お勉強
学校から帰ってなんとなく数学のテキストを眺めていたところ、SAIが帰ってきた。「おかえり」と言いながらも私はSAIから目を逸らす。実は今日のSAIの授業、あまり聞けていない。今日は初めてSAIの講義を受けるという記念すべき日だったのに、教壇に立つSAIに夢中で内容があまり頭に入ってこなかったのだ。バレたらどんな小言を言われるか。だから私は一人でこっそり復習するしかなかったのに!
SAIは荷物をポイとベッドに放って私のほうに歩いてきた。ギリギリのところまで私は振り向かずにいる。ノートは閉じてしまったほうがいいだろうか。だって何も書いてないのが丸わかりだ。
「お前……今日、上の空だっただろ。具合でも悪かったのか?」
違うんですごめんなさい。正直に言うこともできず私は心の中で謝った。さすがに話を聞いてなかったなんて言ったら不愉快だろう。一応私もちゃんと勉強する気でインドまで来ているのだ。
「授業、難しかったか?」
「えーと……もうちょっと一人でゆっくり考えたいと言いますか……」
「なんで敬語なんだよ」
「先生だから……っていうかほんとに講師やってるんだ~って実感した」
「当たり前だろ、何言ってるんだよ」
「だって家ではこんなだし」
「こんなってお前なあ!」
ふん、と私は顔を逸らした。すごくもったいないけど今は近づかないでほしい。復習したらすぐそっちに行くから、と言ったらSAIはどんな顔をするだろう。
SAIはもう行ったかな、と思っていたら
「ここは次のページ見たほうがわかりやすいよ」
すぐ隣に座ってきた。嘘でしょ。……そうだ、先生だから勉強してる生徒は放っておけないんだ。いい先生だなあとしみじみ思っていたら、SAIが眉を寄せてテキストをトントンと指で叩いていた。
「次のページ、聞こえてるか?」
「あっ……ありがとう。でも見られると集中できないっていうか……」
「お前そういうタイプだったか? 昔は勉強教えてってよく引っ付いてきてたじゃないか」
そういえばそんなこともあった。あのときのSAIはまだ今よりも優しくて……というか遠慮があって、一つ一つ丁寧に教えてくれていた気がする。だけど、今も優しく丁寧に、というのは変わらないのかもしれない。
「あれは子供のころの話だし……もうSAIの知ってるころの私じゃないしっ!」
「そりゃあそうかもしれないけど……お前なんか今日おかしくないか?」
SAIが私の顔を覗き込もうと身を乗り出してくる。びっくりして距離を取ろうとしたら、身体を支えている手が滑って倒れそうになってしまった。
「……っ!」
壁に頭をぶつけるかと思ったら、寸前のところでSAIに支えられる。近くで見るSAIの顔は昔よりもずっと大人びていて、かっこいい。この距離が珍しいわけじゃないのに、カッと頬に熱が集まってくる。
この気持ちは何だろう。SAIのことが好きなのは間違いない。でも、恋だと決めてしまっていいのかわからない。
「大丈夫か?」
「……うん」
「顔赤いぞ。熱あるんじゃないか?」
「そうじゃ、なくて……」
「こんなことで意地張らなくていいだろ?」
「……違う、顔近い」
私はSAIの肩をぐいと押した。状況的には最悪だ。それこそいつも引っ付いてくるくせに、という話だ。
SAIはびっくりした顔でしばらく固まっていた。私がそんなこと言い出すなんて思ってもいなかったんだろう。
「えーと……ごめん」
「……私も、ごめんなさい」
「いや……お前は今日は何もしてないし」
「今日は、って何」
「あー……いや、」
SAIはもごもごと話している。それを見ていたら、なんだかどうでもよくなってしまった。
「今日は一緒に寝てもいい?」
「はあ? ダメに決まってるだろ。お前、急にしおらしくなったと思えば何なんだよ……」
やっぱりこのくらいが安心する。私はSAIの胸に真正面から飛び込んだ。SAIはおずおずと私の肩に手を添える。
「ご飯作って」
「……今日の当番お前だろ」
「そうだっけ?」
「……手伝うから早くテキスト片づけてこい」
「やった、ありがと」
私はルンルンでキッチンへ向かった。勉強の続きはSAIがシャワーを浴びているときにでもやってしまおう。そうと決まれば全力でSAIに甘えられる。
「今日はお肉を焼きます!」
「なんで仕切ってるんだよ……。じゃあほら、フライパン」
「はーい」
日本で言うとわりと豪快な大きさの肉の塊をフライパンに投入して火を通していく。SAIはその間に野菜を切ってくれていた。もはやほとんどSAIが作っていると言っても過言ではない。
「はいサラダできた」
「早い! ちょっと待って!」
「待ってるからちゃんと手元見ろって」
「はあい」
表面に焼き色を入れ、フライパンに蓋をして蒸し焼き状態にしてから十分。もういいよ、と言われて蓋を取ると美味しそうな匂いがふわっと漂ってきた。
「わー、ほんとにできた!」
「よかったな。冷めないうちに食べようか」
「うん!」
フライパンからお皿に取り分けてテーブルへ運ぶ。一口食べて「おいしいよ」とわざわざ言ってくれるSAIが、やっぱり私は好きだ。もう少し今の状態を楽しみたい。まだ時間はたくさんあるんだから、好きの種類を考えるのはそれからだっていいだろう。