どうか思い出さないで03

 帰省も親戚の集まりもない盆はただの休日に過ぎない。なまえは暇を謳歌していた。
 しかし休日に限って時間の流れというのは早いもので、明日からは通常通り出勤だ。今日は早めに寝てしまおうと部屋の明かりを消そうとしたところで着信が鳴る。杉元からだった。
「あ、なまえちゃん?」
 杉元の声を聞いた瞬間、なまえはスマートフォンを床に落としそうになった。その呼び方は、もしかして……。
「なまえちゃん? 聞こえてる?」
 やっぱり聞き間違いじゃなかったな、と思いながらなまえは何とか返事をする。すると杉元は
「思い出したよ」
と、心の準備をする時間も与えてくれない。
「そうですか」
 ドクドクと心臓が鳴るわりには落ち着いて話せていたと思う。
 これが別れを告げるための電話ではないと、なまえはわかっていた。杉元はそんな男ではない。ではなぜこんなにも苦しくなるのか。梅子のこと、樺太で敵対してしまったこと、できれば忘れたままでいてほしかったからだ。
「実はこの前のとうもろこしは、アシパさんがくれたものなんですよ」
「ええっ、そうだったの? 俺も会いたいなあ」
「連絡先は知ってるので伝えておきますね」
 なまえは通話を切ろうとした。限界が近かったからだ。しかし同時に「これでいいのか」とも思う。このままでは明治のときと何も変わらない。好きに生きようと決めたのは何だったのか。

「さ……、佐一ちゃん」
 杉元は息を呑んだ。明治で記憶喪失になったあとのことしかなまえが覚えていないと思っていたからだ。
 電話口から鼻をすするような音が聞こえた。杉元はすぐにバス停の列から外れてタクシー乗り場へ向かった。
「今から行ってもいい?」
「……え?」
「さっき飛行機降りたとこ。今タクシー捕まえた」
「……うん」
「一個だけ言っといていいかな。俺、なまえちゃんのこと好きだからね」
 答え合わせのようになまえが嗚咽を上げて泣き出す。不安にさせていたとようやくわかった。ずっと探していた幼馴染に再会できていたのに、どうして思い出せなかったのかと後悔が募る。
 通話は切らないままタクシーに乗った。彼女も大分落ち着いてきたようだ。幸いなことに道も空いていて、この分だと一時間も掛からないうちに着きそうだった。

 インターホンの音になまえはぴくりと肩を震わせた。ちなみに今も通話は繋がったままであり、ドアの向こうに杉元がいることはわかっていた。
 なまえがモタモタしているあいだに鍵が開く。杉元には合鍵を渡しているのだから何も不思議なことはない。プツンと通話が切れた。
「ただいま、これお土産」
 杉元から渡されたのはわりと定番のお土産だった。彼は斜め上を見上げながら頬を掻いた。
「えっと……」
「……とりあえず、座りましょうか」
「あ、うん」
 二人は並んでベッドに座った。何から話そうかと考えて、なまえはこの状況に満足していることに気付いた。今ここに杉元が来てくれたこと、それ以上に何かが必要だろうか。彼は前世で梅子のことを好きだったと思い出した上で、なまえを好きだと言っているのだ。
「全部、報われたような気がします。来てくれて嬉しい」
「ごめんね、思い出すの遅くなっちゃって」
「いいえ。私は杉元さんの記憶が戻らなければいいと思っていましたから」
「ずっと不安だったってことでしょ?」
「まあ、それは……私の問題なので」

 うつむくなまえの髪に杉元がそっと触れる。
「なまえさんが俺のことみつけてくれたからだよ」
「杉元さん」と呼んだなまえの気持ちに応えたつもりだった。二人が幼馴染だったのは前世のことである。そこに固執する必要はないし、かと言ってなかったことにしたいわけでもない。前世と違う関係になることは、何も特別なことではないのだ。
「俺はなまえさんが好きです」
「私……も、杉元さんが好きです」
「あ~……かわいいなー」
 杉元は両手でなまえの頬を包んでムニムニと堪能した。なまえは目をキョロキョロさせながら真っ赤になっている。それが面白くてひたすら頬を触っていたら、仕返しとばかりにキスをお見舞いされる。今度は杉元が照れる番だった。
 もしわかっていないようなら夜が明けるまで愛の言葉を浴びせるつもりだった。だがなまえを見たらその必要がないことがわかる。……必要はないかもしれないけど、やりたいからやるのだ。
 結果、なまえは途中で寝てしまった。明日はお互い仕事だからそのほうがよかったかもしれない。続きはまた今度。杉元はなまえの寝顔を手の甲で撫で、自身も目を閉じた。