道楽男なんて好きにならない01

 石の世界で最初に出会った人間が七海龍水だった。もしこれが他の人だったら、こんなに辛い思いはしなかっただろうか――。

 突然目が覚めたと思ったら森の中で、しかも私は裸で、周りも石像だらけで困惑した。一日じっとしていたけれど夢は覚めない。だんだんお腹も空いてきて、周りに落ちていたブドウみたいなものを食べた。酸っぱかったし土がついてジャリジャリしていたけど我慢した。そしたら今度は涙が出てきた。死ぬのかもしれない。……いいやもう死んでいるのかもしれない。想像していた地獄とは違うけれど、こんなのどう考えたって地獄でしかなかった。
「……誰かいませんか?」
 人を探すことにしたのは、じっとしているよりも動き回ったほうが気がまぎれると思ったからだ。だけどどこに行けばいいのかもわからなくて、たまたま見かけた猿の後を追いかけた。そうしてたどり着いたのは川だった。
 川には魚がたくさん泳いでいた。なんの魚かわからなかったけどおいしそうだと思った。無意識に私は川の中に手を伸ばしていて、そのとき――
「まさか自力復活者か!?」
 魚が逃げた。だけどそんなことはどうでもよくて、私は水面を見たまま固まっていた。誰かいる。でも幻聴だったら? 顔を上げて誰もいなかったら、もう二度と立ち直れる気がしなかった。
「おい、聞こえているか?」
 声が近くなる。指先が震えていた。バシャンと水が跳ねる音がして、私はとうとうその人の姿を視界に入れた。
「ぁ……助けてっ……!」
 男の人がこちらまで来るのを待ちきれなくて、私は川に足を踏み入れた。差し出された手を取り、勢いのまま抱き着く。……温かい、生きてる。ぽろぽろと零れる涙を堪えることもしなかった。私は声を上げてわんわんと泣いた。

 ひとしきり泣いて呼吸が落ち着いてくると、男の人の手が私の肩に触れた。やんわりと距離を取られて、初めてちゃんと男の人の顔が見えてくる。力強い瞳がとても印象的で、目を逸らすことができない。
「美女に抱き着かれるのは光栄だが、まずは服だな」
 男の人はサッと自分の服を脱いで私に掛けてくれた。その言葉も振る舞いもすべてが紳士だった。会えたのがこの人で本当によかったと心から思う。私は彼に手を引かれて川岸に上がった。
 彼は龍水さんというそうだ。彼のほかにも人が大勢いると聞いて私は安堵した。少し歩けばみんなの住む住居があるらしい。状況説明はそこでしてくれるということだった。

「……あっ、ごめんなさい」
 木の枝につまづいてしまったところを龍水さんに支えられる。さっき抱き着いたときは何ともなかったはずなのに、急に羞恥心に襲われた。
「いや俺は平気だ。……ところで目が覚めたのは今日だったか?」
「いえ、昨日です……」
「そうか……。一人で心細かっただろう」
 龍水さんはそう言って、私のことをひょいと抱え上げた。もちろん私はびっくりして「え」と声を上げる。
「昨日は眠れなかったんじゃないか? 目を閉じているだけでも大分マシになるぞ。もちろん眠ってくれても構わんが」
 ……いや、それはさすがにどうなんだろう。だけど顔を上げれば至近距離で目が合うし(まさかのお姫様抱っこである)恥ずかしくなって結局私は目をつぶった。龍水さんが歩くたびに軽い振動が伝わってきて、それがだんだんと眠気を誘う。いっそ寝てしまったほうがお互い気まずくないのかもしれない。おそるおそる龍水さんの胸に寄りかかってみたら、案外しっくりきた。
「ごめんなさい……」
 ぼんやりとした意識の中でそう言った。自分でもびっくりするくらい眠くて仕方がなかったのだ。

 次に私が目を覚ましたのは屋根のある場所だった。ゆったりと起き上がると、女の子が私に気づいて駆け寄ってきてくれた。
「目を覚ましたか! 私はコハクだ。水は飲めるか?」
「コハクさん……お水、いただきます。ありがとう、私はなまえです」
「コハクでいい。私もなまえと呼ばせてもらうぞ」
「はい、コハク」
 コハクは私に竹筒渡して外へ行ってしまった。人を呼んで、それから食べ物を持って来てくれるそうだ。
 竹筒に入っていた水をあっという間に飲み干した私は、悪いかなと思いながらも家の中を見て回った。木でできた棚にはビーカーやフラスコが並んでいて、薬品のようなものも置いてある。まるで理科室のようだが、そのわりに壁は土と石でできていて異質だ。そうして一通り家の中を確認したあたりで外から話し声が聞こえてきた。私は急いで元いた場所に座り、カラになった竹筒を両手で持った。
 部屋にはコハクと龍水さん、それからあと二人男の人が入ってきた。コハクからスープの入った器を受け取り、他の三人を見上げる。そこで私は「あれ?」と思った。
「あ、もしかして俺のこと知ってくれてる感じ~?」
 頭が白黒の、おそらく「あさぎりゲン」さんがそう言ってパッと手から花を出す。「あってた?」と聞かれて私は頷いた。
「よかった~。じゃあなまえちゃん、それ食べながらでいいから聞いてくれる?」
 私はスープを見て、それからもう一度ゲンさんを見た。ゲンさんがにこっと笑って頷く。木のスプーンでスープを口に運べば、じんと舌が痺れた。
「テメーに確認してえことがある」
「ちょっと千空ちゃんストップ!」
 ゲンさんを割って入ってきた千空さんという人の気迫に押されて頷いてしまう。ゲンさんは、あちゃーという顔をしていた。
「テメーは3700年間、意識を保ってたんだよな?」
「え……? 目が覚めたのは昨日ですけど」
「それまで意識はなかったのか? 石になってるあいだ何か考えてたんじゃねえのか?」
「いえ……というか話の内容がよくわかりません」
 私の答えが想像と違っていたらしく、千空さんは首を傾げた。助けを求めて龍水さんのほうを見ると、彼はゲンさんに目配せした。
「ごめんねいきなりびっくりさせて。とりあえず千空ちゃんが言ったことは一回忘れて、俺の話聞いてくれる?」
 ハイと言うほかなかった。だけどゲンさんの話を真正面から受け止めるのがなんだか怖くて、私はスープを啜って間を持たせた。
 ゲンさんによると、ここは私たちが知っている世界から3700年後の世界らしい。この時点で私は気が遠くなった。だけど話にはまだ続きがある。
 私が石像だと思っていたものはすべて本物の人間が石化したもので、私も昨日目を覚ますまでは同じ状態だった。この中で一番最初に目を覚ましたのは千空さんで、目覚める条件として「3700年意識を保っていたところに硝酸をかけられる」というものがあるそうだ。そうでなければ千空さんが作った「復活液」で誰でも目覚めさせることができるらしいが、私はどちらの条件も満たしていない。
「さっきから千空ちゃんがソワソワしてるのはそういうこと。復活液が今ちょっと色々あって量産できない状況だから、他に人類復活へのカードが切れるなら解明させときたいんだよね~俺たちとしても」
「でも……ごめんなさい、わかりません」
「いやいや! 誰もすぐわかるとか思ってないから大丈夫よ? 話してほしいのは目覚めたときのこととか、そういうの」
「……えっと、」
 目覚めたとき、何か違和感はあっただろうか。……いいやむしろ違和感しかなかった。森みたいな場所で、周りは石像だらけで、だけど彼らが求めている情報はきっとこういう話ではない。周りの石像が目を覚まさなかった中で、私だけが目を覚ました理由、他と違う条件……。考えても何も出てこない。どうしよう。顔を上げるのが怖くなって私はカラになったスープの器をじっと見つめていた。
 沈黙が続く中、パンッと音が鳴る。ゲンさんが手を叩いた音だった。
「じゃあ俺たちが一個ずつ質問してくってのはどう? まずは俺ね~、目が覚めたとき日は昇ってた?」
「はい、暗くはなかったです。でも朝か昼かまでは……」
「おっけ~。じゃあ次、千空ちゃん」
「あ゛ー……ちーと考えさせてくれ。一個に絞り切れねえ」
「ハイ優柔不断な千空ちゃんは後回しで、次はコハクちゃん!」
「そうだな……。ここに来るまでに何か食べたか?」
 ゲンさんのもそうだったが、これは明らかに私に気を使った質問だ。二人とも私が確実に答えられることを聞いてくれている。嬉しいけれど、申し訳ないという気持ちのほうが大きかった。
 だけど同時に「もうみんな諦めてくれないかな」とも思っていた。私から得られる情報なんてきっと何もない。助けてもらったのにこんなことを考えるなんて最低だけど、この時間はいつまで続くのだろう……そればかりが頭にチラついていた。
「……ブドウみたいなものがたくさん落ちていたので拾って食べました」
「そっかそっか、大変だったね。じゃあ次は龍水ちゃ……「そうか!」
 ゲンさんの言葉を龍水さんが遮る。龍水さんは千空さんのほうを見て、千空さんも何か閃いたように目を見開いていた。
「俺が聞こうとしていたのはその服の下のことだ。腰のあたりが紫色に変色していた。最初はアザかと思ったが……」
「天然の復活液っつーわけか」
「そうだ。川を越えた先……おそらく復活したのは貴様らが『奇跡の洞窟』と呼んでいた辺りの近くだろう」
「そういや近くにブドウあったわ。そいつが発酵して、流れてきた硝酸と化学反応起こしたってとこだな」
「そんな偶然があるのか?」
 疑問を呈したコハクに、千空さんが頷く。
「可能性としてはある。ただ人為的に利用するってなると無理ゲーだな。アルコール濃度までドンピシャっつーのは偶然に期待するもんじゃねえ」
 千空さんたちの話はだんだん難しくなっていった。だけど聞かないわけにもいかない。私にだって無関係な話ではないのだ。
「大丈夫。俺もほとんど理解していないから」
 こそっと耳打ちしてくれたのはゲンさんだった。
「千空ちゃん龍水ちゃん、難しい話は後~! 話は聞けたし俺らは退散してゆっくり休んでもらお!」
 ゲンさんがいい感じに話をまとめてくれていたのに、空気を読まず私のお腹がぐうと鳴る。慌ててお腹を押さえたけど、けっこう大きな音だったからみんなにも聞こえてしまったはずだ。スープを食べたばかりなのに恥ずかしい。
「何か食べるか?」
 聞いてくれたのはコハクだった。私はブンブンと首を振る。
「いえ! ごめんなさい、気にしないでください……」
「いや丸一日ブドウだけしか食ってねえなら腹も減るだろ」
「そうだな。可能な限りリクエストには応えるぞ」
 千空さんに続き龍水さんもそう言ってくれた。だけどそんなに甘えてしまうわけには……。
 なおも渋る私に三人は不思議そうな顔をする。なぜ遠慮するのか、という感じだ。これにはびっくりだった。そんなに親切してもらって大丈夫なのかと不安にもなる。
 私は助けを求めてゲンさんを見た。この中ではゲンさんが一番私の意思を汲んでくれるような気がしたのだ。
 ゲンさんはしばらく私を無言で見ていた。そして何か閃いたらしくポンと手を叩く。
「あ、そっか。誤解だよ」
「急に何言ってんだメンタリスト?」
「なまえちゃんは食料がすごく貴重だと思ってるんじゃない? いや貴重じゃないって言っちゃうのもアレだけど……困ってるほどではないっていうか」
「あ゛ーなるほどな。んじゃその辺はフランソワにでも任せっか」
「なら俺が案内しよう。それでいいか?」
 龍水さんに話を振られて私は咄嗟に頷いた。ゲンさんの言った通り、食料不足なんじゃないかと勝手に思っていたのだ。違うなら安心……だけど、まだ少し信じ切れずにいる。だって3700年も経っているなら、すごく原始的な生活をしていると思うじゃないか。

 私は龍水さんの案内でレストラン「フランソワ」に向かうことになった。さっきコハクが持って来てくれたスープもそこで作ってもらったものらしい。
 レストランに向かう道中で私はたくさんのものを目にする。
 まずは家だ。思ったよりもちゃんと家の形をしていて、数も多い。一つの集落のようになっていた。
 次に人だ。木材を運んでいたり、何かを作っていたり、とにかくみんな忙しそうだった。一番びっくりしたのは、石化前と遜色ない服を着ていた人がいたことだ。ただそれはかなり少数で、千空さんたちのような簡素な服を着ていることがほとんどだった。だけど頭が混乱する。まるで数人だけ過去からタイムスリップしてきたんじゃないかと思うような光景だったのだ。そして私は大変なことを思い出す。
「あの、服……これ龍水さんのものですよね?」
 龍水さんから貸してもらった上着は、私が着ているせいでワンピースのようになってしまっている。さっきから裾を地面に引きずってしまいそうで気が気じゃない。さすがに今すぐ脱ぎますというわけにはいかないし、龍水さんも別の服を着ているから気にしてないのかもしれないけど、この世界での衣類事情は知っておきたいところだった。
「ああ、あとで返してくれればいい。先に着替えるか?」
「服もたくさんあるんですか?」
「売り物になってる程度にはな」
「えっ」
「安心しろ。目覚めたばかりの人間に金を払えなど言わん」
「それはとてもありがたいのですが……お金というものが存在するのにびっくりしました」
 驚いたのは助け合いの世界かと思っていたからだ。ここまで親切すぎるほどの対応だったからそう思ったのかもしれない。しかしそれならそれで、すれ違った人たちが一生懸命働いていたのにも納得がいく。私にもできるような仕事があるのかと不安になってしまうのは、悲観的すぎるだろうか。
「そんな顔をするな。金は悪いものじゃない」
「……すみません、否定するつもりはなくて」
「空腹だと不安にもなりやすい。まずは腹ごしらえだ。それでいいか?」
「はい、お願いします……」
 このとき私は「お腹が膨れたってなあ」としか思っていなかった。しかし実際にレストランに入ってみると、龍水さんの言っていた意味がわかってくる。レストランで食事をしている人たちは、みんな幸せそうな顔をしていた。料理もすごくおいしそうで(もちろんさっきのスープもおいしかったけど)、私は期待に胸を膨らませながらカウンター席に座った。