転生したら角名倫太郎に振られた後の世界だった01
「えっと、大丈夫……?」
ブレザーを着た男の子が私のことを見下ろしている。そのキツネみたいな切れ長の目には、哀れみというか、若干の呆れの色が混じっていた。
頭にはズキズキと痛みを感じる。あれ、私は今なにをしていたんだっけ――。
「大丈夫ー?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、これまた制服を着た女の子が心配そうな顔をしている。……いや、待て。ここはどこだ。辺りを見渡してみると、机、椅子、黒板、それから学生服。どこからどう見ても教室だ。まさかと思って自分の服を見てみたら、当然のようにブレザーの制服を着ていた。
「……ごめん、今なにが起きたの?」
とりあえず後ろの席の女の子に聞いてみた。どうやら私は転んで隣の席のスナくんという人(さっき声を掛けてくれたキツネみたいな目をした子)の机に頭をぶつけたらしい。それはもう盛大に。
一体何がどうなって私は学生に。学生服を着ていたのなんてとうに昔のことで、私はついさっきまで残業をしていたはずだ。それで何とか終電に間に合うよう駅に駆け込んで……。
(あ……)
思い出したのは、背中を押される感触。迫りくる電車のシルエット。最後は視界がライトで真っ白になったのだった。
死んだ……のかな。手をグー、パーとしてみるが何も違和感はない。ところが私のそんな姿を見た周りがザワザワと騒ぎ始める。「なんかヤバイとこ打ったんちゃう」あ、ここ関西なんだ。
変な夢だな、と思った。昔通っていた学校の制服というわけでもないし、顔見知りだって一人もいないし。
心配を掛けるのも申し訳ないので「大丈夫、びっくりしただけ」と言っておいた。しかし、これがいけなかった。
「なんか喋り方おかしない?」
いきなり関西弁なんて喋れるはずもなく、私の記憶喪失(仮)はすぐにバレてしまったのだった。
ぎゃあぎゃあと教室中が大騒ぎになる。保健室、病院、救急車。いやいや救急車なんて呼ばれたらたまらない。私は机に吊り下げてあった鞄に手を突っ込み、携帯を探し当てた。……今どきガラケーですか。まあ、それでもないよりはましだけど。
「救急車は呼ばないで! 親に連絡して病院連れてってもらうから」
私が言った瞬間、教室はシンと静まった。あんなに大騒ぎだったのが嘘みたいだ。
「なあ」
後ろの席の女の子はなぜか顔を真っ青にしていた。ちょいちょいと手招きされて顔を近づけると、そっと耳打ちされた。
「ご両親、亡くなったて……」
「え……」
この様子だと、クラスの大半は知っていたらしい。私がショックを受けていると思ったらしく「嫌なこと言うてごめんな」と謝られる。むしろそういう情報提供はありがたいのだけど、それを言ったらいよいよおかしいやつだと思われそうなので、私は小さく頷くだけにとどめておいた。
このままじゃ埒が明かない。早退しよう。荷物をまとめて席を立つと、スナくんと目があった。そういえばスナくんは周りと違って騒いでいなかったな。なんて呑気に考えながら私は教室を出た。
私はまず職員室を探すことにした。あれだけ大騒ぎになったのだから、先生にもいずれ話は伝わるだろう。それなら下手に隠そうとするより、事実を話して助けてもらったほうがいい。何せ私は自宅の場所すらわからないのだ。
後ろから「ねえ」と声を掛けられる。振り向くとスナくんが一人で立っていた。
「どこ行くつもり?」
「職員室」
「……職員室ならあっち」
「ありがとう」
もしかして心配して様子を見に来てくれたのだろうか。ペコッと会釈してスナくんが指差した方向へ進む。後ろからスナくんがついてきているのは気づいていたが、何を話していいかもわからないので振り向くことはしなかった。
職員室の扉を開いたところで私は固まった。担任……どれだ。
「失礼します。二年一組の角名です」
そう言って私の横をスッと通り過ぎていくスナくん。助かる、すごく助かる……! まだ若いのにずいぶん気が利く男だ。
私は小さな声で「失礼します」とだけ言って、スナくんの後ろをついて行った。
担任への事情説明はスナくんがほぼしてくれた。最初は記憶喪失なんて……と軽い雰囲気だったのが、私の様子がいつもと違うことに気づいたらしく、担任の顔が次第に青ざめていく。ちなみに決め手は私が関西弁を喋れなくなったことみたいだった。そこなんだ、と思った。
話が長くなりそうなので、スナくんには先に教室に戻ってもらうことにした。そのときのスナくんは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。目が合い、フイと逸らされる。気になるところではあったが、先生の手前引き留めることもできなかった。
それから私は先生の勧めで一度タクシーで家に帰り、病院へ行った。検査の結果は異状なし。記憶がないことに関しては原因不明。カウンセリングを受けることを勧められたが、継続的に通うなら金銭面での不安もある。それにこれはカウンセリングどうこうで解決できる問題ではない気がした。
「では様子を見て何かあったら受診していただくということで」
医者は淡々としていた。
再び自宅に戻って制服を脱ぎ捨てる。鏡に映った私は若返ってはいるものの、げっそりとやつれていた。にしてもずいぶん長い夢だ。……本当に夢なのか?
これが夢なら覚めるまでのんびり過ごしていたらいいのかもしれないが、もし違ったら……。どうにも楽観的に考えられないのが私のよくない部分だ。ベッドの上に置かれていたジャージに着替えて私は携帯を開いた。両親が亡くなっていたとして、頼りにしている親族はいないのだろうか。電話帳やメールの履歴を確認したが、それらしきものは見当たらない。……って、
「2012年!?」
思わず声を出してしまった。2012年っていつ……。もしかして私はタイムスリップした? いよいよ現実味がなくなってきたなあ。これはさすがに内緒にしておこう。
(2012年4月18日、かあ……)
折りたたんだ携帯をベッドに投げて、ごろんと横になる。グウとお腹がなった。冷蔵庫、何か入ってるのかな……。
「……うわ」
あらためて見てみると、家が荒れている。食べ物が腐っているわけじゃないからまだマシだけど、掃除や片付けが行き届いていない。まあ高二の一人暮らしなんて大変だよね。私は他人事のように考えていた。
まずはゴミをまとめて掃除機をかける。一人暮らしスキルがあってよかった。荒れた部屋では食事もままならないと言ったものだ。
当たり前だが私が一人暮らししていた家よりも広いせいで、片づけをするだけでも一苦労だった。新しくはないけれど、特別古いというわけでもない一軒家。高校生が一人で住むには持て余す物件だ。
そして思った通り、冷蔵庫の中はほぼ何もなかった。正確に言うと、飲み物と調味料と冷食なら入っている。料理といった料理はしていなかったみたいだが、この家の状況を見る限り正解だ。下手に野菜なんて買ってしまえば、持て余して腐らせてしまう未来が見えている。
その日はカップ麺を食べて風呂に入って寝た。もう二度と目が覚めなくても仕方ないなと思っていたが、普通に朝は来た。寝癖を整えて制服に着替えて家を出る。教室に入るのはわりと億劫だった。
私が戸を開けた瞬間、教室の中がシンと静かになった。大人の私ですらちょっときつい。こんなの普通の子どもだったら心折れるでしょ。
さてどうしたものか。とりあえず自分の席に荷物を置いて、辺りを見渡す。目が合うと逸らされた。まあ、私は大人だから泣いたりはしませんよ。
「おはよう……。みんなのことまだ思い出してないけど、普通に接してくれると嬉しい」
誰に向けてでもなく、そう言った。すると昨日も声を掛けてくれた後ろの席の子が、
「病院行ったん?」
と話しかけてくれた。
「うん。異常なしって」
「ないわけないやんな~」
「それ思った。こっちは記憶喪失なんですけど、って感じ」
「困ったことあったら遠慮せず言ってな」
「うん、ありがと」
普通に接してほしいとは言ったものの、私も女子高生の普通がわからない。喋るだけでめちゃくちゃ緊張した。何かおかしくなかったかな、と会話が終わったあとで苦悩するやつだ。
これからどうなるか不安だったけれど、授業の合間にクラス女子がちょこちょこ話しかけに来てくれた。あらためて自己紹介なんてしてくれちゃって、めちゃくちゃいい子たちじゃん。まるで保護者のような気分になりつつ、私は友達の名前を覚えるのに必死になった。
そして気になることが一つ。実は朝からスナくんとめちゃくちゃ目が合っているのだ。昨日の別れ際といい、何か気まずい空気を察してしまう。しかし向こうから話しかけてくることはなく、こちらから話しかけるような用事もない。なるべく気にしないようにしつつ過ごし、そして昼休み……
「スナくん、どうしたの?」
一人で自販機に向かっていたところに気配を感じたので声を掛けてみた。スナくんは決まりの悪そうな顔で私に近づいてくる。
「いや……大丈夫かなと思って」
「うん、みんな親切にしてくれるし平気だよ。授業はけっこうヤバいけど」
冗談を交えながらの軽い雰囲気で言ったのに、スナくんは重苦しい空気をまとったままだった。これは何かワケありのようだ。言いたいことがあるなら言ってくれても構わないのだけど、どう切り出したものか。
「……ごめん」
「え?」
スナくんからの、突然の謝罪。何がどうしてごめんなのか。
「こんなこと言われても困ると思うけど、あんたが転びそうになってるの気づいてたけど無視した。たぶん本気出せば受け止められた……と思う」
スナくんは苦しそうな顔をしていた。こんなことになってしまったから、ずっと気にしていたのだろう。それで昨日も責任を感じて職員室までくれたということか。スナくんのせいじゃないから気にしなくていいと言っても彼は納得しなさそうだ。私が勝手に転んで頭をぶつけただけなのに、一人の男の子の心に傷を負わせてしまっていたなんて。大体、高校生男子が転びそうになった女子を受け止めるって、なかなかできないはずだ。揶揄いのネタにしかならない。
「スナくんのせいじゃないよ。そんな、受け止めるとか……恋の始まりみたいじゃん?」
努めて明るく言ったはずなのに、スナくんはこの世の終わりみたいな顔になった。嘘でしょ、ちょっとした冗談じゃん。そんな寒かったかな……。若者の感覚がもうすでに遠くて、本当にごめんなさい。
「や、あの……今のは冗だ「お~い角名ァ!」
気まずい空気をぶち壊す、嵐のような声。正直ありがたいと思った。
近づいてきたのはスナくんと同じぐらい長身の、金髪男。スナくんの友達なのだろう。侑、とスナくんが面倒くさそうな顔で呼ぶ。
じゃあ私はこれで、と退散するつもりだった。ところが、
「なんや角名、やーっぱこのヘタレ付き合うことにしたんか!」
「え……?」
付き合うことにした、とは。ヘタレって何……? この場合、対象はどう考えても私。ポカンとする私と、凍りつくスナくん。もしかして私、スナくんのことが好きだったりした? それで告白とかしちゃって、振られてたりする……?
なるほど理解しました。いや、ヘタレに関しては全くわからないけど……。とにかく、ここは私が年長者として場を収めないといけないところですね。
「えっと、アツムくん」
「な、なに?」
にっこりとした顔でアツムくんのほうを見る。アツムくんは私に話しかけられてびっくりしていたみたいで、ちょっと身を引いていた。
「残念ながらスナくんとは付き合ってないよ。いい男いたら紹介してね」
自分で言っておいてちょっと恥ずかしくなってしまった。照れ笑いしそうになるところをギュ、と口を結んで二人に背中を向ける。一目散に教室に逃げ帰ったところで今度はドッペルゲンガーに遭遇した。
「アツムくん……ではない?」
ついさっきまで話していた男と瓜二つ。しかし纏う雰囲気は似ておらず、よくみると髪の色も違う。
「ああ、ツムに会うたんか。双子やねん」
「あ……そう、かも? ごめん間違えて」
彼は治くんというそうだ。そしてさっき会ったのが侑くん。侑をツムって呼ぶのか……。それなら治くんはサム? 何にせよこっちのほうが優しそうだな、と私は失礼なことを考えていた。
「なあ、バレー部見に行かへん?」
放課後、いつもは何してたんだろうなあとボンヤリしていたところに声を掛けられる。なぜバレー部なのか。聞けば「宮侑と宮治の名物双子、記憶喪失のまっさらな状態ではどっちが好みか?」という、いかにも女子高生っぽい話だった。正確に言うと、二人と喋ってしまったからまっさらな状態ではないのだが。まあなんか楽しそうだし、クラスの子とは仲良くしておきたいしで、私はバレー部が練習する体育館へ足を運ぶことになった。
……で、
(なんでスナくんまでいるわけ!)
それはスナくんもバレー部だからという話なのだが、そうならそうと先に言っておいてほしかった。どうしようめちゃくちゃ気まずい。うわアイツ見に来てるとか思われても仕方ないやつだ。違うんです私の目当ては双子なんです。心の中で言い訳しながら、それと気づかれないように祈りながら、体育館の中を眺める。……なぜ外からなのか。実は入部希望者以外の見学というのは正式に言うと許可されていないらしい。なので見るなら外からコッソリと見なければならないのだ。
「で、どっち?」
「え……え~……治くん、かな。優しそうだし。正直あんまり見分けつかないけど」
これは部活を見てというより、話してみての感想だった。それでも充分だったらしくきゃあと話が盛り上がる。ちなみに彼女も治派のようだ。最初は侑派だったそうだが、同じクラスになって弁当を食べている治くんの姿にキュンときたのだと言う。特に付き合いたいわけでもないらしいので、争いにならずホッとした。
「そういえば私って部活は入ってなかったのかな」
「えー……なんか辞めたって聞いたけど」
「そうなんだ」
家のこともあるし部活は厳しかったのかなあなんて考える。そうしていたらふと水筒を片手に持った侑くんと目が合った。あ、ヤバイ。……なんでこっち来てるの?
「男漁りか」
「ま、そんなとこ。邪魔してごめんねもう行くから」
男を紹介しろなんて言ったのがまずかったのか、侑くんは喧嘩腰だ。しかし見学禁止のところを見ていた私たちにも非があるし、侑くんたちのことを見ていたのは本当のことだ。ここは謝って早いとこ退散しよう。ところが「おいヘタレ」とドスの利いた声で引き留められる。だからヘタレって何よ。友達は完全に怯えているし(だから治派に鞍替えされるのだ)もう最悪だ。
「何か私に話あるみたいだから先行ってて」
「大丈夫?」
「大丈夫」
ごめん、と言い残して友達が去っていく。侑くんは私に言いたいことがあるみたいだし、むしろ私のほうこそごめんだ。
正直意味がわからないし身長のこともあって怖いっちゃ怖いけど、まあ殴られるようなことはないだろう。しかし一体何を言われるのか。フンッと胸を張って身構える。しかし口を開いたのは侑くんではなく、
「侑、なにしてんねん。休憩終わるで」
「あっ、北さん! スンマセンッ!」
おそらくバレー部の先輩。侑くんの態度が急に変わったのが面白くて、私は思わず笑いそうになってしまった。めっちゃビビってるじゃん。
……ところが、そう笑っていられる話でもなかったのだ。
「なんや戻ってきたんか」
え、なに。この先輩、どう見ても私に言っているみたいだけど。
腕を組んだ先輩からはピュウと冷たい風が吹いているような気迫があった。侑くんが怯むのもなんとなくわかった気がする。
「やるならはよジャージ着替えてき」
去り行く背中と侑くんを交互に見る。侑くんはケッと吐き捨てるように言った。
「お前みたいなヘタレにマネージャー務まるわけないやろ。出戻りとか誰も歓迎せん」
はあ、としか言いようがない。……いや待て、もしかして私が辞めた部活って男子バレー部のマネージャーだったりします?
なるほどそれでヘタレってわけね。侑くんの突っかかるような態度に納得しつつも私は途方に暮れた。
あの怖そうな先輩も侑くんもすでに体育館の奥だ。このまま帰ることもできるが、それじゃなんとな~くヤな感じだ。
私は急いで教室に戻ってジャージとシューズを手に取った。やってやろうじゃないか。つい熱くなってしまった私はこのとき、スナくんという存在のことをすっかり忘れていたのである。