10話
――それって恋では?
恋愛小説やドラマで聞いたことのあるようなセリフ。誰かに言われたわけでもなく、私自身がそう思った。
最近、ネロのことばかり考えてしまう。食堂に行くときも「誰にも会いませんように」から「ネロがいたらいいな」に変わった。
戸惑うというよりは、ああ好きなんだなと案外落ち着いている。ネロと話すときはドキドキするし、穏やかとはほど遠いけれど、この先がないことをどこかで実感してるからある意味平気なのかもしれない。
いつか元の世界に戻れるかもしれないから、ここで人を好きになっても不毛だ。もう二度と帰れないかもしれないけど、いつか突然帰ることになるかもしれないから止めておこう。そう思うのが普通。でも、もしネロが私のことを好きになってくれたら? 考えたところで、やっぱり不毛だった。
お客様から聞いたおすすめのチョコレートをコーヒーと一緒に賢者様の部屋に持って行く。今日は午後のお茶会の約束の日だった。
「あっ、これおいしいですね! コーヒーにもよく合います」
「お店に来るお客様が教えてくれたんです。他にもいろんな種類があったから、今度一緒に見に行きませんか?」
「いいですね!」
現金な私は、賢者様と話すようになってよかったなと思っていた。前の賢者様とはまともなお別れもしないまま、しかも最後に話したのはいつだろうという状態であるのに。賢者様は元の世界についてどう思っているんだろう。
賢者様はコーヒーカップを持ちながら、おずおずと切り出した。
「未央さん、それで……嫌だったら構わないんですけど」
「……ワンピースの話?」
「……です。あの、本当に話したくないならこれ以上聞きませんので!」
話すのが嫌なわけじゃない。ただ、相手の名前を出すのはネロに悪いかなと思って、それと私が恥ずかしいからでやめておいた。ざっくりした説明をしている最中にも、私はネロの温度を思い出してしまう。
「なんだかドキドキしますね……」
賢者様はきらきらした瞳で言った。「告白とか考えてないんですか」と。
「……ない、ですかね」
想像したことはあるけど。言ってしまったら抑えきれなくなる気がして、コーヒーと一緒に言葉を飲み込む。何となく暗い雰囲気になってしまった。いたたまれなくなった私は賢者様にバトンを返す。
「賢者様はそういう人はいないんですか?」
「ええっ、私は全然そんな……友達になれたらいいなとは思います」
「……そうですね」
私もそこで踏みとどまればよかった。気付いたら落ちていた、という感じだから難しいかもしれないけど。そもそも最初から線引きをきちんとしておくべきだったのかもしれない。
「未央さんが考えてるのって……元の世界に帰るから、とかだったりしますか?」
「まあ、」
帰れないかもしれないけどとはさすがに賢者様の前では言えなかった。賢者様は少し悲しそうな顔をして、けれどすぐに凛とした表情で私の手を握った。
「もし未央さんの気が変わったらですけど、私に協力できることがあれば言ってくださいね」
「賢者様……」
「それに、前は異界を自由に行き来していた人がいたらしいですよ! アーサーが言ってました!」
「そうなんですか?」
少し期待してしまった。それが元の世界に帰れることに対してか、ネロに対する気持ちのことか、わからない。もし本当にそんなことができるなら、世界の違いは大した問題にならないじゃないか。……でも、魔法使いと人間の寿命は違う。と、新たな問題点が頭の中に生まれた。結局、私は何か言い訳を探していたに過ぎないのかもしれない。世界や寿命の違いがなくたって、私はきっと今と同じようにぐずぐずしている。
「異界を行き来する方法は国が調べてくれてるみたいです。私も結構それを頼りにしちゃってるので、早く見つかるといいですよね」
私が頷きかけたちょうどそのとき、部屋のドアがノックされた。賢者様が立ち上がってドアを開きに行く。何となく嫌な予感がしなかったわけじゃないけど、現れたのが本当にネロだったから私は息が止まりそうになった。
「クッキー焼きすぎたから持って来たんだけど、ちょうどよかった。あんたもいたんだな」
ネロがクッキーを入れた包みを二つ差し出す。私は目も合わせないまま受け取ってしまった。最悪だ。
「……あ、ありがとうございます」
さすがに普段ならもうちょっと落ち着いて対応できた。でも、賢者様にあんな話をしたばかりでバレやしないかと妙に緊張してしまう。ネロが賢者様と喋っているときに少し顔を見てみたけど、顔から火が出そうだった。
ネロは他の人のところにもクッキーを配りに行くみたいで、すぐにドアは閉まった。私は恐る恐る賢者様の顔を見て、確信した。これはもうダメだ。
「すみません……あの、さっきのってネロの話だったんですか?」
「……はい」
私はクッキーの包みを両手で持ったまま床に崩れ落ちた。
「わかりやすかったですか?」
「……かなり」
「ネロは気づいてると思いますか?」
「うーん……ネロは鈍いほうではないと思いますけど、どうでしょう……」
ネロは私の気持ちに気付いたらどうするだろう。距離を置くタイプかなと思うと、わりとショックを受けている自分がいた。
「もしネロに好きって言われたらどうしますか?」
「えっ? 何を、言ってるんですか……。ないですよ」
「でも、嫌いな人を抱っこしたり、わざわざ話を聞いてあげたりしないと思うんですよね」
「……ネロは優しいので」
あたたかい料理を食べさせてくれたのも、メモの返事をくれたのも、優しくて面倒見がいいからだ。きっと私が好きになったのもそういうところで、だから余計に胸が痛い。
「未央さんが嫌がることはしたくないけど、私やっぱり応援したいです」
賢者様は膝をついてそっと私の手を握ってくれた。説教みたいに聞こえたらすみません、と賢者様が言う。
「いつか悲しいお別れがあったとして、好きになったことが間違いとはならないんじゃないでしょうか」
「……でも、後悔しませんか?」
「するかもしれません。だから、伝えないという選択肢もありだと思います。でも……」
ぎゅ、と重ねられた賢者様の手から包み込まれるような力が伝わってくる。
「今も未央さん、辛そうに見えます……。気を悪くさせてしまったらすみません」
賢者様の言ったことは事実だった。私が本当に怖がっていることを探り当てられたような鋭さがある。
「……笑わないで聞いてくれますか?」
ほとんど泣きながら言った私に、賢者様は静かに頷いた。
「ほんとは、振られたり避けられたりしたらどうしようって思って……それに、告白なんてしたことないし、駆け引きとかもわからないから」
だから、考えられるすべてを言い訳にしようとした。その言い訳が全部嘘というわけじゃないけど、結局のところはネロに嫌われたり迷惑に思われたくないというのが一番だ。住む世界が違うから諦めるというのが一番楽で、自分も納得できると思ったのだ。
言い訳を盾にするのをやめたら涙が出てきた。賢者様はそっと私を抱きしめてくれた。
「笑いません。絶対に」
「うぅ、賢者様……ありがとうございます」
「……その、駆け引きの相談は私にも荷が重いので、他の相談だったら」
「じゃあ、また話を聞いてもらっていいですか? 私ばっかりなのが申し訳ないんですけど……」
「もちろんです。いつでも来てくださいね」