ハリネズミ16

 どうしよう。キスして、とほぼ同じ意味のことを言ってしまった。スタンリーは言葉を失っている。失敗したかもしれない。だってもうちょっと話したいなんて言われたから、期待してしまったのだ。
 冗談。そう、冗談ということにしよう。それなら今まで通り話せる。でもこれから先、二度と進めないような気もした。
 悩んでいたら、背中を抱き寄せられた。すぐにくちびるが触れて、離れる。至近距離で見つめられて、どきどきと胸が鳴る。夢みたいだった。
「……もう二度と、あんたのこと傷つけたくない」
 懇願するような言い方だった。泣きそうな顔をしているようにも見える。私はただ頷くことしかできなかった。
 それからスタンリーは何度もキスをしてきた。息継ぎがうまくできなくて、声が漏れる。恥ずかしい。いつものスタンリーならからかってきそうなものだけど、彼は何も言わなかった。
 スタンリーが支えてくれていなかったら、私はたぶんベッドに倒れこんでいる。だって力が入らない。スタンリーの首に腕を回したかったけど、自分の身体じゃないみたいにいうことを聞かないのだ。
 やっとのことで解放されたが、何度くちびるを合わせたかもわからない。スタンリーの髪は濡れているのもあって、少し乱れてしまっている。私とキスしてそうなったんだと思うと、すごく恥ずかしい。
 抱きついてもいいのかな。こういうの、慣れてないからよくわからない。聞いてみたら冷めちゃうかな。悩んでいたら、スタンリーのほうから抱きしめられる。よかった、間違ってなかったみたいだ。
「ねえ」
「ん?」
「さっきちょっと泣きそうになってなかった?」
「んなワケねえよ」
「だよね……」
「嘘。してたかも」
彼は気まずそうな顔をして私から目を逸らした。本当に泣きそうだったんだ。なぜ? うれし泣きには見えない。思い当たるのは後悔という二文字だけど、スタンリーがそんな昔のことを後悔して泣くようには見えなかった。だけどこれは私の思い込みかもしれない。
 私は抱きしめられたまま、ぐしゃぐしゃになったスタンリーの頭を撫でた。手が届いているとはお世辞にも言えない。正しくは「後ろから襟足をちょっと触った」だ。
「……どうして?」
「あんたには教えない」
そう言ってスタンリーはさらにぎゅうと力を入れて私を抱きしめた。なんとなく「痛い」と言ってしまったら、すぐに力が弱められる。それが嬉しいんだけど、寂しくもある。
「……痛くてもいいよ」
「殺し文句じゃん」
「……え、そういうのが好きなの?」
「引いてんの?」
「そういうわけじゃないけど、意外だなって」
「俺、どんなイメージ?」
慣れてそう、とは思っていても言えなかった。まあね、なんて返されたら悲しくなってしまうからだ。
「……さらっとしてそう」
「ふーん」
スタンリーはなんとなく不満そうに見えた。だけど「さらっとしてないの?」と聞けば「してんじゃねえの」と返ってくる。
 スタンリーは最後に私のおでこにキスを落として帰っていった。
 それからスタンリーと私は一緒に過ごす時間が増えた。以前のようにゼノにペアにされたとかではなく、仕事終わりに食堂で話したり、互いの部屋を行き来するようにもなった。食堂ではしないけど、部屋で二人きりのときはそれなりのスキンシップもとっている。でも、キスより先をされたことはない。手が早そうと思っていたからこれにはちょっと驚いた。でもリスクのことを考えたらそうなるよね、とも思う。スタンリーの考えはわからないけど、不安になることはなかった。すごく大事にしてくれているのが行動から伝わってくるのだ。

「好き」
そういえば言ってなかったな、と思ってのことだった。キスのついでみたいに言っただけなのに、スタンリーは片手で目を隠してうつむいてしまった。
「……俺もすげー好き」
実は言われるのもこれが初めてだ。自然と顔が緩む。
「照れてるの?」
「噛みしめてんの」
それならもっと早く言っておけばよかった。ごめんねの意味も込めてもう一度好きだと言うと、スタンリーは顔をほころばせた。たったこれだけのことで喜んでくれるのが嬉しい。怖いから現状維持なんて考えていたのが馬鹿らしくなる。
 スタンリーの部屋から出たところ、ちょうどゼノに出くわした。ゼノはにこりと笑みを浮かべながら「よかったじゃないか」と言う。
「……うん」
「何話してんの」
「おお、スタン。ようやく君が素直になったようで何よりだよ。彼女に祝福の言葉を伝えていたところさ!」
「はいはいドーモ」
スタンリーは私の頭に肘を乗せてきた。なぜ。
「気をつけたほうがいい。この男は案外ねちっこい」
「そうなの?」
「いーや、俺はさらっとしてっかんね」
「まあそういうことにしておこう。では僕はこれで」
ゼノはちょうど部屋に戻るところのようだった。
 このときのスタンリーの言葉とゼノの言葉、どちらが正しいのか、これから長い時間を掛けて私は知ることになる。