一服どうぞ

 今日は、みたらし団子だった。団子の入った包みを両手で持ち、ぴしゃりと背筋を伸ばして去っていくのは最近よく来る軍人さんだ。軍人といえば粗暴な印象があったけど、その人は品がある。私は名前も知らない彼の来店を密かに楽しみにしていた。
 祖父の代からの和菓子屋はそれなりに繁盛している。私には兄がいるから跡取り問題は気楽だ。私は作るよりも食べるほうが好きだった。

「いらっしゃいませ」
 彼はさっそく新商品の羊羹に目をつけたみたいだ。食べてみますか、と声を掛けてもいいだろうか。迷っているあいだ、私は彼のことを凝視してしまったらしい。ばっちりと目が合って後戻りができなくなり、私は意を決して声を掛けた。
「よかったら食べてみてください。お茶とよく合うんですよ」
「そうか。では頂こう」
 菓子楊枝ひとつ持っただけで絵になるのは卑怯なんじゃないか。とは言え、今ならじっと見ても不自然ではないだろう。羊羹が彼の口に合うか、気にするのは何も不思議なことじゃない。
「……確かに緑茶によく合うな。二つ頂こう」
「ありがとうございます!」
 その日、私は幸せの絶頂だったと言ってもいい。いつもよりたくさん会話ができた。けど、その幸せは長くは続かなかった。彼がぱったりと店に来なくなってしまったのだ。
 もしかして、羊羹が上の人の口に合わなかったのかもしれない。どうしようどうしようと悩んで数カ月。そして一年も経てば、私が彼のことを考える時間も少なくなっていた。

 買い出しの途中、急な雨で雨宿りをしていると、ずっと探していた姿をみつける。気付いたら私は屋根の下から飛び出していて、だけど冷たい雨のおかげで一瞬で冷静になった。彼と私は知り合いでも何でもない。彼はただのお客様なのだ。
 どうせ濡れてしまったしこのまま帰ろうか。着物の袖で顔を拭いながらそんなことを考えていたら、彼の隣を歩いていた男の人と目が合った。何度か見たことがある顔だった。お店に二人で寄ってくれたことがあったから、私の顔を覚えていたのかもしれない。二人が、こちらに歩いて来ている。久しぶりに見た顔には傷跡が残っていた。そして、傘が差し出される。
「何をしている? 風邪を引くぞ」
「あ……えっと、買い出しで……」
 突然のことで頭が真っ白になる。何を話したかもほとんど覚えていなくて、いつの間にかお店まで送ってもらうという状況になっていた。
「月島、悪いが先に戻っていてくれ」
「はい」
 私が口を挟む間もなく月島さんは行ってしまった。私はというと、本当にどうしていいかわからなくなって
「傘持ちます!」
と、意味のわからないことを口走っていた。私の腕の中には買ったばかりの小豆を包んだ風呂敷があるというのに、なんて馬鹿なんだろう。そもそも女性に傘を持たせて歩いている姿なんて、あまり良い噂は立たないだろうに。何もかも失敗したとはこういうことだ。彼は目を見開いて、しばらく言葉を失っていた。
「……ごめんなさい、やっぱり傘はお願いします」
「っああ、では行こうか」
 断らなかったのは、ちょっとした下心があったからかもしれない。久しぶりに会えて私は浮かれていた。だけどみっともないところを見られてしまったという恥ずかしさもあり、せっかくの二人きりの時間を無駄にした。ロクに話もしないまま店に着いて、何とか挽回しようと私が手にしたのは彼がよく買っていたみたらし団子だった。
「お忙しいところをありがとうございました。こんなものしかお渡しできませんが」
「ありがたく頂いておこう。そう言えばここの団子は久しぶりだな」
 これは聞いてもいいのだろうか。どうしてぱったりと来なくなってしまったのか、聞くならきっと今しかない。
「あの……」
「何だ?」
「もしかして、羊羹が不評でしたか?」
「……ん? 何を言っている?」
「しばらくいらっしゃらなかったから……変なことを聞いてすみません」
彼は首を傾げた。うん、伝わるわけがない。言わなきゃよかった。つまり私の勘違いだったということだ。
 いつも買っていく菓子が上官への差し入れで、最後に勝った羊羹が不評だったから店に来なくなった。そう思っていたと正直に告げてみる。彼はパチパチと何度か瞬きして、フッと頬を緩めた。いつもの上品な印象とは違う、素朴な笑みだった。
「しばらく忙しくしていただけだ。羊羹も好評だった」
「そうですか。よかったです……」
「また来る」
「はい。お待ちしてます」
 そう言って少し肩の濡れた彼を見送って一週間。約束したつもりはなかったけれど、彼は本当にまた来てくれた。
 いつものように菓子を包もうとすると、断られる。今日はここで食べていくと言われ、今度は私が首を傾げる番だった。
「久しぶりに団子を食べて思い出した。たまには肩の力を抜く時間も必要だと」
「うちでよければ、いつでもいらっしゃってください」
頼まれた磯辺焼き団子を二串、お皿に乗せて机の上に置く。彼は自分の隣の座布団をぽんと叩いた。
「……あの?」
「一串食べていいぞ」
「そんな、仕事中ですので」
「今は私しかいない」
私は縋る思いでキョロキョロと周囲を見渡した。今日に限ってほかのお客さんがいない。彼の誘いはどちらかというと嬉しかったが、ここで働いている身としてはすんなり頷くことができなかった。
「ほら、次の客が来る前に食べてしまえばいいだろう」
彼はこんなに強引だっただろうか。でも確かにその通りだなと思うところもあって、座って串に手を伸ばす。急いで食べた。一つ言えることがあるとすれば、団子は急いで食べるものじゃない。
 私が慌ててお茶を飲むところを彼はじっと見ていた。咳き込まなかっただけまだいいけれど、恥ずかしいものだ。串にはあと一つ団子が残っている。今度は慎重に咀嚼して飲み込んだ。
 そして彼は突然こんなことを聞いてくる。
「休みはいつだ?」
「決まった定休日はないですよ」
「違う、店の話ではない!」
「え……あっ、私のですか?」
 自分で言っておきながら恥ずかしくなってくる。今この瞬間、お客さんが入ってきたらどうすればいいだろう。カッと熱くなる頬を隠すように私はうつむいた。彼が「そうだ」と言ってくれたからまだいい。もし私の勘違いだったら、この場から逃げ出していたことだろう。
「次は五日後です。私は他のかたのお休みに合わせているので、それより先のことは……」
「では五日後、朝の十時に迎えに来る」
「ええっ!」
本当に、彼はこんなに強引だっただろうか。そもそも私は彼のことを何も知らなくて、偶像に焦がれていただけなのかもしれない。だけど、胸はドクドクと鳴っている。五日後、もし本当に彼が来たら今度は名前を聞いてみよう。軍服が姿勢よく去っていくのを眺めながら、私はそんなことを考えていた。