雨降って地固まる

 なまえは家でうずくまっていた。金狼のばか、あほ。と、心の中で呪詛を吐く。頭の中がぐちゃぐちゃだったせいで、声を掛けられるまで誰かが家の中に入ってきていたことさえ気付いていなかった。
「おい」
「え……、金狼」
金狼は相変わらずの仏頂面でなまえのことを見下ろしていた。反射的に「出て行って」と言ってしまう。
「わかった」
「……は?」
金狼は何の弁解もすることなく本当に出て行ってしまった。謝ってきたりだとか、戻ってこいなんて言われたらちょっとは考えてあげてもいいと思っていたのに、あまりに淡泊すぎやしないか。
 だけどこちらから追いかけることなんてできない。なまえは仕方なく、ふて寝を決め込んだ。

 金狼は昔から真面目でルールに厳格な男だった。大人たちが行ってはいけないという場所には絶対に近づかなかったし、こっそり子供だけで冒険に行こうとしていたら、金狼は必ず止める側だった。他人に流されないところがかっこいいと思っていた。だからなまえも歳をとるにつれ自然と、あからさまにルールや掟を破るようなことはしないようになっていった。
 しかし、御前試合のことだけはどうしても受け入れられなかった。だってもし金狼が優勝なんてしたら、ルリと結婚することになってしまう。御前試合に出ないでほしいと金狼に言えればよかったが、そこまでの関係ですらない。告白と同義のことをする勇気はなまえにはなかった。それで試合を延期させようと、優勝者に与えられる盾を隠したのだ。
 盾を隠したことは今でも反省している。だけど言い訳をする気力もなかった。盾を崖の下に落として紛失させてしまったのはわざとではないけれど、盗んだのは事実だ。あのときの金狼の軽蔑するような視線を思い出すと、今でも具合が悪くなる。
 せっかくのチャンスだったのに。なまえの心情を表すかのように、外から雨の音が聞こえてくる。なまえはのそのそと起き上がって外の様子を確認しようとした。
 ドアを開けて絶句。入り口のすぐそばに金狼がまだいたのだ。雨がざあざあと降っていて、水しぶきが金狼の足を濡らしていた。
「……なんでいるのっ、とにかく入って!」
 なまえは金狼の腕を引いて無理やり家の中に連れ込んだ。
 ……しかしこの男、言わなければ座ることもできないらしい。濡れた部分を拭いてあげてようやく座らせたときにはもう、意地を張っていたことが馬鹿らしくなっていた。外で何をしていたのかと聞けば「出て行けと言われたから外にいた」と想像通りの答えが返ってきて笑ってしまいそうになる。
「……笑っているのか」
「べつに?」
「戻ってこいと村長が言っている」
「……金狼は?」
「今は千空が石神村のルールだ。俺はそれに従う」
「なんだかなあ……」
なまえは金狼がいるにもかかわらず、床にごろんと寝そべった。ぎょっとした顔つきの金狼はなぜか、目にかけている透明のものを外した。
「それなに?」
「メガネだ。千空が作った。……これがあるとぼんやりとしか見えなったものがはっきり見えるようになる」
「へえ~……なんで外したの?」
「それは貴様が……ッ!」
金狼はグ、と口を結んだ。
 頬を赤くして目を逸らした彼を見て、なまえは慌てて起き上がる。
「……なんか見えた?」
「何も見てない」
「じゃあメガネかけてこっち見て」
「……ああ」
「金狼が戻ってきてほしいって言ってくれたら村に帰る」
我ながら子供っぽいなあと思うけど、これ以上は無理だった。果たして金狼にこれで伝わるのだろうか。言ったそばから恥ずかしくなってきて、金狼の顔が見れなくなる。
 沈黙が続いた。ここまでしても何も言ってくれないかと泣きたくなる。
「なんか言ってよ」
嗚咽しそうな口元を両手で覆いながら金狼のほうを見てみると、なぜか彼も顔を真っ赤にしていた。
「貴様はいつもそんな顔をしていたのか……?」
「え、知らないけど……どういう意味? か、かわいいってこと?」
これまた恥ずかしすぎるが、金狼の表情を見ればそうとしか考えられなかった。ここで「違う」と言われたら、もう二度と村に戻ることはないかもしれない。
 金狼は頷いたのかうつむいたのか微妙な動作で、口は相変わらず横一直線だ。なまえが一歩近づいてみたら、金狼は一歩引いた。
「……帰るぞ」
「……え、ちょっと!」
はっきり返事もしないまま金狼は外へ出ようとする。まあ「帰るぞ」なので、肯定的にとらえてもいいのかもしれない。何より金狼の表情がそれを証明している。
「待って、荷物が」
金狼はため息をついて部屋の中に戻ってきた。服と保存食を指させば、金狼が軽々と持ち上げてくれる。なまえは武器と食器を持って家を出た。通り雨だったのか、空はすっかり晴れている。
 村に着くまでずっと無言だった。つり橋の前には銀狼がいて、意味ありげな視線をよこしてくる。横を通り過ぎようとした瞬間
「ねえねえ、何か進展あった?」
と、完全に面白がっている。だけど今日は許せそうだ。にこりと笑って頷けば、銀狼が大声を上げる。予想と違った答えが返ってきて……というところだろうか。
「うるさいぞ銀狼」
「だってびっくりしたんだもん! なまえちゃんとはどこまでいったの? キスはした?」
「な、何を言う銀狼貴様ッ!」
「ええっ、まさか何もしてないのぉ?」
「するわけないだろう! ……おい、なまえ。貴様も黙っていないで何か言ったらどうだ!」
金狼は耳まで真っ赤になった顔をなまえに向けた。もう笑いが止まらない。
「そんなんでさあ、よく御前試合に出ようと思ったね」
「……どういう意味だ?」
「ルリと結婚したかったんでしょ?」
「は……? いや、違う……こともないのか」
「なーんにも考えてなかったタイプかあ。嫉妬して損しちゃった」
なまえは勢いよく金狼の隣を走り抜け、そのまま村の中へ入った。さすがに村長……いや元村長には謝らないといけないかな。あとは心配して色々助けてくれたコハクたちにも。どうせ金狼は追いかけてこないだろうから、荷物を置いたら一通り挨拶周りに行くのがいいかもしれない。そんなことを考えながら昔住んでいた家の前に到着する。ドアを開けようとしたところで、後ろから腕を掴まれた。
 金狼が、息を切らして立っている。絶対何も考えてないやつじゃん。そう思ったけれど、なまえは胸の高鳴りを抑えることができなかった。