」
なんとなくで答えたけど、まさに彼の言う通りだった。本当は私の周りに壁があったのかもしれない。誰かに近づきたいと言えるほど、私は心を開いていただろうか。
「すみません。さっきの、ちょっと考えてみます……」
「うん、じゃあ俺も考えてみようかな」
私たちの間には砂を削る音しかしなくなった。答えが出るのとカゴがいっぱいになるのはどちらが早いだろう。手のひらからサラサラと滑り落ちる透明の粒が、砂時計のようだった。
あれを作るとか、これを集めるとか、目の前の目標にはひたむきになれた。しかしこの世界で目覚めてから、遠い未来のことを考えたことはなかった。想像できなかったというのもあるけど、怖かったというのが大きい。
今までの日常を「旧世界」というのも本当は嫌だった。だってもう二度と戻れない場所みたいだから。というか、戻れないのだ。文明は、ここから進んで取り戻すしかない。
では取り戻した後はどうだろう。本来なら私は高校生で、大学に行くための勉強をしていた。ただそれも就職のためで、具体的な目標があったわけではない。
「大学……行きたかったんですけど、今まで勉強してきたことも全部忘れちゃってるだろうし、途方に暮れてます」
「全部ってことはないだろうけど、そうだね」
カン! とツルハシが音を上げた。どうやら固い岩に当たってしまったらしい。私は体の向きを変えて、さらに地面を掘った。
「何か私にできる仕事があればいいなあと思います。今は娯楽がほとんどなくなっちゃったから、なんて言うか、人生に必要じゃないことをやりたいです」
「いいね~、俺と一緒!」
「……っいえ! あさぎりさんみたいに表に立ってライトを浴びるとかは無理です!」
「ええ~。楽しそうだと思ったのに」
あさぎりさんは私の近くまで来て屈んだ。何事かと思ったけど、単にあさぎりさんのカゴがいっぱいになっただけのようだ。
「俺はさ~……、もしまたテレビとか出られるなら、次はガチのガチでやりたいかな」
「ガチのガチ?」
「そ。メンバトとかね」
いまいちわからない。ぽかんとした私をよそに、あさぎりさんはもくもくと砂を集めている。
「色々さ、事情があったのよ。お金とかも絡んでるし」
「……どういうことですか?」
「あれイカサマ」
「……えっ!」
私があんまりな顔をしていたのか、あさぎりさんはケラケラと笑った。
「でも、ほら、司くんには負けてたじゃないですか!」
「あのときはちょーっと機材のトラブルがあってね、まあスペシャルだったし結果おいしかったけど」
「……そんなことバラしちゃっていいんですか?」
「いいんじゃない? SNSでもイカサマじゃないかって言われてたし」
さっきからあさぎりさんはサラッとすごいことを言っている気がする。イカサマ、それにSNSって、エゴサしてたってことだ。
「視聴者は俺が罰ゲームでマジックするより、負けたゲストのマル秘VTRのほうが見たいのよ」
「そんなことないです!」
思わず身を乗り出した。そしたら思ったよりもあさぎりさんの顔が近くにあって、私はそそくさと距離をとる。
あさぎりさんは私が大声を出したことに驚いたのか、目をぱちくりさせていた。
「メンバトはあさぎりさんの番組なんだから、視聴者のほとんどがあさぎりさんのファンだったと思います。……って、毎週見てたわけでもない私が言うのも変なんですけど」
こんなことなら毎週見ておけばよかったなあと思う。あの頃はあさぎりさんのことなんて全然興味なくて、今にしてみるとすごくもったいない。
「ファンだからあさぎりさんに勝ってほしいって思う人も多いと思います。でも、負けたときの表情だってきっと見たいし、司くんに負けたときの切断マジックもすごかったし……」
「……ありがとね、なんか慰められちゃった」
「あ……いえ、いきなり色々言っちゃってすみません」
「でもさ、そういう意味じゃ今は楽しいよ? マジックにタネはあるけど、化かしあいはジーマーでやってるしね」
あさぎりさんはニヤリと笑った。
まず楽しいって言えることがすごい。もし私が司くん側だったら、あさぎりさんの恐ろしさを目の当たりにしたことだろう。それはそれで、ちょっと見てみたい気もするが。
あさぎりさんが音を立てて手についた砂をはらう。それぞれカゴを一つ背負って、村への道を歩いた。ひらひらと揺れる羽織を後ろから眺めながら、前から気になっていたことを尋ねてみる。
「あの、私が何考えてるかとか、わかったりするんですか?」
「さすがにそれはリームー。でも三択にしてくれるなら本気出しちゃうよ?」
「……なるほど」
言い当てられたら自分の気持ちを認められる気がした。言い当てててくれるなら、少しは期待できるんじゃないかと思った。だってその気がないなら気付かないふりをするはずだから。しかしそれを自分から三択問題にするなんて、ほぼ告白してるようなものだ。好きかもしれないです。なんて、他の二択に何が混ざっていても意味がない。
あさぎりさんはピタリと足を止めて、顔だけ振り返った。
「あれ、やんないの?」
「すみません、特に大したことも考えてなかったのでまた今度にします」
「いつでもいーよ。挑戦待ってるね」
あさぎりさんは軽い調子で言って、また歩き始めた。
砂のたっぷり入ったカゴをコハクに渡し、ガラス素材集めチームは解散。そしてラボの中に入って気付く。ラボの隅にある、折りたたまれたコート。戻ったら渡すという約束だった。忘れていたということにしてもいいけど、そこまでして渡さないというのも勝手な話である。
私はコートを抱えて倉庫へ向かった。ドアを開けると土器の湯呑に入ったお茶が二人分。正座したあさぎりさんがポンポンと床を叩き、すべて彼の手のひらの上だったということに気付いた。
「……なんで来るってわかったんですか?」
「わかってたわけじゃないけどね」
あさぎりさんはコートを羽織ってにこりと笑った。首元や袖口につけたふさふさの部分を満足気に撫でている。
「もふもふしててあったかい」
「そうしたら冷たい空気が入りにくいってコハクが教えてくれて」
「へえ~。ありがとね、名前ちゃん」
「……いえ」
私は湯呑に口をつけた。ぶわっと蒸気が顔に当たる。私にはまだ、熱くて飲めそうにない。
あさぎりさんの湯呑からも同じように白い湯気が立っている。彼もまた、お茶を飲む気配はなかった。
「メンゴ、熱くしすぎちゃったかも」
「いえ」
分厚い土器だから、中の温度はあまり感じられない。ふーっと湯気を飛ばしても、冷めているのかよくわからなかった。
さっきたくさん喋ったせいか、何も話題が思い浮かばない。あさぎりさんも何も言ってこないから、同じなのかもしれないと思った。
私たちはお茶が冷めるのを静かにじっと待った。これを飲み終えたらまた作業が始まる。それまでの、たった少しの時間だ。