ガラスの破片を踏みたくなって21

「信用ねえなあ」
尾形は双眼鏡から目を外して言った。
 というのも、尾形が軍の動きを見たいと言うから私もついてきたのだ。仕方ないじゃないか。一人で行かせてたまるかという私の気持ちもわかってほしい。
 しかし尾形の様子を見るに、傷ついているというよりはただ私をからかっているだけのようだった。まんざらでもないのだろう、私に心配されるのが。
 昨日話してから尾形の雰囲気はやわらかくなった。人が変わったとまでは言わないけど、何か吹っ切れたのだとしたら私も嬉しい。
 尾形はまだ金塊のことが気になるそうだ。もう関わらないでとも言えたが、無価値の証明について「もうそれはいい」という言葉があったため私も「軍の動きを観察するくらいなら」と言ってしまったのだ。
 私は尾形が自虐的な生き方を選ばないでくれたらいいと思っている。白石さんのようにお金持ちになりたいという理由で金塊を探したいというなら、まあそれもありなのかなと。杉元さんのように誰かのためにというならもちろん咎められない。本音を言えば危険な目にあってほしくないから金塊のことは忘れてほしいけれど、そこまで私がどうこう言えることじゃないのかなと考え改めたのだ。
 金塊に関する手がかりはもう私たちの手元に一つも残っていない。しかし尾形が言うに、軍が動けば大体そこから情報を追えるということだ。
 札幌駅の近くでしばらく軍の動きを見ていたが、尾形が注目したのは外国人集団が乗り込む列車だった。樺太で見た顔だと尾形は言う。
「函館行きの列車か……怪しいな」
「……行くの?」
「なんだ、止めねえのか?」
「例えばもし、アシパさんたちにすごく迷惑かけたから今度は助けに行くっていうなら……」
「俺がそんな人間に見えるか?」
「うーん……?」
いくらなんでもそこまで変わったとは思えない。「そこは頷いとけよ」と尾形が小突いてくる。
「しかしまあ、鶴見中尉に金塊が渡るなら静かに暮らすってのも難しいかもしれねえな」
「えっ、じゃあ本当に助けに行くの?」
「別にあいつらを助けに行くわけじゃねえよ」
素直じゃないなあ。尾形がいつもしているみたいに頭を撫でつけてあげたらパシンと振り払われる。本当に素直じゃない。
 列車の出発までの時間に私たちはそれぞれ買い物を済ませた。尾形はいつも通り弾を買うのだろう。私は食べ物と双眼鏡を買った。もとは鶴見中尉に宿代として渡されていたお金だが、まさか返せと言われることはないだろうから有効に使わせていただく。
 函館までは列車で十二時間もかかるそうだ。到着まで眠っていようと思ったけれど、途中の小樽駅で乗車してきた外国人たちが何やら騒いでいるので目が覚めてしまう。札幌駅から乗っているロシア人の仲間のようだ。尾形は全く気にならないのか隣でスヤスヤと眠っていた。寝顔がかわいく見えるのは惚れた弱みだろうか。だらんと無造作に投げ出された尾形の手に自分のそれを重ねる。それだけで幸せな気分になるから不思議なものだ。

 函館に着くなり、ロシア人たちがいっせいに北のほうへ向かって行った。
 尾形は街で馬を一頭手配して、私だけをその背中に乗せた。尾形は歩いて手綱を引いている。
「これ、何かの変装?」
「まあそんなところだ。いざとなれば乗れるしいいだろ?」
「私だけ座ってるのが悪いなって」
「どうせ後で嫌ってほど座るハメになる」
「……確かに」
尾形は狙撃待機のことを言っているのだろう。それを考えたら私も体を動かしておきたいが、尾形が気を使ってくれているのかもしれないと思うと悪い気はしない。
 ロシア人の後をつけている途中で尾形は目的地がどこなのかわかったようだ。
「なるほど五稜郭か。さて、どこに山を張るかな」
「ヤマ?」
「五稜郭には三つの出入口がある。南、北、東……杉元たちが金塊もしくは権利書を発見したとして、どこから脱出するかって話だ」
「……殺して奪おうとか考えてないよね?」
「鶴見中尉もそこを狙うだろうって話をしてんだよ。……全く、傷つくぜ」
「ごめーん……」
 私たちはまず南口へ向かった。単純に函館から一番近かったからだ。ロシアの人たちもそこからぞろぞろと中へ入って行っている。おそらくアシパさんたちの味方だろうということで、私たちは彼らを見送った。
「軍の人たちってまだ到着しないのかな」
「まあ次の列車までには確実に間に合わせてくるだろうな」
「じゃあそれまでにアシパさんたちが脱出できたら私たちも安心して帰れるね」
 南口がよく見渡せる位置取りで、私たちは動きを待った。しかしアシパさんたちが出てくるより先に、砲撃が五稜郭を襲った。
「え……まだ列車の時間じゃないよね?」
「駆逐艦だ! あいつら海から攻めてきやがった。とりあえずここから移動するぞ」
 南口からの脱出はないだろうということで東口と北口の間で待ち伏せをすることにした。しかし移動している途中、兵に連れられた永倉さんの姿を目撃する。
 永倉さんたちは函館駅方面へ歩いて行った。どういう状況なのか確認するため私たちも後をつける。

 永倉さんは鶴見中尉と話をするためわざと捕まったようだ。しかし交渉は決裂したらしい。鶴見中尉達から逃げる永倉さんと危うく鉢合わせするところだったが、どうにかやり過ごすことができた。
「五稜郭へ戻る?」
「そうだな」
 今度は二人で馬に乗って来た道を戻る。相手の馬の頭数的に進軍は歩いて行われるはずだ。彼らより先に位置取りをして、アシパさんたちの動きを見ながら行動することになった。
 私たちが五稜郭へ戻るあいだ、艦砲射撃は止んでいた。永倉さんが何かしたのかもしれない。「権利書の話だったのかもな」と尾形は言う。
「明治政府の羽振りが妙によかったことは鶴見中尉も知っているはずだ。権利書をみつけたってんなら、燃やすわけにはいかねえ。まあ、俺も本当にそんなもんがあるのか半信半疑だが」
「尾形はあるって知ってたんじゃないの?」
「中央にそう聞かされただけだ」
「ふうん」
 東口と北口のあいだの、どちらかといえば北口寄り。なぜ北口なのかというのは単純に尾形の勘らしい。馬は少し離れたところに隠しておき、木の上で待機する。
 私は着物というのもあって登るのにかなり苦労した。というか尾形が手伝ってくれなかったら無理だった。
「私も西洋の服がほしいなあ。家永さんが着てたのとか綺麗だった」
「木なんか登ったら中が丸見えじゃねえか?」
「……そういうことばっかり言うんだから」
尾形はくつくつと笑いながらも双眼鏡から目を離さない。しかし尾形が見ているのは五稜郭の出口というより、私たちが身を隠しているような木々だった。
「頭巾ちゃんを探してるの?」
「なんだよ頭巾ちゃんって」
あ、そうか。頭巾ちゃんっていうのは杉元さんたちが勝手に呼んでいるだけであって、尾形は知らないのだ。ロシアの狙撃手のことだと言うと、尾形は「ああ」と頷く。
 私は函館行きの列車に乗る際、決めていたことがあった。頭巾ちゃんに尾形のことを諦めてもらうならここしかない。……いや、諦めてもらうというよりは、尾形が死んだと勘違いさせるのだ。そのために私ができることは……。
 いつの間にか唇を噛みしめていたことに気付いたのは、尾形にそれを指摘されたからだ。どうして周りを警戒していたくせにそういうことに気付くんだ。
「緊張でもしてんのか?」
「そりゃあするよ」
尾形は興味なさそうに返事をして双眼鏡を懐にしまった。……よかった、とりあえずは誤魔化せたようだ。
 双眼鏡を片づけた理由は光の反射が理由なのだそうだ。もし近くに頭巾ちゃんがいるのだとしたら、それだけで狙いを定められてしまうらしい。
「……谷垣さんを追ってたときも尾形、双眼鏡を撃ってたもんね」
「よく覚えてんな。まあ、あれは囮だったが」
「うん……」
 しばらくすると鶴見中尉率いる軍が北口と東口に到着した。南口はここからでは見えないが、当然包囲されているだろう。
「籠城戦になるな。あいつら持ちこたえられるか?」
「……尾形はどうするの?」
「待つ。中でやられるようじゃ俺にはどうにもできん」
「そっか……」
私は枝の上で尾形からじりじりと距離を取った。そうして帯の中に忍ばせておいた双眼鏡を手に取る。尾形が双眼鏡をしまったということは、逆に考えたら今これを使うのがまずいということだ。尾形から見えないように、片手でちらちらと双眼鏡を動かしてみる。怖かった。もちろん死ぬ気はないから体から離れたところでやっているけど、尾形に気付かれたらいけないから、どうしても後ろのほうでしか動かせない。
 双眼鏡を手にしてしばらく経った。だけど何も起こらない。頭巾ちゃんはいないのだろうか。それならそれでと双眼鏡を帯の中に戻そうとしたそのとき、
 音がしたかはわからなかった。だけど気付いたら私は双眼鏡を落としていて……ああ、腕を撃たれたのだ。腕で、よかった……。
 尾形がすかさず銃を構えたのはさすがだと思った。だけど今、撃たせるわけにはいかない。痛みをこらえながら撃たれていないほうの手で尾形の銃の照準をずらす。
「何してんだ手ェ離せ!」
「撃たないで……。撃たなかったらきっと、ロシアに帰ってくれるはずだから……」
「まさかお前、最初からこのつもりだったのか? 双眼鏡はどこで手に入れた?」
「札幌で買った……。ふふ、気付かなかったでしょ」
「クソが……」
 尾形は私を抱き寄せ、血だらけになった腕に触れてきた。止血をしてくれているようだ。
「腕だからって安心するなよ。それで死ぬ奴だって大勢いるんだ」
「うん……」
「……死ぬな」
「大丈夫だから、泣かないで」
「泣いてねえよ……」
片腕で尾形のことを抱きしめたら、それ以上の力が返ってきた。喜んでいる場合じゃないのに、嬉しいと思ってしまう。頭巾ちゃんがいなくなるまで動けないだろうから、しばらくはこのままだ。