3話

「クオードって頭いいんだね……」
「もしかして馬鹿にされているのか?」
「違うってー」
エリンの手伝いが役に立っているかもわからないほど迅速に、クオードは空気汚染の原因を突き止めていた。さらにそれがこのわずかな期間で改善に向かっているのだから、開いた口が塞がらない。
 クオードは下層の住民に感謝され、国王からの信頼も得た。クオードとしては研究施設を借りているのだから当然だと考えているようだ。彼はやはり王にふさわしい人物なのだと実感させられる。
 空気汚染での件を評価され、クオードは技術庁に部屋を与えられた。エリンの記憶にある部屋とは場所も違い、狭く、物もほとんど置かれていない。
 エリンはクオードの手元の本を覗き込んだ。何やらびっしりと文字が並んでいることはわかるが、理解しようという気にもならない。
「クオード、今度は何してるの?」
「ウルベア大魔神……これがエテーネを救うカギになるんじゃないかと思ってな」
「大魔神……」
じわりと嫌な記憶が蘇る。まさか、軍事開発を進めるなんてこと……。エリンの表情が曇ったことにクオードは気付いていないようだ。
「歴史書によると、エテーネの滅びの原因は大規模な地盤沈下によるものだ。ウルベア大魔神なら地脈エネルギーを蓄え、意図的に放出することができる……」
「でも、そんなもの作ったところで持ち帰れないよ。それに大魔神って兵器なんでしょ?」
「ああ、さすがに作ろうとは思っていない。原理だけ応用できないかと思ってな」
「そ、そうだよね……」
緊張の糸が解ける。クオードは何も最初から軍事開発を進めようとしていたわけではなかったのだ。あとはキューブの完成を待てば、上手くいくはずだ。
 しかしエリンは考えるのに夢中で気付いていなかった。クオードが眉を寄せて近づいてきていたことに。
「お前、やっぱり変じゃないか? 前はもっと能天気だったというか……」
「へ」
クオードに顔を覗き込まれている。それが思っていたよりずっと近くて、エリンは勢いよく身を引いた。
「あ、おい! 危な……」
どん、と鈍い音に遅れて頭がずきずきと痛む。すぐ後ろが壁だったと理解するのに時間はかからなかった。
「ぼーっとしているのは相変わらず、か。頭を見せてみろ」
「え、大丈夫だよこのくらい」
いいから、というクオードの圧に負けてエリンはしぶしぶ後ろを向いた。
「切れてはないようだ」とかクオードは色々言っているが、エリンはそれどころではなかった。クオードの指の感触がくすぐったいのと恥ずかしいので、顔に熱が集まる。エリンの心臓はうるさく鳴っていた。動揺しているのが伝わってしまうんじゃないかと冷や汗まで出てくる。
「何か冷やすものを貰ってくる」
「うん。ありがとう……」
やっとのことでクオードの手から解放された。すっかり気の抜けたエリンはその場で項垂れる。
 深いため息と、思わず呟いてしまった言葉。
「あー……もう、すき……」
「……は?」
それは聞こえてはいけないはずの声で。恐る恐る顔を上げるとそこにはやはりクオードが。
「な、な、なんでまだいるの!」
「なぜって……お前が勝手にいないと勘違いしただけだろう! それより、」
「あーもう知らない! ばか!」
エリンはクオードの横をすり抜け、部屋から逃げ出した。怖かったのだ。もし拒絶されたらと思うと立っていられなかった。
「キュルル、十分前に時渡り……」
「そんなの無理ってキミもわかってるキュ。さっさとくっつけばいいキュ」
キュルルは言うだけ言って眠りについてしまう。一人残されたエリンは寝泊りしている宿に向かった。

 ベッドスプリングが窮屈そうに音を鳴らす。エリンは構わずシーツを頭までかぶった。
 エリンの想像は悪い方へと向かうばかりだった。頭の中でクオードの声が冷たく響く。せっかく上手くいきそうだった計画さえ崩れてしまうような気がして、じわりと涙がこみ上げてきた。
 ベッドの中でしばらく膝を抱えていると、入口のドアが控えめにノックされた。エリンがもぞもぞと体の向きを変えてドアに向かって返事をしようとした、ちょうどそのときのことだ。
「開けてくれないか」
エリンは言葉を詰まらせた。てっきり宿の従業員かとばかり思っていたのに。彼がわざわざ追いかけてきてくれたということは、もしかして、期待してもいいのだろうか――いや。エリンは首を振った。真面目なクオードのことだから、心配してきてくれただけかもしれない。
「頼む。開けてくれ」
「……開いてるよ」
カチャ、とノブの回る音が聞こえる。しかし次は、ドンとぶつかるような音が。ドアを間違えて押してしまったようだ。けれど「かわいい」とからかう余裕はない。
「鍵ぐらい閉めておけ」
「……ごめん」
こつこつと足音が近づいてくる。ベッドから顔を出せないままでいると、突然ひやりとした感触に襲われた。
「つめた!」
「氷を貰ってきた。しばらく冷やしておけ」
「……うん」
人の気配が遠ざかる。まさか本当にこれだけのために彼はここまで来たというのか。シーツをわずかにずらしてクオードのことを盗み見る。しかし、それは叶わなかった。クオードもまた、エリンを見ていたのだ。
「な……泣いているのか!?」
バタバタと大きな足音を立ててクオードがベッドに駆け寄る。自然な動作で床に片膝をついた彼は、人差し指でエリンの頬をそっと拭った。
「何も泣くことはないだろう」
「……それだけ?」
クオードが首を傾げる。
「ほかに何か……言いに来てくれたんじゃないの」
「それは……」
ふいに腕をつかまれ、引き寄せられる。この温かな感触をエリンは知っていた。遠い昔の記憶ではない。では、いつだっただろうか。目を閉じて、考える。――浮かんできたのは、ウルベアにたどり着いたときのことだった。あのときも彼はエリンを受け止めていてくれたのだ。
 クオードの腕が背中に回る。ハッと目を開くと、急に夢から覚めたような心地になった。
「ちょ、ちょっと! 何してるの!」
「何だ今さら」
「そんな、今さらって!」
「会いたかったとか、手を握ってほしいとか、散々俺を振り回しておいてか?」
「う……だって、それは……」
うつむいた頭のてっぺんをポンとクオードが撫でる。そのままもう一度抱きしめられるが、すぐに彼は離れてしまった。
「続きはエテーネに帰ってからだ」
クオードが踵を返す。何だか話を上手くまとめられたような気がするが、エリンとしては不満だった。
「待って。クオードまだ、何も言ってない」
「……言ってない?」
「私のこと、好きなんでしょ!?」
ぼぼぼ、と音が出そうなほどの勢いでクオードの顔が赤くなる。
 彼は結局「エテーネに帰ってから」というのを頑なに守り通したのだが、このときの表情が嬉しくてたまらなかったエリンは、エテーネに帰還するまでクオードを“押し”続けたのだった。