転生したら角名倫太郎に振られた後の世界だった02
出戻りのくせに一つも仕事を覚えていないとか、普通だったら有り得ないことだ。周囲からの視線が痛い。しかしその中で、スナくんと治くんはキョトンとした顔をしていた。記憶喪失なのになぜ、ということだろう。
というか私の記憶喪失(仮)は、二年一組の中では周知の事実のようになっているが、他ではあまり知られていないのだろうか。こんな一大事、もっと学校中の噂になっていると思っていたのだが……。侑くんなんて治くんに聞けば一発だろうし。うーん自意識過剰だったかな。
この稲荷崎高校男子バレー部というのは全国的にも強豪らしく、部員数がとにかく多い。毎年マネージャーの入部希望もあるそうだが、よくて数週間、早くて一日も持たず辞めていくそうだ。なのでマネージャーの仕事は基本的に一年生がすることになっている。ちなみにマネージャーの出戻りは、知る限り初めてのこと。ピリついた空気に委縮する私に教えてくれたのは、三年の赤木さんだった。ポジションはリベロ……と言われても何なのかよくわからない。(あとで調べたらレシーブの専門職ということだった)雑用もだけど、バレーのルールも覚えていかないと。
みんな私の働きに期待なんてしていないのか、それともそういうものなのか、指示など一切受けることなく練習が再開された。周囲の様子を窺うと、一年生らしき子たちが球拾いやドリンクの準備をしている。ここは年上の権限を使ってこの子たちに頼るしかない。
「何したらいいですか!」
驚かせてしまったのか、私が声を掛けた一年生(多分)はピシャリと固まってしまった。そう、言ってしまえば「なんで俺?」って顔だ。ごめん、近かったから……。
しかし気を取り直したらしく、その理石くんという子はきちんと仕事を教えてくれた。とりあえずカラになったボトル(理石くんはジャグと呼んでいた)を洗ってほしいとのことだったので、言われた通りにしている。
洗浄待ちのジャグが少なくなってきたら、次は球拾い。もうすでに強烈な球を何発かもらっている。「スマン!」とネット越しに謝られたから、私も体育系っぽく「ウス!」と返した。そうしたらスナくんが陰で笑っているのが見えたので、次から「大丈夫です」に変えた。そんなに笑うほどおかしかったですかね。
これといって何かしたわけでもないのに、時間はあっという間に過ぎた。ヘトヘトの体で最後の仕事、モップ掛けをしていたところに声を掛けてくれたのはあの怖い先輩、北さんだった。北さんはこの部のキャプテンだから、私のことも一応気にしてくれているのだろう。
「おつかれさん。なんや前と別人みたいやったな」
「北さんもおつかれさまです。えーっと……」
私はモップを杖にぴしっと背を伸ばした。そうなんです実は別人なんですよ。これは言っておいたほうがいいのだろうか。別に隠しているわけでもないし、今ここで言わなくともいずれは耳に入るだろう。そしたらなぜすぐに言わなかったのかという話になるのでは……。
「もう記憶戻ったん?」
ここで爆弾投下。治くんである。まあこれで話を進めやすくなったともいえるので、結果的にはよかったかもしれない。
驚きの声を上げたのは北さんと……たまたま近くにいた侑くんだった。
「おいサム! どういうことやねん! こいつ記憶喪失なんか!?」
ものすごいスピードで距離を詰めてきた侑くんが、治くんの胸倉をつかむ。それでもなお治くんは涼しそうな顔をしていた。
「いや言うたし。聞いてへんかったのツムやん」
「そういや確かに聞いた気もするけど……俺の知らんヤツのことや思たんや!」
そもそもなんでこんなに侑くんが怒っているのかよくわからなかったが、いよいよ手が出てしまいそうな雰囲気だ。わ、私のことで争わないで~……ではなく、何とかしないと。
しかし私がどうこうするまでもなく、二人は静かになった。北さんが口を開いたのである。喋っただけで空気が締まるこの圧、高校生なのか本当に疑わしい。
「記憶喪失っちゅうんは間違いないんか」
「……ハイ」
「なんで先にそれを言わんの」
「なんか流れで……スミマセンでした」
「いや、もとは俺が戻ってきた言うて決めつけたんがあかんかったな。こっちのほうこそすまん」
「め……滅相もないデス」
「で、明日からはどうすんの」
「あ、えっと……」
そうか、明日からは来ないという選択肢もあったのか。なぜか明日も普通に頑張る気になっていた。みんなからもそんなに歓迎されていないみたいだし、普通ならやめておいたほうがいいのだろう。だけど……。
バレーに興味が沸いた。ちゃんとルールも覚えたいし、試合も見てみたくなった。それは今日一日マネージャーとして働いて、みんなのプレーに圧巻されたからだ。もちろん選手をサポートしたいという気持ちもある。今日私が仕事に入ったことで、一年生の数名が練習に入ることができた。一年生は交代でマネージャー業をやっているみたいだけど、私がいるとその時間を練習や体力づくりに充てられる。こうやってチームが成長する一歩への手助けができるなら、それも悪くないと思ったのだ。ただ一つ気になるのが……。
私はちらりとスナくんに目線を向けた。そう、スナくんである。私がいるとスナくんがやりづらいかもしれない。……というのは他人を言い訳にしているだけに過ぎず、正直私もスナくんに関してはやりづらいところがあった。変に意識しすぎてもいけないし、だからって近づきすぎは厳禁。ひじょーにムズカシイ。
「俺としては来てくれたら助かるけどな。体調的にはどうなん」
意外なことに、北さんは背中を押すような言葉を掛けてくれた。来るもの拒まず去るもの追わず的な雰囲気を勝手に感じていたけど、違うのかもしれない。加えて私の体調を気遣うような言葉まで……。すごく人間が出来ている。怖い先輩という認識は改めなければならないようだ。
「検査は受けたので、体は大丈夫だと思います。……明日からも頑張りたいと思ってます」
「そうか。なら明日からも頼むで」
「よろしくお願いします」
私はぴしゃりと頭を下げた。半分は勢いだ。そして心の中でスナくんに謝る。ごめん。なるべく話しかけないようにしますので、どうか許して。
着替えを済ませた私は自宅……ではなく本屋に向かっていた。初心者向けのバレーの本を探すためだ。こういうときスマホがあったらなあと思う。本当なら今すぐ買い替えたいくらいのレベルだが、まだ自分の金銭事情がよくわかっていないので保留にしていたのだ。
そして購入したのは、表紙に「わかりやすい!」と書いてあったルールブックだ。寝る前にベッドに寝転びながら読んでみた。なるほどわかるようなわからないような。
三分の一くらいを呼んだところで今日は寝ることにした。続きは明日の休み時間にでも読もう。
そして私はこのとき、あることを失念していたのだった――。
朝、校門を跨げばグラウンドで練習しているテニス部やサッカー部が目に入る。体育館からも活気あふれる声が漏れていて……あ、ヤバイ。
「朝練!」
そうだ高校生というのは朝練をするのだ。そんな昔のことなんてすっぽりと抜け落ちていた私が登校したのはいつも通りの時間帯で、あと十五分もすれば予鈴が鳴る。重役出勤じゃないか。
私は走った。とにかく走った。ゼエゼエと息を切らし体育館に足を踏み入れた私は、バレー部のコートに向けて頭を下げた。
「す、すみません……でしたァ!」
頭に刺さる視線が痛い。おそるおそる顔を上げてみるとまず北さんがいて、その後ろから他の部員が様子を窺っているという感じだった。
「おはようさん。どないしたんそんな息切らして」
「おは、ようございます……。あの、朝練……忘れて、ました」
あまりにも言葉が途切れ途切れになってしまうので、落ち着いて深呼吸をする。傍ら北さんは「なんだそんなことか」とでも言いたそうな顔だ。
「別に強制やないよ」
「あ、えっ……? そうなんですか?」
「まあうちはレギュラー争い激しいし寮生も多いし、結果的にほぼ来てんのやけどな」
「そうだったんですね。あ、片付けやります……」
「ええよそんな気ぃ使わんでも。角名に聞いたけど、一人暮らしなんやろ? いろいろ大変やんな」
「えっ、ハイ……イイエ!」
「どっちやねん」
北さんはくすりと笑った。
「今日はええからはよ教室行き」
「……はい」
出鼻をくじかれた気分だ。トボトボと教室へ向かい、席についてルールブックを広げる。すると、
「なあ昨日大丈夫やった?」
と、バレー部の見学に誘ってくれた子から声を掛けられた。え、と一瞬戸惑う。大丈夫って何がだ。
「離れてちょっと様子見とったんやけど、なんや先輩まで出てきた思たら一緒に体育館の中入ってくし……」
そういえば昨日はそういう流れだったなあと、昔のことのように思い出す。部活がハードですっかり忘れてしまっていた。
「うん、それでバレー部のマネージャーすることになった」
「えっ、大丈夫なん?」
「いま勉強中~」
ルールブックの表紙をちらっと見せると、彼女はホッとした様子で笑った。
予鈴まであと三分というところでスナくんと治くんが教室に入ってくる。そういえばスナくん、北さんとどんな話をしたんだろう。記憶喪失のこともあるし私のことを話すのはわかるけど、一人暮らしのことまで北さんに知られているとは思わなかった。まあいいんだけど……いいんだけどさあ、ちょっと気になるじゃん?
「おはよ」
「……おはよう!」
挨拶された! てっきり避けられるかと思っていたから声がうわずってしまう。
「それ買ったの?」
スナくんの視線は私の持つルールブックに向けられていた。え、何か急に恥ずかしくなってきたんですけど。
「……ハイ」
「なんで敬語?」
「や……なんとなく」
こんなのただの思春期やんけ。
年長者の余裕はどこへ行ってしまったのやら、だ。これではスナくんのほうがよっぽど大人である。いや、ここで私と普通に話せるスナくんって実はめちゃくちゃすごくない?
さっきの体育館のことは深くつつかないでほしいなあと思っていたら、ようやく予鈴が鳴ってくれた。ふうと安堵のため息をつきながら、私はルールブックを鞄に押し込んだ。