Phase03

 キリルに食事に誘われた。それは純粋に嬉しかった。けれど約束の場所に座っていたのが彼の相棒だったから、少し驚いてしまったのだ。
「ダグ……キリルに誘われたの?」
「ああ、俺とサラの関係を心配してくれたらしい」
「私たち喧嘩してるわけでもないけど……。じゃあキリルは来ないの?」
「いや、来るって言ってたよ」
ダグはグラスの酒を転がして、半分ほど飲んだ。「座ったら」と言われてサラは遠慮がちにダグの隣の椅子を引く。二人で何を話せばいいのかなんて分からない。
 普段はあまり飲まない酒を頼んで、勢いで喉を通過させる。グラスを置いて「ごめん」と切り出すと、同じ音が隣からも聞こえてきた。ダグもこれには驚いたようで、二人で目を丸くして、それから笑った。

「……キリルはいい子だよね」
「もしかしてああいうのが好み?」
「……うん。好きなの」
慣れないアルコールが入っていなければこんなこと言わなかったと思う。このちょっとした気の緩み。まさかあんなことになるなんて。
 ガタン、と大きな音がして振り向くと、そこには話題の人――キリルがいたのだ。さっきのは多分、彼がバランスを崩したときのブーツの音。すーっと酔いが醒めていく。
「あ、あの……キリル……」
聞かれてしまっただろうか。いや、聞いていたから大きな音を立てたんだろう。でも偶然かもしれないし。サラの頭の中はぐるぐると堂々巡りで、まともに働かない。
 よく見たらキリルはほんの少し頬を赤らめているような気もする。もうこれは覚悟を決めるしかないと、そう思った。しかしキリルは「何だよもうそんな進展してんのかよ」とダグの背中をバシバシ叩く。なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「何か俺、邪魔みたいだしデリックのとこ行ってくるよ。ダグ、後で報告しろよな!」
「え、ちょっと……キリル!」
キリルは豪快な音を立てて店から出て行ってしまった。サラは立ち上がることも出来ず、隣のダグを頼る。
「ね、ねえダグ。追いかけて誤解だって……」
「サラが好きなのはお前だよ、って?」
「いや……それはちょっと」
だってさっきのキリルはどう見ても喜んでいた。という表現が正しいのか分からないが、サラがダグを好きだったとしても全くダメージを受けていないように見えた。もちろんこんな短期間で好きになってもらえるとは思っていない。が、分かっていてもいざ目の当たりにすると落ち込んでしまうものだ。追いかけて告白したところで脈がないのは明白だった。
「俺は案外いいと思うけど。ああいうやつには直球が一番だ」
「あー……他人事だと思って……」
カウンターに両手を投げ出して、じとりとダグを睨む。彼にとって他人事なのは百も承知だが、もっとこう、頼もしい味方が欲しいのだ。
「なんか、さっきのは……そう、お酒が好きって話をしていた、みたいな」
ダグは返事をしない。口元に手を当てて、心なしか肩が震えているような。
「……ダグ、もしかして笑ってる?」
「いや、笑ってないよ」
「笑ってるじゃない!」
グラスの中に残っていた酒を一気に飲み干す。こうなったらヤケ酒ぐらいは付き合ってほしい。
 しかしダグは財布を出して会計を済ませてしまう。
「それじゃ行こうか」
「……行くって?」
「デリックの店。それとも一人で行く? 地図なら描くけど」
サラはぶんぶんと首を振った。連れて言って下さいと、小さな声だったがダグはしっかり頷いた。

「――え、なんだよお前らせっかく俺が気を使って……」
「ただ酒の話をしてただけだ。お前が思っているようなんじゃないよ」
「お、おう。なんだ、そうだったのか」
ダグがあの捻りのない言い訳をそのまま使ったこともだが、キリルがそれをすんなり信じたことも驚きだ。ダグはまた肩を震わせている。文句の一つでも言ってやりたいところだが、言及すると自分が不利になりそうなので見なかったことにした。
 キリルもダグも度数の高そうな酒を飲んでいた。気分としてはサラもそうしたいところだったが、一軒目でもう既に限界が見えていたのでおとなしくジュースを頼む。店主のデリックは爽やかな笑顔でグラスを差し出してくれた。彼のおすすめらしい林檎とレモン果汁のミックス。アルコールの熱よりも、果汁のさっぱりした甘みのほうがサラは好きだった。「え、酒好きなんじゃねーの」とキリルがさっきの言い訳を拾ってきたのだけが誤算だ。
「す、好きだけど弱いの!」
「ふうん」
これまたあっさり信じてくれたキリル。ダグが笑っているのはもうこの際どうでもいい。

「キリルー」
カウンターに突っ伏したキリルの肩を揺さぶる。ゆらゆらと舟を漕ぎだしたあたりから嫌な予感はしていたが、彼は本当に寝てしまった。せっかくここまで来たというのに、ほとんど話せずじまいである。まあ、誤解を解くという最重要任務はダグがしっかりこなしてくれたからいいのだが。
 意識を取り戻したキリルは目をゴシゴシ擦って、トイレへ行った。足取りはふらついていない。寝たらすっきりするタイプなのか。
「サラはキリルのこと好きなのか?」
この数時間だけで二度。デリックにまで見抜かれてしまったサラはそうとう分かりやすいのだろう。しかしここで同じ過ちを二度も犯すサラではなかった。
「ええと、そういうのじゃないです」
「あ」というのはダグの声。背後にはやっぱりキリルが立っていた。そう、だからサラは「好き」と答えなかったのだ。……しかしこれは本当に正しい選択だっただろうか。よく考えなくとも、サラは失敗している。キリルに誤解を与えたという意味で。
「あ、あ……違う、違うの……」
サラはよろよろとキリルに近寄った。これ以上進んだら彼にぶつかってしまうというところまで来て、ぎゅうと胸元でこぶしを作る。
「私、本当はキリルのことが好きなの!」
サラがそう言ったのと、キリルが「何の話だ?」と首を傾げたのは同時だった。だからと言ってサラの声が彼に届かなかった、なんてことにはならない。キリルはポカンと口を開いて絶句した。のち、顔を赤くして「は」とか「え」とか言う。キリルを誤解させてしまったというのは、サラの勘違いだったのだ。
 サラは逃げ出した。それはもう、全速力で。

 家に着くなり服を脱ぎ捨て、雑にシャワーを浴びた。肌の手入れもろくにしないままベッドで丸くなる。明日が憂鬱だ。仕事に行って必ずキリルと顔を合わせるわけではないが、同じ建物の中にいるかもしれないと思うだけで胃が痛い。
 しかしサラも社会人のはしくれ。酒の席の失敗なんかで仕事を休めるわけがなかった。そして出勤早々、目の前から歩いてきのはキリル――ではなく、ダグ。
「……ダグ、おはよう」
サラは背中に乗った重い空気を隠しもせずに言う。
「ああ、おはよう。……よかったのか?」
「うん。もうダメかも」
サラはダグの横をふらふらと通り過ぎて、自分のデスクを目指した。ダグが何か指差していたような気がしたけれど、考える余裕がなかった。
「スカーフ、してないみたいだけど」
ダグの言葉はサラに届かなかった。

 その日はやたらと視線を感じた。なんとなく居心地が悪い。逃げ出すようにひと気のない場所を探す昼休み。そこでキリルと不運にも鉢合わせしてしまった。これはもう神に見放されたということだろう。
「あっ、お前……!」
目が合うなり、キリルが走ってくる。気まずいとか思わないのだろうか。彼はサラの前で足を止めて、手を伸ばす。サラの首にキリルの指が触れた。――首? サラも自身の首に手をやった。そこにあるはずのものが、ない。
「……スカーフするの、忘れてた」
「忘れたってお前、結構うっかり?」
ダグが指差していた部分も、やたらと視線を感じた理由もこれで分かった。シャツの襟もとから半分だけのぞく銃痕は、キリルによって撫でられている。くすぐったいけれど、気持ちいい。人に見られるのがあんなに嫌だったはずなのに。サラがうつむいて静かにしているのを悪い意味に勘違いしたのか、キリルの手が離れていく。
「誰かになんか言われたのか?」
「ううん。何も言われてないよ」
「そっか。けど、なんかあったらすぐ俺に言えよな!」
「……うん?」
「そりゃ市民を守るのも俺の仕事だけどさ、恋人のこともちゃんと守ってやれるぐらいじゃないとカッコ悪いだろ?」
どこがどうしてそうなったのか。サラの記憶が飛んでいるのだろうか。いや、サラは確かに酔っていたが、記憶を無くすほどではない。となればキリル。しかし彼もそんな状態ではなかったような気がするが。
「あ、あの……恋人って?」
「え、俺のこと好きなんだよな?」
「あ……うん。そうだけど……」
「あーもう、びっくりさせんなよ! 酒入ってたし、俺の勘違いかと思った」
キリルは機嫌よく鼻歌を歌いながらどこかへ行ってしまった。
「キリルは私のことどう思ってるの」
確認したかったけれど、追いかける気力もない。彼が嫌いな人間を恋人にするような性格ではないと信じるぐらいしか、サラに出来ることはなかった。