一服どうぞ
まさか茶屋で団子を食べることになるとは思いもしなかった。五日前の言葉通り朝の十時にやってきた彼は、少し離れたところにある茶屋に私を連れて行った。
「ここならゆっくりできるだろう」
ということだ。私がこの前、急いで団子を食べて喉に詰まらせてしまったことを言っているのだろう。嬉しい反面、他のところでもお茶してたのねというくだらない嫉妬心が湧いた。
「ここにはよくいらっしゃるんですか?」
「いや、二度目だ」
「そうですか」
まあ二度目ならと思いながら私は湯飲みに口をつける。これ、いいお茶の葉だ。……そう言えば今日はこの人の名前を聞くと決めていたのだった。
「……し、知らんかったのか?」
そう言ってわなわなと肩を震わせながら彼は名乗った。鯉登さんというそうだ。
どうして誘ってくれたのかと聞いてみたけど、それは早口すぎて聞き取れなかった。やっぱり私が抱いていた印象とは違う。でも、新しい一面を知るのは嫌じゃなかった。
茶屋にいたのは三十分ほどだった。次はどこに行くのだろうと思っていたら、彼はこれから仕事に戻るそうだ。自分だけ期待していたのが恥ずかしかった。変なことを口走らなくて本当によかった。
「お忙しいのですね」
「まあ、そうだな」
「軍の施設までご一緒してもよろしいですか?」
「いや逆だろう。店まで送っていく」
「……はい、ありがとうございます」
もう少し一緒にいたいという我儘な願いは、彼の申し出によっていくらか満たされた。でも、こんなことで一喜一憂していいものかとも思う。彼のような身分のある人を相手に、私にできるのは待つことくらいだ。待ったとして、彼が来なくなったら私はどうするつもりなのだろう。
店に着くと、彼はお決まりのように「また来る」と言った。私は何も言えなかった。
次に彼が来たのは三週間後だった。一週間来なかった時点で私は少し落ち込んでいた。「お忙しいのですね」と、今回は少し嫌味をこめたつもりで言った。だけど彼は気付いていないようで「ようやく一段落ついた」と嬉しそうに言った。
ほかのお客さんがいなくなったのを見計らって私は鯉登さんの隣に座った。ちょっとした、抵抗にもならない抵抗だ。
「またこれからお仕事ですか?」
「そうだな。早く戻らんと月島にうるさく言われる」
「お仕事頑張ってください。それから……お慕いしてます」
「っはあ!?」
鯉登さんは顔を真っ赤にして立ち上がった。私も、どうして突然こんなことを言ってしまったのかわからなかった。いつもの私なら恥ずかしくてどうかなってしまいそうなものだけど、今日は不思議と落ち着いていた。むしろ言って気持ちが晴れたような気さえする。
鯉登さんが早口で何か言った。「女が」くらいは聞き取れたけど、あとは全くだ。ぽかんとしていたら、手を握られた。分厚い男のひとの手だ。
鯉登さんが何か言いかけて、しかしほかのお客さんが店に入ってきた。彼はパッと手を離して、眉間に皺を寄せた。
「夕方、また来る」
「……はい、お待ちしてます」
ほら、やっぱり私は待つことしかできない。
店の戸締りを終えた私は外で鯉登さんを待っていた。少し寒い。手を擦り合わせて息を吹きかける。そんなことをしていたせいで、目の前に彼が立っていることに気付くことができなかった。
「なんでそげん格好で!」
また早口だったけど今度は聞き取れた。鯉登さんは軍服の上着を私にかけて、それから昼間みたいに手をぎゅうと握ってきた。
「責任は取る!」
「なんの責任ですか」
「責任は責任だ!」
「……じゃあ、お願いします」
もしかして口付けの一つくらいされるのかしらと思ったけれど、全くそんなこともなく。ただ真正面から好きだと言ってもらえた。
「久しぶりに団子を食べたときに思った。どんなに忙しくとも私はここに帰ってきたい」
「はい」
「ずぶ濡れになったお前をみつけられて本当によかった」
「はい」
「私は部下に対して責任がある立場だ。だから嫁に来るのはもう少し待ってほしい」
「はい、待ちます。でも……」
「何だ?」
「待ちくたびれたら団子を持って伺います」
鯉登さんが甲高い声で叫ぶ。ふふ、と笑っていたら力強く抱きしめられた。思っていたよりずっと、不器用な人だ。