道楽男なんて好きにならない02
「おいしいです……」
フランソワさんの焼いたパンを食べて感動していたら、龍水さんがふっと目元をゆるめた。「やはり空腹はよくないな」と、本当にその通りだったのだ。こんなにおいしいものが食べられるのなら頑張れるかもしれない。我ながら単純すぎて恥ずかしくもなる。
「なまえ様は苦手なものはございますか?」
「いえ、特には」
フランソワさんの問いに首を振ると、今度は白い飲み物が差し出された。口をつけてみれば牛乳系の味がして、ほんのり甘さも感じる。パンによく合う飲み物だった。
フランソワさんは私のことをなまえ様と呼ぶ。なんというか、畏れ多い。むしろ私がフランソワ様と呼びたいくらいだ。しかしフランソワさんには「お気持ちだけ」と言われてしまうし、龍水さんにいたっては「細かいことを気にするな」と豪快だ。フランソワさんはもともと龍水さんのところで執事をしていたらしい。と、ここで私は初めて龍水さんの家がかの有名な七海財閥であったいうことを知った。石化なんてものがなければ一生関わることなんてなかった人だろう。……いや、それは龍水さんに限った話ではなく、ここで出会った人すべてに言えることだ。そう考えてみると不思議な感じがした。今はまだ目覚めたばかりで戸惑いのほうが大きいけれど、このままここでみんなと暮らしていたら、石化なんてなければよかったと言えなくなる日がいつか来るのかもしれない。
食事を終えて龍水さんとレストランを出ようとしていたところに、彼女は現れた。
「もしかしてなまえさん!?」
「え……はい」
なんだなんだと思いながらも彼女の勢いに押されて返事をする。彼女は私が驚いているのを見てハッとしたらしく「急にごめんなさい」と謝ってきた。
「いえ、私に用でしたか?」
「ええと……初めまして、小川杠です。ここでは主に手芸を担当していて、それでなまえさんの服をどうするか相談したくて」
「ちょうどよかったな、俺たちも今から行こうとしていたところだ」
「そうだったんだ。それじゃあなまえさん、こっちに」
杠さんの作った服がたくさんあるという「デパート」へ向かう途中、どんな服が好きかという質問を私は受けていた。
石化前はなんとなく流行を追って特にこだわりというものはなかった。だけどここで着るなら動きやすい服がいいのかなあと思う。それから丈夫であると、なおのこと嬉しい。
だけど杠さんが言っているのは、そこから一歩先に進んだ話だった。
「デザインや色の希望はある?」
「いえ……というかそんなにいろいろ言うのも申し訳ないというか……」
「はっはー! 貴様はまだ杠の腕を知らんから遠慮するのだろう! とにかく一度見てみるといい!」
なんだかフランソワさんのときと同じような流れだ。確かに現代(旧世界)風の服を着ていた人も見かけたし、あれを作れるぐらいなのだから多少のリクエストはどうってことないのかもしれない。だからといって気軽にお願いできる立場でもないけれど。
実際にたくさんの服を前にすると、私は言葉を失ってしまった。脳が許容量を超えてしまったのかもしれない。だって普段着っぽい服からスーツやドレスまで、バリエーションが様々なのだ。しかもこれらは麻と皮のどちらかでできているらしい。いくら服に詳しくない私でも、それがどれだけすごいことなのか理解はできるつもりだ。
「なまえさんの身長だったらこの辺りかな。雰囲気的にこういうのとか似合いそう……でもこっちも捨てがたいかも……」
杠さんはかなり乗り気だ。そしてパッと決めきれずにいる私に龍水さんも「全部試着してみたらいいだろう」と、これまた豪快に言うのだった。
「ええと……じゃあ、これにします!」
あまり時間を掛けすぎても申し訳ないので、私はとりあえず目に付いた布面積の広そうなものを手に取った。露出も少ないし、ゆったりとしていて動きやすそうだし、ズボンだしという理由だ。しかしいざ試着してみると、少しだけ裾を引きずってしまう。私の脚があと三センチ長かったらよかったのになあ思うけれど、こればかりはどうしようもない。
「似合っているじゃないか!」
「ありがとうございます。……でもごめんなさい、裾がついちゃうからもう少し短いのを、
「任せて!」
「え……?」
杠さんが屈んだ。……かと思えば私の足元で手先を動かしている。動きが早すぎて私には目で追うことすらできなかった。龍水さんは得意気にその様子を見ていて、もう何が何だかわからない。そして、
「できた!」
再び立ち上がった杠さんは、どこかやり切ったような表情だ。「このくらいでいいかな?」と聞かれて足元を見ると、さっきまで地面スレスレだったズボンの裾がちょうどよく短くなっているではないか。
「……今、縫ってたってことですか?」
「杠にかかればそのくらい朝飯前だ」
……確かに一分もかからない神業だったけれども! フランソワさんといい、ここにはプロフェッショナルしかいないのかもしれない……。
龍水さんの服は洗ってから返却することになった。龍水さんは気にしなくていいと言ってくれたけど、それでは私の気がすまない。丸一日裸で過ごした身体はそれなりに汚れていただろうし、下着も何もつけていないままだったからすごく抵抗がある。龍水さんは少々強引なところがあるように見えたが、一度断りを入れればあっさりと引いてくれた。そして今は、彼に村の案内をしてもらっている。私もこれから仕事をしていかなければならないだろうから、みんなの様子を見て回れるのはありがたいことだった。
「あの……これは一体……?」
正直他にもいろいろ気になるものはあったのだが、一番に目を引くのがこれだ。それは船のような形をしていて……とてつもなく大きい。
「船だ。まだ作っている途中だがな」
龍水さんは、さも当たり前という感じで答えた。やはり船だったのかと納得すると同時に、どうしてこんなものを作っているのかという疑問がわく。
「……こんなに大きな船が必要なんですか?」
「地球の裏側まで行くのだからな。この程度は必要だろう」
「地球の裏側……? もしかしてみなさんは海外の方も助けようと?」
「最終的にはそうなるな。その前に俺たちは石化の力を手に入れようとしているんだが……詳しいことは俺よりも千空かゲンに聞いたほうが早い」
「わかりました。事情は追って頭に入れておきます」
途方もない話を聞いたような気がする。だけど実際、村の人たちは活気に溢れていた。地球の裏側なんて普通に考えたら無謀だと思うはずなのに、フランソワさんの料理や杠さんの服が希望を与えてくれるのだ。
「フゥン。少しはいい顔をするようになったな」
「え?」
顔、と言われて私は咄嗟に頬を両手で包んだ。
「不安そうだった目に期待の色が見えるようになった」
「……そんなのわかるんですか?」
目、と言われて今度はうつむく。なんだか急に恥ずかしくなってしまった。頬に当てている手からじわじわと熱を感じる。いま自分がどんな顔をしているのかある程度は想像できるけど、認めてしまえば取り返しがつかなくなってしまいそうで怖い。
「ああ、今の顔のほうがずっといい」
「……」
頼むからもう何も喋ってくれるな!
私が何も言えずにいると、龍水さんの片手が私の顎を持ち上げる。目と目が合って、彼は満足そうに笑った。そして龍水さんの手は静かに離れていく。バクバクと心臓の音だけがうるさかった。
今のは何。どういうこと? 龍水さんは龍水さんで平気な顔して次に進もうとするから訳がわからない。
龍水さんが次に向かったのは小麦畑だった。辺り一面に広がる黄金色のうつくしさに触れて、私の動揺も少しマシになる。この小麦がゆくゆくはパンになるのだろう。こんな世界になってしまったことで、今まで当たり前だったことが当たり前じゃなかったのだと気づかされる。
この仕事をやってみたい。そう思ったのは、一番最初にフランソワさんの料理を食べたからかもしれない。あのスープとパンがなければ私はきっと不安なままだっただろうから。
「私……農耕とか製粉作業とかやってみたいです」
「ほう?」
「あ、もちろん人手が足りてるなら別の仕事でも……」
「なぜ遠慮する? やりたいと思うことがあるならやるべきだ。人手なんていくらあっても足りないくらいだからな!」
「じゃあ、さっそくですけどみなさんに話を聞いてきます。龍水さん、いろいろ案内してくださってありがとうございました」
「何か困ったことがあれば遠慮なく言え」
「はい、本当にありがとうございます!」
私はそこで龍水さんと別れて畑で作業中の男性に声を掛けた。
「初めまして、なまえです。私、最近目覚めたばかりで仕事を教えてほしいのですが」
「初めましてなまえさん! 俺は大木大樹だ! すごく助かるありがとう!」
大樹さんはとても元気でパワー溢れる人だった。ちょうど彼は収穫作業中だったようで、私もカマを借りてひたすら刈った。
最初は楽しくやっていたけど、次第に腕が疲れてくる。時計がないからどれくらい時間が経ったのかわからないところも辛い。みんなはいつも日が暮れるまで仕事をしているのだろうか。
顎から落ちそうになった汗を手で拭う。
「大丈夫か? 辛くなったら無理せず休憩したほうがいいぞ!」
「でも……大樹さんは?」
「心配してくれてありがとう! でも俺はまだ大丈夫だー!」
「なら私ももう少し……」
私よりも前から働いている大樹さんそっちのけで休憩に行くのもどうかなあと思ったのだ。もちろん限界を感じたら休ませてもらうつもりだった。しかしここでストップがかかる。
「ちょっと待ちな」
「どうしたんだニッキー?」
ニッキーと呼ばれた女性は私と大樹さんを交互に見比べた。
「アンタなまえだね? 体力バカの大樹に合わせてたら身が持たないよ。とりあえずアンタはアタシと一緒に休憩!」
「ハイ……」
私はニッキーさんと一緒に木陰に座って水を飲んだ。冷やしていたわけでもないだろうに、冷たくておいしい。休憩してみてあらためて実感したけれど、あのまま作業を続けていたら危なかったかもしれない。
「あの、もうみなさんに私のことは伝わっている感じなんですか?」
「ああ、アタシはここに来るとき龍水とすれ違って聞いたんだよ。まだ知らないって人もいるんじゃないかい?」
「そうですよね。みなさんのことを覚えるのも大変そうです……」
「そのうちでいいんだよそういうのは。それより気になったのがね、アンタなんで農耕やろうって思ったんだい?」
「え?」
「いや別に悪いって言ってるわけじゃないよ。ただアタシらと違ってそんな肉体派には見えなかったからさ」
「えっと……フランソワさんのパンがおいしかったので。その原料になるなら頑張れるかなと」
「なるほどね」
動機が不純すぎるかなあと思ったけれど、ニッキーさんは特に何も言ってこなかった。そして私も一つ疑問が浮かぶ。
「やっぱりその、肉体派のかたを選んで起こしているんですか?」
「まあ最初はね。今はそのとき必要な人材を話し合ってって感じだよ。……ああでも今は復活液はないんだったね」
「そうなんですね……。私もみなさんの足を引っ張らないように頑張ります」
「真面目なのはいいけどさ、頑張りすぎて倒れんじゃないよ。疲れたら休憩するなり負担の少ない仕事と交代してもらうなり上手いことやりな」
「はい、ありがとうございます」
休憩が終わると、ニッキーさんは刈った小麦の脱穀方法を教えてくれた。これなら座ってでもできるから、収穫と交互にやったらよさそうだ。そうしてニッキーさんと作業しているうちに日が沈んでくる。さすがに日が暮れたら仕事は終わりのようでホッとした。私はニッキーさんに連れられてレストランへ行き、夕食を食べて泥のように眠った。
翌朝、私は干しておいた龍水さんの服を持って持ち主を探していた。みんなに自己紹介がてら声を掛けて、龍水さんを見なかったかと尋ねていく。彼の情報はすぐに集まった。なんでも村の一番高いところにある家に住んでいるそうで、この時間帯ならまだ家の中にいるだろうという話だ。
みんなが言っていた家の前まで来て、私は咄嗟に身を隠した。見えてしまったのだ。龍水さんが女の人に団扇をあおがせて、寝転びながら肉を食べている姿を。食事を運んでいる男の人にはお金を渡していた。なんだかすごくショックだった。みんな一生懸命働いているのに、なんであの人だけ? お金を持っているから? 私はぎゅっと龍水さんの服を抱きしめた。すごく親切にしてもらったから、そのぶん反動が大きい。このまま龍水さんのもとへ行ったら酷いことを言ってしまいそうな気がして、彼の家から離れた。涙が出てきそうだった。でも昨日の今日でよかったと思う。もし龍水さんのこういう一面を知らずに過ごしていたら、取り返しのつかないことになっていただろうから……。