1話
「そんなに俺のことが好き?」
冗談だった。「もう、フィガロ先生ったら」とか「からかわないでください」とか、俺の想像を全部飛び越えてオディリアは真っ赤な顔で頷いた。
オディリアが淹れてくれたハーブティーはすっかり冷めてしまっている。
オディリアは魔女だ。
オディリアとの出会いは、俺が南の国に医者として落ち着いて数年後のことだった。出身は東の国らしいが、どうにも生きづらかったらしい。「南の国の噂を聞いて来ました」と期待にあふれた顔で見上げられたとき、確かに東っぽくないなあと思ったものだ。
魔法使いと人間が協力して暮らす南の性質はオディリアによく合っていたようだった。東よりも痩せた土で彼女は作物を、ときには花も育てた。豊作だからと何度もお裾分けをもらったのは俺に限った話ではない。
そう。これだよ、これ。助け合いの南の国。魔法使いと人間の仲良し大作戦。順調だなと実感できて、胸のあたりがムズムズした。
時は流れて三百年と少し。いつもの日常であるはずだった日が変化した。賢者の魔法使いである証の紋章が身体に浮かび上がってきたのだ。
こうなれば拒否する術はない。二千歳近く生きていてなぜ今なのかと疑問はあるが、なってしまったものは仕方ない。同じく紋章が現れたルチルとミチル、レノックスと一緒に中央の国を訪れることになるだろう。年に一度、大きな戦いがあるという話だから、それ以外は今まで通り過ごせばいいのだと思っていた。しかし、そうも言っていられない事情が出てくる。南の国で紋章が現れた魔法使いは四人。賢者の魔法使いは各国ごとに四人。つまり四人全員死んだか、もしくは力を失ったか。当たったのは悪いほうの予想で、呑気なことをいっていられる状況ではなくなった。
オディリアの家を訪ねると、彼女は俺を椅子に座らせてハーブティーでもてなしてくれた。
「ありがとう、これ好きなんだよね」
オディリアが育てたハーブをブレンドしたこのお茶は、疲労に効くとかリラックスできるとか、とにかくいい作用があるという話だ。けど、そんな効能より「体を大事にしてくださいね」とオディリアに世話を焼かれていることが俺にとっては重要だった。
「今日はどうされたんですか?」
「実は俺、賢者の魔法使いになっちゃって。急な話なんだけど、明日から中央の国の魔法舎で暮らすことになったんだ」
「え……」
彼女は驚いたような、寂しそうな顔をした。
「今まではわりと自由だったみたいなんだけど、どうも戦いで苦戦してるみたいでさ。共同生活で結束を高めようって」
「……そうですか」
目に見えて落ち込む彼女に気を良くして「寂しい?」と聞いてみたら、案外素直に「はい」と返ってきていっそう気分が良くなる。
「そんなに俺のことが好き?」
これが冗談で済まなくなるなんて、思ってもいなかった。
「えっと……」
俺も好きだよ。昔の俺なら言ってただろうし、彼女が望むなら付き合ってみたりとかもあったと思うけど、いつの間にかそういうことは言えなくなっていた。もし言えるとしたら、相手が確実に拒否してくれるときだ。冗談なのか本気なのかわからないと言われると安心する。逃げ道があるからだ。
「……嬉しいんだけど、」
オディリアの顔にぎゅっと力が入ったのがわかった。できるだけ傷つかないようにしてあげたいけど、傷つけることも優しさのうちだと前に言われたことがあった。今がそのときなのかはわからない。
「……迷惑でしたか?」
「いや、そんなことないよ。ただ、きみが望むような関係にはなれないかな」
オディリアはうつむいてしまう。泣いているのかと思ったけど、かすかに魔力の動きが感じられた。落ち着いた表情で彼女が顔を上げたのを見て、魔法で感情を制御したのだとわかった。そんなことしなくたって、煩わしくなんか思ったりしないのに。もう俺に対する感情は全部消えてしまったんだろうか。
「明日、見送りに行ってもいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、また明日……」
追い出されるようにオディリアの家を出ると、ぴゅうっと冷たい風が吹いた。南の国は夜が冷える。今日でこの感触ともしばらくお別れだというのに、寂しいという感情は沸いてこない。
しばらく留守にするから診療所の片づけをしなければならなかった。でも、それより先に体がベッドを求めた。白衣を脱ぎ捨てて、勢いよく飛び込む。こんなだらしない状態だって、魔法さえあれば部屋を綺麗にできるのだ。
大抵のことは魔法でどうにかできたが、それでも気になったのがカゴの中に積まれたグランデトマトで、これはオディリアからお裾分けしてもらったものだ。他にもいろんな野菜を作ってるはずなのに、オディリアはいつもトマトを多く渡してくる。火を通さなくても食べられるから、ということらしい。実際、生で食べることもままあるのだが、彼女はこのトマトの恐ろしさをわかっていない。大きすぎるのだ。スライスした残りを保存のために調理したことは何度もあった。料理が面倒くさいフィガロ先生のためのトマトなのに、トマトのために調理をさせられる。これももう最後か、と感傷にふける気持ちを想像しながら真っ赤な果肉に歯を立てる。ベッドの上でこんなことをしてるのをミチルにでも見られたら叱られてしまいそうだ。
食べきれなかった野菜は近所に配ることにした。オディリアも怒らないだろう。家を回るついでに餞別だと手作りの菓子を渡された。どうやっても身軽にはなれないらしい。南の国のそんなところが自慢だ。
翌朝、オディリアは笑顔で見送りをしてくれた。別れ際に祝福の魔法をかける。それから手を振ればよかったのに、俺は両手で彼女の手をぎゅっと握って呪いの言葉を吐いてしまった。
「ねえ、愛って何だろう」
オディリアはじっくりと間を置いた。きっと真剣に考えてくれている。でも、答えについてはあまり期待していなかった。ずっと探しているものが、こんなにあっけなく見つかるわけがないからだ。
「……私のは、フィガロ先生が求めているようなのじゃないと思います」
「きみの愛って?」
「……愛じゃないんです。ひとり占めしたいとか、そういう」
彼女が手を引っこめようとするのを、俺は許さなかった。
「ひどいです、先生。わたしのこと、すきじゃ、ないのに」
「好きじゃないってわけでもないんだけど」
オディリアは荒い呼吸で呪文を唱えた。昨日と同じだ。彼女から熱がすっと引いたような、押さえつけたような、気味の悪い感じがする。血色がなくなった顔で彼女は言った。
「先生、早く行かないとみんなが待ってます」