11話

 仕事先で食材の仕込みを教えてもらうようになってから、魔法舎の食堂へ行く回数は減った。おのずと、ネロに会う回数も少なくなる。賢者様の部屋でネロが好きだと泣いてから早数日、偶然なのか私はネロと一度も会わなかった。会いたいなら簡単だ。みんなが食事をする時間帯に食堂へ行けばいい。カナリアさんが料理を担当していることもあるが、数日通えば確実に会える。避けてるわけじゃないんだけどなあと、私は誰に言うでもなくひとりの部屋で呟いた。
 そうだクッキーのお礼。ちょっと遅すぎる気もするけど、おいしかったと伝えておきたい。何も下心がないと言えば嘘になるけど、お礼は大事。うんうん、と自分を納得させるように頷いて私は部屋を出た。向かう先はキッチンだ。

 夕食というには遅い時間だけど、深夜というにはまだ早い。キッチンの明かりがついていたからネロだろうと思った。いつもより、ちょっと緊張している自分がいる。すうっと深呼吸して私は食堂に足を踏み入れた。
 ネロ、と声を掛けようとして口をつぐむ。確かにネロはいたけどもう一人、あれは確か北の魔法使いの……盗賊の頭をやっていたとかいうブラッドリーさん。前の賢者様が要注意人物だと言っていた。話したこともないのに決めつけてしまうのはいけない気もするけれど、私はなるべく北の魔法使いには関わらないようにしていた。というか、彼らはあまり姿を見せないから避けるまでもなくという感じだが。

「だからそんなんじゃねえって」
 いつもと違うネロの声に私は反射的に身を隠してしまった。いや、これ盗み聞きでは? と思ったけど、出て行けない。
「てめえにその気がなくても、女のほうは惚れてるんじゃねえか?」
今のはおそらくブラッドリーさんだ。私はハッと両手で口を覆う。もしかして私の話? 魔法舎にいる女の人って私と賢者様とカナリアさんぐらいで、まあ魔法舎の中の話とは限らないけど。とにかく、私が聞かないほうがいい話なのは明白だった。クッキーのお礼はまた改めて、場合によってはやめたほうがいいかもしれない。このまま見つからないように食堂を出よう。中腰のままテーブルの下から二人の様子を伺うと、ブラッドリーさんの体がさっきと変わってこちら側をむいていることに気付く。……ああ、これ出て行けないやつだ。今出て行こうとしたら、絶対見つかってしまう。
 床に座り込んで耳をふさいでも二人の会話は聞こえてきた。そういう目でみてないとか、色々。そしてついに「未央」という単語がネロの口から出てきて、私は膝に顔をうずめた。ほとんど名前を呼ばれたことなんてないのに、こんなときに限って。来なきゃよかった。ブラッドリーさんみたいな話したこともない人が察しているくらい私ってわかりやすかっただろうか。色々考えていたせいで、コツコツと近づいてくる足音に直前まで気付かなかった。

 げ、という顔でブラッドリーさんが私のことを見ている。ブラッドリーさんはネロのいるキッチンと私をちらちらと見比べて、小さく手招きをした。逃がしてくれるらしいことにとりあえず安心する。とてつもなく気まずいけど、文句は言っていられない。
 ブラッドリーさんに無言で急かされながら、私たちは中庭に出た。ブラッドリーさんは食堂のほうを振り返って、それからため息をつく。私のイメージしていた北の魔法使いの姿とは違うというか、ちょっと優しいのかなと思ってしまった。これは紛れもない現実逃避である。
「おい女、どこから聞いてた?」
「……そんなんじゃねえって」
「そりゃ何度か聞いた気がする」
「……女のほうは惚れてるんじゃないか、とか」
ああ、とブラッドリーさんは納得したようだった。
「すみません、盗み聞きしてしまって」
「どうせ逃げるタイミング失くして隠れて泣いてたんだろ」
「泣いてはないですよ、今のところ……」
「そうかよ」
ブラッドリーさんはそう言ってどかりとベンチに腰を下ろした。私も座った方がいいのかと迷っていると、ブラッドリーさんが顎で隣を指す。できれば放っておいて欲しかったけれど、このまま逃げる勇気もなく。
 私がおずおずとベンチの隅に座るなり、
「惚れてんのか?」
あまりの直球に私は目をぎょっと丸めた。誰に? と聞き返しても無駄だろう。むしろ会話を長引かせてしまうというか、この期に及んで往生際が悪いというか。でも、この人の前で口に出すのも抵抗があったので私は静かに頷いた。
「なんだ、てっきり否定すんのかと思ってたぜ」
「……だってもうバレバレじゃないですか」
まあな、とブラッドリーさんが笑う。
「てめえはネロを落とす気あんのか?」
「えっ、おと……す?」
落とすって、確かに告白とかするならそういうことになるのかもしれないけど、改めて聞かれると目をむくような響きだ。
「……好きになってくれたら嬉しいとは思いますが、」
「まあ二択だな」
「二択?」
 ブラッドリーさんはベンチの背もたれに腕を回し足を組みかえる。
「色気で攻めるか庇護欲くすぐるか」
「い、いろけ……」
私は考えるのをやめたくなった。言いたいことはわからなくもないけど、私には難易度が高すぎる。色気は言うまでもないが、庇護欲ってこう……守ってあげたくなる感じだと思うけど、私は可憐で儚い少女でもないわけで。いや、そもそもどうしてブラッドリーさんはこんな話を? 謝ったりはしてこないけど、ちょっと悪いことしたなとか思ってるんだろうか。
「……あの、ブラッドリーさんは私のこと応援してくれてるんですか?」
「女にそんな顔させたままじゃ眠れねえんだよ」
「ありがとうございます。でも気にしなくていいですよ」
「ったく辛気臭え」
ブラッドリーさんはぐしゃぐしゃと乱暴に私の頭を撫でた。頭が膝にひっつきそうなぐらい強い力でぐいぐいと押される。
「え、痛……」
「うるせえな」
ブラッドリーさんは構わず私の髪をぐちゃぐちゃにした。ぽたりと太ももに涙が落ちる。……あーあ、部屋に帰ってから泣くつもりだったのに。

「おいブラッド、てめえ何してやがる!」
突然ブラッドリーさんの手が離れたかと思うと、ネロがそれを掴んでいた。驚いているような、怒っているような表情のネロと目が合う。
「最悪のタイミングだぜ」
「はあ?」
二人は今にも掴みかかりそうな雰囲気だった。おそらくネロはブラッドリーさんが私に何かしたと勘違いしている。……私が、言わなければ。
「ネロ、私たちただ喋ってただけなので」
「いや、でもその目……」
「私は大丈夫ですし、ブラッドリーさんは何も悪くないです」
「未央……?」
ネロに名前を呼ばれて、言い逃れできないくらいたくさんの涙が出てきた。さっきネロが言ったことを思い出してしまう。私のことはそんな風に思ってないって。
「……ごめんなさい。さっきの会話、盗み聞きしちゃいました。ごめ、んなさっ……」
馬鹿か、とブラッドリーさんの声が聞こえた。
「っネロ、この前のクッキーおいしかったです……ありがとうございました」
立って、頭を下げて、私は部屋に帰る。走ったりなんてしない。「おやすみなさい」は、たぶん笑顔で言えたと思う。