2話
ウルベアに到着するまで、思ったよりも日数がかかってしまった。原因はエリンの怪我だ。ドラゴンに引き裂かれた傷と火傷。防具に守られていたとはいえ、炎のブレスを直に受けたのだ。無事で済むはずがなかった。
それでもエリンを動かしていたのは気力だった。しかし気力が何日も持つわけがない。道中何度も休みながら、やっとの思いでウルベア地下帝国にたどり着いたのだ。
「だから休んでから行った方がいいってボクは言ったキュ!」
「ごめんって。ほら、帰ったらチョコ買いに行くからー」
「何度もそれで丸め込めると思ったら大間違いキュ!」
そして結局、エリンの買い物リストにはメギストリス限定のチョコも追加されることになった。
ウルベアに着いてすぐ、エリンは街でグルヤンラシュの名を確認した。前ほど有名ではなかったが、確かにその名は存在しているようだ。彼はすでに城に招かれているらしい。
エリンは城へ入ろうとしたが、やはり兵士に止められた。全身の火傷で、明らかに怪しまれてしまう。グルヤンラシュの知り合いだと言っても、聞き入れてもらえない。
「お願いです。彼に会わせてもらえば……」
「なんだ、揉めているのか?」
聞き間違うはずがなかった。何度も頭の中で想像した声だ。彼の顔が見たくて仕方がないのに、視界が滲んで邪魔をする。
「グルヤンラシュどの。それが、怪しいものが現れ……」
「エリン! エリンなのか!?」
「クオード……。会いたかっ……た」
彼のほうへ手を伸ばし、しかしあと少しのところで足に力が入らなくなってしまう。エリンはもう、限界を迎えていた。
「この者は俺の友人だ! 中で手当てをさせてくれ!」
倒れた痛みは感じなかった。代わりに温かな感触が体を包む。遠のく意識の中でクオードの声が何度も響いていた。
「ん、あれ……?」
見慣れない天井。やわらかなシーツ。起き上がろうとしたら、肩がずきりと悲鳴を上げ、仕方なく首だけ動かす。
「……起きたか」
「クオード!」
やっとの思いでクオードに会えて、エリンは嬉しくて仕方がなかった。それなのにクオードの表情は、どちらかといえば怒っているようだった。眉間のしわに、ぶっきらぼうに組まれた腕。これはむしろ、怒っていないというほうが無理がある。
「いったい何なんだお前は。突然現れたかと思えば、その怪我。全身の火傷に加えて、肩からその……胸まで大きな切り傷があるそうじゃないか。しかも最近できたばかりの」
「……見たの?」
「俺は見てない!」
「ふふ……そうなんだ」
「おい、俺は真面目に……!」
「ずっとそばにいてくれたの?」
「……ずっと、ではないが」
言葉を濁したクオードは、顔を背けてしまう。しかし朱に染まった耳は隠しきれておらず、エリンはひっそりと頬を緩めた。
クオードにはまだ休んでいるようにと言われたが、もう眠くないと主張し弟を連れてきてもらった。それから三人で情報を共有する。といってもエリンには話せない事情がいくつかあるが、二人がそれに気づくこともない。
状況を整理すると、クオードはエテーネ崩壊の歴史を知り、今まさにエテーネルキューブの作成に取り掛かろうとしているところだった。まだこのことは三人の中だけの話らしい。ちゃんと間に合ったのだとエリンは唇を震わせた。
「クオード、私のカバンとってくれる?」
「……ああ、これか?」
「ありがとう。……これはクオードに渡しておくね」
銀色の塊をクオードに差し出す。彼はすぐに察したのか、顔色を変えてエリンに詰め寄った。
「お前……どうしてこれを?」
「……えーと、ガテリアで魔物が出て困ってるって話だったから、その討伐のお礼? みたいな感じで」
「お前は本当にお人好しだな。それでその怪我なのか?」
「うん。一人だったから手こずっちゃって」
「お前はガテリアに飛ばされていたのだな。……一人ではさぞ心細かっただろう」
クオードは勘違いをしている。それはエリンの嘘の結果であり少し胸が痛んだが、本当のことを言うわけにもいかないので話を合わせるしかなかった。
「姉ちゃんのおかげで後は時の球根だけになったね! アルケミダストは錬金で何とかなりそうだし、おいら先に準備してるよ!」
「あ……時の球根、今は持ってないんだけど、心当たりはあるから……」
「え、本当!? 思ったよりすぐに完成できそうだね! じゃ、姉ちゃんは傷をゆっくり癒しててよ!」
「ありがとう」
慌ただしく扉が閉められる。久しぶりに見た弟の元気な姿は、エテーネ村での暮らしを思い出させる。そんなに昔のことでもないはずなのに、ずっと遠い記憶のように感じた。
「ん、どうしたんだ? どこか痛むか?」
「ううん……。弟に会うのは久しぶりだったから、それで……」
「そうか」
クオードの顔がわずかに曇る。しまったと思ったがもう遅い。エリンはクオードと弟に会えた喜びでいっぱいだったが、彼は違うのだ。エテーネのこと、メレアーデのこと、心配で仕方がないはずなのに。
「……あ、えーと……ごめんね」
「何がだ?」
「……やっぱり何でもない」
「おかしなやつだな」
もう寝ろ、と言われ仕方なく布団をかぶる。子守唄を唄ってほしいという願いはもちろん却下されたが、手を握ってと言い終えてすぐ、右手に温かな感触が下りてきたのには驚いた。握るというよりは重ねる、だったが。じわじわと顔が熱くなり、これでは寝ようと思っても眠れない。恥ずかしくて目を開けることすらできない。けれどこの温もりを手放すには心惜しく、指をそっと絡めてみる。ぴくりと彼の指が反応したが、それ以上動くことはなかった。
ウルベアで傷を癒して数日、エリンは元通り動けるようになっていた。二人にはまた嘘をつくことになったが何とか時の球根を持ち帰り、あとは完成を待つばかりだ。しかしそう簡単にキューブができるはずもなく、クオードとエリンは二人、ウルベアの街を歩いていた。
「クオード、どこに行くの?」
「下層だ。お前はここで待っていろ」
「え、私も行きたい」
「空気が悪いんだ。お前に吸わせたくない」
気遣ってもらえるのは嬉しい。だがエリンとしてもクオードに汚染された空気を吸ってほしくないのは同じだった。
「下層で何をするの?」
「空気汚染をこのままにしておくわけにはいかない。下層に住む者は、日に日に体調を崩している。その原因と改善方法の模索だな」
「……私にもできること、ない?」
「なら中層での聞き込みをしてくれ」
「中層? 下層じゃなくて?」
クオードは頷いた。クオードの考えでは、中層にも以前は下層に住んでいた人がいるのではないかということらしい。汚染が酷い場所や時期、何でもいいから情報を集めるようにと頼まれた。下層から遠ざけられた気がしないでもないが、それで役に立てるならばとエリンは了承した。
「具合が悪くなる前に帰ってきてね」
「ああ、お前も無茶はするなよ」
階段を下りるクオードをじっと見つめていると、ふいに彼が振り返る。慌てて取り繕おうとしたが、いい方法が思い浮かばない。クオードがふ、と笑う。
「お前、前からそんなに心配症だったか?」
「……ちょっとそれ、失礼じゃない?」
クオードは大げさに笑って、今度こそ階段を下りて行った。