Phase01

 キリル・ヴルーベリは興奮していた。大股でデスクへ向かう彼の鼻息は荒い。早くこの情報を相棒に伝えなければ。キリルはただそれだけを考えて、ひたすら足を動かしていた。
「え、使用者を見つけた?」
椅子に座ったまま首を捻ったのは、キリルの相棒であるダグラス・ビリンガム。二人はアンセムという薬物のみを取り締まる部署に所属している。そこでなかなか手柄を上げることが出来なかったキリル。彼はようやく案件を見つけたと、はしゃいで――いや、意欲を掻き立てられているのだ。
「そう! なんと相手は警察官! スパイだ!」
「警察官?」

 いまいちピンと来ていない様子のダグを、誰も居ない別室へ引っ張る。キリルはその目で見たことを報告した。
「なんかいつもスゲー首元を隠してる女警官がいるとは思ってたんだ。で、たまたま見えたんだけどさ!」
その女の首元に虫が入り込んだ。とっさに彼女はスカーフをゆるめて、その中が見えたのだ。
「まあ、すぐ隠されたんだけど……なんか痣っぽいのが見えたような気がしたんだよな」
「気がした?」
う、とキリルは詰まった。ダグがすんなり流してくれるとは思っていなかったが、やはりそこを突かれると痛い。はっきりとアンセム使用の痕跡が見えたわけではないのだ。キリルが目にしたのは、痣のような、傷あとのようなもの。フェイズ・ツーに持ち込むには、まだ証拠が足りない。
「でもめちゃくちゃ焦ってたし、怪しいと思わないか?」
「まあ……ある意味、間違っちゃいないのかもしれないが……」
ダグの首の骨がポキリと鳴る。
「その彼女、このぐらいの髪じゃなかった?」
ダグの手元が表した位置。ちょうどキリルの言った容疑者の髪の長さと同じくらいだった。
「まさか知ってるのか?」
「ああ。……彼女はシロだ」
「は、なんで!」
「それは答えられない」
「いや、なんでだよ!」
「だって彼女、隠したいからスカーフなんて巻いてるんだろ? 俺は事情を知ってるけど、教えることは出来ないよ」
トントンとダグの指が首元をつつく。キリルは言い返せなかった。もし彼女が無実でどうしても隠したいことがあるならば、それを無理に、しかも他人からこっそり聞き出すのは気が進まなかったからだ。しかし、気になるものは気になる。ガシガシと頭を掻くキリルに相棒は「本人に聞いてみたら」と無責任な言葉を残してデスクへ戻って行った。

 そして今、キリルはその女警官を見張っていた。ダグの言うことも一理あるかと、正面から彼女に聞いてみようとしたのだ。が、なぜかキリルは壁に隠れていて……これじゃまるで尾行だ。
 彼女は倉庫へ向かっているようだった。彼女が中に入って、数分。キリルは突入を決めた。ダグの言葉を疑っているわけではないが、ここにアンセムが隠されているのかもしれない。ある一角のファイルを動かせばそこにはぎっしりと――。そんなことを考えていた。
 倉庫の中は電気が点けられていなかった。これは怪しい。そう思ったキリルが足を進めること、数歩。突然背後で扉の閉まる音がした。
 カチ、というのはおそらく鍵の音。キリルは胸元をまさぐって、銃を持っていないことを思い出した。何がシロだ、真っ黒じゃねーか! と心の中で相棒に文句を言うぐらいの余裕はまだある。
「キリル・ヴルーベリ巡査」
女性の声だった。そして、灯りが点けられる。眩しくて思わず目を覆ってしまったが、その先にはやはりあの女警官が立っていた。相変わらず首元にはしっかりとスカーフが巻かれている。
「私はサラ。階級はあなたと同じ、巡査です」
サラは丁寧に警察手帳を見せてくれた。キリルとしては少し拍子抜けである。
「なんで俺の名前知ってんだ?」
「ダグの相棒になったと聞いて、それで……」
「ふーん。で、こんなとこで何してたんだよ。電気も消したままで」
「……あなたに疑われていると思ったから」
サラは意外なことにスカーフを外し始めた。そしてシャツのボタンを開けて、首元を露わにする。キリルは動くことも出来ず、ただその光景をじっと見ていた。
「……それ、銃痕か?」
彼女は頷く。キリルの求めていた痣ではなかったということだ。しかし明らかに、その銃痕は不自然だった。
「いや、フツーそんなとこ撃たれたら……」
死ぬだろ。とは口にしなかった。寸前のところで呑み込んだが、彼女はキリルの言いたいことを察したようだった。
「殺傷能力のほとんどない銃。あなたも見たことあるでしょ?」
「まさか……」
ダグがいつも撃っている弾。アンセム使用者のオーバードライブを制御する薬が込められた弾だ。キリルの喉がごくりと鳴る。
「私はダグに助けてもらったの。アンセムで我を失って暴れているところを、ね」
銃痕を撫でたサラの指はかすかに震えていた。目元は涙を堪えているように見えるが、自信はない。

 一応これで彼女が首元を隠していた理由は分かった。しかし、それ以外は何も分からない。
「いや、さっぱり分かんねーよ。なんでアンセムなんか使ったんだ? それに捕まってもないみたいだし」
サラは急にキリルとの距離を詰めた。あまりの近さにキリルが戸惑っているのもつかの間、彼女の冷たい指がキリルの首に触れる。
「もし私がアンセムを持っていたとしたら、どうなると思う?」
ひらひらと彼女は手を振って見せる。背筋に悪寒が走った。まだ冷たさの残った首筋に手を当て、そこに何もないことに安堵する。
「まさかお前、誰かに無理矢理……」
「……そう。あれは私のミスだった」
SEVEN-Oが容疑者を追う現場にたまたま居合わせたサラ。彼女は不覚を取って犯人に捕まってしまったのだと言う。そしてあろうことか、追いつめられた容疑者はアンセムを使用した。自分にではなく、人質となったサラに。
 サラはアンセムによってオーバードライブし、そのまま犯人を殴って気絶させたそうだ。容疑者は難なく確保。しかし、混乱したサラはその場にいたSEVEN-Oの捜査官、ダグにまで襲い掛かってしまった。ダグは薬をサラに撃ち込むことに成功したが、それがちょうど首に命中したという結末だ。このことは公にはされていないが、キリルの知らないところで噂として広まっているらしい。周囲に奇異の目で見られることが多いため、彼女はスカーフを巻いてその証拠を隠しているそうだ。
「ダグは謝ってくれた。首に撃つつもりじゃなかったって。そんなの、私が暴れていたから仕方のないことなのに」
謝らなければいけないのは襲い掛かってしまった自分のほう。彼女はそう言って目を伏せた。
「んだよそれ! 悪いのはその犯人だろ! あと、変な噂してるやつら!」
「うん。でも、私が犯人に捕まったのは私のせいだよ。私が実力不足だったから」
「……それで、なんで何も言わないんだ? 説明すれば噂してるやつらも黙るだろ?」
「警察官がアンセムを使われたなんて、上はおおっぴらにしたくないみたい。それにどうせ……無意味だと思うから」
キリルは叫びたくなるのを抑えようと、歯を食いしばった。彼女が悪いわけではないのだ。彼女に不満をぶつけたって、どうにもならない。
「……じゃあなんで俺に話したんだよ」
「だって首、見られちゃったから。……それにダグにも聞いたでしょ?」
「まあ聞こうとはしたけど、あいつ何も話そうとしねーし。気になるなら自分で聞きに行けって」
「そう……。なら、話さなくても問題なかったのか」
「いやその言い方はないだろ!」
サラは鍵を開けて、そのまま倉庫から出て行った。
「……うそ。信じてくれてありがとう」
振り返った彼女はやっぱり泣きそうな顔をしていた……ような気がする。